10.とある騎士と、とあるナイフ使い
青年の名前は、レナードと言った。
年は、十七を迎えたばかりだ。
燃えるような赤い髪と、深い青色の目を持つ。
レナードの朝は早い。
ニーナ王国を守る騎士団の一員として、心身を鍛えるべく早くに鍛錬場に向かうからだ。
王宮の一角にある騎士団の宿舎から出ると、見知った顔に会う。
「よお、レナード!」
「ああ、クラン。お前も鍛錬か?」
「おうよ!」
クランは、レナードど同時期に入団した言わば同期だ。
同じ年ということもあり、何かと行動を共にする機会が多い。
レナードは自身を鍛えるため、クランは出世の道を切り開くために鍛錬に精を出していた。
生真面目なレナードだが、王を守るためではなく出世のために鍛錬をするクランを咎めたりはしない。
何を理由にするかは、それぞれの自由であるとレナードは考えている。
結果として人々の平和に繋がれば良いのだ。
レナードは正義感の強い騎士だが、柔軟性に富む思考を持っていた。
クランもそれを分かっているのか、レナードの前では自身の出世欲を隠したりしないでいた。
「あー、団長に俺の勤勉さが伝わんねーかな」
「はは、努力を続ければ報われるだろう」
「努力ね。出世のためなら、いくらでも惜しまねーな、俺」
「私は、お前のそういうところを尊敬するよ」
「おう!」
クランは豪快に笑った。
「クラン、声をひそめろ。まだ寝てる奴も居るんだからな」
「努力を怠る奴らのことなんか、知るかよ」
「まあ、そう言うな」
クランという青年は欲深い男だが、目的を達成するためならいくらでも努力を惜しまない。
だからこそ、日々の鍛錬だけで満足し、時間を無駄に使う他の騎士を嫌っている節があった。それを隠すこともしないので、レナード以外の騎士とはあまり仲は良くない。
しかし、クランはそれを気にする性格ではない。
なので、彼は今日も空気を吸うかのように他の騎士を嗤うのだ。
「それじゃ、行くか。今日は、負けないからな!」
「私だって負けるつもりはないさ」
クランに促され、レナードは歩き出した。
宿舎から鍛錬場までは直ぐだ。
レナードには、ある習慣があった。
レナードは、廊下にあるタペストリーの前で立ち止まる。
「……クラン、先に行っててくれ」
「またか。お前も飽きないね」
「すまないな」
苦笑するレナードに、クランはひらひらと手を振った。
「まあ、ほどほどにな」
「分かっているよ」
クランの背中を見送り、レナードはタペストリーに向き直る。
タペストリーには、ニーナ王国に伝わる伝承の一部分が織られている。
選ばれし者──勇者の選定場面だ。
初代の勇者たちが、勇者の証である紋様とともに描かれている。
紋様の円は、古語で綴られている。内容は、世界の創生に携わった神々の名前が記されているそうだ。
その二重の円に囲まれたのが、神々の使いであるとされる神鳥。
タペストリーの紋様には、色は着いていない。白一色で織られている。
それは、勇者の証は一色ではないからだろう。
赤、青、黄、緑、黒。
五色あることから、勇者は『五色の勇者』と呼ばれることもある。
「──世界を守護せし、勇者」
レナードは敬意を持って、いつも目の前にあるタペストリーと向き合っていた。
レナードたちがこうして平和を享受出来るのも、歴代の勇者の尽力によるものだ。感謝の念を忘れてはいけないと思う。
だからレナードは、鍛錬場に行く前に必ずこのタペストリーを見るのだ。
国民の平和を守る己に、勇者を重ねて。
「……私ごときと比べるには、大きすぎる存在だがな」
レナードは苦笑すると、タペストリーから離れた。
そろそろ鍛錬場に向かわねば、クランに遅いと文句を言われることだろう。
怒れる同僚を思い描き、笑みをこぼした時だった。
チリッと、左手の甲が痛んだのだ。
「何だ……?」
不思議に思い、左手を見たレナードは驚愕から目を見開いた。
レナードの左手の甲に、まるで刺繍をするかのように赤い線が刻まれていたからだ。
じわじわと、広がる線は円形を取る。
「これは、まさか……っ」
二重の円。円と円の間には、レナードには読めない古語が刻まれていく。
だが、レナードは知っている。
文字は、神々の名前であると。
赤い線は、最後にレナードの左手に鳥を刻む。
そして、淡く光を放つと、動きを止めた。
レナードは呆然と、己の手に刻まれた紋様を見つめた。
「赤い、証」
ゴクリと、レナードは喉を鳴らした。
「まさか、私が……選ばれた?」
隠せない動揺に、声は掠れている。
レナードはじっと、赤い紋様を見つめた。
その青い目に、様々な思いが浮かぶ。
だが、レナードは覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「……それが、世界の意思であるのならば」
レナードは誓うように、左手を掲げる。
今代の赤の勇者が、誕生した瞬間だった。
木にぶら下がった的に、シュッとナイフが突き刺さる。
続けて、一本、二本と的に命中する。
切り株に座ったままナイフを投げた少年は、手元に残るナイフをクルクルと回すと、くあーと大きく欠伸をもらした。
少年は、ボサボサの赤茶色の髪をかき、眠そうに垂れた深緑色の目に涙を浮かべた。
「あー! キリルったら、またナイフで遊んで!」
「遊んでねーし。これ、訓練だし」
自宅の方から、洗濯篭を持ってやってきたのは、一つ上の姉だ。
キリルと良く似た風貌の姉は、頬を膨らませる。
「もう! 十五になるのに、遊んでばかりなんだから!」
「だから、遊びじゃねーて」
「お母さんに言いつけるよ!」
「おい、馬鹿姉。聞けよ」
少年──キリルの姉は、ひとの話を聞かない性格だった。
「まっ! 馬鹿ですって!」
「そこしか、聞かねーのかよ」
キリルはだんだん疲れを感じ始めていた。
姉の暴走は毎度のことだが、少しは落ち着いてほしいと思う。
「ほらっ、キリル! お店の手伝いしてよ!」
「……研究があるから、やだ」
キリルは気怠そうに、最後の一本を的に放つ。それは、中心にしっかりと刺さった。
「もうっ! また、研究って。それじゃあ、ニーナ王国一のパン屋の跡取りになれないわよ!」
「ならねーし。お前が婿を取れよ」
キリルがやる気なく言えば、姉は顔を真っ赤にした。
「やっだ! 結婚なんて、まだ早いわ!」
「……はいはい、そーですね」
結婚相手は、背が高い美形でお金持ちが良いと、理想を語り始めた姉を後目に、キリルは切り株から立ち上がる。
そして、猫背のまま庭の一角にある小屋へと向かう。
「あっ! ちょっと、キリル!」
キリルの逃亡に気づいた姉が、声を上げる。
だが弟は気にした様子もなく、小屋の中に入っていく。
そして、ガチャンと錠の掛かる音がした。ご丁寧にも、鍵を掛けたらしい。
「……まったく、研究馬鹿なんだから! 寒くなったから、風邪引かないでよ!」
そう小屋に向かって叫ぶと、洗濯物を干すべく姉は歩き出した。
「……好きで、研究してるわけじゃねーし」
小屋の中で姉の言葉を聞いたキリルは、小さく呟いた。
ため息をつくと、キリルは部屋を見渡す。
小屋──キリルにとっての研究室は、所狭しと本が積んであった。全て、キリルの研究の資料だ。
手近な本を手に取ると、ペラペラと捲る。そして、パタンと閉じた。
「こんだけ集めても、真実は記されてねーのな」
キリルが知りたいことは、この世界のどこにも残されていないと、分かっているつもりだった。
そう、"キリルの頭の中"以外には。
キリルは、ぐっと唇を噛んだ。普段、感情を表さない彼にしたら珍しいことだ。
「……こんな記憶、何であるんだろうな」
キリルは、苦しげに呟いた。
キリルの家族は、彼をナイフが得意で研究好きの変わり者だと思っている。
しかし、彼は彼にしか分からないことで、苦悩していたのだ。
「誰にも話せねーなんて、本当に呪いだっつの」
キリルは、"真実"を知っていた。
だが、誰かに話すことはなかった。
話さないのではない、話せないのだ。
研究室の机に置かれた本に視線を移す。
それは、古語で書かれた本だ。
今は、一部の者にしか読むことの出来ない文字。
キリルはそれを苦もなく読めるのだ。
学んだわけではない。そもそもキリルの周りに、古語を解する者はいない。
それでも、キリルは物心つくころには古語を理解していたのだ。
その特異性が、キリルを苦しめる。
「正直、つれーけど。俺しか、いねーもんな……」
自身にしか分からない呟きを口にして、キリルは皮肉げに笑った。
そんな時だった。
左手の甲に痛みを感じたのは。
「……まさか」
キリルは、左手の甲を見た。
そこには、緑色の線が円を描いていた。
──勇者の証だ。
「緑……」
自身が勇者に選ばれたというのに、キリルが気にしたのは紋様の色だった。
額に汗を浮かべ、ホッと息をはいた。
そして、すぐに悔やむように顔を歪めた。
「何、安心してやがんだよ。俺は……!」
緑の勇者に選ばれた少年は、苦痛に満ちた声で呻いた。
◆◆◆
目の前で、火がはぜる。
「おお!」
私は、感嘆の声を上げる。
そんな私に少し離れた場所で、椅子に座り本を読んでいたラルクが苦笑する。
「おお、じゃないですよ。レナ、暖炉に近づきすぎですよ」
「だって、火が……」
「燃え移ったらどうするんですか」
今度はちょっと本気の怒りだったので、私は渋々暖炉から離れた。
私がこの世界に来て、八ヶ月が過ぎようとしていた。
季節は冬が近づいてきている。
私たちが暮らす魔の森は、外と比べると気温が低いようで。寒さに弱いというラルクは、早めに暖炉に火をくべたのだ。
暖炉だよ、暖炉。
"境界の魔女"の拠点にもあったけど、使うことなかったから火が入っている様は新鮮だった。
「ほら、レナ。今日は魔法の練習も、狩りもお休みなんですから。ゆっくりしてなさい」
「はーい」
私は、ラルクの向かいにある椅子に座り、絵本を手に取った。
この絵本は、ガルの店で買ったものだ。
子供向けの本を買う私たちに、ガルは不思議そうな顔をしたけど、幸いなことに何も聞いてこなかった。
絵本は綺麗な挿し絵がついていて、私のお気に入りになりつつある。
「ラルクー、平和だねぇ」
「そうですね」
私の言葉に、ラルクは微笑んだ。
この平和が、ずっと続けば良い。
私はそう思った。




