女王蜂カモン!
『バタン!!』
ノックもなく理事長室の戸が勢いよくあけられ、初老の身なりの良い男性が駆け込んできた。
「埜乃様!大変ですじゃ、大変ですじゃっっっ!!!」
埜乃に抱きつかんばかりに近づいて叫ぶのは、父の執事の仲川だった。
「仲川、パパから離れるなんてどうしたの?落ち着いて」
何とか引き離して落ち着かせる。
大変大変てみんなして何なのよ?
そう言えばこのセリフ、つい最近も言ったような・・・。
嫌な予感。
仲川は先代の頃からの桐谷家の執事である。
もっともお手伝いさんにも暇を出した今、ほぼ無給でパパの傍にいる何でも屋のような存在なのだが。
「坊ちゃま(理事長)のラボ(マジックハウス)から、先ほどスズメバチの大群が逃げ出しましたんじゃ」
ぜいぜい息を乱しながら必死に続ける仲川には悪いけど、
「スズメバチが逃げ出した・・・・なんで??」
「学園内の生徒さん達にも被害があるかもしれませんですじゃ」
「そりゃあるでしょうよ、被害だって!私が聞きたいのはなんで私立の高校にそんな危険な生物がいるのかよ。ここは昆虫研究所じゃないのよ?」
埜乃の大声に華緒と有安が戻ってくる。
「坊ちゃまが蜂の生態から航空力学を学びたいとおっしゃって。本当にに幾つになられても研究熱心で感心ですじゃ。そこで蜜蜂の巣を探していたんですじゃがなかなか見つからず、たまたまスズメバチの巣が見つかったので、さる研究施設より秘密裏に取り寄せましたんじゃ」
・・・なんでちょっと自慢気なのよ。
「蜜蜂の代わりでスズメバチ?馬鹿なの?秘密裏にさる研究所って、どこよ。何考えてるのよ!刺されたら死ぬ奴でしょ?それを許したの?仲川が止めなきゃ誰が止めるのよ!?」
ぜえぜえと埜乃も突っ込みが止まらない。
「やはり冷凍輸送の運賃をケチったのがいかんかったんですじゃ。坊ちゃまはヴァリアシオンを手放されてからめっきり元気がなくて、爺はもう心配で心配で・・つい」
と、取り留めなく話しては、悲しそうに目頭をぬぐう。
そろそろ50歳の初老をお坊ちゃま呼ばわりして心配するのは70代の執事って中世のヨーロッパかここは。
「つい!じゃないわよ!問題は輸送費じゃないのよ。何でスズメバチなのかよ!それにあのロバなら牧場で宜しくやってるじゃない!」
仲川は呆れ顔の埜乃をきっと睨んで、ハンカチを噛みしめ芝居がかった涙を流す。
「ヴァリアシオンはサラブレットでござりますじゃ」
「まずい、蜂が校舎に向かってる」
内藤は顔だけでなく視力も良いようで、黒い小さな塊が移動するのを指さした。
「こういう時って警察!?それとも救急車?」
華緒が慌てて携帯に手を伸ばす。
「駄目!!」
埜乃が華緒の携帯を奪い取る。
「え?なんで」
全員が怪訝そうに埜乃に振り向く。
「警察沙汰なんてそんな・・・。PTAが黙ってないのはまあ置いといても、パパが。今度ママに愛想つかされたら、とにかく駄目なのよ!」
そう言うとへたへたと座り込んでしまう。
いつもと違う埜乃の様子におろおろするばかりの華緒。
内藤は落ち着いているが、どちらかというと他人事のように見える。
有安はしばらく考え込んでいたが、
「わかった。僕に任せて。夏目と内藤、一緒に来て」
二人に声をかけると、理事長室を飛び出していった。
「ま、待ってよ。何か策があるの?」
華緒は埜乃が気になり有安に続くのを一瞬ためらったが、どうしたらいいかわからず仕方なく後に続いた。
しばらく呆然と走り去る3人を見つめていた埜乃だが、はっと我に返ると立ち上がり、どこかに向けて走り出した。
『ピンポンパンポン♪』
埜乃が息を切らしてたどり着いたそこは放送室。
マイクを握り、チャイムが流れる間に息を整える。
「松濤学園のみなさん、緊急放送です。速やかに教室に入り、窓と扉を閉めてください」
まず要件ををいうと、落ち着くために深呼吸をした。
「先ほど理科実験用の冷凍蜜蜂が、輸送中に目を覚まして学園内に入り込みました。ただ今緊急班が回収に当たっています。見かけた際は、くれぐれも手を触れないようお願いいたします。繰り返します・・・・・」
『ピンポンパンポン♪』
「さすが埜乃、スズメバチを蜜蜂だなんて。大嘘だけど憎いわね~」
「コワいわ」
走りながらも放送に感心する華緒と、少々呆れ気味な有安。
昇降口まで来ると、有安は二手に分かれる支持を出した。
「俺はマジックハウスに行くから、夏目と内藤はどこかでこのくらいのサイズの箱で、真ん中に穴が開いてるやつ探してきて」
有安がジェスチャーで3~40センチ四方程の正方形を空中に描いた。
「わかった」
快諾したが、穴の開いた箱を探せとはどういうことなのか。
「それは良いけど、有安君はなんでマジックハウスに行くんだい?蜂は校舎に向かっているんだろう?」
内藤も意図はつかめないが、有安の指示に従うようだ。
「俺はマジックハウスで女王蜂を探す。箱を見つけたら校庭に集合で」
女王蜂を探す?疑問は残ったが、すでに走り出す有安を引き留めることもできず、華緒と内藤も箱を探しに校舎を駆けだした。
放送を聞いて教室に籠った生徒達が、廊下を駆ける銀髪で能のシテ姿の人物と、美形で噂の転校生内藤を見つけて騒ぎ出した。
二人に何が起きているのかという期待と不安の混じった視線が集まる。
「誰なのあれ?内藤君と銀髪のお友達?」
「教室に入ってなくていいのかしら」
有安は校庭の隅で存在感を放つマジックハウスにたどり着くと、細く開いたドアを覗き込んだ。
隙間から部屋の中を見渡すと、スズメバチの影は見えず、床にうずくまっている男性に気がついた。
「理事長!?ですよね、大丈夫ですか?蜂に刺されてないですよね?」
駆け寄って抱き起こすと、有安の恰好も気にならない様子で男性は話しだした。
「いや~びっくりしたよね~。急に動き出すんだもん。最初は冷凍食品みたいにカチカチだったんだよ。やっぱり野生の生き物は強いねえ」
事件の張本人は悪気がないとはいえ、何とも気の抜けるテンションで。
ほんの少し埜乃の苦労がわかる気がした。
「理事長、無事なら女王蜂を知りませんか?働き蜂たちは女王蜂を見失って暴走しているんだと思います」
辺りを見回すが、積み上げられたマジックの備品が多すぎて、隙間に逃げ込んでいるとしたらすぐには見つかりそうにない。
ドアが開いていたのも気にかかる。
この部屋にいたとして・・・潰れて死んでなきゃいいけど。
深いため息が漏れた。
「女王蜂?これかな?」
理事長が差し出したのは、ガラスケースに入れられた蜂とはすぐには気づかないレベルの生物で。
ただでさえ大きいスズメバチのまだ何倍?何十倍の長さを持っていた。
「これ!これです!ガラスケースで匂いが途絶えたから、蜂達は嬢王蜂を見失っちゃったんですよ」
すまなそうに女王蜂を差し出す理事長。
有安は両手でガラスケースを包むと、夏目と内藤が待つであろう校庭に向かって走り出した。
教室に籠った生徒たちが退屈し始めた頃、今度は校庭に現れた能のシテ姿の人物に歓声を上げる。
驚いて声の方を振り返ると、教室の窓に生徒たちがびっしりと張り付いていた。
スズメバチは刺されたら死に至ることもあるというのに、のんきすぎる。
いや、生徒たちは蜜蜂と思っているのだから無理はないのか。
有安は蜂を刺激したくないので、遠くからでもわかるように大きくシーと人差し指を唇に当てるジェスチャーをした。
すると、期待とは反対の、
「きゃ~カッコイイ~」
と歓声が沸き起こり、ずっこけそうになる。
ライブ中ならうれしいのだが。
校舎の角を曲がり校庭が見えると、青みがかった白いツボを抱えた華緒がこちらに気づいて走ってきた。
「あったよ、箱じゃないけど穴の開いたツボ。これでも大丈夫?」
「ナイス!入り口は狭いほうが良いんだ。ベストだな」
満足そうにうなづく。
華緒は、ベストの意味はわからなかったがほっと息をついた。
そして有安の手の中に不気味な生物を発見した。
「ち、ちょっと有安くん、その手の中、なに?なに持ってるの?動いてる??」
「気づいた?」
ツボで距離を取る華緒に、ニヤリと笑ってガラスビンのふたを開け、ピンセットで中身を取り出した。
すると校舎の周りを旋回していた蜂たちの動きが、ぴたりと止まった。
女王蜂の匂いに気付いたのだろう。
有安は、蜂たちを横目で見ながらピンセットでつまんだ女王蜂を大きく一振り。
「ちょっと、なにしてるのよ!」
「しっかり持ってろよ」
有安はスズメバチの群れに目を光らせ、しばらく静止していた蜂たちが轟音を立てて向かってくるのを見て取ると、ツボに女王蜂を投げ入れた。
「よし、来い!」
華緒の抱えるツボ目がけて、黒い濁流のように飛んで来る空豆大の黒い物体。
「蜜蜂ってあんなに大きかったっけ?」
「う~ん、言われてみれば妙に黒々しているよね」
窓ガラスに守られた教室の中では、意外と鋭い意見が交わされていた。
『ブウ~ンブンブウン!ブブン!』
一目散に飛んでくる蜂の羽音にビビる華緒。
「ひええええ。な、何入れたの?蜂が向かってくるけど??ムリ無理ムリ~」
今にもツボを投げ出しそうな華緒に変わり、有安がツボを抱えなおして高々と掲げた。
シテの衣装と銀髪が風になびいている。
『ビュオオオオオオンン!ブウン』
しゃがんで頭を抱える華緒も、ツボを抱える有安も無視して、蜂たちは女王蜂の待つツボの中へ一目散。
雨後の濁流のように吸い込まれて行った。
『パタン』
そっと教科書でツボの口を塞ぐ。
時間にしたらおそらく30秒たらずの出来事だったが、有安達には1時間にも感じる緊迫した時間が終わった。
「今の、何やったの??魔法」
華緒が信じられないと言った面持ちで有安を見つめる。
「ちょっと蜂の習性を利用しただけさ」
何でも無い風を装っているが、有安の腕も少し震えていた。
そっとツボを地面に下ろすと、中で轟音を上げていた何百匹という虫の羽音が穏やかになった。
「ほぅ~」
埜乃、パパ、仲川、有安、華緒のため息が同時だった。
「きゃ~!!!カッコイイ!」
「なに今の、蜂が吸い込まれた?!」
「歌舞伎の魔法使い?」
「銀髪に袴なんて萌えすぎ~!!」
安堵のため息もつかの間、校舎から大歓声が響き渡る。
「そういえば、俺たち衣装着たままだ」
有安が額の汗を拭くと、銀髪が風になびいて揺れた。
「きゃ~!!」
とひときわそろった歓声が飛ぶ。
安心して目立つの大好き、歓声大好きのボーカルモードになり、軽く見栄を切る。
「もう、歌舞伎じゃないって言ってるのに」
鳴りやまない歓声に、華緒は恥ずかしそうに銀髪を深くかぶり直す。
そんな有安達に、埜乃は学園アイドルグループ運営の成功を確信していた。
「これは、来ちゃうかも」
一人ほくそ笑む。
成績優秀者にコンサートの優先席をあたえるのはどうだろう。
みんながそれを目指して学力が向上して、学園祭の入場チケットがプラチナチケットになって、入学希望者が増えるとか。
それで有名になって、将来はヒットした曲が音楽の教科書に載っちゃったりなんかして。
「ぐふ、ぐふふふぅ」
生徒たちの黄色い歓声とコラボするように、埜乃の含み笑いもいつまでも続くのであった。
少し離れた校舎の陰で、転校生内藤メアが写真を見ながら独り言をつぶやく。
「身代わり程度になればと思ったが、知恵があり行動力もあるとは。予想より上玉かもしれない」
有安を見つめる内藤の元に、行き場を見失った一匹のスズメバチが飛んできた。
弱って蛇行しながらも、鋭い針が完全に攻撃態勢を取っている。
内藤はそれをつまむと一睨みして校庭の砂の上に落とした。
蜂はすでにぴくりとも動かない。
埜乃が見ていたら驚くよりも先に叫んでいただろう。
『そんな技使えるなら早く言ってよ』と。
ラボから成り行きを見つめていたパパもぼそっとつぶやいた。
「割れないと言いな~あれ国宝クラスのセーブルのツボだから」