可愛いは無敵!?
もう貴方、気が付いてるんでしょう?
カッコイイと思っている内は引き返せても、可愛いと思われてしまえば無敵だって。
可愛いは犬猫と一緒で何してても可愛いの。それって人格関係なし。
カッコイイには社会基準があるけど、可愛いはどこまでも主観的。
そして一番の問題点は、もう貴方のこと可愛いって思ってしまっているの。
生まれも育ちも平成没落貴族の私は、大事なものまでそぎ落としていろいろ無関心だった。
綺麗で可愛いとか一見無駄な物を愛する部分があったこと、思い出させてくれてありがとう。
・・・でも、やっぱり。
献金と現金は何よりも可愛いけど。
「コン、カラカラン・・」
机の上で無意識に動かした右腕に当たった水筒が、床に転がる音で目が覚めた。
「やば・・・寝ちゃった」
ここは中・高・大学までが同敷地内に存在する、私立松濤学園。
その大学棟3階に位置する理事長室。
理事長用の大きなチェアにすっぽりと収まるのが私。
桐谷埜乃、19歳。
私立松濤学園理事長の二人姉妹の長女である。
チェアに埋もれているので解る通り、全体的にやや小柄。
悪いと言うほどの顔立ではないはずだけど、その半分以上は黒縁の伊達眼鏡と前髪で覆っている。
緩いくせ毛はポニーテールと言うには微妙な位置と微妙なヘアアクセで括っている。
去年の今頃は腰まであったのだけど諸事情により、ショートよりコスパの良いセミロングにチェンジした。
眠い目をこすりながら顔を上げると、開け放たれた窓から初夏の日差しが惜しげもなく降り注がれていた。
青葉の香りを含むそよ風が優しく頬をなでる。
窓の外にぼんやりと視線を移すと、階下のグラウンドは部活動に励む中・高等部のおかげで賑やかだ。
金曜日の解放感で、いつもより生徒たちの声も弾んでいる。
校庭の周りを囲む青々と茂る樹木や、生徒達に寄り添う陰も、春に比べると大分短くなっていた。
「早いな~月日が過ぎるのって。この前桜が咲いていたと思ったのに」
ぼうっと眺めていた陸上の走り高跳びから強引に視線を机上に戻し、数回頭を振った。
やることは山ほど。そう、いくらだってあるのだ。
「ふんふ~んふ、ふふんふふん♪」
歌詞通りの西日に目を細め、物悲しい昭和な鼻歌を楽しげに口ずさめるのは若者の特権だ。
つかの間の眠りに落ちる前に行っていた作業に戻ろうとして、はて私は何をしていたんだっけ?と辺りを見渡した。
そして、作業机にも似た幅広の理事長机の端に置かれた、業務用の糊に手を伸ばす。
そうだ、これを小分けにして水で半分に薄めていたのだ。
蓋を開けて中の糊が乾いていないのを確かめると、安心して糊を小瓶に移し始める。
「ふふふ~ふふふ、ふふふ~ふふふん♪・・・はあ、あつい~」
先ほどの歌の続きを口づさんでいたが、暑さで喉の渇きを覚え、落とした水筒に気づき拾い上げる。
最近痩せると噂のハーブティーが女子生徒の間で大ブームで、皆が水筒を持ち歩いているのだ。
あぁ、なんて良いブームなんだろう。
水筒持ち歩いても誰も貧乏だなんて思わない。
ちなみに巷で噂のハーブティーは、300グラム1万円近くする高級品だけど、こちらの中身は50パック190円の麦茶である。
・・・だがそれが逆さにしても一滴も出てこない。
数回振っって、水筒を覗いてあきらめた。
「ひと段落したら水汲みに行こう・・・」
一人呟いて、仕方なく付箋紙を半分にカットする作業に移った。
松濤学園では一定個所ごとにウォーターサーバーを設置している。
日射病対策や、地震などの災害時に備えるためとして有権者の寄付で賄っている。
しかし生徒の過半数がお金持ちで自動販売機も多数設置されているため、通常時の利用者は多くない。
喉の渇きを我慢して、カットした付箋紙を数えるのに集中していると、突然目の前で声がした。
「理事長代理、お疲れ~」
「う!?う、・・・え??」
埜乃は反射的に備品の広がったデスクの上を隠すように覆いかぶさった。
ノック無しの入室を攻めたいところだが、まずは没頭し過ぎて気づかなかった内容が恥ずかしい。
「何してんの?」
つむじをつつかれ、俯せたデスクから顔を上げてると、声の主は同級生で幼馴染の夏目華緒であった。
実際の身長、約170センチよりも背が高く見えるのは、すらりとした細身となで肩、姿勢の良さの為だろう。
凛とした眼差しに色白小顔で、中高時代から男子の髪型としては校則違反スレスレの、栗毛のおかっぱがトレードマーク。
「ちょっと、ノックくらいしてよね。エコよ、エコ」
声の主が華緒と気づくと、上体で隠していた付箋紙を集めながら無表情で答えた。
「エコってトイレットペーパー半分にした方が効果あるんじゃない?」
華緒は、埜乃の髪にそっと触れてから、カッターで半分にされた付箋紙を呆れたように指でもてあそぶ。
「あのね~、そんな見えるところで節約したら経営危機を疑われるじゃない」
華緒の手から取戻した付箋紙を丁寧に並べると、さらにぴったりと真っ二つにカットしてゆく。
埜乃の性格はA型だ。
「そこまでしなくても、理事長、馬主やめたんでしょ?」
その言葉に埜乃のこめかみがピクリと動き、手の動きが止まった。
馬主・・・・。
それは競馬で少々のおこずかいをスルなんて言うのとは訳が違う。
一般庶民には理解不能な大人の嗜み。
「借金はないのよね?たしか。それなら学園の経営もすぐに持ち直すでしょ?」
埜乃の変化に気づかず、付箋紙の束を避けて理事長机に腰掛ける華緒。
長めの足を優雅に組むと、取り出したアイスクリームの割引券を見つめ、ニッコリ微笑んだ。
「ね、埜乃、三国屋で新作アイスクリームが出たらしいんだけど一緒に・・・」
『だん!!』
華緒の言葉は言い終わる前に、デスクに振り降ろされた拳の音で遮られた。
せっかく綺麗にそろえた付箋紙を握りしめて、うつむいた頭と拳が震えていた。
「ど、どうしたの?埜乃ちゃん・・・」
「パパがお金の計算が出来ない人間て解ってたのに。そんなこととうの昔に解ってた事なのに。・・・・・すぐ見つかるところに通帳隠してた自分に思い出しても腹が立つ」
ぐっと握られた埜乃の右手のなかで、苦しそうに付箋紙が悲鳴を上げる。
「そんな人間失格の烙印、実の娘に押されたらいくらあの理事長でも立ち直れないって」
華緒はそっと埜乃の右手を握り、付箋紙の救出を試みるが、それはすでに臨終の時を迎えていた。
「あのね、そんな繊細な人間なら、何度も何度も何度も何度も何度も何っっっっ度も同じ過ち繰り返す?」
掛ける言葉がすぐには思いつかず、よれよれの付箋紙をもて余す。
「で、でも理事長だってバリアシオンの事はさすがに反省したんじゃないかしら」
「そうよ、先週やっと処分先が決まったの。私も肩の荷が下りたわ」
「そう・・・仕方ないわね。でもしばらく馬刺しは控えるわ」
一瞬埜乃を見つめてすぐに視線をそらした。
残念だが、競争馬の処分としてはやはり避けられないだろう。
「あの駄馬が馬刺し?ならないわよ!パパが泣いてすがるんだもん。1勝するどころかレースにだって何回出たかわからないのに仔馬の頃からやれマッサージだ温泉だと贅沢三昧。・・・それを牧場にタダ同然で寄付したのよ。競走馬のくせに800キロあって!種馬にもなれないかもって言われて!!最後まで恥かいたわよ。あんなのロバですらない!カバよ、カバ!!」
「カバって、億超えのサラブレットに。たしか購入時3億円くらいしたんじゃない?」
馬刺しにはならないのねと安堵する華緒にまた怒りが込み上げる。
「あのね、それが今じゃタダのカバだっていう。私の気持ちがわかる??わかるの?」
フルフルと首を横に振るしかできない華緒。
なんとか解り合いたいが、実際お金を払っている側の気持ちになるのは難しい。
「繊細な性格だったもんね、ヴァリアシオン。レースに向かなかったよね」
バブル後のマンションよりも下落の激しい競走馬の価値。
馬刺しは好物だけど、ヴァリアシオンは食べたくないなんてやっぱり他人事すぎて埜乃には言えない。
「そしたら、あのぼけ親父(理事長)今度はマジックに手を出したんだけど。どう思う?」
華緒は、身を乗り出して腕にすがりつく埜乃の勢いに思わず後ずさる。
「どうって、よくわからないけど。マジックはお馬さんに比べてずっとリーズナブルだし良かった・・・よね?」
「そう、普通そう思うよね?動物も出てきてせいぜい鳩か、はつかネズミでしょ?」
ジェスチャー付で訴える動物の動き。それはハムスターでは?と思ったが口には出せなかった。
「イタタ。はつかねずみじゃなかったの?」
なんとか落ち着かせようとするも、かえって腕をつかむ力がましている。
「違うわよ~!!パパ趣味がなきゃ死んじゃうって泣き出すから、(嘘泣きでしょうけど)馬(サラブレッド3億円)よりはマシと思ってOKしたのよ。そしたら学園の敷地 (私有地部分)にマジックハウス立ててんの。カードゲームかマッチ棒でもいじっとけばいいのよ初心者は」
「おじ様って昔から形から入るタイプだもんね・・」
ぎゅっっという音と共に、埜乃の左手の中でエコな付箋紙はまたごみになった。
「あのね、そんなわけで、お金がないの。下手したら私の代まで残ってないの。この学園」
そういい終わると内職を再開する埜乃。
そして迫力に気おされて、付箋紙カットに参加してしまう華緒なのであった。