もう一人の悪魔
「青嵐と窮愁」
Ⅰ
狭い世界だと笑った。難しい事を考えれば、そうやって笑うしかなくなるから。心の奥の。奥の奥のずうっと奥で、そうやって笑っていたのは事実だろう。
だから、そう良い事ばかりでもないようだった。
友人だと認めるのが遅すぎて、彼女とはもう会えなくなった。そんな事は知らないと、取り乱してみても遅い。死という概念に色濃く染まっている自分が、知らない筈がないだろうに。ああ、でも。取り乱したくもなるよね。自分のせいなんだから。
いつものように狭い世界で。自分と隣にいる誰かを見ていればそんな事にはならなかったのに。たった一人ともう一人だけの世界なら、きっと守りようはあったのに。
結果だけ見れば、何て事はない。大切なたったもう一人すら手放して、一人で震えているしかないなんて。
狭い世界だと思った。思うままに動いて、抱き付いて、噛み付いて。少しずつ広がっていく世界を、彼の手を引いて歩くのだと。だから、今は狭い世界だ。知らない事の方がずっと多い。
けれど、そう良い事ばかりでもないようだった。
伝えたい事が増えるごとに、伝える術がなくなっていく。どう話していいのかすら分からなくなって、手を伸ばしていいのかも分からなくなった。相手の事を考えていると、何だか躊躇ってしまう。自分も彼も輪郭が曖昧だったなら、そんなこと気にもしないけれど。
頭の中がこうも掻き乱されているのは、これがきっと夢だからだ。私と私が近付いてしまうから、難しい考えがぽつぽつと出て来てしまう。不快なのでやめにしよう。
ぐちゃぐちゃになった頭を空っぽにして、もう一度目の前を見る。
今はもういなくなってしまった友人が、微笑みながら絵を描いている。
いつだって傍に居てくれた彼が、やっぱり悩みながらも傍にいてくれている。
夢の中だと分かっているのだから、その手を取っても良いのだろうか。少し触れるぐらいなら、許して貰えるだろうか。
「それは無理でしょう? お姉ちゃん」
不意に声を掛けられ、肌が一息に泡立つ。だって、ここは私の夢なのに。
振り返り、声の主を視界に捉える。いや、だって、その声は。
死人のように白い肌に、不吉にしか見えない赤い虹彩の目、特徴を一つ一つ照らし合わせる必要もない。自分と瓜二つの姿が、穏やかな笑みを浮かべながらそこにいた。
唯一、髪の色だけが違う。自分はくすんだ灰色をしているが、目の前の少女は艶やかな黒髪だ。でも、それ以外は何一つ違わない。鏡の中から出て来たみたいに。
「ふうん。それにしても」
少女が一歩踏み出し、肩越しに私の夢を見る。今はもういなくなってしまった友人と、傍に居てくれた彼を。
「狭い世界だね」
そう一言に切り捨て、嗤ったのだ。
目を開き、少女は小さく唸る。意識が鮮明になるにつれて、身体の痛みが少しずつ込み上げてくる。今自分が何をしているのか、それすらも朧気な意識では見えてこない。
硬い感触を感じる。床に座らされているのだと気付けば、後は直ぐに理解出来た。理解は出来たけれど、全然物事は考えられない。寝起きはあまり良くないのだ。
トワは頭を振り、寝惚けたままの頭に働くよう促す。それぐらいで目が醒めるなら苦労はしないのだが。とりあえず、分かることを順番に頭に入れる事にした。
床は冷たく、ソックス越しに膝や足は冷え切っている。座らされているので、お尻も冷え冷えになっている。お気に入りの服を着ていたのだが、こうも乱暴だとちょっと汚れてしまったかも知れない。
両手は後ろ手に拘束されており、痛みの大半はここからのようだ。輸送機の時とは違い、直接縛られている。こうなると、抜け出すのは難しいだろう。
視界を巡らすと、両脇にいる兵士に小突かれて正面を向かせられた。少ししか見えなかったが、自分がどこにいるのかは分かった。白い部屋だ。
アリサのいた医務室に雰囲気は似ていたが、随分と優しくない。綺麗な白ではない、ただただ冷たい白に塗られている。
床も白く、自分の肌を思い出させるとトワは不快に思った。不気味な色をして、まるで死んだ人みたいな。
そこまで考え、何かが頭の中でちらつく。先程、同じような事を考えていたような気がする。考えるも思い出せず、まあ忘れるぐらいなら大した事ではないだろうと割り切った。深く考えるような事じゃないし。
そうして床を眺めていると、妙な気配が感じ取れた。どこか懐かしさを覚え、トワは顔を上げる。透明な扉の向こうに、小さな人影が見えた。
それは、見知らぬ少女だった。会ったこともないし、きっと自分に害をなす存在だ。だけど、どうしてだろう。
「……似てる」
容姿ではなく、在り方とでも表現すればいいのか。
背負った影が、悲哀を隠した瞳が、何故だか彼のそれと重なって見えたのだ。
※
穴だらけの指示書など、別段珍しくもない。隠蔽された事実に興味などないし、隠しているという事は知ってはいけないという事なのだ。墓を掘り起こす趣味はないし、掘り起こした墓に突き落とされるのも趣味じゃない。
「頭をすっ飛ばして私のお膝元だもの。いや、頭からすっ飛ばされてきたのかしら」
セイル・ウェントはそう呟くと、扉越しに件の少女を観察する。自分より年下に見えるが、やけに落ち着いている。色白な肌に映える赤い目が、こちらをじっと見ていた。
セイルは視線を外し、透明な壁に映り込んだ自身の姿を見る。
長い黒髪に、不機嫌そうな目、上辺だけの薄い笑みを浮かべた唇が、空虚という言葉を形容していた。十七歳という年齢の割には、成長に乏しい身体付きをしている。その為、羽織った白衣はやや大きく見えた。とち狂ったマッドサイエンティストという殻を、見事に表現していると言えるだろう。
これでもAGSの隠し持つ特殊研究施設、カーディナルの一部を預かる身だ。精一杯狂ってやらねばどうにもならない。
「あの少女を、文字通り骨の髄まで調査するそうですけど。今更、人を調べる気も起きないんですよね」
セイルは溜息を吐き、傍らにいる従者に視線を寄越す。
「さあ? 調べるのは、人かどうか怪しいからじゃないの。どちらにせよ油断しない方がいいよ。あれは、何だか気持ち悪い」
その従者、ミサキは珍しく意見らしい意見を言った。普段はこちらの言葉にただ肯定するだけなのに。ミサキは小柄な少年だったが、誰よりも狩りに優れている。そういう風に、私が調整したからだ。
そのミサキが、あの少女は危険だと言っている。根拠は分からないが、気には留めておこう。
「まあいいわ。扉を開けて。予定通り話をするから」
透明な扉が音もなくスライドし、囚われの少女が不思議そうに扉を目で追う。
セイルは白い牢獄の中に入り、少女にもう一度観察の目を向ける。両手を後ろ手に拘束され、屈強な兵士が両脇にいるというのに。その目に恐怖の色は感じられなかった。
「ごきげんよう、小さなお姫さま。貴方の名前は?」
セイルの質問に、少女は少し考えてから口を開いた。
「本当は知らないけど、私はトワって呼ばれたいなって」
頭に入れてある情報を参照するまでもない。報告書通りに少女は、トワは答えている。セイルはこつこつと足音を立てながら、トワにゆっくりと近付いていく。
「では、トワさん。状況が呑み込めていないようなので、私から説明します。まず」
セイルが手を振って合図を出す。トワの両脇にいる兵士の一人が、腰からスタンロッドを抜く。兵士はトワの小さな背中にそれをあてがって、躊躇なくトリガーを引いた。出力を抑えているとはいえ、暴徒鎮圧に用いられる強力な武器だ。
人の身体から鳴るはずのない音が響き、弾けたようにトワの背中が仰け反る。電撃を受けた人間の模範的な反応として、反射的に手足が動きそうになるものだが、拘束されている為それは叶わない。次の瞬間には床に倒れ込み、肩で息をしているトワをセイルは暫く眺めていた。
セイルがもう一度手を振り、兵士に合図を送る。兵士は表情一つ変えずに、無理矢理トワを起こし、もう一度床に座らせた。
セイルはトワの顔をじっと見詰める。やはり、その目に恐怖はない。涙も浮かべずに、よく分からないといった様子でこちらを見ていた。
セイルはその反応を見て、やりづらい相手かも知れないと情報を追加する。悲鳴も上げず、突然の痛みにも動じない。普通じゃない。
「このように、私の指示一つで貴方の処遇は決まります。ここで、私の前にいる以上は。みんな私の所有物という事です」
セイルがいつもの脅し文句を言ってみるも、何の反応も見られない。何でもいい。ここで感情を発露してくれれば、大半の事はうまくいく。恐怖でも憤怒でも何でもいいのだが。
必要以上に痛めつけても、あまり効果はないだろうし。どうすれば目の前の少女を崩せるか。セイルがじっと考えていると、トワの表情に変化が見えた。
何かを話そうとして、迷っているような。そんな表情だ。
「……何か?」
主導権を握られるのは嫌だったが、興味の方が勝った。セイルがそう問い掛けると、トワは意を決したのか。あの、と小さな声で呟いた。
「……私は、何もしないから。だから」
「だから助けて、とか?」
トワの言葉を遮り、小馬鹿にしたようにセイルは問う。トワは首を横に振り、真っ直ぐとセイルを見据える。
「だから、怖がらなくていいよ。無理もしなくていいから」
その一言を受け、セイルは自身の首が一気に締め付けられたような錯覚を覚えた。私の心を見抜いている。なぜとか、どうしてという疑問が浮かぶ余地すらない。羞恥や動揺といった感情で頭が真っ白になり、それら全てが怒りに変わっていく。
セイルは唇を噛み締め、目を見開き、トワの眼前へと歩いて行く。怒気を孕んだ足音が、白い牢獄に反響する。そして、セイルは感情に突き動かされるままに右手を振り下ろしていた。
鈍い音と共に右の拳に痛みが広がり、セイルはたじろぐように引き下がる。人を殴るのは、想像していたよりも痛い。その痛みを消し去るために、目の前で呆然としている少女に向かって怒鳴りつける。
「誰が、誰が怖いって!」
トワは唇から少しずつ出血しており、白い肌に赤い線が引かれていく。思い切り殴ってやったのに、なぜ殴られたのか分からないという顔をしている。その呆けた顔を見ていると、抑えなんて利く筈もない。
セイルはじりじりと痛む右手を再び握り締め、一歩二歩と近付いていく。ここがどういう場所で、自分がどういう人間なのか教えてやる。真っ白になった頭でも、それだけは分かっている。支配する側かされる側か、はっきりと決めておかなければならない。
しかし、その手は振るわれる前に掴まれた。
「待って、セイル。その手は人を殴るようにできていない」
いつの間にか隣にいたミサキが、その手を掴んでいた。相変わらず無表情のまま、結果しか言おうとしない。
「それで、どうするの? 今なら殺せるけど、殺すの?」
ミサキらしい短絡的な提案を受けて、少しずつ頭が冷えてきた。セイルは呼吸を整え、ミサキの手を振り払う。
「セイルらしくないね。本気になるなんて」
ぼつりと呟かれたミサキの一言へ、本当にねと内心で返す。
図星を突かれて怒り心頭とか、本当に私らしくない。ただ図星を突かれただけならまだいい。でも、トワは違う。こちらの心情を読み取った上で、本当に気遣う為にあんな事を言ったのだ。駆け引きも何もない。あの子は思うままを口にした。それが、どうしようもなく心を引き裂いたのだ。
「あの、えっと」
控え目に話し掛けてきたトワを見て、セイルは不快な表情を浮かべた。いつもは演技を交えるが、今のこれは素に近い。
「その、ごめんなさい。よく分からないけど、嫌な事言っちゃったみたいだから」
トワは伏し目がちにそう謝ると、初めて感情らしい感情を滲ませた。後悔、それも凄く内罰的な。
トワの唇の端は瑞々しい赤が流れていたが、徐々に赤黒く変色していた。申し訳なさそうに顔を伏せるその姿は、とてもじゃないが理不尽に殴られた少女とは思えない。
「訳が分からない。何なの、これは」
セイルは呟き、じっと考え込む。精神的に近いパターンを有するのは、長期に渡って虐待を受けた子ども等が挙げられるが。どうもそれとは違うように思える。どうも自分とは違うように思える。
トワは自分で言うほど、こちらの顔色を窺っていない。上の立場に隷属しようと考える人間は、もっと周囲の反応を盗み見る。トワはただひたすらに内罰的で、そこに打算が隠れていない。
「セイル」
ミサキがセイルにだけ聞こえるように呟く。ミサキが口を挟むという事は、どうせまた血生臭いトラブルだろう。
セイルは振り返り、トラブルの主を見据えた。白い牢獄に許可なく入室した若い警備兵を見て、安いトラブルだったと溜息を吐く。
警備兵は一人ではない。研究員を拘束し、前を歩かせている。研究員の頭に、警備兵は拳銃を突き付けており、非常に分かりやすい構図が出来上がっていた。
要するに、警備兵がたった一人で、研究員を人質にしてのこのこやって来たのだ。安いトラブルでしかない。
「ろくに護衛を付けてないっていうのは本当なんだな。全員動くな。逆らえば、このろくでなしだけでも殺す」
警備兵はそう言って、拘束している研究員の頭に拳銃をぐいと押し付ける。セイルは無言のまま観察していく。無駄に口数が多い。呼吸も均等ではない。極度の緊張、場当たり的な行動、先は長くないだろう。
「私が顔を覚えていない、という事は新入りさんですね。いいから出て行って下さい」
セイルが興味なさげにそう伝えるも、警備兵は動こうとしない。まあ、そうだろう。
「言われなくても出て行くさ。あんた達は人間じゃない、こんな所はもう御免だ。だけど、セシリア……被検体を一名解放してくれ。それだけでいい」
セイルは少し考え、ああ、と呟く。
「一週間後に負荷テストをするので、それが終わってからならお好きにどうぞ。生きていたらそのまま持っていって下さい。死んでいたら諸々チェックした後になるので、ちょっと時間掛かるかもしれないですけど」
「話にならない。今すぐに解放しろ。それができないって言うなら、こいつの頭を吹き飛ばす。プロジェクトリーダーも被検体も生かすか、どっちも殺すかだ」
まあ、そうなるだろうとセイルは一人頷いた。付き合っていられない。恩情など持ち合わせていないし、今は特に苛立っている。
「話にならない。そうね、私話すつもりがないもの。覚えて帰って下さいな、新入りさん。ここで代わりが利かない物資は私だけです。最低限脅すつもりなら、私に銃を向けていないと意味がない。それと、立場上仕方のない事だけど、反逆者は大体殺します。一度目に出て行けという忠告を聞かなかった時点で、貴方は死人ですよ」
セイルがにこりと微笑みながらそう告げる。わざわざ心中を見透かす必要もない。警備兵の手は分かりやすく震え、目が泳いでいる。万策尽きたのなら、このくだらないやり取りはもう終わりにしよう。
「待て、俺は」
今更空気が読めたのか、反逆者となった警備兵が何かを言おうとする。
「うるさい。ミサキ」
警備兵の言葉を遮り、セイルはミサキの名を口にする。それは、二人の間に横たわる決め事のようなものだ。悪者が悪者の名前を呼ぶ時は、悪い事をする時と相場が決まっているように。
セイルの声だけにミサキは反応する。常人には捉えられない速度で拳銃を構え、流れるように発砲した。ホルスターから拳銃を抜き、狙いを付け、二発撃つ。その動作を、ほぼ一挙同で行ったのだ。
銃弾は警備兵の頭部を正確に射貫き、血と脳漿、頭蓋骨の一部を伴って突き抜ける。着弾の衝撃を受けて、警備兵は後ろに引っ張られるように倒れていく。
「まずい、セイル!」
ミサキが拳銃を放り出し、珍しく声を荒げた。状況が読めず、セイルは名実共に死人となった警備兵を見遣る。倒れ、白い床を赤く染めているその警備兵の手元には、ピンの外れた手榴弾が転がっていた。ああ、まずいってこれか。
セイルは硬直した身体を動かそうとしたが、間に合わないと自分が一番よく分かっている。運動は苦手だし。
ミサキはセイルを押し倒すようにして、その殺傷範囲から逃れようとする。
「な……!」
だから、その動きをまともに見たのはミサキだけだった。セイルはミサキの驚嘆にも似た声を聞き、ようやっとその光景を見た。
灰色の髪がふわりと肩口を舞う。目の前に飛び込んできたのは、後ろ手に拘束されたままのトワだった。屈強な兵士二人を振り切って、セイルとミサキの前に立つ。
訳が分からないと、セイルはただ呆然とするしかなかった。だって、そうだろう。目の前にはまずミサキがいて、自分を助けようとしている。これはいい、理解出来る行動だ。
では、これはどういう事なのか。自分とミサキの前にはトワが背中を向けており、トワの眼前には手榴弾が転がっている。訳が分からない。
「ッ!」
ミサキが唸り、トワの背中に手を伸ばす。その首根っこを掴み、地面に引き倒し掛けたその瞬間に。
手榴弾は所定の性能通り炸裂した。世界を振るわせる轟音と、凄まじい衝撃波が全身を襲い、無数の破片が周囲に突き刺さっていく。
セイルは目を瞑り、ミサキの体温だけを感じながらその暴風域を耐える。体感では何分もそうしていたように思えるが、実際は一瞬でしかない。頭を振り、意識を整えると目を開く。
白い牢獄が、随分と薄汚れて見える。天井や壁に突き刺さった破片は鋭いが、自分には掠りもしていない。
いち早く立ち直っていたのだろう。ミサキも無傷であり、冷ややかな目をしたまま周囲の死体と死体一歩手前を眺めていた。
研究員は死んでいる。まあ、これはいい。トワの両脇にいた兵士二人は、ひどい怪我といった所だろう。まあ、それもいい。
セイルは立ち上がり、ミサキの横に並ぶ。ミサキはこちらをちらと窺うと、目の前に倒れている人影を指差した。
「間に合わないと思ったけど、やってみるものだね。殺すか殺さないかまだ聞いてなかったから、即死だけは防いだけど」
ミサキの簡素な報告を聞きながら、セイルはその惨状を簡単に見積もっていく。
目の前に倒れている人影……トワの状態はよくない。用いられたのは破片手榴弾、爆発による破砕ではなく、飛び散る破片で広範囲を殺傷する為の手榴弾だ。
ミサキが咄嗟に引き倒した為、致命傷は避けたのだろうが。身体の正面、とくに下半身を中心に裂傷が目立つ。
両手は拘束されていた為、咄嗟に頭を庇うという動作も出来なかったのだろう。頭部にも破片による爪痕が残っており、これは鼻から上が目立つ。
雪のように真っ白だった少女が、今はこんなにも赤い。
セイルはしゃがみ込み、トワの首筋に触れる。触れた瞬間、トワは小さな吐息を漏らした。脈拍もまだある。多分、意識も。
「……貴方は、何がしたいの」
赤い少女に、セイルはそう問い掛けた。この不可解な状況の理由を聞かなければ、この胸のしこりは消えてくれない。そう思い、まず最初に聞いたのだ。
「……分から、ない。友達が、そう。私に」
意識して聞かなければ拾い損ねてしまう程の声量で、トワは答えようと話し始める。しかし、その言葉が続けられる事はなかった。トワの全身から力が抜けていく。気を失ったのだろう。
「ねえセイル」
立ったままのミサキが、いつもの調子で声を掛けてきた。セイルは振り返り、見上げるような形でミサキを見る。
「そいつ、白い肌をしてるから。赤い色がよく映えるね。花が咲いてるみたい」
ミサキの場違いな感想を聞き流し、セイルはトワをもう一度見据える。
「自殺願望でもあったのかしら」
白い肌に咲いた血の花なんて、嫌な想像をさせてくれる。そう思いながらもセイルは気持ちを切り替え、現実的な結論をぽつりと呟く。するとミサキが違うと訂正し、言葉を続ける。
「そいつ、こっちを守ろうとしてた。見ていたから分かる」
だから、それの理由が分からないのだとセイルは溜息を吐く。そうしている内に、異常を察知して駆け付けた兵士と医療メンバーが白い牢獄に入っていく。
ミサキが横に並んでしゃがみ込み、セイルの顔を覗き込む。
「それで、どうするの。殺すの? 殺さないの?」
ミサキの結果しか問わないシンプルな質問を受け、セイルは少しの間口を閉ざす。
そしてもう一度、心底から溜息を吐き、立ち上がった。
「……決まっているでしょ。準備急いで。私も行くわ」
特殊研究施設カーディナルの医療開発部門……その責任者であるセイル・ウェントは、汚れた白衣を脱ぎ捨てながらそう指示した。




