戦いの益
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こうもあっと言う間だとは思っていなかった。リード・マーレイは、カソードCの通用路でその戦果を見据える。傍に転がっている兵士の状態を確認すると、確かに生きていると分かった。完全に意識を手放しており、暫く動く事はないだろう。
所詮は内勤の兵、数も練度もたかが知れているが。それでも、全員生かした上で無力化するというのは困難だ。
キアが隠していた少女、リシティアの実力は本物のようだ。
《フェザーランス》のクルーを極力巻き込まないようにキアを救出する。そんな無理難題を実行する為に、リードはここにいた。
リードの立案した作戦は、何も奇をてらった物ではない。警備が手薄になる時間を割り出し、リシティアがカソードCに侵入、キアとコンタクトを取るという物だ。
選択肢は二つ。このままリシティアを退かせ、何事もなかったかのようにキアは残る。一番安全で、確実な道だ。
もう一つはキアの、《フェザーランス》の存在がAGSにとって必要だと証明する事だ。それにはここカソードCの指揮権をも飛び越えて、AGSの中枢を相手取らなければいけない。非常に困難で、危険な道だ。
キアは悩んでいた様子だったが、勝算があるのだろう。危険な道を選び、今はカソードCの通信室にいる。
そして、リードは現在そこに向かっていた。キアとリシティアが通った道を歩いているが、警戒する必要もない。監視装置は欺瞞され、警備兵はのびている。本当に、鮮やかな制圧術だと感心させられる。
そうして暫く歩いていると、見知った少女の姿が見えた。一仕事を終えたリシティアが、通信室の前に門番よろしく佇んでいる。
「キア艦長は中に?」
リードはリシティアにそう問い掛けた。リシティアは頷き、小さな身体を横に退ける。
「貴方の指示は的確でした。感謝しています、リード」
扉に触れようとした時に、リシティアはそんな言葉を投げ掛けた。にこりともせずに発せられた感謝の言葉に、リードは苦笑しか返せない。
「まだ終わりではない。警戒は任せた」
それだけ伝え、リードは通信室の中に入った。
通信室と一口に言っても種類があり、ここは小規模な通信室だ。日常的に使うというよりも、本部との定時連絡に用いられるような部屋だろう。
「来たな、リード。とりあえず座るといい。長丁場になる」
キャスター付きの椅子に腰掛けたキアが、同じような椅子を指し示しながらそう言った。リードは頷き、言われたままに腰掛ける。
キアは呆れたように溜息を吐くと、こつこつとコンソールを指で叩いた。
「随分と博打に出たな。慎重なだけの男ではないと知っていたが、ここまでとは思わなかった」
「彼女が言い出さなければ、恐らく傍観していたでしょう。不服でしょうが、その力を借りました」
キアは探る目をリードに向ける。リシティアに関しては、色々と言いたい事があるのだろう。
「キア艦長、貴方はリシティアを戦力としては数えていない。その理念は理解出来ますし、尊重したかった。ですので、まずはそれについて謝罪を。彼女が言い出したとはいえ、指揮を執り行動を促したのは私です。申し訳ありませんでした」
リードは小さく頭を下げ、直ぐに顔を上げる。キアの視線を真っ直ぐ受け止め、その裁定を待った。全てを見透かそうとする、芯根を探るような目だ。暫くそうしていたが、探り終えたのかキアは諦めたように肩を落とす。
「おまけに善人、か。リード、子どもに弱いタイプだな? 責めはしないさ。リードも分かっている通り、これが今出来る最善だ。リシティアには何があっても動くなと言っておいたが、素直に聞いてはくれなかったみたいだし。そんなリシティアを放っておけば、単独で色々やらかしかねない。なら、自分が手綱を握って良い方向に導いた方がいい。だろ?」
リードは肩を落とし、降参とばかりに手を広げる。
「善人と呼ばれるような事は何も。むしろ、子どもを巻き込んだのだから悪人でしょう」
「そうか? リシティアが責められないように、自分が主犯だと言う男は善人だろう?」
そう返し、キアはにやと笑う。全て見透かされている。リードは押し留めようとした苦笑を再び浮かべると、頼まれた物を内ポケットから取り出した。
リードは小さな記憶媒体をキアに差し出す。自分がここ、通信室に来た理由はこれだ。今からキアが行う事柄に、どうしても必要らしい。
「ああ、助かる。本当なら使いたくはないが、こうでもしなければ状況は覆せない」
キアはその記憶媒体を受け取ると、コンソールに接続して実行の文字を叩く。
「では、状況を覆せる算段はあると」
リードがそう問うと、キアは小さく唸りながら両腕を組む。
「五分五分ってところだな。これはな、リード。とある人物への直通回線を繋いでくれる魔法の鍵だ。幾つもの中継基地を拝借しつつ繋いでいくから、大分時間は掛かるがね」
「とある、人物」
リードがオウム返しに呟く。キアは頷き、今度は困ったように笑う。
「ああ。クライヴ・ロウフィード。ロウフィード・コーポレーションの所有者にして、AGSの総合指揮官でもある。ミスター・ガロットという名前の方が通りがいいかも知れないな」
その名前を聞いて、リードはやはりそうかと妙に納得した。カソードCの指揮官でも、上層部でもない。この状況を打破するには、本当のトップからのお墨付きが貰えればいい。
「驚かないんだな、リード。まあ、安直と言えば安直か。考えている通りだ。その場凌ぎではもう保たない。それに加え、恐らく今回の件。《アマデウス》や遺跡、氷室の中身については、ミスター・ガロットが仕切っている。直接話した方が早い」
直接話せる手立てがあるのなら、確かにそれが一番早い。しかし、とリードは考える。
「そのミスター・ガロットとの交渉、何か考えが?」
クライヴ・ロウフィード……通称ミスター・ガロットは、伊達にAGSのトップにいる訳ではない。それを相手取るというのなら、相応の手札が必要となる。
「時間は、まだ掛かりそうだな。良い機会だし、簡単に説明しよう。リードなら、一度気付けば分かる筈だ」
コンソールに表示された進捗を確認し、キアはそう言った。その目は、あまり愉快な話ではないと物語っていたが、乗りかかった船だ。それどころか、自分でその船に飛び乗った。今更引く訳にもいかない。
「現在、この戦争は第二次if戦争と呼称されている。第二次だ。よく第一次if戦争と混同されるが、無理もない。終わって直ぐに戦端は開かれたからな」
リードは頷き、その情報を補填する。
「四つの大企業、ロウフィード・コーポレーション、ルディーナ、アジア連合、アーレンス社。拮抗を崩したのがアーレンス社、いち早くifを兵器転用し、アジア連合を強襲、強引に買収しました。これに反発したロウフィード・コーポレーションとルディーナが協力し、アーレンス社に対抗する為に共同戦線を張った。それがif戦争。今から三年前の事です」
もう少し未来になれば、教科書の近代史にも記載されるだろう文言だ。
「そうだ。アーレンス社はFisと呼称される戦闘部署を設立、各地に戦火を広げていった。ロウフィード・コーポレーションはAGS、ルディーナはH・R・G・Eと呼称される戦闘部署を設立し、共闘しこれを迎え打った。結果は知っての通り、AGSとH・R・G・E同盟軍が勝利している。これでif戦争は終結したが、次はAGSとH・R・G・Eが戦いを始めてしまった。理由は?」
キアの質問、その答えは至極簡単だ。
「アーレンス社、Fisの持つ土地や資産の分配で、齟齬が生じたのでしょう。一番大きなきっかけは、H・R・G・EがFisのif技術を独占した事だと言われていますが」
キアは頷き、問う目をリードに向けた。この何でもない歴史講義の中に、大事な物があるという事だ。しかし、考えてみても思い浮かばない。何も引っ掛かる事柄がない。
「前提が間違っているのさ、リード。国と国のやり取りなら、まあ分からなくもないんだ。でも、奴等は企業体だ。プライドや誇りで銃を取ったんじゃない。利益の妨げになるから、一番手っ取り早い方法で黙らせただけなんだよ。それがif戦争の骨子だ。そう考えると、どう見えてくる?」
国と国、軍と軍のしがらみではない。企業と企業のやり取りの中で、求められる物、その数字は。
「……利益。戦争を継続した際の出費と、得られる利益が噛み合っていない、ですか」
キアは満足げに頷き、コンソールを指でこつこつと叩く。
「企業という組織は馬鹿じゃない上に、落とし所を探るのが上手い。仮にif戦争後の利益分配で揉めても、じゃあ戦争しようなんて選択はあり得ない。得た利益を、得られた筈の利益を、まるごとドブに捨てるような物だろ。どちらかが戦端を開けば、必ず応戦する事になる。待っているのは泥沼のように続く戦争だけだ。金と人を幾ら注ぎ込んでも、儲けなんて出ない。そんな選択を、大企業のトップが選ぶ筈がない」
冷静に考えてみると、確かにそうではないかと思ってしまう。ifという兵器の特殊性ばかりに目が行き、全体を捉えていなかった自分には気付ける筈もない。
「仮に、この第二次if戦争を始めていなければ。利益分配なんてせずとも、充分な利益を得ていた筈だ。むしろ、敗戦した企業の後処理なんて押し付けて、自分達だけで稼いだ方が効率がいい。だが、第二次if戦争は始められた。結果はこうして一進一退、泥沼の真っ直中だ。一体幾らの金と人が、この戦争で消えたのか。いや、消えなければいけなかったのか」
キアはそこで言葉を切ると、また問う目をリードに向けた。
「そこで質問だ。平和な時分では為し得ない事とは? こうして戦争をして、平和な時よりも潤うのは?」
リードは考えるまでもなくその答えを知っていた。今まさに、自分達はそこにいるからだ。
「……戦備拡充。平和な時には、そこに投資する額は限られてきます。企業と言っても、国民をないがしろには出来ない。戦備に金を注ぎ込むのなら、戦っている最中が一番いい。そういう事ですか?」
キアは頷き、リードの言葉を待っている。そう、戦備拡充だとすると、どうしても違和感が生じる。
「ですが、それは意味がない。先程話した利益とは、あまりにも噛み合わないでしょう」
「そうだ。つまりこの第二次if戦争は、そもそも利益を目的にしていない」
当然のようにキアはそう言い放つ。利益を目的としていない。では。
「戦備拡充が目的で、第二次if戦争を引き起こしたと?」
リードは導き出したその答えを、頭の中でもう一度精査する。軍備拡充を目的に据えるのならば、確かに戦争を起こすというのは手段の一つかも知れない。だが、そこまでして拡充を急ぐ理由が見当たらない。
所詮は人類同士の戦争だ。どんなに戦備拡充をしても、そう実力差は出ない。戦えば必ず泥沼と化すのに、戦争を仕掛ける馬鹿はいないだろう。ならば、戦備拡充をする意味はない。使いもしない兵器を並べても、それこそ無駄遣いという物だ。
「そう、そういう風に僕も考えていた。昔からね。で、そこでいつもこう思っていたんだ。独立記念日じゃあるまいし、宇宙から侵略者よろしく誰か来るのかよ、ってね」
冗談めかした言い様だったが、キアのその一言で背筋がぞくりと冷える。
「氷室の、中身」
リードはそう呟いていた。あの力に出自、そこにキアの導き出した答えを加えれば、笑い話や世迷い言で片付ける事は出来なくなる。夢物語だった筈の影が、今まで見てきた戦いの結果と重なり、現実という輪郭を得ていくようだった。
丁度その時、コンソールから電子音が響いた。準備完了を知らせる音だ。実体を得ようとしていた影が消えていき、幾ばくか緊張した面持ちのキアが肩を竦める。
「さて。今した話の真偽とやらを、当事者に聞いてみようじゃないか」
キアはコンソールに手を伸ばし、躊躇うことなくその画面に触れた。
「照影と際涯」
ええと、短い割にはちょっと時間掛かりましたね。何でかって言うとですね、プロット通りに事が運ばなかったからです。
ちょっと脱線して話すと、プロットを書くときは自分がこうだろうなあって感じで書くじゃないですか。書くんですけど。で、実際書く時ってその人物になって書くじゃないですか。書くんですけど。ここにちょっと差が出てくるんですね。連載が進めば進むほど、登場人物は自分じゃなくなってくるし。
リーファなんて、あれマジなんですよ。マジで謝るだけのつもりだったんですけど、何か啖呵切ってた。面白そうだったのでそのまま泳がせた感じですね。この小説そういうのばっかよ。
ま、そんなこんなで時間掛かったのかなって。後は会話メインだから動かしての盛り上がりがないからかなあ。トワがいないと動く奴いねえや。
これで六巻は終了、次は七巻です。上げて落として、今は底辺で燻ってる感じですが、さて次は、という感じです。
何を隠そう、この七巻は非常に楽しみです。昔から、このシーンを書くの夢見てましたからね。
なっがい作品ですが、お付き合い頂ければ幸いです。
まだ終わりではないと、戦う事を決めた者達。夢物語が現実に変わらぬように、それを迎え打つ者達。戦いの意味が朧気ながらに浮かび上がる中、それぞれがそれぞれの日常を取り戻す為に戦う。
そして、遂に評決は下る。
少年はそれでも手を伸ばすことを決め、少女はだからこそ檻の中で自らを押し殺す。
次回、七巻。
「青嵐と窮愁」
二人の手が交わるその前に、厄災の箱は開かれる。




