冷たい手
港口路を通り、ポート・エコーから外に出る。《カムラッド》の操縦席で、リオは見渡す限りの宇宙を睥睨する。捉えようのない宇宙の黒に、足跡が残っている筈もない。もう手は届かないと、虚しさから溜息を吐いた。
どこに行ったのか、それすら分からない。それもそうだろう。高速輸送機がここを離れるまでに、充分な時間が経過していた。アレクシスの妨害さえなければ。いや、妨害されたとしても、もっと早く雌雄を決していれば。間に合ったかも知れない。
寂しく微笑んで、諦めたように背を向けたトワの姿が浮かんでくる。あんな顔をさせる為に、ここまで来た訳ではない。
ちゃんと向き合うと決めたのだ。逃げずに向き合って、目を見て話すと。トワがどんな答えを返してくれるかは分からないけれど、伝えるだけは伝えようと思っていた。
それが、今はもう遠くへ行ってしまった。
『……リオ君、聞こえる?』
イリアの声が聞こえ、そう言えばそちら側は蚊帳の外に置いていたと思い出す。
「聞こえてます。状況は?」
『エリルちゃんと合流、今《アマデウス》に拾って貰ったとこ。こっちは全員無事。そっちはどう? 途中まではモニターしてたんだけど』
助けられなかった。それだけ伝えて、後は放っておきたい衝動に駆られる。しかし、自分でも驚く程に落ち着いていた。心はこんなにも叫んでいるのに、何の苦もなく平静を装う事が出来る。
「リーファちゃんは無事です。トワは」
ぎりと胸が痛む。けれど、表情は少しも変わらない。
「トワはここにはいません」
『……そう。とにかく、今はそこを離れるよ。位置は、今確認したから。交差と同時に飛び乗って。後ろから追い掛けられてるみたいだから、止まっていられないんだ』
レーダーを確認すると、《アマデウス》の表示が急速に近付いているのが見えた。ここへ到達次第、すれ違い様にハッチに組み付けという事だろう。
「了解です。こちらはいつでも」
もうここにトワはいないのだから、残る必要もない。ハンドグリップを軽く握り、その瞬間を待つ。
膝の上でうずくまったままのリーファに声を掛けようか迷い、ちらと視線を下げる。丁度リーファもこちらを見上げており、期せずして目があってしまった。
「怖いかも知れないけど、もう少しだから」
だから、そんな事を言うしかなかった。今更黙って目を逸らすというのは、あまりにも冷たいだろうし。
「……さっきの人が、言っていたのは」
リーファは怯えたまま、小さな声でそう返した。
アレクシスの言っていた言葉が気になるのだろう。戦いが楽しいとか、同じだとか。その辺りの話だ。普通なら切って捨てるような事でも、リーファは目の前で自分の戦いを見た。何かしら思う事があっても不思議ではない。
「ご、ごめんなさい。何でも、ないんです」
リーファは頭を振り、再び目を伏せる。悪い事を聞いたと思っているのなら、それは間違いだ。多分、リーファの反応の方が人として正しい。
ウインドウに視線を戻すと、白亜の船体が映し出されていた。ようやっと《アマデウス》が視認出来た。軽く身構え、交差のタイミングを計る。
見る見る内に《アマデウス》は迫り、下方をこちらへ向けるように舵を取る。開いているハッチ目掛け、思った通りの動きで《カムラッド》を飛び付かせた。
操縦席に振動が走るが、何の問題もない。しっかりとハッチを掴んでいる。そのまま《カムラッド》をハッチの中に滑り込ませ、閉じていくハッチをただ眺めた。
「さっきの質問だけど」
流れていく宇宙に視線を移し、そう呟く。
「人殺しを楽しいと思った事は一度もないよ。ただ……凄く楽だったけどね」
ハッチは完全に閉じ、そこに宇宙は見えなくなった。リーファは何も言わない。彼女がどんな表情をしているのか確認する気も起きず、同じように口を噤んだ。
戦いは終わった。けれど、望んだ帰結ではない。本当に助けたい人を助けられなかった。あの少女は今も、泣いているかも知れないのに。
胸の裡もこの手も、どうしようもなく空っぽのままだった。




