たった一つの願い
リオの操縦する《カムラッド》は、真っ直ぐ滑走路へ向かっていた。
滑走路を押さえてしまえば、簡単には逃げられないだろう。そう考え、第一目標としたのだ。しかし、そう簡単にはいかなかった。
コンピュータウィルスの効果は、強力ではあるが万能ではない。敵も死に物狂いで復旧するだろうし、咄嗟にリンクを切断して逃れたifもいる。
未だに滑走路へ向かう事は出来ず、丁度二機目の敵ifを両断した所だった。
「……頭が」
焼けるように痛む。それは思わず顔をしかめる程の痛みだったが、すぐに霧散していった。不可思議な頭痛は一瞬だけで、後にはもう何も残ってはいない。
「違う。今のは」
トワが呼んでいる。前後は分からないし、どう考えてもただの頭痛だったが。あの少女の姿が、何故か見えたような気がしたのだ。傷付いて、傷付いたままで。それでも自分を呼んでくれている少女の声が、確かに聞こえた気がしたのだ。
ハンドグリップを握り締め、《カムラッド》を思うままに動かす。建造物を飛び越え、脇目も振らずにその場所を目指した。
思い切り地面を蹴り、バーニアを最大出力で酷使する。そうして前だけを見て、ただひたすら《カムラッド》を動かす。
建造物に囲まれていた視界が開け、広大な滑走路が見えた。奥には離陸準備をしている高速輸送機があり、ハッチは開いたままだ。
そして、そこにいた。いてくれた。輸送機から離れるように、リーファの手を引いて走っている。遠くても分かる、元から赤い目をしているのに、更に真っ赤に腫らして。
「見つけた、トワ!」
そう声を上げ、二人に近付いていく。設定した覚えはないが、外部音声の機能がオンになっていた。滑走路に声は響き、それに応えるようにトワも声を上げる。その音を拾う事は出来なかったが、構わない。ちゃんと向き合って、目を見て、手を合わせて。それから話せばいいのだから。
離れていた分だけ近付いて、お互いに動きを止める。ifに片膝を付かせ、こちらを見上げる少女の傍へ、《カムラッド》の左手をゆっくりと下ろす。何も言わずとも察したのか、トワは《カムラッド》の左手へ腰を下ろし、同じようにリーファを座らせた。二人とも《カムラッド》の左手、マニピュレーターにしっかりと掴まっている。
これでいい。後は安全な場所まで下がって、二人を操縦席に放り込んで逃げるだけだ。
大きな左手の上で、トワはじっとこちらの様子を窺っている。まるで怒られる前の子どものように、ばつが悪そうにしていた。そんな顔をする必要はないのに。
笑顔とまではいかなくとも、せめて安心して欲しい。そう考え、何か声を掛けようと息を吸い込んだ、その時だった。
『そこまでだ、リオ・バネット特例准士。絶対にifを動かすな。いいな、絶対だ。従わない場合、ターゲット以外は射殺する』
どこまでも冷たい声色が操縦席に響き、言おうとしていた言葉を消し去ってしまった。
発信元は直ぐに割り出せる。いや、割り出す必要もない。奥で離陸準備をしている輸送機からだ。開いたままのハッチには狙撃銃を構えた特務兵と、通信機を持っている特務兵が見えた。
「先に撃っておけば良かった」
本心を呟き、ざっと距離を推し量る。ざっと百五十メートルかそこらの距離に輸送機はあった。歩兵用の狙撃銃では《カムラッド》を穿てない。リーファを狙ってくるだろう初撃を凌いで、こちらはif用の鉄鋼弾を返してやればいい。
そう判断し、ハンドグリップを軽く握る。一瞬で片が付く。
『そうだ。今から撃っても遅い。狙っているのは我々だけではない。特務兵が何人いたか考えてみろ。輸送機ごと我々を撃つというのなら好きにすればいい。ただし、必ずそこの少女は殺す。必ずだ』
トリガーから指を離し、周囲を窺う。狙撃地点として使える場所の候補は多い。本当に潜んでいるのかどうかすら分からず、唇を噛み締める事しか出来ない。
『この通信を外に繋げろ。設定次第、ハッチを開けて出て来い』
一か八か、《カムラッド》を思い切り跳躍させて狙撃を凌げれば、この状況を打破出来るかも知れない。そう考えるも、直ぐに理性が否定する。BFSを使用していようが、《カムラッド》は機械なのだ。どう動くにしても、必ず予備動作が必要となる。思い切り跳躍しようが回避しようが、その前に奴等は撃つだろう。だから、絶対に動くなと最初に忠告してきたのだ。完全に静止した状態に持ち込めば、その時点で特務兵の思惑通りとなる。
『リオ・バネット特例准士』
催促の通信が入り、時間の猶予がないことを知らされた。分かっている。
外部スピーカーと通信を連動させ、乱暴にハッチ開閉用のスイッチを押した。一切の容赦もなくハッチは開いていく。もう、言われたまま外に出るしかない。
開いたハッチの上に立ち、周囲を見渡す。やはり、狙撃手の位置は分からない。
『リオ・バネット特例准士はその場から動くな。ターゲット、名前は確かトワと言ったな。ここまで歩いてこい』
《カムラッド》の外部スピーカーから、特務兵の要求が流れる。トワは音のする方向を一瞥すると、すぐに輸送機を見た。
『従わない場合、そこの少女と操縦兵は射殺する』
助けるつもりだったのに、こうして人質にされている。それが悔しくてしょうがない。もう少しなのだ。あとほんの少しでも近付けば、もう手が届く距離なのに。
トワはこちらを見上げると、なぜか微笑んで見せた。それは自分が求めていた、あの柔らかな笑みではない。寂しく、何かを諦めたような笑みだ。
「リオ、私を見つけてくれてありがとう。でも……リーファを助けてあげて」
そう言うと、トワは《カムラッド》の左手から降りる。リーファの頬を撫で、そのまま背を向けてしまった。何の迷いも気負いもなく、トワは歩き始めてしまう。
「待って、トワ!」
金属が弾けるような音が響き、思わず動いてしまった身体が止まる。特務兵の構えている狙撃銃だ。至近の装甲板に着弾したのだろう。外れた訳ではない、わざと外したのだ。
トワは一度だけ止まり、こちらを振り返って首を横に振る。動くな、という事だろう。でも、このまま見ているだけなんて。
刻一刻と離れていく。色々な事を話して、謝るつもりだったのだ。それが、今またこうして離れていく。
輸送機までは遠く離れている筈なのに、トワの背はどんどんと小さくなる。状況を打開する為の一手を探すも、何も思い浮かばない。いざ戦いになれば、考えずとも浮かんでくると言うのに。
ただ待つには長すぎる。しかし、策を考えるには短すぎる時間が流れていく。
輸送機まで辿り着いたトワは、何の抵抗もせずに乗り込んだ。殉教……なぜかそんな言葉が思い浮かび、それが小さな背中に重なる。
輸送機のハッチが閉まり、その背中すら見えなくなった。あの手を掴めなければ、本当に遠い所に行ってしまう。
狙撃手はどこにいるのか。周囲をもう一度見渡すも見当はやはり付かない。何人潜んでいるのかも分からないのだ。
輸送機が動き始める。じりじりと加速していくその機影を見て、焦燥が募っていく。
本当に、遠い所に行ってしまう!
『……リオ君。そのまま聞いて。隙は作るから、目を瞑って』
小さなノイズにイリアの声が混じる。驚きはしたが、冷静になった頭がその感情を上回った。前後は分からないが、待ち望んでいた打開策だ。言われた通りに目を瞑り、その声を待つ。身体に入っていた力を抜き、微かに身構える。
『行くよ、動いて』
声と同時に、目を瞑ったまま後方に飛ぶ。操縦席に素早く腰掛け、ハンドグリップを握り締める。目を開けるも、直ぐに閉じる羽目になった。
抜けるような青空が、真っ白に染まっている。天井に敷き詰められた投影モニターが、明らかに異常な光量で瞬いているのだ。この区画その物を、丸ごと閃光弾に変えている。
当然、生身の人間では狙撃など不可能だろう。目を瞑ったまま、BFSを用いて《カムラッド》の左手を動かす。手の平にうずくまっているリーファを、操縦席に放り込むように迎え入れる。
飛び込んできた小柄な身体を受け止め、直ぐにハッチを閉じた。
目を閉じたまま、リーファは完全に縮こまっている。突然の閃光に空中遊泳と来れば、誰でもそうなるだろう。
装甲に何発か着弾したのか、警告と共に予想射線が表示される。潜んでいた特務兵の狙撃だろう。歩兵用の銃弾など、もう効きはしない。好きなだけ撃っていればいい。今は、やらなければいけない事がある。
「あ、あの。リオさんですか、リオさんですよね?」
「リーファちゃん、そのまま頭を下げて掴まってて。トワを追う」
補助席に放り込んでいる時間すら惜しい。リーファを膝の上に転がし、ハンドグリップを握り直す。まだ追い付ける。《カムラッド》を動かし、輸送機が飛び立った方向へ急ぐ。即席の閃光弾と化していた投影モニターは、その殆どが焼け焦げてブラックアウトしていた。非常用の照明が点灯し、広大に見えていた基地がやけに狭く見える。
障害物も何もない。《カムラッド》を最高速度で動かし、何度もアクティブレーダーを放つ。決して見失わないように。
もう逃さない。焼け焦げた空を、真っ直ぐに飛び去る輸送機の姿が見えた。
「追い付いた。外に出る前に」
翼を撃ち抜いて地面に引き摺り落とす。高速輸送機と言っても、宇宙空間でなければ性能を発揮できない。外に続いているだろう港口路までは、まだ少し距離がある。
《カムラッド》の右手に握らせたままのTIAR突撃銃を、その輸送機に向ける。《カムラッド》自体の速度を殺さずに、翼だけを撃ち抜く。曲芸射撃の域だが、今の自分なら出来ると思えた。
慎重に狙いを付け、トリガーにゆっくりと力を籠めていく。迷いも気負いもない。今度こそ手が届く。《カムラッド》の位置、そこから導かれる射線、輸送機の位置、全てがぴたりと合わさったその瞬間に。迷いも気負いもなくトリガーを引いた。
TIAR突撃銃から一発だけ鉄鋼弾が放たれ、狙い澄ましたままに空を裂く。
そして、横合いから飛び出して来たifに、その鉄鋼弾は空で裂かれた。
ナイフ一本で鉄鋼弾を防いだifが、得意げに得物を構える。
「ッ! 邪魔を」
闖入者に向け、TIAR突撃銃を立て続けに撃つ。放った鉄鋼弾は三発、空中にいるifに対処出来る物ではない。直撃するか、それを避ける為に飛び退くかだ。飛び退けば、その隙に輸送機を止める。しかし、そのifの動きは違った。
三度火花が散る。後退しながら、三発の鉄鋼弾を全て斬り払ったのだ。そんな芸当は、通常操縦ではまず不可能だろう。自分と同じ、BFSを用いて操縦している。直感的にifを動かせるBFSなら、銃弾を斬る事も可能だが。それにはかなりの技量が要求される。
要するに、普通ではない。そのifは流れるような動きで着地すると、先程まで使っていたナイフを投げ捨てた。
「赤い、《オルダール》」
そう、そのifの機種は《オルダール》だ。自分も使用したことがある。AGSの最新鋭機であり、その性能は高い。真っ赤に塗装されている《オルダール》は、大仰に両手を広げて見せた。BFSを用いているせいで、やけに生々しい動きをしている。
銃弾を斬り払う程の技量、人を苛つかせる態度に、赤い《オルダール》とくれば、それが誰なのか直ぐに分かった。
「《クリムゾン》か」
アレクシス・クリムゾン・モーガンと名乗っていた男だ。本当に、ここまで追い掛けてくるなんて。
焼け焦げた空を一瞥するも、既にトワを乗せた輸送機は港口路に消えていた。まだ追い付ける。今なら、まだ。
そんな思いなどまったく意に介さず、強制的に通信が繋がった。相手は分かっている。目の前の赤い《オルダール》、討伐コード《クリムゾン》だ。
『この瞬間を、どんなに待ち侘びた事か……分かるだろ。なあ、分かるだろ! リオ・バネット!』
興奮気味に喚き散らすその声を聞き、脳裏にあの凶暴な笑みが浮かんでくる。間違いない、アレクシスだ。
早くトワを追い掛けなければいけないというのに。本当に、遠くに行ってしまうというのに。冷静だった感情が掻き回されていく。焦燥が色を変え、確かな怒りに変わる。
「そこを退け、《クリムゾン》」
思わずそう返答してしまったが、相手を喜ばせるだけだったらしい。
感情を逆撫でするように、目の前の狂人は楽しげに高らかに笑っていた。




