ほんの小さな願い
後ろ手に拘束されたまま、トワはじっと顔を伏せていた。どうしたら良いのか分からない。頭の中がちぐはぐになってしまったのか、どうやって物を考えていたのすら朧気だった。
輸送機のシートに固定され、トワは身動き一つ取れない。頭も身体も動かない中、言い争う声だけが耳に届く。
「離陸はまだなのか? 状況は分かっているだろう、ifに捕捉されたら終わりだ」
「黙っていろ、状況が分かっていないのはお前らの方だ! この《フェーダー》だけじゃない、ポート・エコー全体が丸ごと鉄くずになってるんだぞ!」
「復旧を急げ。《フェーダー》の航行システムとスペースゲート、その二つさえ動けばいい」
「くそったれ! お前らみたいな口うるさい荷物は初めてだ!」
特務兵と操縦兵は、口論しながらも手は動かしていた。その様子をちらと見て、トワはまた目を伏せる。輸送機を操縦する為の兵士が二人、特務兵も二人、逃げようと思えば逃げられる。けど、それをやってしまった後の事が分からない。
自分が余計な事をしたから、アストラルは死んだと言われた。違うと否定したかったけれど、それは出来ない。他ならぬ自分が、そうかも知れないと考えていたから。ずっと考えないようにしていたのだ。だって、その答えを知っている人は、もういないのだから。
でも、今ここにいるのは自分だけではない。トワは顔を上げ、横に視線を向ける。口を噤んだままのリーファが、青ざめた顔をしている。何かを恐れるように、小さく震えていた。同じようにシートへ固定されていたが、両手は拘束されていない。
こちらの視線に気付くと、リーファは泣きそうな顔で口を開く。
「……トワさん、嫌です。私知ってます、そこにいたんです。あそこには、戻りたくない。嫌なんです、恐いんです」
ずっと押し殺してきたのだろう。リーファはそう言うと、堰を切ったように涙を流す。泣きながら手を伸ばし、縋るようにこちらの肩を掴んだ。その手の震えを感じ、トワは迷う。
自分が何もしなければ、誰も死なないのかも知れないけれど。
自分が何もしなければ、誰かが不幸になるのかも知れない。
周囲を見渡し、トワは項垂れる。誰かがいれば良かった。リーファを助けられるような人がいれば、全て任せて自分は諦める事が出来るのに。
本当は、諦めたくなんかないけれど。本音を押し殺し、トワは再び顔を上げた。
今だけは、頭を空っぽにして考える。これ以上巻き込まないように、リーファだけでも助けるのだ。
感覚を切り替え、シートと拘束具に意識を向ける。解錠に時間は掛からない。シートの拘束具は独りでに外れ、両手を拘束していた電磁手錠も難なく外れた。素早く立ち上がると、電磁手錠を特務兵に投げ付ける。
「ぐ、隊長!」
飛来した電磁手錠を片手で払うも、トワは既に間合いの内側まで踏み込んでいた。右手を突き出すようにして掌底を叩き込み、特務兵の一人を昏倒させる。
隊長と呼ばれた男が、振り返りながら拳銃を構えた。トワは屈みながら左手を伸ばし、その拳銃ごと右手を掴む。ぐいと引き寄せてから、右手で先程と同じように掌底を叩き込んだ。
厄介な特務兵二人はこれで暫く動けない。トワは拳銃を投げ捨てると、ちらと操縦席に座る兵士二人を見た。口をぽかんと開け、倒れている特務兵とこちらを交互に見ている。
「邪魔しないで。じゃないと」
右手を握り締め、トワが脅しつける。二人の兵士は首を素早く縦に振ると、丁寧に両手まで挙げた。
じりと頭が焼ける。帳尻を合わせる為の頭痛が、律儀に痛みを届けていた。ただ、もう少しだけこれを使わなければいけない。リーファが拘束されているシートに近付くと、そこへ意識を集中させる。
数秒も経たずにシートの拘束具が外れた。これでいい。感覚を元に戻し、ひどくなった頭痛を端に追い遣る。リーファがどういう事なのか問う目を向けており、その目にはやっぱり恐怖が潜んでいるように見えた。
「私は、分からないけど。リーファはみんなの所に戻れるから。嫌かも知れないけど、今は私と行こう」
そう言うと、トワはリーファに向けて手を差し出した。
「……嫌じゃないです。助けて下さい、トワさん」
リーファは涙を拭うと、その手に小さな手を重ねた。トワはこくりと頷き、その手を引いて輸送機から降りる。ハッチが開いたままだったのは幸いだった。
周囲を見渡すと、広大な滑走路が広がっていた。この輸送機以外には何もない。
「どっちに逃げるんですか?」
リーファが後ろを気にしながらそう問い掛ける。そこかしこで煙が上がっている為、見当も付かない。
「ちょっと待って、今」
再び感覚を切り替える。もう限界が近いけれど、これぐらいならまだ。見知った熱を探していくと、すぐに見つかった。形振り構わず戦って、また傷付いているあの人が。
「リオが来てる。こっち、に」
手を引き駆けようとするが、一際大きい痛みと共に感覚が元に戻る。これ以上は接続出来ない。あと少しなのに。
「……トワさん?」
「大丈夫。こっちにいるから。もう少しだからね」
痛みを無理矢理端閉め出し、トワはリーファに微笑んで見せた。リーファは戸惑いながらも頷き、離さないように強く手を握り締める
その手を引きながら、ただひたすらに広い滑走路をトワは走っていく。
大丈夫、すぐそこまで来ている。きっと見つけて貰える。
「お願い、リオ……私を、見つけて」
鳴り止まない痛みが、もう言葉を届ける術はないと伝えていたが。
それでも、その願いを口に出さずにはいられなかった。