届けたい熱
目的地であるポート・エコーに向け、《アマデウス》は大きく迂回する航路を取っていた。いつもと同じ、隠密行動を主軸にした高速航行だ。クルーの殆どがいない中、実際に見つからずに動けている。クストの指定したルートは確かに遠回りだが、その分安全で確実だった。馬鹿正直に追跡していては、直ぐに捕捉されて沈められる。だから、今はこうして待つしかない。
正面突破で勝てるのならばそうしているが、トワ達を乗せたBSは《ゴドウィン》級らしい。条件が良い時に攻めて、それでも十二機を撃墜するのが関の山だ。《ゴドウィン》級であれば、それ以上の艦載機を背負い込んでいる。数減らしをしただけでは、トワを助けられない。それは嫌だから。
そうリオは自問自答を終え、格納庫の床に座り込んだ。目の前には直立姿勢で固定されているifが二機並んでいる。
《アマデウス》格納庫は、数時間前までは大盛況だった。救出、というよりも強奪作戦を実行する上で、ifは《アマデウス》が切れる唯一の手札だ。その整備はいつも以上に熱が入っていた。
丁度今、ifのシステムを再設定し終わった所だ。基本的に変更はしていないが、いざという時に不具合があっても困る。大々的に整備をした後は、こうして操縦兵自らが確認するのが基本らしい。
今回の戦いはいつもと違う。だから、システムチェックも入念に行った。
「生きる為に戦うのも、生きる為にお前に乗るのも嫌だ。だけど」
そう呟き、装備の括り付けられた《カムラッド》を見上げた。自分の乗るifだ。
根底が変わるわけがない。変われるはずがない。なぜ戦うのか、その理由は変わらない。この期に及んでも変われない。
そうしなけば報えないから。自分が振り撒いた負債の数々を、いつか自分自身で返さなければいけないから。悪魔から人間に戻れなくなった自分を、いつか誰かがきっと、終わらせてくれるから。だけど。
「それ以上に嫌なことがあるんだ。だから、それまでは」
それさえ終われば、またいつものように戦うから。積み重ねた負債も、全て受け入れて報いるから。
だから、それまでは。その力を頼ろうと思う。今だけは、戦うと決めたから。
足音が聞こえ、その方向へ視線を向けた。クストはブリッジにいるし、ミユリは自室で切り札をプログラミングしている。必然的に、足音の主は一人しかいない。
「エリルさん、でしたっけ」
切れ長の目が特徴的な、物静かな美人といった所だろう。ギニーの妹だと聞いているが、ゆっくり話すことはなかった。自分が部屋に閉じ籠もっていたので、挨拶ぐらいしかしていないのだ。
「ええ、そうです。隣、良いですか?」
エリルの返答に無言のまま頷く。エリルは少し距離を開けて、同じように格納庫の床へ座り込んだ。
少し距離を開けて、というのは間違いかも知れない。本来、人と人の距離はこんなものだろう。トワを基準にしていると、色々とずれてしまう。あの少女は、常に触れられる距離にいた。
「その、どうしたんですか? 何か用事とか」
少し距離を開けて座っているエリルに、そう聞いてみた。何か用事もなければ、わざわざ隣に座る必要はないだろう。
「いえ、さしたる用は何も。ただ、私と貴方は作戦の要でしょう? それなのに一度も話したことがないというのは、些か不安だったので」
そう言って、エリルは困ったように微笑んだ。言われてみればそうかも知れない。まったく気付きもしなかったのは、自分の在り方のせいだろう。いつも一人で戦っているつもりだったから、同じ場所にいる気がしない。自分が離れているのか相手が離れているのかは分からないが。はっきりとしているのは、どちらにせよ一人だという事だ。
ただ、今回ばかりはそうもいかない。自分勝手に戦って、自分勝手に終わる事は出来ないから。
「まあ、そう言われても困ってしまうでしょうけど。私も本当は人見知りですし、話せと言われても話せない人間です。貴方も、そういう所がありそうですし」
その分析は的を射ている。確かに人見知りな所があるし、事実困っている。
「エリルさんは、その割には喋れてますよね」
「私の長所です。無理すれば大抵のことは出来ます」
真面目な顔でそう言われると、冗句なのかどうか分からない。この場合は本音かも知れないが、その場合無理をさせてしまっていることになる。
せめて話題ぐらいは提供しようと、少し考える。
「ギニーさんの妹だって事は、何となく聞いたんですが。家族想いなんですね。普通はここまで出来ない」
エリルはギニーの手助けをする為に、AGSを裏切って《アマデウス》へ合流した。言葉にしてしまえば簡単だが、それはとてつもなく困難な道だと思う。文字通り、世界を敵に回すのだ。
「与えてくれた物を、ただ返そうとしただけです。まんまと利用されてしまいましたが」
そうエリルは言うと、悔しそうに唇を噛む。エリルのifに仕込まれた発信器が、特務兵達にとって肝要だったのは事実だ。その事で責めるつもりはなかった。トワと向き合えなかった自分が、多分一番悪い。
「ですが、必要以上には謝りません。行動で以て挽回します。兄様も皆も、貴方の彼女もです」
そう言って右手を握り締めるエリルの姿は、とても頼もしいものだった。しかし。
「ちょっと待って、彼女って」
もしかしなくてもトワの事だろうが、自分が部屋に閉じ籠もっている間に一体どんな情報が飛び交っていたというのだ。
「違うのですか? リュウキが、リオの彼女みたいな感じだと説明していましたが。クルーの皆さんも概ねそんな感じだと言っていましたし、ペアで指輪も付けてますし。今も付けてるじゃないですか」
怪訝そうに聞き返してくるエリルに、どう説明すべきか迷う。リュウキ以下クルーの反応に関しては今後の課題として頭に留めておくとして。エンゲージリングに関してはどう説明したら正しく伝わるのだろう。
「これは、その。欲しい物があったら買ってあげるって言った手前、断れなかったというか。トワはその、常識とかそういうのが丸ごと吹き飛んでいるというか。思考と行動は殆ど勘だから、結果的に買わざるを得ない感じになっていたというか」
エリルは首を傾げながらその弁明を聞いていたが、ぱんと両手を合わせてそれを遮った。
「大体分かりました。詳しくは取り返した後に、そのトワさんとやらに直接聞きます。そちらの方が早そうです」
「いや、それは。トワが一番誤解を招く言い方をしそう」
トワの返答がどんな内容かは分からないが、絶対に誤解を招く。しばらく言動に気を付けるよう、しっかり言っておかないと。
「ふふ、少し表情が和らぎましたね」
そう指摘され、慌てて口を噤む。エリルは表情を緩めると、座ったままの姿勢で右手を差し出した。
「今の笑顔、良かったですよ。そういう顔にさせてくれる人は大事です。取り返さないと、でしょう?」
きっと、エリルなりの気遣いなのだろう。自身の右手に視線を落とし、柄ではないと内心で苦笑する。少なくとも、悪魔の所業ではないだろう。だが、答えは決まっていた。
「はい。そう決めましたから」
どんな想いを以て、その手を取るべきなのか。それは分からないままだったが、前後などどうでも良かった。助け出す、取り返す、奪い返す。その為に戦うと決め、自分はここにいるのだから。
エリルの右手へ自身の右手を伸ばし、固い握手を交わす。この行為自体に意味はないと思う。けれど、そんな積み重ねが人にとっては大切なのだろう。
本当なら、こうやってトワの手を握ってあげなければいけなかったのだ。言葉で伝えられなかった分、その熱だけでも伝えなければいけなかった。
トワがずっとやってきた事だ。自分の裡にその熱が残っているのかは分からないけれど、今度は自分から渡す。遅すぎたかも知れないけれど。そう、決めたのだ。
ポート・エコーまであと一日、決意の帰結は、すぐそこまで迫っていた。
※
ポート・エコーを目指しているのは、《ゴドウィン》と《アマデウス》だけではない。
《ゴドウィン》の航路をなぞるように、そのifは航行していた。外付けの大型推進器が最大出力で吠えており、高速戦闘機に引けを取らない速度を叩き出している。もっとも、速いといっても所詮はifでしかない。BSである《ゴドウィン》の巡航速度には、遠く及ばないだろう。
そのifは、《オルダール》と呼ばれる機種だった。AGSの誇る、純戦闘用のifだ。ただでさえ敵対者に威圧感を与える機種だというのに、その《オルダール》は真っ赤に塗装されていた。
アレクシス・モーガンの乗機である赤い《オルダール》、討伐コード《クリムゾン》の名を冠するifだ。
その《クリムゾン》の操縦席で、アレクシスは単調な宇宙滑走を楽しんでいた。
当然、楽しい筈がない。それでもアレクシスは、これから起きるであろう戦いに思いを馳せ、その甘露に酔っていた。
ただの敵とは決して至ることの出来ない領域まで、きっと二人なら行ける。殺すのか殺されるのかは、この際関係がない。至高の領域に達することが出来れば、他の物などどうでも良かった。
あと二十四時間と少しでポート・エコーだ。そこには、夢にまで見た悪魔が自分を待ち受けている。アレクシスはその瞬間を夢想し、くつくつと一人で笑い続けていた。