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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「照影と際涯」
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癒えぬ傷跡


 港へ停泊している《アマデウス》まで戻り、リオは真っ直ぐブリッジへ向かった。クストは艦長席へ腰掛けている。

 中空に浮かんだ電子ウインドウを眺めているクストへ、手に入れた物を渡す。イリアの残したパン屑、小さな飾りボタンだ。

 ブリッジにはクスト一人しかおらず、やけに静かだった。いつもクルーの誰かしらがいたから、余計にそう感じてしまう。

 静かなのは艦内も同じだった。察するに、整備も一段落付いたのだろう。

「ふふ、相変わらずスパイみたいな事をして」

 クストが笑みを零し、小さな飾りボタンを人差し指でつつく。

「それ、開くようになっていて。PDAで情報が読み取れます。音声データなんですが、これです」

 ポケットからPDAを取り出し、件の音声データを再生する。連行されている時のイリアと特務兵の会話、そして目的地についての示唆だ。

 再生が終了すると、クストは小さく頷いた。電子ウインドウに情報を書き込み、光点が一つを残して消えていく。

「ポート・エコー。AGSの軍事セクションの中でも、輸送基地に近いわ。そこで高速船に乗り換えて、AGSのお膝元まで連れて行くつもりね」

「特務兵が感付いて、合流地点を変えていたりとかは」

 少し考え、クストは首を横に振った。

「艦隊の航路から見ても、確度の高い情報だと思うわ。それに、特務兵もいなかったようだし。何かに感付いたなら、二名はセクション内に残すわ。多分、彼等にとって私達は既に脅威ではないのよ。そう思われているのは、むしろ好都合だけどね」

 確かに特務兵はいなかった。もし潜んでいたのなら、自分はきっとここにはいない。しかし、この事態とは何の関係もない狂人には遭遇してしまった。

「どう考えていいのかは分かりませんが、AGSの操縦兵はいました。恐らく、単独ですけど」

 クストが眉をひそめ、どういうことかと問う目を向ける。

「アレクシス・クリムゾン・モーガンと名乗っていました。今回に件には無関係です。あの男は、僕に用があったみたいなので」

 クストはこちらの表情を読み取ったのか、データベースを開き始めた。人名が列挙されているリストのようだ。

「僕と殺し合いがしたいと。ポート・エコーで待っていると言っていました。もし来なければ、追い掛けている荷物は殺すとも。今回の件には無関係ですが、もはやAGSすらも眼中にないようです。僕が言うのもおかしな話ですが、危険な男です」

「おかしな話でもないでしょう。うん、多分これね。クリムゾンは偽名、というか討伐コードだわ」

 クストはそう言うと、データベースから情報を表示する。そこに添付された顔写真を見て、あの凶暴な笑みを思い出す。写真の青年は無表情だったが、確かにアレクシスと名乗った男だ。

「アレクシス・モーガン。AGS所属のif操縦兵。前大戦時からの続投組で、操縦兵としての戦績は確かに高いみたいね。真っ赤に塗装されたifで出撃することと相俟って、H・R・G・Eからは《クリムゾン》という討伐コードが付けられているわ。自分でミドルネームにしてるぐらいだから、相当お気に入りってことね」

 討伐コード、H・R・G・Eの使う指名手配みたいなものだ。分かりやすい脅威に分かりやすい名前を付けて、対処するか撤退するかの判断材料にしている。撃墜が確認出来れば懸賞金も出る辺り、賞金首のような側面もある。もっとも、AGSにも同じような制度はある。興味がないことだから、あえて調べもしないが。

 ちなみにイリアは、黄色く塗装されたifを使用することから、《マリーゴールド》という討伐コードが付けられている。

「その男もポート・エコーと言っていたので、罠かも知れませんが」

 連れて行かれたトワの姿が脳裏に浮かぶ。感情が消えてしまった訳ではない。表情が読めなくなった訳でもない。トワはずっと、現実と戦っていたのだろう。何と戦っているのか、何を耐えているのかすら分からないまま、それでも逃げることだけはしなかったから、ずっと傷付いていたのだ。

 耐えられぬ痛みからは逃げても良いのだと、教えてあげるべきだったのに。

 僕は結局、一人で逃げていた。今までずっと一人だったから、それが当然だったけれど。約束したのだから、今は二人なのだ。

 だから、罠かも知れないけれど。

「他に候補がなければ、罠ごと踏み抜きます」

 クストは呆れたように微笑むと、表示していた電子ウインドウを全て消した。

「焦点の合った貴方は空恐ろしいわね。他に候補はないわ。目的地はポート・エコー、貴方は操舵のアシストを」

「了解、やりますよ」

 そう返すと、操舵席に駆け寄る。まだ馴染んでくれないその席に腰掛け、システムを立ち上げていく。

「目的地まで二日間。会敵をせずに駆け抜けるわ。難しいけれど不可能じゃない」

 起動した操舵システムをざっと確認していく。一連の操舵に問題がないことを確かめ、クストの方をちらと見る。

 クストは艦長席にある全艦放送のスイッチを押し、こくりと頷いた。

「全クルーに告ぐ。これよりノヴェンバー・コミュニティを離脱し、AGSの軍事セクション、ポート・エコーへ向かうわ。まあ、段取りは色々あるけれど、一先ずは出発。ミユリ、バラバラにしたエリルのifを万全な状態にしておいてよ」

 全艦放送のスイッチを切り、クストはこちらに視線を合わせた。

「発艦開始よ。取り返す。いえ、奪い返すわ」

 そう言ってにやと笑うクストに、空恐ろしいのはお互い様だと胸中に呟く。だが、その言葉には頷ける。前後などどうでもいい。奪い返す。

 ポート・エコーまであと二日、その地はまだ遠い。トワも、この宇宙の先で揺られているのだろう。その頬が濡れていないようにと。

 遙か先を行く少女へ、不遜と知りながらも祈った。





 ※


 プライバシーも何もない。透明な壁が何重にも張り巡らされたプリズムの牢獄で、少女はベッドに腰掛けている。

 色素が薄いせいだろう。まるで精巧な人形を見ているようだった。ショーウインドウの向こう側に座った、愛玩用の少女人形か。或いは、絵本の中に描かれた瓶詰めされた妖精といった印象を見る者に与えていた。

 本人の言葉や、クルーとの会話を聞いた限り、名前はトワと言うらしいが。本名ではないだろう。もっとも、名前など知る必要はない。ターゲットという識別だけで充分だ。

 横に並んで様子を見ていた隊員の一人が、こちらに目配せをしてきた。小声で何かと問う。

「五重の壁。それぞれのロックは独立している上に、強度も群を抜いているらしいですが。どう思います? アルファ1」

 アルファ1と呼ばれた男は両腕を組んだまま、小さく首を横に振った。

「油断はするな。人の形をした何かだと思った方がいい。確かに、人を閉じ込めるには充分以上だが。あれは違う」

 そう男は返答し、物憂げな表情をした少女を眺めた。その赤い目が、やけに不吉に見える。

 《アマデウス》のクルーを連行したまま、顔のない部隊、通りの良い名前で言うなら特務兵はAGS本隊と合流した。

 迎えの船は、予想していた以上の戦力だった。BS‐101《ゴドウィン》級、大型BSに属する《ゴドウィン》は、それ自体が要塞と言っても過言ではない。

 充実した火力による制圧戦闘は勿論、その内奥には多数のifをしまい込んでいる。下手に手を出せば、蜂の巣を突いたようにifが溢れ出す。前方に二基、後方に一基のカタパルトを有する《ゴドウィン》が、全機を吐き出すまでにそう時間は掛からない。

 それだけ、このオペレーション・アコーダンスは重要視されているということだ。仮に《アマデウス》が強襲してきたとしても、戦いにすらならないだろう。となれば、後の問題は《ゴドウィン》の内側にある。

 捕らえた《アマデウス》のクルーは、この専用収容所とは別の場所で収容している。一人一人に牢を用意し、特務兵を常時見張りに付けている。そして、何があっても開けないように命令してある。例え死んでいたとしてもだ。

 人の身で出来ることには限界がある。《アマデウス》のクルーは、もう何の行動も取れはしない。

 だが、それ以上に厳重な監視下に置いているのにも関わらず、この少女は底が知れなかった。今は大人しくしているが、その気になれば全てをひっくり返しかねないような、そんな何かを感じる。

 オペレーション・アコーダンス、その遂行の障害となり得る要素は。この少女に他ならないのだ。

「ポート・エコー到着まであと二日。後は逃げ切るだけです。正直、ここまで手を焼かされた任務は初めてですよ」

 そう言って苦笑する隊員に、男も苦笑を返した。

「注文の多い仕事だったからな。どこそこの要人を助けろや殺せといった、分かりやすい仕事の方が楽なのは確かだな」

 そんな軽口を叩いていたが、男は急に口を噤み、牢獄の中を注視する。ベッドに腰掛けていた少女が腰を上げると、こちらを向いたのだ。

 少女は真っ直ぐとこちらを向いたまま、口をぱくぱくとさせている。何かを喋っているのだろう。完全に防音されている為、ここに音が届くことはない。

「何を言っているのか分かるか?」

 プリズムの牢獄を管理している研究員を呼び止め、そう聞いてみる。研究員は頷き、近くにあったコンソールを操作し始めた。

『……もう一回言うから。私はもう何もしない、だからみんなは助けて。もう、ひどいことはしないで。アストにやったみたいにみんなを傷付けたら、私はここから出て行く』

 少女の透き通った声が響く。それは、端から見ればただの強がりにしか聞こえないだろう。少女が両手を握り締めて、悲壮な決意を感じさせる表情をしたまま強がっている。

「アルファ1、これは」

 しかし、横にいる隊員はそう思わなかった。自分も同じだと男は頷く。

 ただの少女ではないことを、我々はもう知っている。ここから出て行くと少女は言った。恐らく、事実に他ならない。手段は見当も付かないが、本当に出て行くことが出来るのだ。こちらが選択を間違えれば、オペレーション・アコーダンスは失敗に終わる。

 阻止しなければならない。男はコンソールに近付き、研究員の肩に手を乗せる。

「こちらの声を送るにはどうすればいい?」

 研究員はスイッチとマイクを指差し、そそくさと下がっていく。男はその様子を一瞥しながら、コンソールに備え付けられたマイクを手に取った。

「我々がクルーを殺した相手だと、そう考えているのか?」

 そうマイクに問い掛け、プリズムの牢獄越しに少女を見据える。真っ赤な虹彩で装飾された目が、こちらを冷たく見据えていた。

『あなたじゃないのは知ってる。けど、あなたが一番偉いんでしょ? 見てれば分かるもの』

 男は頷き、少女への評価を改めた。見た目や言動は子どもだが、目は良いようだ。自分も隊員も、今は装備を外している。風貌はかなり変わっている筈なのに、誰が誰か分かっているようだ。或いは勘が良いのだろう。

『でも、あなたもイリアを傷付けた。もうやめて』

 だが、つけ込める隙はあると男は見ていた。観察していたのはこちらも同じだ。直感に優れ、行動力もある。現状を正しく把握する力にも長けているが、反比例するかのように精神的に脆い。少女の強みは、その心を支えて貰うことで発揮される。今ここには、少女の味方など誰一人としていない。そこを挫く。

「我々がクルーを殺さない為の方法を、君は既に知っている。先程自分で言っていた」

 そう告げるも、よく分からないと言わんばかりに少女は眉をひそめる。少し間を置いてから、男は少女を見据えて話し出す。

「君が何もしなければ、誰も死ぬ事はなかった。我々の目的は殺戮ではない。君を捕らえる為に動いていた。分かるか? 我々は、殺すつもりはなかった。では、なぜ君の友人は殺されたのか」

 少女は目を伏せ、じっと思惟を巡らせていた。問い掛ければ考えてくれる。本当は答えなど決まりきっているのに。その素直な心を踏み付けるつもりで、男はマイクに向かって偽りの答えを告げる。

「君が何かをしただろう? 正常な判断が出来なくなった私の部下は、君達に銃を向けた。後は知っての通りだ。撃ったのは確かに我々だが。原因は……君だ」

 少女の赤い目が揺れ、こちらをじっと睨む。しかし、それが怒りからではないことを男は知っていた。少女の心に沈む、小さな歪みを無理矢理こじ開けたのだ。

 死の原因など、幾らでも解釈は出来る。だが、内罰的な人間はまずこう考える。この死は、果たして自分のせいなのか、と。この少女は内罰的な傾向にある。一度その答えに辿り着いてしまえば、後は勝手に自分自身を縛り付けるだろう。

 踏み付けた心を踏み潰す為に、男は短く息を吸う。

「君が余計な事をしなければ、彼女はまだ生きていただろうな」

 そう言い放ち、男はマイクのスイッチを切った。当然、はったりと出任せだ。得体の知れない精神感応のせいで、発砲してしまったのは事実だったが。どちらが悪いかなんて決まっている。

『……私が、悪いの?』

 少女の声が震え、縋るような音色に変わる。男はその問いには答えず、少女から目を逸らす。そしてプリズムの牢獄に背を向け、ゆっくりと歩き出した。

『待って、待ってよ! 私のせいなの? ねえ!』

 男は振り返らずに、そのまま歩き続けた。悲痛な声は聞こえていたが、敢えて無視をしている。問いの答えは、自分自身で考えればいい。もっとも、今の状態で考えても望むべき解は得られないだろうが。

 少女がどんな答えを得るかなどどうでもいい。悩み苦しんでいる間は、積極的な行動は慎む筈だ。殺すなと命令されたが、心まで守れとは言われていない。

『私の。私のせいで死んじゃったの? ねえ、アスト……』

 男がプリズムの牢獄を見遣ると、少女は既に自問自答を始めていた。問い掛ければ考えてくれる。後は精々、ポート・エコーに到着するまで死者と話していればいい。

 少女はベッドに戻ろうと背を向けるが、一歩も動けないまま両手で顔を覆う。透明な壁に背を預けるようにしてずるずるとしゃがみ込み、そのまま縮こまってしまった。小さな背中が、微かに震えて見える。

 男は部下に目配せとハンドサインを送り、この場で少女を警戒するように指示した。部下は頷き、プリズムの牢獄を油断なく監視し始める。

 男は収容所を後にしながら一人頷く。これでいい。

 《アマデウス》のクルーは無力化し、少女も動けなくなった。残党となった《アマデウス》本隊では、AGSの主戦力に届かない。

 オペレーション・アコーダンスは、着実に終局へと向かっていた。

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