狂気の影
リオは人通りの激しい街道から外れ、路地裏に入った。あまり目立ちたくなかったのもあるが、反応はこの辺りから出ているように思えたのだ。
《アマデウス》は大きく迂回し、こうしてノヴェンバー・コミュニティに戻ってきた。もう、このセクションにトワはいない。《アマデウス》が迂回している間に、AGSの艦隊は到着していた。長居することはなく、さっさと離れていったようだ。
だからといって、ここが安全かどうかは未知数だったが。今は、危険を冒してでも探さなければいけない物があった。
左手で取り出したPDAを眺めて、発信器の反応を辿る。AGSの艦隊が離れて一時間が経過した辺りで、この反応が拾えた。クストが言うには、イリアの落としたパン屑だそうだ。
再びノヴェンバー・コミュニティに戻った《アマデウス》は、当初の予定通り整備を行っている。ミユリとエリルは、それに付きっきりだろう。クストも情報の精査で手が離せないのだから、自分が動くのは道理だった。
「本当なら、二人で」
歩いていた筈なのに。仄かな熱は消えている。自分の右手には、ホルスターに納まったセリィア自動拳銃の冷たい感触しかない。
拳銃を大っぴらに持ち歩く訳にもいかないので、丈の長い上着を羽織って誤魔化している。こんな物があった所で、待ち伏せされていれば一溜まりもないが。ないよりはましかも知れない。
「罠だったら、もうどうしようもないけど」
だとしても、他に選択肢はない。《アマデウス》はここで修理しなければならないし、自分はここで情報を手に入れるしかない。どちらか一方でも失敗すれば、そこで終わりなのだ。何も取り返せない。
「この辺り、かな」
左手で保持したままのPDAをかざして、発信源を特定しようとする。路地を塞ぎかけているがらくたの山から、反応は出ているようだ。
「ゴミ漁りでもすれば良いのかな」
特に反応の強い箇所に近付き、がらくたを退けていく。適宜PDAで確認しながら探していくと、見慣れた物が目に入った。ほつれた小さな飾りボタンが、がらくたの中に落ちている。
拾い上げ、やはり間違いないと頷く。イリアの着ていたシャツ、その袖口に付いていた飾りボタンだ。PDAで確認すると、発信源は確かにこれだと分かる。
「ただのボタン、じゃないんだよね。きっと」
何の変哲もないボタンに見えるが、そんな筈はない。手の平に乗せて指で転がしていると、ボタンが貝殻のように開いた。
「イリアさん、こんなスパイみたいなアイテム仕込んでたんだ……」
ボタンが開いた所に、データ送信用のタグが見える。PDAでリーダーを起動し、そこにかざしてみる。数秒も待たずに、音声データが受信された。
PDAを耳に当て、その音声データを再生する。街の雑踏、特務兵だろう男の声、それに応えるイリアの声、そして。
『目的地ってどっち? この近くにあるセーフハウス? それともポート・エコー?』
そう、確かに言っていた。ポート・エコー、クストが絞り込んでいる対象の中に、そんな名前のセクションもあった筈だ。
『別に、ただの消去法。目標がトワちゃんなら、研究目的でしょう? そうなると、使えるセクションは限られてくる。ここからはどれも遠いから、一回中継地点を設けないといけない。近場にある軍事セクションの中で、要塞ではなく中継基地を兼ねている物と言えば、って感じ』
音声データの再生は終わり、イリアの声もそこで途切れた。これ以上ない程の情報だ。さすがはイリアといった所だろう。
「研究目的、か」
イリアのその一言が、冷えていた頭をじりと焼いていく。研究という単語は、人に使われる言葉ではない。少なくとも、奴等の言う研究は違う。
「戻ろう。今は、まだ」
呟き、ボタンとPDAをポケットにしまう。後は《アマデウス》まで戻り、この情報を届ければ良い。問題の一つは片付く。
路地裏を出ようと、来た道を引き返す。足早に立ち去ろうとするが、路地裏の出口には見慣れない青年が立っていた。青年はこちらを見ると、柔和な笑みを浮かべて両手を広げた。
「ああ、すみません。人とはぐれてしまって。これぐらいの女の子、見掛けませんでした? そちらの方に行ったと聞いたのですが」
人好きのする笑顔を浮かべたまま、青年が一歩こちらに踏み出す。
何も警戒することなんてない。ただ、誰も来ていないと伝えればそれでいい。その筈なのに、頭が心が。震える身体が、あれを撃てと警鐘を鳴らしている。
馬鹿馬鹿しいと一蹴する気はなかった。地面を蹴って大きく距離を離しながら、右手をホルスターに伸ばして。
「ッ!」
何も出来ず、動きを止めるしかなかった。身体を硬直させ、目の前にいる青年の凶暴な笑みを見据えるしかない。
そう、目の前にいる。自分が動くよりも数瞬早く、青年は一気に間合いを詰めてきた。どこから取り出したのか、小さなナイフを振り抜いて。首筋にぴたりと付けられたナイフは、青年の気紛れで簡単に引かれるだろう。頸動脈を裂かれれば、それだけで致命傷となる。
一瞬の攻防は、誰がどう見てもこちらの負けだ。銃を構えることも出来ず、接近されナイフを首に突き付けられている。
だが、まだ終わりではない。ホルスターから抜けはしなかったが、セリィア自動拳銃のトリガーには指が掛かっている。命中などしなくていい。発砲し、ナイフの初撃さえ凌げれば、それで事態は変わる。銃声を聞き付ければ、警備兵がやってくる筈だ。
こんな所で諦めたくはないから、分の悪い賭けでも構わない。
そう考え、トリガーに力を籠めようとした瞬間だった。
「銃声が聞こえてからあいつらが来るまで、ざっと十五秒。戦場じゃ長い時間だ。ナイフを三度振るってもお釣りが来る。三度振るうまで、果たして立っていられるかな?」
青年の声が、見透かしたように結果を伝える。こちらの考えなど、全てお見通しという訳だ。
そして恐らく、青年の言う通りになるだろう。この間合いまで詰められた時点で、自分は負けたのだ。
「な? だからやめてくれよ。俺はあんたのファンなんだよ、リオ・バネット」
自分を知っている。睨み付けてみても何も変わらない。凶暴な笑みの向こうに、隠れているだろう真意は読み取れなかった。
「言っておくが、そのポケットに突っ込んだ物のせいじゃない。あんたを追い掛けていたんだよ。こんなチャンス二度とないから、わくわくしながら探したんだぜ?」
青年はこちらの上着を捲ると、ホルスターから抜け掛けたセリィア自動拳銃を見て、深く何度も頷いた。
「普通の奴ならここまで動けない。やっぱり、あんたは特別なんだ。俺と同じ、殺しのギフトを持っている」
ギフト……贈り物を意味する他に、才能を示す場合もある言葉だ。何が言いたいのか分からず、楽しそうな青年の顔を怪訝そうに見た。
青年は身体を離し、素早い動作でナイフをしまう。動きは早く、どこにナイフが消えたのかは分からない。しかし、下手な動きをすればもう一度ナイフは飛び出してくるだろう。
青年はこちらの表情を見て、小馬鹿にしたように肩を竦めた。
「殺しの天才とか、才能って言った方が分かりやすいか? 俺はアレクシス・クリムゾン・モーガン。AGSの操縦兵で、あんたと同じギフトの持ち主だよ」
同類だと言われている気がして、苛立ちが込み上げてくる。
「……よくいるんだ、お前みたいな勘違いした奴。何がギフトだ。ただ生き残ってるだけだろ。拾った幸運に名前を付けたがってるだけじゃないか」
そう言うと、アレクシスはにやと笑う。まるで、言い返されるのを待っていたかのように。
「幸運の名前? それこそ勘違いだ。他の奴等には分からないさ。お前の初めての戦いは、本当に運が良かっただけなのか?」
今まであった苛立ちが、嘘のように消えていく。唇を噛み締め、アレクシスの楽しそうな笑顔を見た。
初めての戦い。自分のことを知っている以上、あのことを知っているのは道理だった。別に隠している訳ではない。少し調べれば分かることだ。だが、今アレクシスが口にした言葉はそれとは違う。こいつは、本当に分かっている。
「そりゃあ、よくある話かもな? 家ごと母親が、安物のクラッカーみたいに粉々になった! ぶち切れた少年が、転がっていたifに乗って怒りのまま暴れ回る! ドカン、バンバン!」
茶化しながら、アレクシスがあの時のことを話す。苛立ちは湧いてこない。その代わりに、腹の底がすうっと冷えていく。
「街ごと敵のifをはっ倒し、怒りに震えたままとどめを刺す! この痛ましい事件を知った人は、みんな口を揃えて言う。頭のおかしくなった少年が暴れて、まぐれで勝ったんだと。AGSの調書にさえそう書いてある。BFSが搭載してあったから、それが可能だったんだと」
アレクシスは一歩近寄ると、こちらの目を覗き込む。
「それがおかしいって気付いた奴はどれぐらいいるのかねえ。素人の、ifに触れたことのない少年が、初陣でプロのif操縦兵に勝ってるんだぞ? BFSがあったから可能だった? それともただの幸運? それこそ勘違いだ。あの戦いのデータは、見るだけでわくわくするんだよ!」
アレクシスはまた一歩下がると、こちらをなめ回すように見てくる。そして、自分の論説が正しい事を証明したいのか、得意げに語り出した。
「あんたの戦いは全部見ている。最初の戦いもそうだ。そう動かなければ勝てないという、命の賭かった選択肢で。全部正解を選んでいる。まぐれでも幸運でもない。まさに才能、ギフトと呼ぶに相応しい」
あんな物は才能ではない。ただの呪いだ。
「特に最初の戦いは凄い! あんたはまず右に跳躍する。左に避けていたら、短機関銃の射線に捕まるからだ。その際に学生の群れをミンチにしたが、ああ動かなければあんたは死んでいた。街を盾にして、牽制の銃火を上げ、相手の行動を一つずつ奪って。最終的には、文字通り学校ごと敵ifを押し倒したよな? 逃げ道を塞いで、敵ifが校舎を見て動きを止めたその瞬間に、あんたは躊躇わずに戦った。だから勝ったんだ」
よく覚えてないと、そう言えたらどんなに楽だったか。アレクシスの言ったことは全て合っている。確かに、あの時は正気じゃなかったのかも知れない。でも、間違いなく頭は動いていた。だから、自分のやったことが何をもたらしたのかしっかりと覚えている。自分の都合で殺したのだ。覚えている。
「俺は感動したよ。普通はこんなこと出来ない。たまたま人を殺しちまうのはまあ、そこそこあるけど。あんたは全部理解した上で、必要な死と割り切って動いてる。これは人間の所業じゃない。もっとこう、凄い事なんだよ!」
アレクシスは興奮したように声を上げる。ふざけた態度を取る男だったが、その実力は本物だろう。セリィア自動拳銃は未だにホルスターから抜けず、抜いた所で勝てる自信はなかった。こいつには、白兵戦では勝てない。
「お前は、何がしたいんだ。僕は話をするつもりなんてない」
真意を問うと、アレクシスはぴたりと止まる。そしてくつくつと笑い、ゆらゆらとこちらに近付いてきた。
「そう。そうだよな。俺としたことが、つい。でもしょうがないだろ、憧れの人が目の前にいるんだぜ。ああ、俺のやりたいこと。それは一つだけだ」
アレクシスは、打って変わって真剣な眼差しでこちらを見据えた。
「リオ・バネット。俺はあんたと殺し合いがしたい」
その冷え切った目が、嘘や冗句ではないことを雄弁に語っていた。
「ポート・エコー。AGSの軍事セクションの一つだ。荷物を追っかるんだろ? そこで殺し合おう」
まるで遊びの約束を取り付ける子どものように、アレクシスはその名前を口にした。
「何で、その事を」
「ポート・エコーのことか? そんなことはどうでもいい。良いか? 絶対に来いよ。本当に楽しみにしてるんだからさ。来なけりゃ、お前が追っかけてる荷物は俺が殺しておく」
暗にトワを殺すと言われ、気付いたらセリィア自動拳銃を抜いていた。ホルスターから抜いただけで、もう動けなくなってしまったが。首筋に付けられたナイフの感触が、やけに冷たく感じる。
「だから、それが嫌なら来ればいい。先に付いた方が、基地の連中を掃除しとくってのはどうだ? 邪魔が入ると嫌だろ?」
「意味が分からない。お前はAGSを敵に回すのか?」
そう問うと、アレクシスは穏やかな笑みを浮かべた。
「確かに、馬鹿なことかも知れない。でもさ、夢だったんだ。夢が叶うのなら、他のことなんてどうでもいいだろう? じゃなきゃ生きてる甲斐がない」
アレクシスは再びナイフをしまい、こちらの両肩に手を置いた。
「……本当はさ、ここで殺し合いたいんだ。お互いifはあるしさ。街一つは確かに潰れるだろうけど、そんなことはどうでもいい。大事なのは。ここはほら、地形が悪いだろ? せっかくあのリオ・バネットと殺し合えるんだから、一番良い舞台で戦いたい。馬鹿な俺なりに、一生懸命考えたんだよ」
冷え切った目が真っ直ぐこちらを見ている。何かが致命的に壊れている、そんな目だ。
セリィア自動拳銃をホルスターに納め、肩に置かれた手を払い除ける。
「話がそれだけなら、そこを退いてくれ」
アレクシスは柔和な笑みを浮かべると、横に退いて路地裏の出口を大仰な動作で指し示した。
アレクシスの脇を抜け、振り返らずに歩いて行く。
「……絶対に来いよ。俺、楽しみにしてるから」
背中にそんな言葉が投げ掛けられたが、無視して足を動かす。
どちらにせよ変わらない。ポート・エコーには行かなければならないし、その過程で邪魔をするというのなら戦いは避けられない。戦わないという選択肢は、端から存在しない。
「人間の所業じゃない、か」
誰かに指摘されなくても、自分が一番よく分かっている。それでも、人殺しを楽しそうに語るアレクシスに、同類だと思われるのは心外だった。
人殺しを楽しいと思ったことなんて一度もない。それは事実だったが、全てではない。浮かんでくる答えを考えたくなくて、頭を振って歩みを早める。
凶暴な笑みを伴った視線が、しばらく背中に残っているように思えた。




