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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「照影と際涯」
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心の音


 どんなに考えても、どちらか一方しか救えない。

 クルーを見捨てれば、トワを助けることが出来るかも知れない。その先のことは、何一つ分からないけれど。

 トワを見捨てれば、クルーを助けることが出来るかも知れない。その先のことは、何一つ分からないけれど。

 狭い操縦席に二人きり。トワは背を向け、ウインドウの向こうに広がる光景を眺めていた。一緒に歩いた、あの時と同じ姿をしているのに。今トワは、一人で歩こうとしている。そんなこと望んでいない筈なのに、自分から連れて行ってだなんて。

 リオはその後ろ姿を眺め、自分は何をしているのだろうと自問する。こんなこと、自分は望んでいない。トワも望んでいないのなら、どうして二人してこんな所にいるのか。

 頭が機能を停止しても、時間はただ刻まれていく。だから、トワが連れて行ってと言ってしまったから。何も言えずに、乗せてしまったのだ。

 《カムラッド》の操縦席に乗り込んだトワは、寂しげに微笑むと補助席に移動し、背中を向けてしまった。

 互いに何も言わず、何も言えずに。自分は《カムラッド》を操縦した。格納庫奥、下部ハッチまで移動して、段々と開いていく扉を目で追って。

 そして今、ゆっくりと降下している。下部ハッチをくぐり、バーニアを噴かしてノヴェンバー・コミュニティの港に下りた。ウインドウには、見たくなかった光景が映し出されている。

 後ろ手に拘束されているクルーが五名、全員生きている。

 そのクルーに銃を突き付けている特務兵が八名、全員生きている。

 視線を落とし、ハンドグリップのトリガーを一瞥する。《カムラッド》の右手には、タービュランス短機関銃を握らせたままだ。武装解除しろとは言っていなかったが、その理由は確認せずとも分かっている。

『その大きな銃で何とかしようとは思わないことだ、リオ・バネット特例准士。発砲した場合はこちらも発砲させて貰う。我々は為す術なく全滅するだろうが、その前に人質を処理する』

 淡々と釘を刺す特務兵の言葉に、内心で分かっていると吐き捨てる。タービュランス短機関銃を使えば、クルーを含めて全員を殺すことになる。そんな結末は望んでいない。

『《カムラッド》はそこで停止。ターゲットの少女は一人でこちらに来い』

 どんなに考えても、どちらか一方しか救えない。

 だから、そもそもここに来てはいけなかったのだ。どうすれば良かったのかなんて、何一つ思い付かないけれど。何か、何かあった筈なのに。

「リオ。私、行かないと」

 背中を向けたまま、トワはそう言った。いつもと変わらない、落ち着いた声でそう言ったのだ。何も気負うことはないと、そう伝えるように。

 ハッチを開け、トワを降ろさなければならない。もう、それしかやれることはない。だが、ハンドグリップを握る手はぴくりとも動かない。

 目を伏せ、自分の不甲斐なさを呪った。呪えば呪うほどに、胸の裡がはっきりと輪郭を帯びていく。嫌だった。クルーを見殺しには出来ない。でも、嫌なのだ。

 トワの手を、こんな所で離したくない。

「……リオ」

 トワに呼ばれ、躊躇いながらも顔を上げる。背を向けていたトワがこちらを振り返り、狭い操縦席の中で器用に姿勢を変えた。トワは補助席から身を乗り出し、僕の肩を小さな手で掴んだ。

「ごめんね。私の、わがままなんだ。嫌かもしれないけど、でも」

 言葉にする度に音は震え、表情は崩れていく。最後の言葉を言い終える前に、トワはそのままひしと抱き付いてきた。頬に一筋の光が通ったように見えたが、胸に顔を埋めている今、震える背中しか見ることは出来ない。

「最後かも、しれないから。これさえあれば、私は。もう」

 服越しに伝わる仄かな体温が、ゆっくりと身体に浸透していく。確かに解れていく意識が、自分の心を何よりも雄弁に語っていた。しかし、最後という言葉が重くのし掛かり、その心にヒビを入れていく。

「僕、は……」

 何か言わなければ、トワの言葉通りになってしまう。これが、本当に最後になってしまう。

 そんな焦燥を見透かしたように、トワが身体を離した。仄かな熱が霧散し、身体がゆっくりと冷えていく。トワは白いコートの端で目元をごしごしと拭い、こちらの左手に触れた。

「付けてくれてるんだね。嬉しい」

 そう言って、ふわりと微笑んだ。細い指がエンゲージリングをなぞる。

『リオ・バネット特例准士。こちらの要求は聞こえていなかったのか?』

 特務兵の冷たい言葉が、残っていた体温を全て消し去ったように感じた。トワは手を離し、こちらをじっと見た。元から赤い目をしているのに、より一層赤くして。

 分かっている。それしか出来ることはないのだと、もう分かっている。

「……嫌だ。開けたく、ない」

 それが答えだった。ハンドグリップを握り締める手は、どんなに脅しつけても微動だにしない。

 次に特務兵が喋ればそれで終わりだ。奴等は、見せしめにクルーを殺すぐらいは平気でやる。凄惨な未来を避けなければいけないのに、この手は固まったように動かない。

 ハッチを開けてしまえば、この少女は消えてしまう。トワの顔を見返し、それで良いのか目で問う。一言でいい。恐いと、逃げたいのだと言ってくれれば、それで。

 そんな思いとは裏腹に、トワは困ったように微笑んだ。

「ふふ、泣きそうな顔してる」

 トワはそう言うと、操縦席の横にある複数のスイッチに指を乗せ、その中の一つを押した。

 空気の抜けるような音が響き、ハッチが開いていく。それがハッチ開閉用のスイッチだと、いつの間に気付いていたのだろう。

 その視線に気付いたからなのか。トワが寂しそうに、とても魅惑的な笑みを浮かべた。

「リオのことはよく見てたから、そこから勉強したの」

 そう言うと背を向け、トワは開いたハッチの上に乗った。それも見て覚えたのだろう、備え付けてあるワイヤーリフトを展開し、迷わずそれに足を掛ける。

「待って、トワ。ここに、着いたら。一緒に……出掛けようって」

 声が無様に震える。トワの手がぴくりと止まり、一度だけ振り向いた。

「行けなく、なっちゃった」

 微笑もうとしたのだろう。果たせずに唇を噛み締め、物悲しげに顔を伏せる。泣きそうな顔をしているのは、トワも同じじゃないか。

 トワは背を向け、手元のスイッチを押し込む。思わず身を乗り出して手を伸ばすが、届く筈もない。視界からトワの姿は消え、ワイヤーリフトの駆動する音だけがそこに残された。

 状況も忘れ、操縦席から離れてハッチに上がる。下を覗き込むのと同時に、ワイヤーリフトの駆動音が消えた。トワが地面に足を付けたからだ。そのまま、振り返ることなく歩き出した。

 遠ざかっていく背中を、ただ眺めることしか出来ない。特務兵に近付いていったトワは、何の抵抗もせずに捕らえられた。後ろ手に拘束され、クルー達と同じように銃を突き付けられている。

 もう何も考えられなかった。だと言うのに、特務兵の銃がこちらに向けられると、身体は弾かれたように動いた。背後に跳ねるようにして操縦席に腰掛けると、ハッチを閉じる為にスイッチを押す。トワが押したあのスイッチだ。

 ハッチが閉まり、束の間の暗闇が身体を覆う。その闇が晴れた時に目が醒めて、これがただの悪夢だったと思えればいいのに。

 数秒も経たずにウインドウが明滅し、目の前の光景を映し出す。悪夢は終わらない、分かっている。

『懸命な判断だな。そこから動かなければそれで良い。追い掛けようとは思わないことだ。そのifで、また街を潰したくはないだろう?』

 特務兵がトワとクルーを連れたまま、セクションの通用路まで後退していく。その物言いから、自分の過去を知っている奴だと分かった。或いは、調べてきたのだろう。

『……エリル機に発信器! 無力化を』

 通信にイリアの声が割り込み、続く銃声がそれを遮った。何が起こったのかは、ウインドウ越しに見ているから分かっている。

 情報を叫んだイリアが、足を撃ち抜かれて地面に倒れていた。イリアは両手を後ろ手に拘束されており、倒れた状態から動けない。

 抵抗しようとしたリュウキが銃床で殴打され、地面に引き倒される。ギニーとアリサも動こうとするが、それよりも早く銃を突き付けられていた。リーファは唖然とした様子で、イリアの足に穿たれた弾痕を見ていた。

 倒れたイリアを引き摺るようにして、特務兵の一人は通用路の奥に消えていく。他のクルーも、小さな抵抗はあったが同じように連れて行かれた。悲痛な表情を浮かべたトワも、同じように引っ張られていく。強引に連れられながら、トワは最後にこちらを見ていた。その目が揺れていたのを、確かに見たのだ。

 一人残った特務兵が、こちらを一瞥して通信機器のスイッチを切った。今まで話していたのはあいつだ。それが分かった所で、どうしようもないけれど。

 その背中が通用路に消えていくのを、空っぽになった頭で見ていた。いや、元から空だったのかも知れない。もう、何も考えられなかった。

『繋がった、状況は!』

 通信システムが立ち上がり、《アマデウス》とのリンクが回復したことを知らせる。ミユリの声だ。

「トワを連れて、ノヴェンバー・コミュニティの奥に向かって。多分、街に逃げました」

 生身で追えば太刀打ち出来ず、《カムラッド》で追えば街が火の海になる。

『退いたか。なら、リオはこっちに戻れ。《アマデウス》で一旦ここを離れる』

「でも、《アマデウス》は」

 全てのシステムが初期化され、動けない筈だ。

『特務兵に《アマデウス》を捨てさせる為の、イリアとクストの隠し球だよ。バックアップで最低限は動く。また特務兵の連中が人質だとか言い出す前に、私達はここから離れる。まずはそこからだ』

 イリアの名前を聞き、足を撃ち抜かれていたその姿が脳裏に浮かぶ。イリアが危険を冒してまで、伝えたかった情報だ。

「……了解、戻ります。それと」

 その短い言葉を胸中で反復する。

「エリル機に発信器、そうイリアさんは言ってました」

 それだけ伝えると、《カムラッド》を操縦して《アマデウス》の下部ハッチを潜り抜ける。見慣れた格納庫には、ミユリだけが残っていた。クストとエリルは、恐らくブリッジだろう。

『発信器か、調べてみる。リオも《カムラッド》を固定してブリッジに向かってくれ。元々少人数なのが、今や四人だ』

 自嘲気味なミユリの言葉に、笑って返そうとするが出来る筈もない。《カムラッド》を所定の位置まで動かし、格納庫に固定する。

「向かいますよ、直ぐに」

 そう答え、《カムラッド》のシステムを落とした。ウインドウが消え、暗闇で何も見えなくなる。ハッチ開閉用のスイッチが赤く点灯し、それを押すように促していた。そのスイッチに指を置き、それを押した少女のことを思い出す。

 その手を離したくはなかった。簡単なことではないのだ。《アマデウス》は、今やどこにも属さぬ非正規部隊に過ぎない。国を、世界を敵に回した。今手を離してしまえば、もう二度と会えないと。そんなこと、分かっていた筈なのに。

 暗闇の中に少女の影を探すが、輪郭すら捉えることは出来ない。スイッチを押し、ハッチを開放する。暗闇が割れ、格納庫の光が差し込んできた。

 それはいつもと変わらない、戦いの終わりを告げる光景だったが。もう、そこに求める日常はなかった。

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