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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「照影と際涯」
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避けられぬ決意


 if《カムラッド》の操縦席で、リオは気持ちの悪い胸騒ぎを覚えていた。ミユリと別れて格納庫を後にしたものの、通用路を歩いている時にそれを感じたのだ。何か不吉なことが起きようとしている。選択を間違えれば一生後悔するような事象が、すぐそこに迫っているのかも知れない。

 自室へ戻って準備をするつもりだったが、その気持ち悪さは無視出来なかった。どうすべきか考え、そのまま格納庫へ引き返したのだ。嫌だろうが何だろうが、今の自分が何かに対抗するにはこれしかない。

 そうして格納庫へ到着した瞬間、《アマデウス》の照明は消えた。非常灯の覚束ない光源に照らされて、やはり良くないことが起きているのだと確信したのだ。

 そうして今に至る。整備を終えたばかりの《カムラッド》に乗り込み、状況を把握しようと試行錯誤を重ねている。

「通信システムだけの話じゃない。BSとのリンクも全部消えているなんて。ミユリさん、そっちはどうです?」

 電子キーボードを操作しながらミユリへ問い掛ける。ウインドウの端には、再起動させたコンソールを操作しているミユリが見えた。今の自分と同じように、ミユリもあらゆる手を尽くしてこの状況を調べている。

 ミユリと通信出来ているのは、ミユリの個人端末とifを直接接続したらしい。ミユリはヘッドセットを付けており、それを通して話をしている。

『リオの言う通りだな。《アマデウス》のシステム自体が丸ごと消去されてる。うまく接地してるとこを見ると、安全装置は動いてるんだな。外部は愚か内部すらどうなってるのか分からん。だが、答えは出ているようなもんだろ』

 ミユリの言う通りだった。何一つ分からない状況だが、その原因は内部にある。

「特務兵、ですか。また《アマデウス》を確保しようと」

 特務兵の数は八名だ。それが全員解き放たれたとなれば、状況は最悪と言える。

「……宇宙に放り出しておけば良かったのに」

 小さな声で人でなしの悪態を吐く。後生大事に守る必要などなかったのだ。結果、こうして恩を仇で返されている。

『《アマデウス》を確保されそうになったから、イリアがシステムを潰したのかもな。《アマデウス》は高価な鉄塊になった。確保しても意味がない。となると、特務兵の狙いはトワ嬢だ。艦内でさらって、ノヴェンバー・コミュニティへ逃げて足を探す。実質そんなとこだろう』

 じりと脳裏が焼ける。そんな結末は許容出来ない。

『だから、今出来るのはこうして格納庫で睨みを利かせることぐらいだ。お前が《カムラッド》で居座ってれば、奴等もおいそれとは入ってこれない』

 分かっている。だからこそ、こうして《カムラッド》に乗っているのだ。自分が生身で飛び出しても、何も出来ないと知っているから。

「容赦はしません。これ以上掻き混ぜられてたまるか」

 吐き捨てるようにそう言い、ハンドグリップにあるトリガーを一瞥する。《カムラッド》の右手にはタービュランス短機関銃が装備されていた。とりあえず武器をと掴んだ物だが、これは対人用ではない。対if用の鉄鋼弾を人間相手に撃てば、随分と凄惨な光景になるだろう。

 そんなことはしたくない。だが、脳裏の焦げ付いた部分が正常な判断を奪おうとしている。一人を血煙に変えてやれば、それで大人しくなるのではないか、と。仮に大人しくならなかったとしても、順当に血煙に変えていけばいい。八名を無力化するまでに、弾倉一つでお釣りがくる。自分にはそれが造作もなく出来るだろうし、それが一番手っ取り早い解決方法だと分かっている。

「……くそ、黙れよ。また地獄を作るつもりなのか、僕は」

 頭を振ってその考えを振り払う。その考えに従った先の光景を、自分はもう知っている。繰り返してはいけない。

 それこそ、地獄は際限なく広がる。八名の特務兵を殺せばそれで終わり、そんなことにはならない。その八名を殺すまでに、倍数以上を殺すのが実際だ。あの時作り出した地獄と同じ物が、このノヴェンバー・コミュニティに襲い掛かる。

『リオ、お前の考えてることは何となく分かる。今はそれでいい。特務兵の奴等に、下手をしたらセクションごと潰されかねないと思わせれば充分以上だ。奴等がそれで引いてくれれば、こっちはさっさと逃げればいい』

 ミユリの言いたいことも分かるが、そう簡単に引いてくれる相手だとも思えなかった。無言のまま格納庫を見渡し、不吉な未来を忘れようとする。

 その目が白い人影を捉え、胸の重石が幾つか消えていく。

「トワ、無事だったんだ」

 格納庫に駆け込んできたトワは、ミユリを見つけると近付き、慌てた様子で何かを喋っている。ここからでは聞き取れない。

「ミユリさん、トワは何て」

 そう問い掛けると、少し間を置いてからミユリは答えた。

『予想は的中、特務兵の奴等が動いてる。トワ嬢とアリサは途中で合流したらしいが、アリサはその場に残った。時間稼ぎって奴だろう。無事だと良いんだが』

 その答えを聞いて、また熱が込み上げてくる。

「無事でなければ困ります。もう、沢山だ」

 好き勝手に荒らしていく特務兵に苛立ち、何も出来ない自分にも苛立つ。

 ぐつぐつと煮えたぎっていく頭は、あの時と何も変わりはしない。焦土と化した頭の中も、胸中に燻る業火も消えはしない。悪魔がまた地獄を振り撒きにやってくるのなら、自分も悪魔になるしかない。結局自分は、あの時から何一つとして変わっていないのだ。

 ふと視線を感じ、ウインドウの端を見た。ミユリが慌ただしくコンソールを操作しているその横で、白い少女はじっとこちらを見ていた。

 白い少女は、トワは何も言わない。何も言わず、じっとこちらを見詰めている。

 その姿が、通用路ですれ違った時と違うことに、今更ながら気付いた。いつものTシャツにショートパンツ姿ではない。その服装は、とても懐かしい物だった。

 ボディラインが強調される黒のカットソー、その上には白のポンチョ風コートを羽織っている。スカートにも見えるチェック柄のショートパンツを、細めのエナメルベルトで固定していた。膝上まで覆った黒のソックスに、少しヒールのあるベージュのブーティを履いている。

 そう、その姿は。今でもはっきりと思い出せる。一緒にガーデンブルーを歩いた、あの時の服装だ。カットソーはショートパンツから出てしまっているし、ソックスは左右で少し長さがずれているし、ちょっと寝癖が残っているけれど。

 トワはあの時と同じように、一緒に歩こうとしてくれている。

「聞いていてくれたんだ、僕の話」

 業火のような熱ではない。仄かに温かい熱が、胸中をさっと染めていく。

 ノヴェンバー・コミュニティについたら、また一緒に出掛けようと。返事も聞かずに逃げてしまったけれど、トワはちゃんと聞いていてくれたのだ。

 左手の薬指にあるエンゲージリングに視線を落とすと、不思議と落ち着くことができた。何も解決していないが、少なくともまだ人間でいられている。まだ、悪魔に成り下がらずに済んでいる。

 ウインドウの端に映ったトワが唐突に振り返った。釣られてその方向を見るが、ここからでは格納庫の出入り口が見えるだけで何も分からない。

『銃撃音。誰かが外で応戦してる』

 ミユリの簡素な報告を受け、唇を噛み締める。クルーの誰かが、今そこで撃たれているかも知れないのに。

「特務兵をこっちに誘き寄せれば、制圧できます」

 考えつく対処法はそれぐらいだった。特務兵の狙いが格納庫なら、応戦しているクルーを下がらせればいい。格納庫にさえ入ってきてしまえば、脅しつけて確保する。

『それを伝える方法がないんだ。今、通信システムだけでも復旧させようとしているが。知ってるだろ、艦内放送は愚か、PDAの個人通信も《アマデウス》とのリンクを通して使ってたんだ』

「それはいつ出来るんです?」

『何もない中、一からプログラムしてる。最短でも数分くれ。本音を言えば一時間は欲しいが、そうも言ってられないだろうしな』

 数分、戦場では長い時間だ。とどのつまり、何も出来ない。今格納庫の外でクルーが撃ち殺されていても、自分は何も出来ないのだ。

 格納庫の出入り口を睨み付け、やれることを考える。今まで散々思い付いていた筈の最適解が、まったく浮かんでこない。何をするにも、この格納庫は狭すぎるのだ。ifに乗っている限り、何も出来ない。だが、ifを降りたら自分は無力だ。

「あれは」

 自分の不甲斐なさを唇と共に噛み締めていると、出入り口に駆け込んでくる人影が見えた。クストとエリルの二人で、後方を警戒しながら格納庫に入ってきた。

 二人はミユリを見つけると傍に寄り、何かを話している。ミユリは話をしながらこちらを指差した。クストとエリルは、それを見て頷いている。もしかしたら、こちらに気付いていなかったのかも知れない。トワは、初めからこちらに気付いていたようだけど。

『状況は大分掴めたぞ。最悪だってことは変わらないが』

 ミユリはコンソールを弄るのをやめ、それにひょいと腰掛けた。

『ブリッジは制圧された。イリアとリーファがそこに残されてる。で、外の銃撃戦だが。リュウキとギニーが残っているらしい。ギニーは負傷してるし、他のクルーもどうなってるか分からん』

「じゃあ、今ここにいない人達はみんな」

『ああ。イリア、リーファ、リュウキ、ギニー、それにアリサ。全員特務兵の手に落ちた。ここにいる私達だけで、何とかしなきゃいけない』

 今格納庫にいるのは五人だけ。自分とトワ、ミユリ、クスト、エリルの五人だ。

『銃撃音も止んだな。特務兵が動く前に、打開策を考えないと』

 しかし、ウインドウに映る四人は何かを話している様子はない。皆一様に押し黙り、難しい顔をしている。唯一、トワだけが心配そうに皆を見渡し、そしてこちらを見上げていた。

 打開策など何も浮かびはしない。自分もそうだし、皆もそうなのだろう。

 暫くして、ぽつぽつとクストが話し始めた。声は聞き取れないが、その表情は暗い。その話を聞いていたミユリが、小さく首を振る。

 打開策など何も浮かびはしない。ありとあらゆる手を尽くしても、ここから逃げ延びることすら難しい。

 宇宙という牢獄は、人の身で逃げるにはあまりに広い。ifの航続距離では、どこにも行けずにバッテリーが切れる。後は、惰性で宇宙を漂うだけだろう。

 現実的な案は何一つ出ず、希望を示唆する者もいない。全員が再び押し黙ってしまった時、ifの通信システムが起動した。

「え、でも」

 ミユリは手を止めている。ミユリが復旧させた訳ではない。つまり。

『……if操縦兵、聞こえるか。情報通りならリオ・バネット特例准士か?』

 冷たい声色が、無遠慮に操縦席に響いた。《アマデウス》の通信システムを介した通信だ。

『返答をしろ。確保しているクルーは人質として扱っている。撃たないと話は出来ないのか?』

 間違いない、特務兵の連中だ。確保、クルー、人質、撃つ、聞きたくなかった単語が次々と出てくる。

「……聞こえてる」

 振り絞るように答え、ハンドグリップを握り締める。

『この通信が全員に聞こえるように設定しろ』

 どこまでも冷たく、有無を言わせない口調だった。通信システムの設定を変え、外部スピーカーと連動させる。宇宙空間ではまず使わない装備だ。

「設定した。あんた達は何がしたいんだ?」

 特務兵は質問には答えず、代わりに咳払いを寄越した。

『要求は簡単だ。ターゲットの少女を連れて外に出ろ。そのifを使って構わない。他のクルーは格納庫にいろ。リオ・バネット特例准士、お前がその少女を連れて来い』

 操縦席と格納庫に、特務兵の声が残響していく。話し合っていたクルーは何事かとこちらを見上げている。

『尚、要求に従わない場合、人質の安全は保障しない。六十秒後に動きがない場合、要求破棄と見なして人質は処分する。以上』

 通信システムは再び沈黙し、静寂がその場を支配した。先程とは違う、切迫した重い静寂が。

 《アマデウス》の確保は諦め、トワを確保することを選んだのだ。従わなければクルーの命はないと、そう言っていた。猶予は六十秒、考える暇も与えてくれない。

 打開策など何も浮かびはしない。行動しなければクルーは殺される。だが、行動すればトワは確保される。その後に、全員解放される保証はないのだ。

 そんな中、ウインドウの端に映っているトワが、ミユリのヘッドセットをぱしと奪った。見様見真似でそれを付け、真っ直ぐとこちらを見上げる。

 駄目だ。その選択を享受できないから、必死に考えているのに。

『リオ。私を、連れて行って』

 迷いも恐れもせず、そうトワは言ったのだ。

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