ステイル・メイト
あらすじ
すれ違いながらも、少年と少女は少しずつその手を伸ばそうとしていた。だが、小さな手が結ばれるその前に。
歯車は、冷酷にも回り始めてしまったのだ。
《アマデウス》ブリッジにて、イリアは艦長席に座ってモニターを見ていた。ノヴェンバー・コミュニティに入港した所だが、やけに閑散としている。一般客用ではなく、業者用の港を指定したのは確かだったが。それにしても静かすぎる。
港へ品を運び入れている筈の船は見当たらない。それどころか、ノヴェンバー・コミュニティのスタッフすら見当たらなかった。ここには誰もいない。
「ノヴェンバー・コミュニティ到着、っと。ガイド起動して停泊するぞ」
リュウキがそう言って、《アマデウス》を接地させようとシステムを立ち上げていく。
イリアの中で、小さな違和感が燻っていた。何かを見逃している。この局面で、何かとんでもない思い違いをしている。しかし、その正体が分からない。
「……待って。停泊中止、ガイド切って、いつでも動けるようにして」
イリアはまずそれだけ指示した。違和感の正体は分からないままだが、このまま状況を流すわけにはいかない。
リュウキは急ぎ操舵システムを通常に戻し、《アマデウス》を港の上で滞空させた。
「どうしたの、イリア。いつもの嫌な予感?」
クストが平静を装ってそう聞いてくる。聞きながらも様々な情報を横目で確認し、思考を合わせようとしてくれていた。
「違う、分からないの。状況がはっきり見えない。でも」
「このままじゃ致命的ってことね。ノヴェンバー・コミュニティが裏切ったとか?」
裏切った、とは違う。何か別の意思が、無理矢理割り込んでいるような。そんな印象を受ける。
「H・R・G・Eが動いた?」
それも違う。むしろ、H・R・G・Eでさえも静かに感じる。明らかにおかしい。
「AGSが追い付いた?」
追いつける筈がない。形振り構わず追尾して、ようやく追いつけるといった状況なのに。ここまで気付かないというのはあり得ない。
「……特務兵」
イリアはそう呟いていた。残された要素はそこしかない。
「特務兵の状態は? モニターしてるよね」
「何の異常もないわ。ほら」
クストがそう言って、投影モニターに映像を出した。特務兵を拘束している部屋の映像だ。確かに異常は見受けられず、不穏な音声も拾っていない。
「さすがに勘違い、とか?」
そうギニーが控えめに問いかける。
「だったらいいけどよ。そんなことないだろ実際。とりあえず銃でも用意しとくか?」
そうリュウキが返し、最後はイリアに向けて聞いた。
分からない。分からないが、違和感はこの映像からも感じていた。そう、静かすぎるのだ。動きも少ない。詳しい事は何一つ分からないが、特務兵が動いている。そう考えるのが妥当だった。
イリアが指示を出そうと息を吸い込んだ瞬間、自動扉の開く音が聞こえた。その無機質な音がもたらす結果を、イリアはもう分かっていた。少しばかり、遅かったようだけど。
クストは立ち上がり掛けた姿勢のまま特務兵を睨み付けている。リュウキは押し黙ったまま特務兵の位置を確認していた。ギニーも同じく、不安が顔に出ているが機会を窺っている。リーファは特務兵の持っているカービン銃を見て、唖然としているようだ。
リーファはともかく、他三人は動ける。
「全員コンソールから手を離せ。抵抗はやめてくれ。不穏な動きがあれば撃つ」
イリアは肩越しに振り返り、その侵入者達を見た。足音も立てずに、四名の特務兵がブリッジへ入るところだった。扉の開閉音がなければ、そもそも気付けなかったかも知れない。
特務兵は全員武装しており、その殆どは押収した装備だ。保管庫を破られたということであり、事態は予想以上に深刻だと分かった。
「《アマデウス》のシステムはもう掌握したってことかな? 警報もならないし」
特務兵は何も答えず、持っているカービン銃で床を指した。
「イリア・レイス、そこの床にゆっくりと伏せろ」
イリアは内心で歯噛みする。警戒されているということだ。
「……まあ、妥当だよね」
イリアは緩慢な動作で艦長席を立つと、両手を見えるように挙げた。
「とちって撃たないでよ」
イリアはそう釘を刺し、特務兵四人の意識がこちらに集中する瞬間を作り出した。その機会を見計らって、イリアは艦長席を蹴飛ばすように降りる。静からの動、突然の動きに、特務兵は全員カービン銃を構えた。
銃口が一斉に向けられ、収束する殺気が肌を刺す。イリアは床に降りると、不思議そうにその銃口を睥睨した。
「降りろって言うから降りたのに、ちょっと物騒じゃない?」
イリアはそう言って微笑む。自分でやっても良かったが、警戒されていては仕方がない。何も、このブリッジにいるのは私だけではないのだ。
全てのコンソールが光を失い、投影モニターも掻き消えていく。照明が明滅し、一瞬だけ暗闇が支配する。すぐに非常灯が点くが、異常はそれだけではない。
がくりと《アマデウス》が傾き、高度を急速に下げていく。自分の身体だけ中空に取り残されていくような気持ち悪さは、タガの外れたエレベーターを連想させるだろう。事実、そこにいた特務兵は全員物に掴まり、来るだろう衝撃に備えていた。
《アマデウス》のメインシステムは特務兵に掌握されていた。どんなクラッキングを行ったのかは分からないが、それはシステムが健在だからこそ意味がある。
今やったのは、前回と同じことだ。《アマデウス》のメインシステムを初期化したのだ。イリアが注意を引き付け、生じた隙でクストが動いた。
だが、まだ状況は終わっていない。落下という要素が特務兵の動きを縛り付けている内に、行動しなければならない。
イリアはよろめきながらも艦長席に飛びつき、ぶら下げてあったホルスターを掠め取った。入っているのはP16自動拳銃と予備弾倉、それに緊急時用の隠し球だ。
一人の特務兵がその動きに気付き、カービン銃を片手で保持して向けようとしていた。先んじてイリアが動く。艦長席に飛びついた勢いのまま、それを軸に回転しカービン銃を蹴り上げる。そのままゴーグルの付いた頭にも蹴りをお見舞いし、ようやっと床に足を付けた。
他の特務兵が動く前に、イリアはホルスターに入っている隠し球を取り出した。円錐状の物体にピンが取り付けられている。何てことはない普通の煙幕弾、スモークグレネードという代物だ。ピンを抜けば、大量の煙幕で視界を遮ることができる。
軍用の電子ゴーグルを装備した相手には、数秒しか意味はないが。その数秒で状況をひっくり返す。イリアはピンを抜くと、足下にそのスモークグレネードを落とした。それは傾いた床で回転しながら、黒色の煙を吹き出していく。凄まじい勢いで煙がブリッジに広がり、何も見えなくなる。
イリアは、出入り口にいた特務兵の一人に当たりを付け駆け出す。何も見えなかったが、特務兵はその場所から動けていない筈だ。位置が変わっていないのならば、頭に思い描いた図面通りに動けばいい。
思い描いた通りの場所に人影がうっすらと見え、イリアはにやと微笑む。そしてその無防備な身体に、勢いよく肘を叩き込んだ。ぐらついた影を掴み、背負い投げの要領で床に叩き付ける。抵抗する影のカービン銃を蹴り付けて弾き飛ばし、しゃがみ込むようにしてその首に膝をあてがう。このまま体重を掛ければ締め落とせるが、今は時間が稼げればいい。
イリアはP16自動拳銃を右手で構えると、天井に向け一発撃った。他のクルーへの合図だ。出入り口の確保と音による誘導で、何とかここまで逃げてきて貰えれば。状況はひっくり返せる。
煙幕の中を影が動く。読み通り、みんなは動いてくれている。クストとリュウキはそれぞれ銃を構えて特務兵を警戒しているようだ。ギニーはリーファを抱きかかえて動いている。リーファは身体が動かなかったのだろう。無理もない。
イリアは頭の中でずっと数えておいた数字から、衝突の瞬間が迫っていることを知った。《アマデウス》は今尚降下を続けており、このままでは地面に衝突する。その事実があるからこそ、ここまで優位に立てたのだ。だから、これが最後の機会だった。衝突の後は、特務兵にとって有利な状況となる。
「全員備えて! 落ちるよ!」
イリアはそう指示を出した。薄れかけた煙幕の向こうで、特務兵が慌てて近場にある物を掴むのが見えた。しかし、その指示を合図にクルー達は更に駆け出す。一つしかない出入り口へ、クスト、リュウキが辿り着いて銃を特務兵に向ける。ギニーと抱えられたままのリーファが、少し遅れる形で出入り口に辿り着く。
「……ブラフだ。発砲許可、逃すな!」
特務兵の一人がそう叫ぶ。気付かれてしまったと、イリアは唇を噛む。もう少し粘れると思っていたのだが。
特務兵が言った通り、降下はブラフだ。正確には、降下はしても激突しない。最低限の安全装置が働けば、問題なく接地出来るのだ。システムのリセットにより、安全装置も使えないだろうと思わせ、判断力が鈍っている内に行動する。あの状況で出来ることはそれぐらいだった。
動ける特務兵は三名だけだが、全員がカービン銃を構え逃げようとする背中を狙う。あと数瞬でも稼げればいい。
イリアは立ち上がり、P16自動拳銃を立て続けに発砲する。残弾を全て注ぎ込んで、カービン銃、その銃身を狙った。端から見れば、P16自動拳銃を横に振ったように見えるだろう。三箇所を同時に狙い撃つ、教本にはないやり方だ。
狙いを違える筈もない。カービン銃から吐き出される弾丸の軌道が僅かにずれ、壁や床に着弾の火花を走らせる。数瞬は稼いだ。後は通用路に逃げ、ゲートを手動で強制封鎖すればいい。直ぐに破られるだろうが、射線は遮れる。
そうイリアが考え、通用路に向かおうとした瞬間だった。
「つ!」
ギニーの押し殺したような声が聞こえ、イリアの思考はぴたと止まってしまった。後は手動でゲートを閉め、通用路側に滑り込むだけで良かったのに。
イリアの視界には背中から血を流してきりもみするギニーの姿と、投げ出されたリーファの姿が見えた。ギニーの傷がどうなっているのかは、倒れている為見えない。そして、本当に都合の悪いことに、リーファはイリアの傍に転がってきた。
「あ……」
リーファの小さな悲鳴が、状況を雄弁に語っていた。
ブリッジには特務兵三名が、銃を構え直して発砲しようとしている。拘束していた一名も、そろそろ復帰するだろう。計四名の銃火を凌ぐ術はもうない。通用路には、クスト、リュウキ、撃たれたギニーが残っている。
「ごめん」
イリアは手動でゲートを強制封鎖し、唯一の逃げ道を失った。
選べる物はそう多くはなかった。すぐにゲートを閉めなければ、通用路に逃げたクルーは銃撃にさらされる。自分一人であれば閉まるゲートを潜り、逃げることも出来たのだが。リーファは今動けないだろうし、動けたとしてもそんな芸当は出来ない。
だから、選べる選択肢は二つ。リーファを置いて逃げるか、ここにリーファと共に残るかだ。
「まあ、それはあんまりだよね」
イリアは呟き、スライドの後退したP16自動拳銃を床に投げ捨てる。
「それは降服と見て相違ないか?」
特務兵四人が向けるカービン銃をちらと見て、イリアは両手を挙げる。
「うん。もうやれることもないし。ていうか、撃たなかったんだ」
特務兵は無言のまま近寄ると、イリアを後ろ手に拘束する。結束バンドで両手の手首と親指を固定された。これではまず抜け出せない。
「そっちの少女はいい」
同じようにリーファを拘束しようとしていたが、特務兵の一人が制止した。恐らく分隊長だろう。多少は気遣ってくれるようだ。
「アルファ2は私とここで残る。3と4は奴等を追え」
分隊長だろう男が指示を出し、特務兵は無言で従う。
「抵抗はするな。できれば子どもは撃ちたくない」
男はイリアに向かってそう言い、ちらとリーファを見る。おかしな動きをしたら、リーファを撃つと言外に言っている。やっぱりろくでなしの部類だった。
「もう撃ったくせに」
イリアはそう呟く。アストラルのことだ。ついさっきギニーも撃たれた。
「できれば、と言った」
男の一言はどこまでも冷たく、イリアは溜息をついてリーファに向き直った。
「大丈夫、リーファちゃんが撃たれるようなことはしないから」
リーファはこくりと頷くも、無言のまま顔を伏せてしまった。無理もない。十四歳の少女にとって、この空気は耐え難いものだろう。
まだこちらを警戒している。特務兵の様子からイリアはそう考え、内心で自嘲した。本当に、もう自分がやれることはないのだ。ここから逃れたクルーと、艦内で戦っているだろうクルーに期待するしかない。
少なくとも、今は。イリアは目を瞑り、少ない情報から次の一手を紡ぎ出す為に集中する。状況は必ず動く。動いたその時に、まだやれることがある。
そう、だから。イリアの戦いは、まだ終わってはいないのだ。




