痛みの在処
トワの操縦する《プレア》は、《フェザーランス》へ向けて直進していた。蒼く染まった装甲と、二対のウイングバインダーから生じる蒼い燐光が、空間に淡い尾を引いている。両腕に括り付けられた小盾のような装備、イグニセルは左右にスライドしており、断続的に《フェザーランス》へ向けて粒子砲が放たれていた。
無茶をしていないと言えば嘘になる。トワは呼吸を整え、それでも動く分には何の問題もないと判断した。《プレア》にしてもそうだ。充分に戦える。
《フェザーランス》から、新たに黒塗りの《カムラッド》二機が迎撃の為に出撃していた。防衛に戻ってきた二機と合わせ、計四機の黒塗りの《カムラッド》が《プレア》を包囲しようと動く。
トワは自分の邪魔をするそれらを一瞥し、殺意の奔流が到達する前に《プレア》を加速させる。その直後に、黒塗りの《カムラッド》のガトリング砲が弾丸を吐き出していく。四方を囲み、ガトリング砲による斉射で逃げ場を無くすつもりだろう。
トワは適当な一機に当たりを付け、《プレア》と同義となった身体を動かす。複雑な軌道を描きながら、一気に《プレア》は至近距離へ飛び込んでいく。
ガトリング砲の火線など初めから気にもしない。《プレア》が目の前に飛び込んで、ようやく黒塗りの《カムラッド》は回避しようと動き始めた。その隙だらけの胴体に。
通り過ぎ様に右腕の装備、イグニセルを使用する。粒子剣を形成すると同時に、無造作に斬り払った。その粒子剣は横一文字の斬撃軌道を描き、圧倒的な熱量で目標を溶断する。真っ二つになって燻る黒塗りの《カムラッド》は、数瞬後に火球へと転じた。
残るは三機だ。黒塗りの《カムラッド》は相も変わらずガトリング砲による牽制と的中を狙っているが、そもそも速度が違う。幾重にも張り巡らされた火線を、文字通り振り解くように《プレア》が回避機動を繰り返す。
「……あんな思いはもう嫌。邪魔をしないで」
トワは呟き、三機の機影をじろと睨む。《プレア》が回避と同時に両腕のイグニセルを展開、粒子砲を放つ。黒塗りの《カムラッド》はその粒子砲を際どいところで避け、ガトリング砲での反撃を行う。
「これでダメなら……」
《プレア》が回避機動をやめ、再び至近距離に飛び込もうと加速を始める。蒼い燐光が瞬きながら飛来する様は、まさに雷光を思わせる。その軌道も速度も、黒塗りの《カムラッド》から見たら等しく瞬間でしかない。
敵の至近へ滑り込んだ《プレア》の内で、トワは大きく息を吐く。身体が悲鳴を上げているのは分かっていたが、あの苦しみに比べたらそんなものなど。この痛みは苦痛ではない、ただ痛いだけだ。
「……近付けば良いんでしょ」
吐き捨てるように告げ、トワは目の前に迫った黒塗りの《カムラッド》だけを見据える。速度を殺さぬまま《プレア》は両腕を交差させ、イグニセルから粒子剣を形成する。回避も防御も間に合わない。《プレア》は交差した両腕を開くように、その粒子剣を振り抜いた。X字の斬撃軌道が黒塗りの《カムラッド》を捉え、溶断された破片がそれぞれ火球へと変わる。残ったのは二機だけ。
《プレア》は粒子剣を振り抜いた勢いのまま身を翻し、背後に回り込もうとしていた黒塗りの《カムラッド》へと右腕のイグニセルを向ける。悔し紛れに火を吹くガトリング砲とその弾丸を、粒子砲でまとめて狙い撃つ。溶解したガトリング砲と同じく、その持ち主である黒塗りの《カムラッド》も高熱に炙られていた。右半身は完全に溶け、操縦席がある胴体部もぐずぐずに爛れている。残り一機となった。
最後の一機となった黒塗りの《カムラッド》は、それでもガトリング砲を撃ちながら距離を取ろうとしている。一丁でも圧倒的な弾幕を誇るガトリング砲は、今この状況では寒々しく見える。あまりに頼りない。
《プレア》はその弾丸の雨を悠々と避け、両腕のイグニセルによる粒子砲撃を放つ。黒塗りの《カムラッド》はガトリング砲の掃射をやめ、回避に徹した。攻撃の隙を狙えれば良いのだが、回避に専念されると当てるのは難しい。
「ああもう」
トワは短く悪態を吐くと、ふらふらと回避を繰り返す黒塗りの《カムラッド》へ向けて、《プレア》を一直線に飛来させる。黒塗りの《カムラッド》は、ガトリング砲による反撃もせず、ただひたすらに距離を取ろうと逃げ回っていた。
しかし、所詮は悪足掻きに過ぎない。いよいよ背を向けて逃げ始めた黒塗りの《カムラッド》へ充分に接近し、《プレア》は右腕のイグニセルで粒子剣を形成する。左上から右下へ向けて、袈裟の斬撃軌道を描いて粒子剣を振り抜いた。
「え……?」
トワが小さく疑問の声を上げる。掠めただけでも致命傷を負うその粒子剣は、確かに黒塗りの《カムラッド》の背を袈裟に斬った。
タイミングを完璧に読んだ黒塗りの《カムラッド》は、振り返ると同時にガトリング砲を投げ付けていた。《プレア》が振り抜いたイグニセル粒子剣はそのガトリング砲を斬り払い、その爆発で視界が潰された瞬間だった。
黒塗りの《カムラッド》は素早く距離を詰め、ダガーナイフを抜いて構える。火球から突如現れた……少なくともトワにはそのように見え、訳が分からずに呆けてしまった。その致命的な隙を、敵が逃す筈もない。
黒塗りの《カムラッド》が構えているダガーナイフは、最小限の動作、即ち突き貫く斬撃軌道を描いて《プレア》に迫る。交差気味に繰り出される最速の刺突は、幾ら《プレア》の機動性が高いといっても避ける事は出来ない。
ここで何も守れずに終わる。それは享受できないから。迫り来る刃を前に、トワは理解しようとする事をやめた。考える事をやめ、目の前の凶刃にだけ意識を向ける。
両腕のイグニセルでは間に合わない。回避も出来ないのならば、一撃は受けるしかない。《プレア》は更に加速し、自らダガーナイフの刺突を受けにいった。真正面から飛び込んだ《プレア》の左肩に、深々とダガーナイフが突き刺さる。
そのダガーナイフを、《プレア》の右手が握り締めた。本来なら意味など無い。黒塗りの《カムラッド》は冷静にダガーナイフを引き抜き、今度こそ操縦席目掛け刃を滑り込ませれば良いのだから。しかし、黒塗りの《カムラッド》は微動だにせず、宇宙の中心で二機の機体はただ向かい合っていた。
トワは何も言わずに、冷え切った視線を向けている。黒塗りの《カムラッド》に、ではない。その胴体、奥にいるだろう人を見据え、赤い虹彩に染まった瞳をじろと向けている。
「入った」
トワは小さく呟き、その力が思うように突き刺さった事を実感した。なぜもどうしてもない。一切合切の思考を捨てれば、後にはこれが残る。それだけの話だった。
黒塗りの《カムラッド》はダガーナイフから手を離し、弾けるように逃げ出す。その動きには、今までの計算された回避機動は感じられない。ただただ目の前の恐怖から逃げようとばたついているだけに見える。実際そうなのだろう。
「さよなら」
トワはそう告げると、その場で《プレア》の右腕を突き出す。イグニセル粒子砲が照射され、愚直に逃げ惑う黒塗りの《カムラッド》を貫いた。胴体に大穴が空き、ぐずぐずに焼け爛れた後に火球へと変わっていく。《プレア》の左肩に突き刺さったダガーナイフを引き抜き、火球に変わった持ち主に投げ付けて返す。これで四機全て片付いた。
後は《フェザーランス》を沈めればいい。そうすれば、一先ずは安全になる。そうトワは判断し、《フェザーランス》の方へ視線を向けた。
「……遠い」
《フェザーランス》は黒煙を吹きながらも航行を続けていた。最後の一機が逃げ回ったせいだろう、その位置は遠く、イグニセルの有効射程を超えている。
「あれをもう一回使えば」
トワは呟き、《プレア》の両腕を遙か遠くの目標、《フェザーランス》に向けた。普通に撃っても効果は望めないが、最大出力なら貫ける。一番初めに行った、《フェザーランス》の粒子砲を防いだ時と同じように撃てばいい。頭痛と吐き気は酷くなるだろうが、構わない。これ以上邪魔をされたら、どうなるか分からない。
トワの脳裏に彼女の最期が浮かび、あの苦痛がまたぞろやってくる。どうなるか分からない。あんな思いは二度と御免だった。誰がいつ死んでしまうかなんて分からないのだろうけど。原因があるなら先んじて潰す。今は、あの黒塗りがその原因だと分かっているから。
トワが意識を研ぎ澄ませ、全てを焼き払おうと両腕に力を籠めた瞬間だった。ぴりとした雑音が思考に染みを付ける。トワは、《プレア》だった身体が一息に縮んだように思えた。ただの錯覚だ、実際に縮んだ訳ではない。《プレア》の操縦席に腰掛けた、自分自身の身体に意識が戻ってしまったのだ。
「……はあ、は」
トワは荒い呼吸を繰り返したが、心臓は暴れたままだった。小さな胸を食い破るつもりなのか、心臓はまるで別の意思を持っているかのように鼓動を繰り返している。
あれを使った代償がこれだった。それでも、何も出来ず傍観するよりはいい。
『……トワさん! 返事をして下さい! 聞こえないんですか!』
自分の心音しか聞こえない耳に、幼い声が飛び込んできた。トワは呼吸を整え、舌まで渇いてしまっている口の中を少しでも潤そうとしたが、唾液すら出てこなかった。汗は嫌という程、肌を伝っているのに。
「ん……はあ、リーファ。どうしたの?」
思っていた以上に掠れた声が出てしまったが、トワは気にせずに操縦に集中しようとする。操縦桿と同義の球体に指を添え、意識を《プレア》に戻そうとした。
『どうしたじゃないです、バイタルサインが……いえ、今はいいです。トワさん、今から撤退します。皆を回収してしまえば、もう戦わなくても』
「大きいのが残ってる。また邪魔しに来るかも知れないから、私は」
トワはそう言うものの、《プレア》は微動だにしない。トワが苛立ちを顕わにして、頭上を見上げる。
「《プレア》、言う事を聞いて。こんな所で止まっている訳にはいかないんだから」
怒気を孕んだ言葉は虚しく消えていくが、多少は伝わったのか。トワは再び《プレア》と意識を重ねた。
「……ああもう」
しかし、それは充分以上の時間だった。《フェザーランス》は視界から消えており、長距離砲撃も追撃も、今からでは不可能だろう。
『だからお願いです、もう戻ってきて下さい。終わりです』
リーファの声が結果を雄弁に語り、トワは《プレア》の目で遙か遠くを睨み付ける。
「やっぱり、もう届かない」
これだけ離れてしまうと、力も使いようがない。トワは溜息を吐き、悲鳴を上げ続ける身体を疎ましく思った。
胸中に燻る不安は消えはしない。心もシャワーを浴びてくれればいいのに。そんな事を考えながら、トワは響き続ける頭痛に顔をしかめた。
※
「……く、はあ!」
唐突に重石が外れた。咽につかえていた何かが綺麗さっぱりに消え、ようやく息を吐き出す事が出来る。リオは上下する肩をちらと見据え、操縦席のシートに身体を預けた。
操縦席、そうだ。今はまだ戦場で、何かやる事があった筈なのだが。見慣れた《カムラッド》の操縦席、光学処理された映像が目の前に映っている。操縦桿、つまりグリップからも手を離し、放心しているようだった。戦場のど真ん中でこれでは、落としてくれと言っているような物だ。
深呼吸を繰り返す。荒れていた呼吸を無理矢理にでも落ち着かせ、状況を把握しなければならない。
グリップを握ろうとして、がちりと何かが当たる。右手の方だ。そういえば、右手が少し痛む。何が起きたのだろう。覚束ない思考のまま、視線を右手に向けた。
「……また、これか」
右手にすっぽりと収まったセリィア自動拳銃の銃口が、グリップに当たってがちがちと音を立てていた。艶の消された黒が震えている様は、何度か見たことがある。初めてトワと出会ったあの遺跡、《プレア》と《イクス》を発見した遺跡、そして今だ。
あの時と同じように、安全装置は解除され初弾も装填してある。ハンマーは起きており、震える指はトリガーに掛かっている。今ここには、吹き飛ばせる相手など誰もいないのに。右手が痛みを覚える程に握り締めているそれを左手で掴み、暴発しないようにハンマーを左手の親指で遮る。トリガーに掛かった指が数ミリでも動けば銃弾が暴れ回る。ハンマーを押さえていないと、本当にそうなりそうだった。
しっかりと左手でハンマーを押さえ込み、セリィア自動拳銃を右手から離そうとする。絡んでいる指は他人の物のように頑なだったが、強引に引き剥がした。
溜息を吐き、自分の意識が正常である事を確認する。少なくとも、今はいつも通りの筈だ。セリィア自動拳銃のハンマーを戻し、安全装置を掛けてからホルスターに納めた。
「やっぱりおかしい」
操縦も出来ず、無意識の内に拳銃まで抜いて放心していた。恐怖の奔流、前後の意識すら曖昧になるぐらい何かが恐ろしかった筈なのに、今はもうそれが何なのか分からなくなっている。まるで夢か幻のようだけど。
それが現実だと知っている。その原因だって知っていた。
「……トワ」
そう、分かっていた筈だと頭の中で嘲笑する。表情は微動だにしなかったが。
分かっていたけれど、考えないようにしていたのだ。考えても答えなど出はしないから。トワが何者であっても、与り知らぬ何かであったとしても、それは些細な事だと信じていたかった。
消え去った恐怖はもう形すら見えないが、そこに何かがあったという染みだけは残っている。染みついた恐怖の影が、佇んだ《プレア》の輪郭に重なって見えた。
残骸の漂う中で《プレア》は、遙か遠方を睥睨しているように見える。逃げていった《フェザーランス》が、まだその目には見えているのだろうか。
『おいリオ。撤退だとさ。大丈夫か? 妙に動きが消極的というか、お前らしくないというか』
リュウキから通信が入り、傍らに近付いていた《カムラッド》に視線を向ける。リュウキの声は純粋に心配しているようだが、その原因は分からないといった様子だった。
「あれを、感じなかったんですか?」
圧倒的な恐怖の奔流、それをリュウキは受けていないのだろうか。
『何のことだ? あー、確かにトワの嬢ちゃんがべらぼうに強いってのは分かったけど。助けて貰ってる側でとやかくは言わないさ』
あっけらかんと答えるリュウキの様子を見るに、あれを感じたのは自分だけなのかも知れない。
「……エリルさんは?」
『早く休みたいです。というのは冗談だとして。私もリュウキと同じです。貴方が何を言っているのかが分からない』
エリルの答えはとどめでしかない。あの恐怖を感じていたのは自分だけだ。
『本当に大丈夫か、リオ。無茶続きだったから、疲れてもおかしくは無いけどさ』
「申し訳ないです、変な事を聞きました」
心配そうに尋ねるリュウキの言葉を、遮るように通信を切る。リュウキの《カムラッド》とエリルの《カムラッド》はこちらを一瞥すると、《アマデウス》へと向かった。
トワの《プレア》も同じように《アマデウス》へ帰路を取っている。その機影がいつか見た悪魔に重なり、見ていられなくて視線を落とす。
こんな筈ではなかった。こんな事は望んではいない。あそこにいる少女は、本当に自分の知っているあの少女なのだろうか。そんな言葉ばかりが滲んでくる。
だから、そう。歪ながらも回っていた歯車が、音を立てて軋んでいくように思えた。




