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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「停滞と滅相」
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ひび割れた心


 まるで何事も無かったかのように時間は過ぎていく筈なのに。そうリオは内心で思っていたが、思っている時点でそうではないのだろう。自分の周りだけ空気が沈殿しているように思え、呼吸さえも重い。

 《アマデウス》格納庫で、リオはフラット・スーツを着用し待機していた。空になったコンテナに寄りかかり、声が掛かるのをただ待っている。格納庫内の重力係数はゼロ・ポイント、無重力に設定されていた。なのに、こうも身体が重いなんて。

 別行動をしているリュウキとの合流地点は、目前に迫っていた。今はその為に待機しており、合流地点到着後にifで出撃する。目的はリュウキ回収の援護、護衛だ。

 とはいえ、ただ下部ハッチから入ってきて貰えば良いだけなのだが。相手の動きが読めない以上、警戒する必要があるという話だろう。こんな状況に追い込まれたのも、予想外の一撃が突き刺さったからだ。カソードCでの事だって、黒塗りのBS、《フェザーランス》が現れなければうまく交渉が纏まっていた。

 交渉が纏まっていれば、或いは。こんな事にはならなかったのかも知れない。

 息苦しさを覚え、ちらと右隣を見る。同じようにコンテナに寄り掛かっているのはトワだったが、まるで別人のように思えた。

 トワはフラット・スーツを着用しており、しっかりとヘルメットも被っている。ヘルメットのバイザー越しにその表情を読み取ろうとするが、果たせずに溜息を吐いた。

 いつもより白く見える肌に、いつもより赤く見える目。薄い唇は一文字に結ばれており、人形という言葉が浮かび上がってくる。その目はどこかを見詰めており、こちらの視線に気付く様子はない。

 視線を落とすと、トワの左手がこちらの右手を掴んでいるのが見える。いつもとは違う。優しく包み込むような熱ではない。フラット・スーツ越しでは温度など伝わらない筈なのに、嫌に熱く、重く感じるのだ。

 カソードCから撤退し、三日が経過した。それは、アストラルが死亡してから三日経過したと言い換える事も出来る。その三日で、トワの表情が分からなくなった。

 出会った頃がそうだったから、元々無表情なのは知っている。でも、あの時は何となく分かったのだ。無表情だとしても、嬉しいのか怒っているのか、哀しいのか楽しんでいるのか。分かっていた筈なのに。

 アストラルの死は、《アマデウス》内に少なからず影響を与えたが。結局自分達は兵士なのだ。場合によっては、生きている知り合いより死んでいる知り合いの方が多い人だっている。言いたくはないし考えもしないが、結局は兵士が一人死んだだけだ。

 だから《アマデウス》のクルーは皆、悲しみはしてもそれを引き摺るような真似はしない。少なくとも表には出さない。

 自分だってそうだ。そのつもりでいたのに。

 トワにとってアストラルの死は、生活を一変させる程の物だった。口数は確実に減っただろう。食事もあまり取っていない。睡眠は浅く、数十分寝ては起きるを繰り返す。そして、以前よりも僕についてくるようになった。今では殆ど、一緒の時間を過ごす事になっている。それが、凄く辛いのだけど。

 表情が読めなくとも、今のトワがおかしいのは分かる。いや、おかしいと言える立場に自分はいない。トワはつまるところ、死を恐れている。過剰につきまとうのも、きっと不安からだろう。人間があっさりと死んでしまう事を、トワは認められないでいる。

 今回の出撃の件もそうだ。本来なら、僕一人だけ出ればいい。だが、トワは頑なに自分も出ると言って聞かなかった。これ以上は死なせないと、何かに怯えるように呟いたトワの言葉を確かに聞いた。

 でも、それがどうしようもなく辛いのだ。アストラルの死を引き摺ったままのトワが、強迫観念すら感じる程につきまとう。そんな中で、心の整理がつく筈もない。

「……いや、人のせいにする訳にも」

 そう、小さく呟いた。トワがこうなる前に、何か出来ることがあった筈だ。心がもたらす事ならならば、心の持ちようで変えられる。そして、それを出来る立場に自分はいた。何でも良い、いつものように声を掛けて、少しでも不安を消してやれれば、こんな事にはならなかった。

 結果はこの様だ。まともに話も出来ず、気付けばトワから目を逸らすようになっていた。時間が何とかしてくれると、未来の自分に課題を吹っ掛けて逃げ続けている。そうして、いつも最後にはこう思うのだ。自分はただの兵士だから、何も出来ないのだと。

『リオさん、トワさん。作戦ポイント目前です、ifにて待機お願いします』

 リーファから通信が入り、初めてトワが顔を上げた。

「了解、移動します」

 短く返事をし、待機状態にあるifへ向かおうとする。が、掴まれた右手がぐいと引かれ、空中で止まってしまった。

「……トワ?」

 赤い目が、何の感情も浮かべずにこちらを見ている。その表情を読み取る事はやはり出来ず。互いに、何も言えない時間だけが過ぎていく。

『ごめん……何でもない』

 トワはそう言うと、ゆっくりと手を離した。俯いたまま、それ以上は何も言わずに離れていく。

 今この時も、何か言うべきだったのだろう。結局、何も出来ないけれど。

 トワから目を離し、待機しているifに向かった。if《カムラッド》、前回の戦闘では相当無茶をしたが、三日もあれば新品同様に整備されている。

 操縦席に滑り込み、簡単なシステムチェックを済ます。問題はない。

「準備完了、と。リーファちゃん?」

『通信良好です、リオさん』

 後は、作戦ポイントへの到達を待つだけだ。視線を巡らすと、同じく待機状態に入ったトワの《プレア》が見えた。《プレア》の外部装甲が蒼く染まっていく。お互いに準備完了という訳だ。

「……もしかして、ほっとしてるのかな」

 呟き、幾分か気持ちが楽になっている事に気付いた。久しぶりに一人になったからかも知れない。

 それでも、そう感じてしまっている自分が信じられなかった。トワが何者なのか分からなくとも、見捨てはしないと決意していたというのに。

「僕は……どうしたいんだ、一体」

 呟いても答えは出そうにない。溜息を吐き、もう何も見たくなくて目を閉じた。考えても答えなんて出はしないから、何も考えないように。

『ポイント到達、出撃お願いします』

 リーファからの通信を受け目を開く。当然の事だが、何一つ現状は変わっていない。

「了解、出ます」

 そう返し、下部ハッチ前まで《カムラッド》を移動させる。トワの《プレア》も後ろからついてきていた。

 後は出撃し、リュウキを回収するだけでいい。それで、この局面はとりあえず片が付く。何の解決にもなっていなくとも、片は付く。

 下部ハッチの向こう側に広がる宇宙の黒が、いつも以上に暗く見えた。







 ここはかつて戦場だったのだろう。リオは《アマデウス》から出撃し、BSの破片が密集している地点へ向かった。リュウキとの合流ポイントであり、無事ならばこの辺りに潜んでいる筈だ。

 乗機の《カムラッド》だが、装備は最低限の物しか装備していない。両手で構えたTIAR突撃銃とその予備弾倉、右肩のE‐7ロングソードのみである。そもそも交戦は想定外であり、一発も撃たずに終わるのが理想なのだが。

 後方をついてきているのはトワの《プレア》で、今の所変わった様子はない。無言のまま、じっと追従している。

 トワの操縦している《プレア》は、こうして動いている所を見るとやはり兵器には見えない。全体のフォルムがやけに細く、背中からは二基のウイングバインダーのような物が突き出ている。要するに羽根が生えているように見えるという事だ。天使か、さもなくば悪魔を思わせるシルエットだが、その戦闘能力だけ見ればまさしく悪魔だろう。何もかも分からないが、その一点だけははっきりしている。

「この辺りの筈だけど」

 呟き、周囲を探る。見渡す限り残骸が漂っており、視認性は非常に悪い。隠れるには打って付けだろう。

 ふと友軍登録の音が響き、その表示を横目で見る。リュウキのifからの接続であり、知らない名前もそこにはあった。

『良かった、リオか。万が一敵だったら困るからな。確認してから繋げさせて貰ったぜ』

 リュウキの声が聞こえ、残骸の影から《カムラッド》が二機出てきた。一機はリュウキの物だが、もう一機に見覚えはない。

「無事で良かったです、リュウキさん。その機体は?」

『エリル・ステイツと言います。階級は伍長ですが、もう、あまり関係はないでしょう。《アマデウス》隊に合流しますので、よろしくお願いします』

 はっきりとした喋り方をする女性だが、その声は少し疲れているように聞こえる。

『ま、そういう訳でな。俺にとっちゃ命の恩人って奴だ』

「そうですか、分かりました。では《アマデウス》まで誘導、を」

 詳しい事情は分からなかったが、リュウキが信用しているのなら問題はないだろう。そう判断して、《アマデウス》まで誘導しようとした矢先だった。

 無言のままトワの《プレア》が飛び出していく。向かっている場所は、《アマデウス》が停泊している方向だろうか。

「トワ、何を……」

 残骸の群れを飛び出した《プレア》が、《アマデウス》の真横にぴたりと付く。そのまま《プレア》は右腕を突き出した。右腕に括り付けられた小盾のような装備が左右にスライドして開き、間髪入れずに粒子砲撃が放たれる。宇宙の黒を、致死の熱量を内包した圧縮粒子の帯が引き裂いていく。それこそ光の速さで粒子は照射され、何も無い空間を穿ったように見えた。

「いや、あれは」

 何も無い空間が炎を吹き出して傾いでいく。いや、何も無いのならそんな現象は起きない。つまり、あれは。

 続け様に放たれた《プレア》の粒子砲撃が、再び空間を穿つ。今なら、炎に照らされてはっきりと黒塗りの船体が見える。

「《フェザーランス》か! まだやり合おうなんて」

 奇襲を繰り返し、《アマデウス》を追い詰めた黒塗りの部隊が、性懲りもなく立ち塞がろうとしている。だが、あの損傷で?

『よく分からんが敵襲か? エリル、もう一踏ん張り頼むぞ』

『了解。目の前にふかふかのベッドがあるんですから、死守しますよ』

 リュウキとエリルの《カムラッド》が残骸から抜け出し、《アマデウス》の援護に入ろうと動く。しかし、残骸の群れから飛び出した直後に銃撃を受け、二機とも引き下がる。

 いつの間に接近していたのか、黒塗りの《カムラッド》二機が、それぞれガトリング砲を構えて待ち受けていた。

『また忍び歩きかよ。大口径のガトリング砲だ、下手に顔出すな、吹き飛ばされるぞ』

 リュウキの《カムラッド》が狙撃銃で反撃を試みるも、直ぐに残骸へ身を隠した。撃った倍以上の弾丸が降り注いでいるからだ。ガトリング砲による制圧射撃、的中を狙ったものではない。

『目的は足止めですか。その隙に《アマデウス》を狙う、と』

 エリルの《カムラッド》も残骸へ隠れ、銃撃の隙を見て突撃銃で反撃を試みている。

 つまり、トワは奇襲を察知して戻ったという事か。何故それが分かったのかは、今は問題ではない。黒塗りの《カムラッド》二機を退けて、《アマデウス》の援護に入らなければ。

 単純に考えれば三対二だ。この場をリュウキとエリルに任せ、多少迂回してでも《アマデウス》まで向かう。トワの《プレア》一機だけでは《アマデウス》を守りきれない。

「ここは任せます、僕は」

 そう判断し、その旨を伝えようとしたその時だった。ざわりと肌が粟立ち、口の中が一気に渇いていく。

「……あ」

 黒塗りの《カムラッド》が撃ち続けるガトリング砲の嵐も。それに対峙するリュウキとエリルの奮闘も。全てが些細な事に感じられた。

 《アマデウス》を守るようにトワの《プレア》は粒子砲撃を続けている。しかし、黒塗りのBS、《フェザーランス》は健在だった。粒子砲は着弾する前に掻き消えている。二発目以降は粒子分散剤によって無効化しているのだ。

 そして、《フェザーランス》の粒子砲に光が灯る。よく見ると、前回対峙した時とシルエットが微妙に違うのが分かる。《フェザーランス》の粒子砲は四門装備されているが、その内一門だけがやけに長い。外付け式の粒子圧縮器だ。

 粒子を圧縮し、それを放出する事で致死の熱量を生じさせる粒子兵器は、圧縮濃度が高ければ高いほど破壊力を増す。今《フェザーランス》が撃とうとしている粒子砲撃は、《アマデウス》でも防げるかどうか分からない。

 だが、意識を奪われたのは《フェザーランス》に対してではない。《アマデウス》を守る為に立ち塞がるトワと《プレア》から、息が詰まるほどの恐怖を感じたのだ。

 《フェザーランス》の粒子砲が一際大きく瞬く。それを真っ正面から見据え、トワの《プレア》は両腕を突き出した。

 それは、神話の再現なのかも知れない。《フェザーランス》が粒子砲を放つのと、《プレア》が両腕の粒子砲を放ったのは同時だった。光の帯と光の帯が示し合わしたかのように重なり、宇宙の黒を侵食するように照らしていく。

 外付け式の圧縮器を用いた《フェザーランス》の粒子砲は、確かに《アマデウス》を貫く破壊力を持っていたのだろう。立ち塞がる‘ifのようなもの’など、障害にもならない。誰だってそう考える。

 だから、神話の再現なのだ。《フェザーランス》が放った最大熱量を有する粒子の矛は、それ以上の熱量を持った粒子の剣に引き裂かれた。トワの《プレア》が放った粒子砲はそのまま《フェザーランス》を捉え、黒い船体に赤い裂傷が刻まれる。その程度で済んだのは、ぎりぎりで粒子分散剤の散布が間に合ったからだろう。

 その一撃さえ凌げればそれ以上は無いと分かっていたのか。《プレア》が《フェザーランス》に向け粒子砲撃を繰り返しながら詰め寄っていく。

『黒塗りの奴等、さすがに随伴に戻ったか』

 リュウキの言葉で我に返り、震える手に視線を落とす。

 黒塗りの《カムラッド》はリュウキの言う通り、《フェザーランス》の防衛へ向かう為に退いている。この時点で、既に状況は傾いた。

 だがきっと、トワにそれは分からないだろう。制止しなければならない。そう頭では分かっていても、身体は震えるばかりで微動だにしない。声も掠れた音にしかならず、膨れ上がる恐怖心は思考すら蝕んでいくように思える。

 これから始まるのは戦闘ではない。一方的な虐殺に他ならないと分かっている筈なのに。視線を上げ、再びトワと《プレア》を視界に捉える。

 止めなければいけないと理性では分かっていても、身体は愚か心すら動かない。

 抗いようのない恐怖に蝕まれたまま、ただ震えている事しか出来なかった。

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