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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「停滞と滅相」
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命の天秤


 医務室に到着したイリアは、遅かったのだと思い知らされた。トワを庇うようにしてアストラルが倒れている。患者衣には少なくとも十個の穴が空き……つまり十発のライフル弾を受けて、アストラルは倒れているのだ。意識はあるのか、傷の度合いは、助ける事が出来るのか。確かめようにも、今それが出来ないという事は分かっていた。

 ふらつきながらも立ち上がった特務兵は、まだアストラルへカービン銃を向けていた。これ以上の勝手はさせない。

 イリアはその特務兵にP16自動拳銃を向けた。イリアの使用しているP16自動拳銃は携行性を重視した小型拳銃であり、その小口径弾では特務兵のフラット・スーツを貫通することは出来ないだろう。

 それでもイリアがP16自動拳銃を構えたのは、特務兵の注意を引く為だった。倒れているアストラルにカービン銃を向けている特務兵に狙いを付け、イリアはP16自動拳銃のトリガーを引いた。

 素早い二点射がカービン銃を捉え、快音と共に小さな火花が弾ける。銃撃に気付いた特務兵が、反射的にイリアへカービン銃を向ける。イリアにとっては予想通りの動作だ。カービン銃を向けられるのを待ってから、イリアはもう一発だけP16自動拳銃を撃った。

 P16自動拳銃の小口径弾では、痛手を与える事は出来ない。だが、イリアの狙いは別にあった。特務兵のヘルメット、そこに装着された暗視ゴーグルを撃つ。小口径弾ではゴーグルを破壊することは出来ないが、一瞬だけ視界をぶれさせる事は出来る。

 命中を確認し、イリアは一気に詰め寄った。特務兵が正常な視界を取り戻すまで、一秒もあれば事足りる。その僅かな時間で、イリアは特務兵の懐に飛び込んだ。特務兵からすれば、視界が一瞬ぶれたと思った次の瞬間には、イリアが目の前にいるという事になる。特務兵の動揺が、仮に僅かであったとしても。その僅かな隙が致命となる間合いだ。

 イリアは空いている左手で、特務兵のカービン銃を左に払い除ける。隙を突かれた特務兵は、それでもカービン銃を取り落とす事は無い。つまり、特務兵の右手は今使えないという事になる。

 特務兵は左手でナイフを抜こうとしたが、イリアがそれを見越してその左手を蹴り上げた。ナイフは宙を舞い、特務兵が次の動きをする前にイリアが先んじて動く。

 イリアは素早く体勢を整え、適した位置に動く。流れるように特務兵の左手を掴むと、いとも簡単にぐるりと回した。左手だけが回る道理はなく、特務兵自体がぐるりと宙を舞う。空中で回るナイフが床に落ちるのと同時に、特務兵が床に叩き付けられた。見た目以上にその衝撃力は凄まじく、特務兵はその一撃で意識を手放す。

 昏倒した特務兵を後ろ手に拘束し、イリアはもう一人の特務兵を見据える。立ち上がり、イリアにカービン銃を向けようとしていた。向けているのではなく、向けようとしているのだ。その時点で勝負は付いている。

 イリアは数歩詰め寄ると、カービン銃を思い切り蹴り上げる。特務兵の手元から銃が無くなり、判断が遅れている間にイリアは更に動く。特務兵の胴体に目掛け、詰め寄った勢いのまま肘を叩き込んだ。特務兵は唸り、たたらを踏んで後退する。その分だけイリアは詰め寄り、来るだろう動きに備える。思惑通りに、特務兵が苦し紛れに振るった拳を掴むと、先程と同じように投げ飛ばした。

 その特務兵も後ろ手に拘束し、イリアは溜息を一つ吐く。これで特務兵の処理はいいだろう。だが問題は。

「ギニー、アリサちゃん。無事?」

 遮蔽物の向こうでうずくまっている二人に声を掛ける。二人はふらつきながら立ち上がり、アストラルの惨状を見て息を呑む。アリサは直ぐに医者の顔に戻り、短機関銃を投げ捨ててアストラルの元へ向かった。

「なら良かった。早速で悪いけど、ギニーはブリッジに戻って。前もって決めといた場所に急行。システムは動かせる程度には復旧してるから」

 ギニーは無言のまま頷き、真っ青に染まったアストラルをもう一度見てから医務室を後にする。イリアはそれを見届けてから、回転に回転を重ねた状況を整理した。これで良い。ギニーが操舵に入れば、後はリオを回収して逃げるだけだ。それから先の事は不透明だが、今はとにかくこれで良い。AGSとは敵対してしまったが、まだ取れる手段はある筈だ。

 イリアは考えるのを止め、アリサの傍へ近付いた。アストラルはトワを庇うようにうつ伏せで倒れていたが、今は仰向けになっていた。幾つかの弾は貫通しているが、何発かは体内で止まってしまっている。それでもアストラルが生きているのは、人工臓器と人工血液のお陰だろう。並の身体であれば即死、或いは失血死していてもおかしくはない。

 アストラルの傍らではトワが呆然とその様子を見ていた。白いワンピースは青い人工血液で所々染まっている。トワ自身も負傷したのか、脇腹の辺りに出血が見られた。その部分だけ、青と赤が混じり紫色になっている。

 アリサは手慣れた様子でアストラルの状態を確認していく。が、その表情が一瞬陰ったのをイリアは見逃さなかった。

「イリア、そっち持ってくれ。ベッドに移す」

 アリサがイリアに気付き、足側を持つように促す。イリアは頷き、P16自動拳銃を床に捨て置いてアストラルの足と腰に手を回した。

「よし、行くぞ」

 アリサがアストラルの頭と背中に手を回す。アリサが力を籠めるタイミングを見計らって、イリアも力を籠めた。アストラルの穴だらけの身体を持ち上げ、近くにあったベッドにそっと寝かせる。

「どうなの」

 イリアはアリサに向け、短く問い掛けた。お互いアストラルを抱えた時に、人工血液で両手が真っ青になっている。アリサはアストラルの身体に器具を取り付け、注射を一本入れた。

 状態を確認しながら、アリサはイリアをちらと見たが、何も答えようとしない。アリサが押し黙ったのを見て、イリアは僅かに苛立つ。その雰囲気を察し、アリサは重い口を開いた。

「言いたくはないが。条件が合えば助けられる。でも無理だ」

「条件って」

 何かを問おうとし、イリアは気が付いた。アリサが何故言いたくないのか。それは。

「人工臓器の交換と人工血液の補充が出来る最新鋭の医療設備だ。例えば、軍事セクションとかにあるような医療設備とかな。ここじゃ、人工臓器のスペアすらない。人工血液の予備も、アストラルが持ってきた分しかないんだ。それも殆ど使ってる。この設備で延命するとしたら、一時間が限度だ。それ以内に」

 もう分かっただろうと言わんばかりに、アリサは言葉を切った。分かっている。あと一時間、それ以内に。軍事セクションの医療現場にアストラルを届けなければ助ける事は出来ない。

 この近くにある軍事セクションは、それこそ今逃げてきたカソードCぐらいだ。つまり、敵対してしまったAGSに、降伏するぐらいしか助ける道はない。

 その場合、交渉としては最低値からのスタートだ。クルー全員の安全を確保する事すら難しい。そして間違いなく、トワはAGSに奪われるだろう。

 クルー全員の安全と、一人の命を天秤に掛ける。そんな事はしたくなかったから、アリサは黙っていようとしたのだろう。

「ねえ、イリア」

 トワが腹部に出来た傷を押さえながら、震えた目でイリアに近付く。

「私、私出て行くから。アストを助けてよ。私は、こんなつもりじゃ」

 イリアは考える。一時間、一時間以内にアストラルを助け、クルーの安全を確保する方法を。考えに考え、イリアは自嘲気味に笑う。

「ああ、駄目だ。何にも……思い浮かばないなんて」

 呟き、イリアはその結論に辿り着く。あらゆる状況を想定し、あらゆる手段を尽くしても。アストラルを助け、クルーの安全を確保する方法はない。

「だから! 私が出て行けば、それで」

 トワは語気を荒げるが、もう遅いのだ。トワ一人を質に入れて、どうにかなる状況ではなくなった。

「もう駄目だよ。もう遅い。出て行っても、どうにもならないんだから」

 トワは首を横に振り、それこそ掴み掛かる勢いでイリアに詰め寄った。

「そんな事言わないで! イリアもアリサも、私やリオや、みんなを助けてくれたんだから。アストだって助けてよ! 私、何でもするから」

 もはやトワの言っている事は支離滅裂だが、どんな罵倒よりも堪える。それはアリサも同じなのか、渋面のまま視線を泳がせていた。

「まだ何かある筈だから! だってそうでしょ、こんな……こんな終わり方ないもの!」

 必死に訴えるトワの目を見ていられず、イリアは目を逸らした。

 トワはそう言うが、どうにも出来ないという結論は変わらない。一体どんな奇跡を願えば、この状況をひっくり返せるのか。それすら分からないのだ。その奇跡の形さえ思い浮かべば、模倣する事は容易いのに。

「ごめん。駄目なんだ。助けられない」

「嘘つき!」

 イリアは笑おうとして果たせず、じくじくと痛む胸に手を置いた。単純な言葉は、それこそナイフのように刺さる。トワの言葉は、純度が高いのだ。支離滅裂でも愚かでも。真っ直ぐな感情から放たれる言葉はこうして突き刺さる。

「……トワちゃん。それぐらいにしないと。お姉さんはイリアさんに賛成、かなあ」

 か細いアストラルの声が聞こえ、トワがベッド脇に駆け寄る。意識が戻ってきたのだろう。

「自分の身体、だからね。どんな感じかは何となく分かるんだ。私助からないなって」

 ぽつぽつと話し出したアストラルの手をトワは握り、首を横に振る。

「助けるよ! だって、だってこんな事知らないもの……」

 アストラルは微笑み、トワの頬にそっと触れた。

「……傷は大丈夫?」

「こんなの痛いだけ。だからアストも大丈夫。助けるから」

 アストラルは首を小さく横に振り、それは無理だとトワに伝えようとした。

「私は保たないよ。びっくり、するでしょ。人間って意外と簡単に死んじゃうんだよね。だから悔いのないように生きないと損をするんだけど」

 アストラルはトワの髪をそっと撫でながら続ける。

「私の場合は、帳尻あってる気がするよ。損はいっぱいしてきたけど。得もしてきたからね。だから、これでいいの。ねえ、トワちゃん。私達は永遠に生きられないから、そこそこ毎日頑張れるんだよ? トワちゃんもみんなも、明日はどうなるか分からないんだから」

 アストラルがもの悲しげに、それでも伝えようと笑みを浮かべる。

「怒ってちゃ駄目だよ。いつでもとは言わないけど。なるべく笑顔で、後悔のないように。じゃないと、あっさり死んじゃった時に怒ってた人だって覚えられちゃうからね」

「……だからアストは笑ってるの?」

 こくりとアストラルは頷き、アリサの方を見た。

「私、どれぐらい保ちます?」

「一時間が限度になる。それ以上は」

 アストラルは頷き、今度はイリアを見た。

「そういう訳みたいです。私はいいですから、みんなを助けてあげて下さい。まだやること、いっぱいあるんでしょ?」

 イリアは頷き、一歩下がる。

「今までありがとうね、アストちゃん。助けられなくて、ごめん」

「最初に一回、助けて貰っちゃいましたから。気にしないで下さい」

 イリアはもの悲しげに微笑み、医務室を後にしようとする。倒れている特務兵も、どこかに押し込んでおかなければならない。《アマデウス》のプログラムだってまだ不充分だ。アストラルの言う通り、やることは沢山ある。

「一時間。一時間かあ」

 アストラルの小さな呟き。

「結構……長いよね。暇なら、一緒にいてくれるかな?」

 そう、アストラルは物悲しげにトワへ問い掛けた。

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