見えない銃弾
あらすじ
罠を罠でもって凌駕され、策を策でもって凌駕された。AGSとの交渉が決裂した《アマデウス》は、カソードCから逃げ出すしかない。それぞれの奮闘により、突破口を開く事に成功する。
しかし、依然として罠と策は《アマデウス》を蝕んでいた。
《アマデウス》ブリッジでは、安堵する暇など端からない。誰もが予期せぬ事態に思考を停止せざるを得なかった。
次々と更新されていく被害報告は、《アマデウス》が敗北へ向かっていることを雄弁に証明している。まだだ、まだ向かっているだけだとイリアは意識を切り替え、数々の苦悶を胸の内に隠そうとした。
破綻したAGSとの交渉、リュウキの安否、黒塗りのBS《フェザーランス》とその艦長キア・リンフォルツァン。懐かしいという以上に、その声をこんな所で聞いている自分がうまく認識できていない。もしキアならば、何故こうして邪魔をするのか。
それら全てを、今は考えてはいけない。この状況を打破する事が出来るのは自分しかいない。嘘でも本当でも。イリアはそう自らを奮い立たせ、或いは追い込んで意識を切り替えた。
「間違いない、AGSの特務兵。《アマデウス》を内側から制圧するつもりね。宙域間でBSに生身で取り付いて、息を潜めていられる類の兵士。まず間違いなくプロフェッショナルでしょう」
副艦長であるクストが、イリアの感情整理を待ってから話しかける。その心遣いに内心感謝しながら、イリアも勝つための思考を開始した。
「そうだね。《アマデウス》後部、展望室を爆破して侵入、各部屋を制圧しつつブリッジと、多分医務室を狙ってる。他で押さえるとしたら格納庫かな。侵入してきた人数は?」
歯車ががちりと回り始める。そんなイメージを頭に描きながら、イリアはじっと考える。BSを制圧する以上、ブリッジの確保は最優先だが、いきなりそこへ攻め入るのは現実的ではない。
相手はプロだ。《アマデウス》の構造を熟知して攻めている筈だし、そうなると中間地点である医務室を確保するのは至極真っ当だ。中間地点及び医療的措置を確保してしまえば、ブリッジへの足掛かりとなる。
もう一つのポイントは格納庫だろう。生身の人間ではifへの対抗は難しい。後々来るだろうカソードC本隊if部隊の為にも、格納庫は制圧しておかなければならない。
「確認出来たのは、後部展望室から四人。少数精鋭にしても、ちょっと少ないわね」
少なすぎる。《アマデウス》は小型BSとはいえ、そこそこの広さはある。四人ではカバー仕切れないだろう。少数精鋭だとしても、後もう四人、計八人程いなければ……。
「……そっか、そういう事。格納庫に通信」
回り始めた歯車が、轟音を発しながら加速していく。八人の特務兵がいると想定すると、状況にも合点が行く。元々あの手の兵士は、少数でないと効果を発揮しない。個々が個々の能力を阻害してしまうのだ。狭い通路では、八人もいたところでどうしようもない。
だから、侵入ルートは一つではない。後部展望室から侵入するチームと、格納庫から侵入、或いはもう侵入したチームがいる筈だ。
「それが、通信途絶しています。多分、このウィルスが」
申し訳なさそうにリーファが答え、十重二十重に張り巡らされた策にイリアは歯噛みする。
「このままだと、《アマデウス》のメインシステム自体が破壊されるかも。カウンターはしてるけど、まるで効果がないわね」
クストの補足を受け、イリアはその意図に感付いた。今度こそ、はっきりと。
《アマデウス》のシステム自体を破壊することは、あくまで副次的な効果に過ぎない。真の目的は通信の阻害、ブリッジと各部署の切り離しだ。
格納庫側に展開している特務兵は、今はじっと息を潜めているだろう。まだリオがifに搭乗しており、外を警戒しているからだ。
だが、外の敵ifが後退したら。展望室が爆破されたら。通信が阻害されたら。
リオが状況把握、或いは打破の為にifから降りた瞬間に、特務兵の強襲が始まる。
「格納庫に別のチームがいる。リオ君をifから降ろす為に、わざわざ派手に爆破して見せたんだ」
クストの表情が迂闊だったと後悔に染まる。今更気付いた所で、それを伝える術がない。
となれば、今すぐにでも策を考えなければならない。この張り巡らされた策を、上回る策を。
残された時間が、無いに等しくとも。
※
《アマデウス》格納庫で、リオはどうすべきかを考えた。展望室が爆破され、何者かが侵入してきたのだとしたら。狙いは明白ではないか。
「トワは、確か」
医務室で待っていると言っていた。だが、あの気紛れに手足が生えたようなトワが、大人しく医務室にいるだろうか。ひょんな事から医務室を出て、兵士と鉢合わせでもしたら。
じっとしている訳にもいかない。腰のホルスターにねじ込んであるセリィア自動拳銃の感触を確かめ、if《カムラッド》のハッチを開けた。
《カムラッド》を待機状態にして、ハッチから出る。戦闘の最中であった為、《アマデウス》の内部もゼロ・ポイント、即ち無重力の状態にあった。格納庫の出口へ向けて身体を放り出し、慣性を付けるため背後の装甲を蹴った瞬間だった。
薄く絞られた殺気と共に、何かが頭部を激しく揺さぶる。撃たれたと思うよりも早く、整備士であるミユリの怒号と銃声が耳に届いた。
「ぼさっとするな! 床に降りろ!」
ヒビの入ったヘルメットを見て、今置かれている状況が相当に危険だと今更ながらに気付く。頭はまだ繋がっているという事だけ確認して、手早く近くのクレーンに取り付くと、地面まで一気に滑り降りた。
至近に着弾する銃弾に肝を冷やすが、相手の位置は大体把握できた。そのまま動向を伺いつつ、ミユリのいる所まで後退していく。無重力下でも使用出来る銃器を使っているのか、銃声は小さくガスの抜けたような発砲音が断続的に伝わってくる。気の抜けたような音が鳴った直後に、周囲にある機材に火花が散っていく。
ミユリは整備用の機材に身を隠しながら、隙を見て援護射撃を行っていた。小型の短機関銃で、ミユリはストックを折り畳んだまま使用していた。その発砲音も小さく、着弾した時の音の方が大きいぐらいだ。
「ミユリさん、あれは」
傍に寄りつつセリィア自動拳銃をホルスターから抜く。これで勝てるとは思えないが、今出来ることはこれぐらいしか残されていない。
「見ての通り敵だ。AGSの特務兵。よく無事だったな、リオ。フラット・スーツの対弾性能はかなり高い方だが、それでも角度が悪ければ貫かれる。運は悪くないぞ」
ミユリはにこりともせずに応射している。敵は、特務兵はこちらを包囲しようと徐々に動き始めていた。一度動いてしまうと、煙に巻かれたように姿が追えなくなる。
「私が思うに、だ」
ミユリは弾倉を交換しながら特務兵の動向を探る。
「ここの連中は格納庫の制圧が目的だろうって。なら、最初に入ってきた連中は真っ直ぐブリッジに向かう訳だろ。途中に医務室もあるし、そっちの方が重要だと思うんだ」
動向を探ろうとして探れず、一転して静寂が格納庫に広がっていく。足音一つ聞こえない。
「ブリッジはイリアが何とかする。リオ、お前は医務室へ行け。生身の戦闘は正直お前向きじゃないとは思うが、いないよりはマシかもしれない。まあ、イリアが何とかするまでの繋ぎだな」
ミユリはこちらを見据えて、被っていたヘルメットをこちらへ差し出した。
「ヘルメットは新品に交換しておけ。私が西部劇の馬鹿なヒーローみたいに飛び出したら、馬鹿なヒーローみたいに飛び出せ。後はもう祈れ」
有無を言わせない口調だったが、その目には一抹の寂しさが感じ取れた。それはそうだろう。この格納庫に残れば、四人の特務兵と戦う事になる。勝ち目などない。
「無茶ですよ、あんな連中に一人で」
差し出されたヘルメットを受け取れず、かといってこの状況を打破できる策がある訳でもない。どうすることも出来ない。
「二人いても無茶は無茶だ。私は整備士だぞ? こんなもん使ってもどうにもならない。どうにもならないが、諦めるのはお前が行ってからにする」
ミユリは慣れた手付きでこちらのヘルメットを奪うと、それを被り身構えた。ミユリの差し出していたヘルメットがゆっくりと漂っており、なし崩し的にそれを被るしかない。
「すみません。僕がifから降りてさえいなければ、こんな事には」
良かれと思って動いた事で、状況は一気に傾いてしまった。ifに搭乗したままならば、特殊な訓練を受けた特務兵といえども迂闊に動けなくなる。生身でifに勝てるのはハリウッドスターぐらいなものだ。
「いや、仕方がないだろう。襲撃を受けるまで私も気付かなかった。その時点で負けてるのさ」
ミユリはそう言うと、ヘルメットに入ったヒビを指でなぞった。
「だがまあ、こうして生きている以上は逆転のしようがある。ほら、行くぞ」
ミユリは物陰から飛び出し、文字通り滑るように離れていく。言葉を交わす間すらなかった。あれこれとやることを決めたら、もう迷っている必要も余裕もないと。そういう人だったと苦笑しながらも、その行動力は見習わなければいけない。こちらも動かなければ。
気配や殺気を感じ取った所で、生身ではどうする事も出来ない。ミユリの言った通り、今の自分は祈って飛び出すしかないのだ。
動き続けるミユリを狙った銃声、ひどく遠く感じるそれを後ろに感じながら床を蹴る。床すれすれを慣性で動きながら、こちらに銃弾が来ないことを祈る。
通用路に続くハッチへ滑り込むように動き、遅れて着弾した銃弾が火花を散らす。掠りもしていない、ひとまずは成功だ。
ミユリを残していく事に抵抗はあるが、言っている事はどうにも正しいと思う。二人で殺されるよりも、一人が生き残るのならそれに越したことはない。
けれど、こうも簡単に割り切れてしまう物なのだろうか。もっと、他に思うこともやれることもあったのではないか。
「……行こう」
人知れず呟き、格納庫に背を向けて床を蹴る。ああ、やっぱり自分は壊れている。生きていて欲しいと願う心に偽りは無いはずなのに。
こうも簡単に切り捨ててしまうとは。
※
《アマデウス》ブリッジにて、イリアはじっと考える。要素はひどく単純だ。
《アマデウス》を拿捕しようとしているAGS特務兵、これにはまず勝てない。殺さずに対処するのは困難だが、そもそも殺す前提で対処しても勝てないだろう。
専用の訓練を受けた兵士が二つのチームで動いている。対してこちらのクルーは白兵戦はてんでダメだ。造作もなく殺される。
《アマデウス》を蝕むウィルスに関しても、対処のしようがない。ひどくシンプルで対処に困るコンピューターワームだ。接触した情報素子を、無条件で自分の都合の良い物に作り替えてしまう。こちらの出した攻勢プログラムも尽く改変させられた。
まあこんな物だろう。これら二つの要素を排除しなければ、《アマデウス》は拿捕されクルーの未来はない。
危機的状況だった。だが、ジョーカーを隠し持っているのはこっちだ。
「クストちゃん、ギニー」
イリアがブリッジクルー二人の名前を呼ぶ。
「二人は武装して移動開始。クストちゃんが格納庫、ギニーは医務室ね。PDAを使えるようにしといて、システムは十五秒で復帰させる」
イリアは艦長席のマスターコマンドを立ち上げ、幾つかのコマンドを実行していく。
「ぽちっと」
ブリッジが一瞬で暗転する。非常灯が順次点灯し、今まで見たことのないような暗闇が《アマデウス》を支配した。
「もしかして」
クストが座席脇のウェポンラックから短機関銃を取り出しながら呟く。
「そそ。全システムの強制シャットダウンと、その消去」
こうでもしなければ、あのコンピューターウィルスは排除出来ない。今や《アマデウス》は宇宙に浮かぶ巨大な鉄の塊に過ぎない。システムという心臓がなければ、軍艦という構造物は機能しないのだ。
そう、心臓が無ければ。緊急用のキーボードを接続し、イリアが暗闇の中タイピングを始める。電子キーボードでは聞けない、独特の音が響く。
「さ、反撃しないとね」
無い物は作るしかない。これから先は、何よりも時間との勝負だ。




