平穏の次
リュウキの出撃は、作戦の性質上密やかに行われた。手近な障害物に接近した《アマデウス》が、それと交錯する瞬間にハッチを開放する。宙域用黒色迷彩を施したマントを纏い、リュウキの操縦するif、《カムラッド》は文字通り宇宙へ溶け込んでいった。
もう二日も前の事だ。あれからリュウキは、大きく迂回する進行ルートを通ってカソードCに向かっている。だが、その動向をこちらが知ることはないだろう。今は待つべき時であり、戦場ではそんな時間も重要な要素として存在している。即ち、いかに休めるかが重要なのだ。
「その筈なんだけどなあ」
自室で休もうとしていた矢先にこれである。一応この部屋の使用権を得ているのは自分なのだが。先客が二人程部屋を占領していた。
「あ、リオが帰ってきた」
一人目の占領者、トワがしれっと言い放つ。この子は常習犯なのでもう何も思うことはない。時間とは大したもので、何だかんだで慣れていくものだ。
「そうそう。そういう訳でお邪魔してまーす」
二人目の占領者、アストラルが敬礼しながら応える。この人がここにいるのは珍しい。これはちょっと厳しい状況になってきた。慣れていない状況であり、少し緊張してしまう。
「リオもそこにどうぞ」
人のベッドに座っておきながら、トワがすぐ傍をぽんぽんと叩いて場所を指定した。指定されたベッドの端は、あまりスペースがないようにも見える。
「そこ狭いんだけどなあ。そこに座るの?」
こくりと頷いたトワは、話は終わったとばかりに手鏡を覗き込んだ。どうもアストラルに髪をいじって貰っているようだ。つまり、二人でベッドを占有してしまっている。自分が座る余地はないだろう。
見渡し、お客様用の椅子を手繰り寄せて腰掛ける。ベッドの上にはアストラルの私物だろう物が散乱していた。自分の部屋だった筈が、今や簡易ドレッサールームと化している。男性の自分はちょっと肩身が狭い。
「アストは自分の髪も自分でやるの?」
トワが真剣な目を手鏡に向けながら問い掛けた。心なしか目が輝いているようにも見える。
「そりゃもう、アストラルのお姉さんは何でもできるスーパーガールですからね」
手際よくトワの髪を結わきながら、アストラルはからりと笑って見せた。櫛の間をするすると流れていく灰色の髪が、照明の光を反射して煌めいている。
「ふうん。凄いね、だからこういうのも持ってるの?」
トワの言っている物は、恐らく手鏡の事だろう。トワにとっては初めて出会う道具かもしれない。
「そーだね。昔ながらの一品でなかなか良いでしょ? 何でもかんでも電子化すればいいってものじゃない訳よ。トワちゃんも鏡買うときはちゃんと選ばなきゃダメだよ? 鏡を見るとその人の内面が分かっちゃうんだから」
男性には馴染みのない道具だけに、その人の内面が分かるという話は初耳だった。本当なのだろうか。
「よく分からないけど、何となく分かるかも。この鏡は優しいもの。アストが優しく使ってたから」
ふわりと笑みを浮かべ、トワは鏡の縁を撫でていた。それがトワにしか感じ取れない何かだったとしても、感じ取れたそれは事実だろう。不可思議な話だが荒唐無稽ではなく、トワらしい物の捉え方だとも思える。
「そっか。そうだね。それが分かるって事は、トワちゃんも優しいんだね」
柔らかな笑みを浮かべてはいても、その表情には一抹の寂しさが見て取れた。優しい自分、優しくあろうとした自分、優しかった自分。一口に優しさといってもそれは多岐に渡り、それを幾つも内包しているのが人の心なのだろう。真正面から優しいと言われても、そうでない時もあるアストラルには寂しく思えるのかもしれない。何せ、今の自分達は理性で兵器を操る兵士だ。優しい時でない事の方が多い。
「うし、どうかな? 可愛いんじゃないかな、どうですかな?」
トワの灰色の髪が綺麗に編み込まれ、シンプルなバレッタで装飾されていた。肩口まで伸びている髪はそのままに、一部だけ編み込んだのだろう。
「うん、私は好き。リオは?」
手鏡の中の自分と向き合い、次にこちらへ視線を移したトワをまじまじと見返す。こうして髪をいじるだけで、途端に大人びた印象を覚えるのだから大したものだ。
「良いと思うよ。一人でやるのは大変そうだけど」
寝癖すら半放置気味なトワのことだ。寝起きでこれを仕上げるのは困難だろう。
「一人でやるのは無理かも。でもその内やる」
トワが珍しくやる気を見せている。身だしなみに気を使ってくれるのはいいことだ。でも、ちょっと頭の毛が跳ねているトワも、それはそれで可愛いなあとか自分は思っている。
「何せ元が可愛いからね。トワちゃんもあっという間にスーパーガールになれるよ?」
トワから受け取った手鏡と、幾つか広げてある櫛を自前のポーチに納めながらアストラルは続ける。
「そんでもって、トワちゃんも大好きな人にこうして髪をやってあげるのよ。娘さんとかでもいいし。息子さんだったらどうしようかーってなっちゃうけど」
今こうしてアストラルがトワにやっているように、トワも誰かの髪を結う時が来るのか。うまく想像は出来ないが、穏やかな笑みを浮かべるトワの表情は確かに見て取れた。
「うん。それは良いね。そうなれたら凄く良い」
呟くようにトワは答えた。トワもまた、まだ見ぬ情景を描き、そうなれたらと思いを馳せたのだろうか。
「でしょ? やる気満々なら、今すぐにも教えちゃうけど。どうする?」
ちらとこちらを見たかと思うと、トワはアストラルに向き直って真剣な面持ちを見せた。
「やる。しっかり覚える」
ここまでやる気を見せているトワは本当に珍しい。エフェクトを付けるのならば、闘志がメラメラと燃えているような感じだろうか。
「じゃあ教えちゃいましょうか。櫛とかは、まあとりあえず私のを貸したげるから。今度買って貰ったらいいよ」
アストラルは再びポーチの中身をベッドに広げ始めた。いよいよ仮眠は不可能になってきたようだが、やる気になっているトワに水を差すのは忍びない。
「うん。そうする」
櫛を受け取り、トワはぎこちなく構えていた。やる気の端々に緊張を滲ませ始めたトワを見ているのは、少し、いやかなり面白そうだ。
「リオ、笑うのはひどい」
その視線に気付いたトワは、口を尖らせ不満の表情をこちらに向ける。そのまま櫛をナイフよろしくぶん投げかねない様子だ。
「ごめん、笑うつもりはなかったんだけど。ちょっと緊張し過ぎかなあって」
「そだよ、力抜いてないと疲れちゃうよ?」
アストラルからの指摘も受け、トワは力を抜くことに力を入れ始めた。ぎこちなさに拍車を掛けるトワを見て、吹き出しそうになるのをじっと堪える。やる気になっているトワに水を差すのは忍びない。
しばらくこの様子を眺めていることにしよう。目的地であるカソードCまで後三日はある。三日もあれば、トワは自分で髪を整えられるようになるのだろうか。
《アマデウス》後部、通称展望室にて。一つの局面が動き出す時が来た。リオは外部投影モニターに映る二つの陰を見据えた。敵意というほどはっきりした意識はない。ただ邪魔だなあと、そうぽつりと思うだけだ。
「リオ。あれは」
隣にいるトワにしてもそれは同じだろう。強いて言うなら、その目には不安が宿っているようにも見えるが。
「BSが二隻か。一応味方だよ。今はね」
中型BS|《オーウェン級》と小型BS|《ウィルバー級》の混成部隊だろう。if運用数はまちまちだが、数の利は向こうにある。個々の練度にもよるが、AGSが本腰ならば腕の良い操縦兵が揃っている筈だ。厳しい戦いになる。
味方と言いながら、既に敵対している前提で考えている自分に嫌気が差す。
「何か嫌な感じがするね。ぴりぴりする」
若干顔をしかめつつトワが言う。動物的な勘の鋭さを持つトワが言うのだから、やはり向こうも逃すつもりはないらしい。
「そうだね。嫌な感じ」
休息の時間は終わった。カソードCまでは後一日といった所だろうか。
否応にも、心が戦場のそれに切り替わっていく。
身体に馴染んで離れない、そんな空気を感じながら。




