硝子の檻
あらすじ
少女がもたらした日常は、特異ではあるが眩しく。きっと大切な物だったが。少年が立っている場所は、あくまで戦場なのだ。
そして、戦いはいつも唐突に訪れる。
それはいつもと変わらない、ありふれた戦いの一つだった。
たった一つを除いて。
Ⅲ
ブリッジからの緊急報告が耳元で騒ぎ立てる。それはウィルバー級BS《ローグロウ》の艦長にとって、仮眠の終わりを告げるけたたましいベルに感じられた。
だからと言って文句はない。そういう仕事だということはよく分かっていた。艦長室から飛び出し、見慣れた通路を走る。そのまま形ばかりの制服を羽織り、ブリッジへの扉を潜った。
「報告は聞いてる、不明艦だって?」
艦長席に腰掛けながら問い掛ける。
「はい。白い小型艦です。データベースに該当ありません」
通信士が問いに答え、その不明艦を電子ウインドウに表示させた。
「新型でしょうか?」
白亜の船体の前に突き出した両舷は、確かに珍しい外観ではある。だが、違う。
「いや、新型じゃない。細部は違うが、あれは武装試験艦だ。中央の本体以外、つまり両舷は武装ユニットで構成されている。ちゃんと検索すれば出る筈だ」
「武装試験艦、ですか」
思い浮かばない。そんな表情をしながら、首を傾げている部下を責めはしない。本来なら武装試験艦が戦場に出ることはないからだ。データベースにしても、武装ユニット分のシルエットが含まれていない以上あてにはできないだろう。
「そうだ。両舷の武装ユニットを取り換えて、BSが使う武装のテストをする艦だ。直接戦闘は考慮されていない」
問題は、なぜ武装試験艦がこの宙域にいるのか、だ。ここは既に交戦領域、撃たれても文句は言えないというのに。
「どうしますか、艦長」
撃沈するのは容易だろう。船脚から察するに、極力戦闘を避けているようにも見える。
「見逃してやることもできるが」
武装試験艦が何らかの事故や手違いでここに漂っているなら、例え敵であっても助けるだろう。だが、もしそうではなかったら。何かしらの特殊任務を帯びていたとしたら、放置するわけにはいかない。
「不確定要素が多すぎる。攻撃準備だ。操縦兵も呼び出しておけ」
「了解しました。総員、攻撃準備!」
その復唱が全ての合図となる。全乗組員が一丸となり、突き進むための一行程だ。
「不明艦をこれよりBS1とする」
「了解、ターゲットとして登録します」
広域レーダーに浮かぶ白亜の船を示す光点。UNKNOWNの表示がBS1に切り替わる。
「艦長。全武装、オンラインを確認しました」
「if部隊、出撃準備完了まで六十秒です」
BS1の動きは先程から変わっていない。こちらに気付いていないのかもしれない。
「よし」
ならば、先制攻撃で沈めることは容易、下すべき命令は一つだけだった。
※
身体がゆっくりと浮かぶ。今まであった筈の疑似重力が消えてしまった結果だが、それが何を意味するのかはすぐに察することができた。
《アマデウス》後部、通称展望室で、リオ・バネットは体勢を素早く立て直す。
あれから自分とトワ、リーファの三人で色々と話をしていたのだが、どうやら休憩時間は終わりのようだ。
同じく体勢を立て直しているリーファと目を合わせる。向こうも理解しているらしく、一度だけ頷いてみせた。
『こちらブリッジ、敵だ。規模は不明。速やかに持ち場につけ。以上』
副艦長であるクストの、必要最低限の状況報告が備え付けのスピーカーから流れた。
本来艦内は疑似重力が働いている。それによって地上とまではいかないにしろ、それと近い重力下で生活することができるのだ。
しかし、艦が戦闘行動に移ると疑似重力は働かない。疑似重力に回すだけの余剰エネルギーなどなく、あったとしても難しいだろう。一定の速度一定の方向で進む通常航行と、複数の要素から判断し有機的に動く戦闘航行とはあまりに違いすぎる。
だから、こんな風に無重力になるということは、機器の故障か敵襲でしかない。
「敵みたいだね。急がないと」
「分かってます。トワさん、自室に戻っておとなしくしていて下さい」
無重力など意も介さずに、トワはされるがまま中空を漂っていた。
「リオは?」
トワは慣れた身のこなしで体勢を整えると、壁を蹴ってこちらの腕の中にふわりと収まった。ボディソープの香りが仄かに漂う。
「僕もリーファちゃんも仕事。トワは部屋に戻ってて。あまり動き回ったらダメだからね」
柔らかな微熱が腕に伝わる。こちらを真っ直ぐな眼で見つめているトワを直視することができず、その熱をやんわりと引き離す。
トワはそのまま中空を漂い、心なしか寂しそうな表情を浮かべた。その姿を見て少し冷たかったかもしれないと思いはしたが、今やるべきことを放棄するわけにはいかない。
「分かった? おとなしくしててよ」
それだけ伝え、展望室を後にする。背中に視線を感じるが、振り返って言葉を掛ける気にはなれない。大丈夫だとか、恐くないからとか、直ぐ戻るとか色々な言葉は浮かんではいた。だが、実際はどれも体の良い嘘でしかない。
大丈夫じゃないかもしれない、怖い目に遭うかもしれない。直ぐには、戻れないかもしれない。何より、自分はそのどれも望んではいない。
大丈夫じゃなくても、怖い目に遭っても、戻れなくても、別に困りはしない。本質的にはどちらも望んではいない。そう、知ったことではないのだ。
だから、自分にはこれ以上の要素はいらない。トワがどう思っていても、自分には過ぎた存在なのだから。
格納庫までの道のりは、そんな事ばかりが頭に過る。思考の連鎖は果てなく続き、なかなか頭が空になってくれない。
ふと、その連鎖が途切れ立ち止まる。それはごく単純な、それでいて難しい疑問だった。
例えば、この戦闘で自分が死んだら。トワはどう思うのだろうか。
その問いを、答えを、頭が勝手に導き出す前に無理矢理掻き消した。その答えを知ったら今までの自分が、そして今の自分がやろうとしている事が全て意味の無い事になってしまうような気がしたからだ。
そんな意地を通すだけの意思も無いくせに。そう発したのは自分で、それを受けるのも自分だった。
格納庫に続く扉に手をかけ、ゆっくりと深呼吸する。今は何も考えない。やるべきことをやる。それが間違った動機でも、壊れた衝動でも。
トワの視線、それが残した熱を背中に感じながら、格納庫の中へと滑り込む。入るや否や、《アマデウス》唯一の整備士として配属されているミユリ・アークレルが、フラット・スーツを投げて寄越した。
EMSF、通称フラット・スーツはいわば宇宙服である。商品名の通りフラットな形状をしており、こちらの動きを阻害しない。
「リオ、さっさと着替えろ! 遅い!」
既にフラット・スーツを身に付けているミユリが怒鳴り、何回も手招きする。負けん気の強い女性だが、こと機械関係、ここでいう整備にかけては並々ならぬ能力の持ち主である。
「すみません、ifは?」
フラット・スーツを身に付け、ミユリに問い掛ける。いつも自分が使っているifは、まだ欠損した部位がそのままになっていた。動くようには思えない。
「あの様だ。見たことのない配線の焼き付きがあって、動ける状態じゃない。パーツ交換用の予備を奥に出してある」
ミユリは格納庫の奥を指差す。確かにif《カムラッド》と各種装備が並べられている。床を蹴って素早く操縦席へと取り付く。一週間もの猶予があった筈だが、相当ifはいかれていたらしい。配線の焼き付き、確かに聞いたことのない損傷だった。
「だが予備パーツ用だ! システムの最適化が不十分なだけ多少、いやかなり動作が重い。気を付けろよ!」
ミユリが注意点を怒鳴る。今は、考えても仕方のないことだ。先程までの思考回路を消し、戦闘用のそれに切り替えていく。ミユリの怒鳴り声に応えながら操縦席へ滑り込み、ハッチを閉じる。もたついている暇はない。そのままシステムを立ち上げていく。
「チェック完了。ミユリさん?」
『聞こえてる、大丈夫だ』
通信システムのチェックを行う。
「リーファちゃん?」
『良好です、リオさん』
必要最低限のチェックを消化し、《カムラッド》に装備を取り付けていく。その姿は、一歩兵が装備を整える様と酷似している事だろう。
腰のアタッチメントにヴォストーク散弾銃、両足にタービュランス短機関銃。SB‐2ダガーナイフを予備兵装として両肩に付ける。空いている手にはTIAR突撃銃を握らせておき、各種予備弾倉を空いているアタッチメントに積めるだけ取り付ける。
「リーファちゃん、状況は?」
大規模な部隊でない限り、この装備で事足りる筈だ。正確には、敵にちょっかいが出せて、放置は難しいと判断されるだけの装備があれば良い。
『敵BSが一隻。ウィルバー級、小型艦ですね。こちらへ散発的に攻撃中です。ifが、今確認できるのは三機です。おそらく《カムラッド》かと』
対するこちらの戦力は《アマデウス》一隻と《カムラッド》一機だ。本来なら比較にならない戦力差だが、そういった戦いは慣れている。
「三機だけなら、助かるんだけどね。準備完了、いつでも行けるよ」
『了解。発進を』
武装満載の《カムラッド》をハッチの前まで移動させる。本来、BSにはif射出用のカタパルトが備えられているものだが、この艦にはない。床がゆっくりとスライドし、青く暗い宇宙の闇が徐々に姿を表していく。
あと一歩踏み出せばそこは無慈悲な宇宙であり、今は不条理な戦場が広がっていることだろう。
「やる事は変わらない。いつも通り、騒がせてやるだけだ」
『何か言いましたか』
小さく呟く。律儀にそれを拾ったリーファが問い掛けてくるが、答える気はなかった。
眼前に広がる宇宙へと機体を投げ出す。そのまま静止し、軽く周囲を見渡してみた。黒い宇宙に無数の残骸……デブリが漂っている。遮蔽物として使える物も多く、おそらくイリアがここへ逃げ込むよう指示したのだろう。
「敵ifの位置は?」
『ウインドウに予測位置を出します。ですが、正確には把握できませんでした。こうゴミが多いと』
言い終わるよりも早くifの予測位置が表示された。まずはifに喧嘩を吹っ掛けなければ、この作戦はうまくいかない。
自分が担う役目は、一貫して撹乱にある。敵ifに脅威であり、放置はできないという存在感を植え付ける必要があるのだ。そのまま敵BSへ強襲を仕掛けることにより、敵ifは防戦を余儀無くされる。後は、《アマデウス》が直接BSを叩くだけだ。
大抵は向こうから逃げてくれる。倒せない相手にいつまでも損害を積み重ねるのも、重ねすぎて命を落とすのも意味がない。こちらは追撃しない、故に追い払うだけでいい。
静止したままの《カムラッド》に機動を促す。どの位置にいるのかは分からないが、考えても仕方のないことだ。分からないものは分からない。
ゆっくりと進みながら敵ifを探していく。デブリの群れを抜ける前に、身を隠しながら索敵を行う。
遠方に敵BS、ウィルバー級が確認できた。ウィルバー級は小型のBSで、小回りの効く船体に各種BS用の兵装、艦載兵器用カタパルトを一基標準装備している。
敵BSは《アマデウス》に向け粒子砲を放っていた。有り体に言えばとんでもない分子破壊力と熱量を持った懐中電灯であり、触れた物をたちどころに溶かし引き裂く。それが放たれる度に、黒い宇宙に光の帯が瞬いている。
「敵BSを確認。ifは」
繋いだままになっている通信に現状説明をしようとした瞬間、視界の隅に光が瞬く。身を隠していたデブリが真っ赤に染まり、ずたずたに融解していく。
直ぐ様《カムラッド》を翻し、そのデブリから離れる。融解しきったデブリはまたすぐに冷え固まり、何事もなかったかのようにそこで漂っていた。
「……前方に確認」
三機の《カムラッド》がそこにはいた。自動的に個体識別番号が振られていく。
《カムラッド1》は今しがた粒子砲を撃った機体だ。見た所武装はそれだけに見えるが、背部に大型の追加バッテリーパックがある。破壊力と引き換えに大型で、加えて消費エネルギーも大きい粒子兵器だが、あの追加バッテリーパックがあればifの携行兵器として充分成り立つ。
《カムラッド2》は大型の盾と突撃銃を装備している。《カムラッド1》に同伴している位置におり、護衛と援護を行うつもりだろう。
《カムラッド3》は突撃銃と追加バッテリーパックを装備していた。前衛に位置しており、機動力を生かした遊撃を警戒する必要がある。あの追加バッテリーによって、惜しみ無くバーニアを使った高機動戦闘を仕掛けてくると思われる。
それだけ確認しデブリへと身を隠す。追い縋るように銃弾が殺到するが、突撃銃程度ではデブリを貫通することはない。
しかし、一呼吸入れる暇はない。間髪入れず次の障害物まで動く。思っていた通り粒子砲が瞬き、今しがた隠れていたデブリを融解させ、そのまま貫いた。
次弾発射までの隙を見逃すつもりはない。TIAR突撃銃を右手で保持し、《カムラッド1》へ向けトリガーを引く。
粒子砲を抱えている《カムラッド1》の動きは鈍重だったが、それを穿つ前に盾を持った《カムラッド2》が立ち塞がる。
素早く反撃したのは《カムラッド3》で、三機のフォーメーションを崩さない程度に詰め寄り、突撃銃の掃射を浴びせてくる。
被弾するわけにはいかず、再び身を隠すしかない。単純だが、破りがたい連携だ。矛と盾を分担し、お互いを補っている。
「粒子砲を潰したいんだけど」
ここに漂うデブリでは粒子砲を防げない。最大の矛である粒子砲持ちを撃破すれば、それだけ楽が出来るだろう。敵も警戒してくれる。
右手にTIAR突撃銃、左手にタービュランス短機関銃を握らせ、障害物から躍り出る。
既に一機潰すための動きは考えてある。このまま機体を晒し、粒子砲を避けてから詰め寄る。TIARとタービュランスでそれぞれ《カムラッド2》と《カムラッド3》を牽制し、《カムラッド1》の懐に入れば後は自由だ。多少被弾しても、一機潰せれば状況はこちらに傾く。
こちらに向けて牽制だろう銃撃が殺到する。躱しつつ都合のいい位置まで移動する。ここからなら、盾を持った《カムラッド2》を抑えられるだろう。
《カムラッド1》の粒子砲がぴたりとこちらに合わさる。照射のタイミングを見計らい、横に急制動をかけ跳躍した。照射された光がデブリを焼いていくのを横目に見ながら、《カムラッド1》へ詰め寄ろうとする。が、その意思とは裏腹に、機体は何もせず物陰へ隠れてしまった。
突然の動きに、何より自分自身が驚いた。もう一度攻めようと動かすが、同じようにデブリの陰へ隠れてしまう。手元で操縦した動きではない。無意識の内にBFSが駆動し、安全な所へと移動してしまったのだ。
そして、その理由にも気付いてしまった。それを認めたくはなかったが、脳裏に過ぎるのはそればかりだった。
生きることも、死ぬことさえもどうでもいい。知ったことではない。だというのに。その姿が、声が、微熱が。浮かぶ度に心が揺らぐ。自分を今まで、歪とはいえ支えていたものが瓦解していくようだった。
「……トワ」
その元凶の名を呟く。今ここで死を、享受することができない。どうでもいい、知ったことではない筈なのに。
いや、今悩むべきはそこではない。結果として、自分が動かなければ死の矛は《アマデウス》に、そして自分に向けられる。そんなことは分かりきっている筈だ。
だというのに、機体は物陰から動かない。粒子砲が放たれる瞬間のみ回避運動を取り、再び次のデブリへと移る。
「ふざけるなよ、くそ!」
何度やっても、どう動かしても結果は変わらない。自分の身を危険に晒すことができない。
「言うことを聞け、動けよ!」
操縦席に怒鳴り声が響き、それでも操縦することは叶わなかった。幾度目かの粒子砲が瞬き、再び回避運動に入る《カムラッド》は、完全に矛の役割を失っている。盾の意思しか反映されないその動きは、操縦者の心を表しているかのように乱れ、歪で、懸命に見えた。
彼が、《アマデウス》が追い詰められるのは時間の問題であった。