出ない言葉
主要登場人物
AGS所属 武装試験艦《アマデウス》
イリア・レイス 同BS艦長。少佐。20歳。
クスト・ランディー 同BS副艦長。中尉。20歳。
リュウキ・タジマ 同BS操舵士。少尉。21歳。
ギニー・グレイス 同BS武装管制員。少尉。21歳。
リーファ・パレスト 同BS通信士。特例准士。14歳。
アリサ・フィレンス 同BS軍医。曹長。23歳。
ミユリ・アークレル 同BS整備士。曹長。23歳。
リオ・バネット 同BS‘if’操縦兵。特例准士。17歳。
アストラル・リーネ ‘ff’操縦兵。軍曹。18歳。
AGS所属 緊急召集部隊クロウスチーム
エリル・ステイツ 同チーム、クロウス4。伍長。19歳。
AGS所属 特殊中型BS《フェザーランス》
キア・リンフォルツァン 同BS艦長。少佐。20歳。
リード・マーレイ 同BS艦長補佐。大尉。28歳。
トワ 詳細不明。
簡易用語集
「勢力」
AGS
大企業、ロウフィード・コーポレーションの設立した戦闘部署。現在、《アマデウス》はこのAGSへ所属している。
H・R・G・E
大企業、ルディーナの設立した戦闘部署。AGSとは敵対関係にある。
「メカニック」
if
イヴァルヴ・フレーム。全長八メートルの人型搭乗兵器。現代戦の主軸を担っている。
ff
フライト・フレーム。航空機・戦闘機を示す。
BS
ベースシップ。ifを含む、兵器を運用・展開可能な戦艦。
セクション
宇宙居住区。ドーナッツ型に連なった居住ブロックに、棒状の管制ブロックが組み合わさって構成されている。トーラスダガータイプと言われ、ドーナッツの中心に棒が通っているような見た目をしている。宇宙居住の礎である。
あらすじ
AGS所属のif操縦兵、リオ・バネットは遺跡の調査任務の際に、見知らぬ少女を保護してしまう。自分が誰かも分からず、そもそも人であるかどうかすら分からない少女。少女はトワと名付けられ、変わってはいるが普通の少女としてリオと共にいた。
しかし、普通である筈もなく。トワは動く筈のないifを動かし、勝てる筈のない戦いを勝った。
トワの持つ不可思議な力。その存在を朧気ながら察知したAGSは、特殊部隊を送り込んでそれを推し量る。
詳細は不明でも、何らかの痕跡はある。
AGSはそう決断し、《アマデウス》にある命令を下す。
謎は謎のまま、一切その輪郭を捉える事は出来なかった。その清算が、すぐそこまで迫っていた。
輝度の落とされた照明が、陰鬱な空気と混ざり合って沈黙を強いている。AGSの軍事用セクションの一つ、カソードCのブリーフィングルームには鬱蒼とした緊張感が滞留していた。有象無象の一つに徹していたエリル・ステイツは、居心地の悪さを感じて早くも後悔をしている。
もっとも、そういう命令なのだから仕方がない。誰もが後悔と諦念を持って参集しているのだろう。ここにいる連中は全員、顔も知らない別の部隊の人間だ。緊急コードに基づき、各部隊から一名選出してカソードCへ招集された。文字通りの寄せ集めに過ぎない。
寄せ集めと言っても烏合の衆ではない。誰もが優秀な技能を有しており、それの行使に迷いはない。いざ戦地に赴けば連携も取れるだろうし、同じ操縦兵としてやれることをやるだけである。
エリル・ステイツは、恐らく優秀な操縦兵に数えられているだろう。代々軍人として献身を尽くしてきた一家に、養子として育てられた恩を、同じく軍人としての献身で持って返そうと。そう自己研鑽を重ねてきた結果がこの現実に繋がる。
その一家に対しては感謝しか持ち得ない。およそ家庭という物を知らないエリルにとって、紛い物であってもその日々は実在する温もりとして残る。自分を律することで現実を耐え抜いてきた幼少期の副作用で、一家と素直に接することができなかったのも事実だが。それでもあの一家は受け入れてくれたのだと思う。
恐らくは、エリル自身がどうという話ではないのだ。あの一家は代々軍人として勤めてきたのにも関わらず、いつでものんびりしている人達ばかりだった。そんな人の在り方が羨ましく、眩しいとさえ思うほどに。
幸い、操縦兵としての才能がエリルにはあるようだった。今尚戦闘状況が多発するこの環境下において、優秀な操縦兵でいることは大きな利益となる。あの一家に少しは報えただろうかと、エリルは悩みつつも戦っていた。宇宙勤務となってから遊撃任務が多く、ろくに連絡も取れていなかったと、エリルは今更になって思い返している。
内心の不安を奥へ奥へと押し込めて、エリルはいつものように弱気を押さえ込む。冷静に冷徹に、それはエリルの獲得した処世術であり、もっと客観的に言えば特性である。こういった切り替えができるから、操縦兵に向いていると言えるのかも知れない。
扉のスライドする駆動音を捉え、エリルは思案の時間を終わりにした。制服に身を包んだ壮年の男性が、相応の威厳と緊張感を持って入室した音である。指揮官の為に用意された壇上に歩んでいくのだから、この男性が現行する作戦の指揮を執るのだろう。
「今時作戦において指揮を執らせて貰う。自己紹介をしておきたい所ではあるが、今時作戦は隠匿性の高い任務となる。以降は私を含めて各員識別コードに基づいて呼称を行う。私の事はコマンドポストで統一する」
隠匿性の高い任務、その言葉が持つ意味をエリルはよく理解していた。即ち、余計な事は知る必要がないという一点である。知る事で身を滅ぼす物は、この現実において少なくはない。
「手元の端末に情報を開示した。確認を」
壮年の男性、コマンドポストが壇上で携帯端末を操作しながら指示を出す。
エリルは指示通り、腰掛けている椅子に備え付けられたPDAを取り出した。幾つかの情報と共にクロウス4の表示があり、識別コードという言葉の意味を実感した。これからエリル・ステイツではなく、クロウス4として任務に臨まなければいけない。個人名すら隠し通さなければいけない任務とは。本当に貧乏くじを引かされてしまったのかも知れない。
「概要を説明する。と言っても、開示出来る情報はあまり多くはない。このカソードCにて極めて重要な戦闘行動が発生するかもしれない、という話だ。我々はそれに備えて、状況如何では仕掛ける」
次々と開示されていく情報を読み進めていくと、どうにも相手は同じ所属らしい事が分かった。AGSがAGSと戦闘する。さして珍しい事でもない。結局の所、利害のすり合わせで敵は決まっていく物だとエリルは学んでいた。つまり、AGSの道理から外れた時点でそれは敵なのだ。もっとも、それはAGSに限った話でも、軍という体制に限った話でもない。組織という枠組みがある以上、その境界線はどうあっても存在する。
「恐らく目標はAGSとの交渉を望んでいるだろう。その交渉が決裂しない限り、我々は行動を起こさない。その交渉の推移を貴官等に開示することは出来ない為、事態の急変には瞬時に対応して貰うことになる」
全体像をぼかし、情報を与えないことで漏洩を防ぐ。エリルではなくクロウス4になれというのは、命令を実行する為の部品になりきれということだ。それは組織にとっても個人にとっても都合がいい。後ろ暗い任務なら尚のことであり、自分自身を守る一番合理的な手段でもあるのだろう。
「本来、このカソードCには多数のifを含む実働部隊が配置してあるが、今時作戦ではこれを基本的に用いない。ここにいる貴官等のみが戦闘行動に入る形になる。少数での戦闘になる事を念頭に行動するように」
何にせよ、こういう事態では知らぬ存ぜぬが一番の処世術となる。エリルは胸中にくすぶる疑問を閉じ込めて、開示されていく情報を咀嚼していく。目標となる艦船……BSは小型で、武装試験艦を実戦流用した物らしい。目標BS名は《アイボリー》、これも急遽付けられた偽名だろう。
「識別コードは確認したと思う。それぞれの識別コードごとに主立った任務が割り振られることになる。アイロン1から8はカソードCの防衛が主任務となる。クロウス1から8は直接目標へ攻撃を加える事が主任務となる。どちらの部隊においても対BS戦闘及び対if戦闘が発生する。特に対if戦闘への比重は高いだろう」
幾つかページを飛ばして、エリルは敵if操縦兵の情報を閲覧した。一番接触するだろう操縦兵はリオ・バネット特例准士というらしい。使用するifは《カムラッド》か《オルダール》、BFS使用者であり近接戦闘の勘が良い。単騎での戦闘経験が豊富で、連携を持って封殺出来なければ苦戦を強いられるだろう。要するに、自由にさせたら危険な相手という事だ。ふと、この名前は偽名か否かが気になった。識別コードのようには思えない。
「チームクロウスが目標BS及びifと交戦する場合、ifの方は無力化、及び撃破しても構わない。が、BSは無力化で留めるように注意して貰いたい」
単純に考えて八対一であるならば、苦戦すら論外だが。そうエリルは考えながら目標BSである《アイボリー》の情報を閲覧した。添付されていたクルーの名簿に並ぶ名前は、やはり偽名ではないように思えた。ここまで隠匿性を重視しておきながら、名簿は改編すらされていない。意図的なのか、緊急であるが故に手が回らなかったのか。いずれにせよ、クルーの情報はあまり重要ではない。そう思い《アイボリー》の情報を切り替えようとした瞬間だった。
冷静に冷徹に。そう言い聞かせてエリルは呼吸を整える。何とはなしに眺めていたクルーの名簿の中に、他とは違う熱を感じた。勘違いであって欲しくて何度も読み返すが、その度に心音が乱れていく。
「敵BS《アイボリー》の装備は強力ではないが足が速い。最高速度に至るまでが勝負になる」
冷静に冷徹に。そう言い聞かせても何も変わりはしない。どんなに呼吸を整え、どんなに思案した所で、その名前が変わることはないのだ。
最早意味を成さなくなったブリーフィングなど、頭に入るわけがない。
エリルは驚きと苛立ち、そして耐えようのない不安感を自制心ですり潰していく。
何故、あの人の名前がここにあるのか。
「停滞と滅相」
Ⅰ
本音を言えば緊張しているのだろう。見通しの付かない現実を受け、自分は端から思考を停止している。それで済む筈なのに、胸中をゆっくりと締め付けている不安からは逃れられない。
《アマデウス》後部、通称展望室にてリオ・バネットは何度目かの溜息を吐いた。
元々が武装試験艦である《アマデウス》には、使われていない空間も多い。そこに無理矢理機材を詰め込んで医務室やら何やらと名前を付けているだけであって、この展望室も本来の用途とはきっと違うのだろう。ただ後ろに広い空間があったから、机と椅子を並べて外部投影モニターを起動させているだけだ。談話室のような物だが、今この展望室にいるのは自分とトワの二人だけであった。
Tシャツにショートパンツと、トワはいつも通りの格好をしている。時折買ってきて貰った服で着飾ってはいるが、常時はトワも疲れるのだろう。この格好にしれっと戻っていたりする。個人的には、これぐらい気が抜けている方が丁度良いと思っているのだが。
トワは隣に座り、手持ち無沙汰なのかパック詰めされた飲料水に口を付けていた。飲料水がストローを上下しているのを横目で眺めていたが、どうもその量は減っていないように見える。多分遊んでいるのだろう。
「トワ、それ汚いと思うんだけど」
吸っては戻しているのだから綺麗な筈はないと思うのだが。トワはちょっと考えた後に頷き、そのパックをこちらに差し出した。
「リオも飲む?」
「飲まないよ。というかそれあんまり飲んでないでしょ」
ほとんどいつも通りの会話だったが、トワの表情はどこかぎこちない。それはきっとこちらも同じであり、同様の不安を抱えているが故、こうして直ぐに言葉に詰まってしまう。
現在の《アマデウス》を取り巻く情勢は、思ったよりも複雑だったと。それだけの話なのだが。結局、トワが一体何者なのかは判明しないまま、訳の分からない搭乗兵器まで囲い込んだのだから始末に終えない。
謎を満載したまま、この《アマデウス》は宇宙に浮かんでいる。永遠に浮かんでいられる道理はなく、背負い込んだ謎の数だけ精算が待っているのが現実だった。
トワの事が、或いは謎の断片がAGSに勘付かれているらしい。前にアストラルが言っていた時とは違う。ある種の確証を持ってAGSは《アマデウス》を見ている。
AGSとの敵対、そうなる未来が在ることを知っていたし、知った上でトワを切り捨てる事は出来ないと決断もした。決断もしたのだが、いざそれが目前に迫った今、何の見通しもないことに気付いたのだ。
トワは捨て置けない。でも、その場合どうすればこの宇宙で生きていけるのだろうか。ifでも何でもいいから奪って逃げるのか。武器弾薬バッテリーを満載しても限界がある。個人情報から凍結されてしまえば、口座にある金額もただの数字でしかなくなるのだ。一個の巨大な組織に刃向かって、一体自分に何が出来るのだろう。
引き延ばしてきた課題の期限、その一つが今迫ろうとしている。
今頃ブリッジでは主要なクルーが、というより自分とトワを除いた全員が集まっているのだろう。イリアが緊急収集を掛け、皆に聞くのだと言っていた。トワの扱いに関しての話であり、自分達の進退に関わる話だ。今更と笑う資格は自分にはない。他ならぬ自分が、決意しておきながら見て見ぬ振りをしていたのだから。
どんな結果になってもイリアはこちらの味方をすると言ってはくれたが、果たしてそれで良いのだろうか。《アマデウス》にイリアは必要であり、自分とトワがここからいなくなればそれで問題のほとんどは片が付く。
その場合、著しく生存率は下がることになるが。二人きりの逃避行がうまくいく条件の一つは、まず外に空気があるか否かだろう。
「ねえリオ」
平然としたトワの声が。そう装ったトワの声が響く。そう分かる自分も、それを察して尚話し続けようとするトワも、どちらも痛々しく思ってしまう。
「もしもだけど。そうなったら、私が出て行く方がいいかな?」
そうなったら。その言葉が示す現実は、すぐそこまで迫っているのかもしれないのに。トワ一人がここからいなくなるという選択は、なるほど合理的だろうと思う。その選択をしない為に、自分に一体何が出来るのだろうか。
「一人で出て行って、その後はどうするのさ」
突き放すような言い方にも関わらず、トワはふわりとした笑みを返した。
「うん、どうしよう」
緊張も不安も全てかなぐり捨てた笑顔だ。それは殉教を思わせる寂しい笑顔であり、こんな顔をさせたくないと強く思っている筈なのに。
「どうしようもないよ。どうしようもないから、一人で出て行くなんて」
トワを犠牲にしてまで、この現状を維持する必要はない。自分が誰かも定かではない、言ってしまえば見知らぬ少女を、犠牲にしてまで生き長らえる必要は……。
脳裏にちらつく光景が、その決意を嘲笑う。
悪魔と悪魔が吠える。認識出来る以上の速度で反転する世界は、荷重に不慣れな器官を一息に潰していく。ifでの戦闘は、特に一対一での戦闘は速度が肝要となる。地面を蹴り、バーニアを噴かして、自分の有利となる位置へとifを滑り込ませる。ただ飛来する弾を避けるだけでは不充分なのだ。避けながらも有利な位置へと滑り込まなければ。
真横に飛び跳ね、次に詰め寄るべく地点を割り出して再度跳躍する。たった二度の戦闘機動で、眼球内の毛細血管は破裂し視界が赤く染まった。鼻からは血が滴り落ち、感覚的に血液が偏りつつあることが分かる。でもそれだけだ。脳への血液供給は正常だし、主要な内臓は生きている。胸中に燻っている業火も消えていないのなら、止まる理由も止める理由も存在していない。
だからその一歩を踏み出した。次に繋がる有利な地点を、端的に言えば生存する為の一歩を。
その一歩を踏み出した先に、或いは踏み込んだ先に何があったとしても。気付いていなかったという言い訳はしない。はっきりと知覚していた。
見知らぬ、学生の集団を。
……込み上げてきた吐き気に、反射的に口元を覆う。全てを間違え、間違えた末の選択で更に間違えた。その最初の一歩から、既に自分は骸の上に立っているのに。
「リオ、大丈夫?」
打って変わって不安げな表情を浮かべるトワを見て、苦笑しようとして果たせなかった。吐き気は収まったが、脳裏にちらつく赤い世界はまだ消えそうにない。
事実は事実として残る。悪夢は悪夢として存在し続けるし、その光景をこうして顧みたとしても何も変わりはしない。だから、こうして動揺するなんてことは久々だった。ましてや吐き気を覚えるなんて。そうまでして、自分はまともなフリがしたいのだろうか。
「今更何を」
これでは駄目だ。何一つ報えない。
「えっと、何を?」
トワの復唱を受け、頭を振って意識を切り替える。今悩むことではなく、悩んだところで答えはない。
「何でもない。トワも、一人で出て行く必要はないよ」
「うん。そうだね」
トワはふわりとした笑みを浮かべながら返したが、その笑顔はあの寂しい笑顔だった。きっと、トワも納得していない。言葉だけではどうしようもないのだ。誰かを納得させるには、それに値する確証が必要だと。
いや、違う。言葉でどうにでもなる事だってあるのに。ただ一言、どうなるかは分からないけど一緒にいようと、そう言えればこうはならないのに。
互いに何も言わず、何も言えずに。待つだけの時間を浪費していくようだった。