無数の檻
三機から矢継ぎ早に情報が開示され、広域レーダーを少しづつ着色していく。捜索が完了した領域を塗り潰していき、視覚的に進捗状況が分かるようにしてあるのだ。錯綜する情報を整理しながら、《アマデウス》ブリッジでも戦いは続いていた。
『リーファちゃん、リュウキだ。ポイントF地点に敵if。装備を見るに哨戒機だ。やり過ごしてから前進する。方向的にはイリアさんのエリアに入るかも知れない。警告頼んだぜ』
「了解です。伝えます」
リュウキからの情報を受け、副艦長であるクストが広域レーダーにそれを反映させていく。その情報を元に私は報告し、スムーズな作戦運用をサポートする。
「イリアさん。ポイントFからポイントIに掛けて敵哨戒機、ifです。対処お願いします」
現在の進捗状況は悪くない。この調子であれば、何とか時間内にリオを見つけることが可能かも知れない。
『イリア了解っと。でも大丈夫そう。そのifが到達する前にこのエリア離れるから』
その中でも、イリアの捜索達成率が頭一つ分違う。極力会敵しないようにエリアを捜索していることが理由だろう。その理由が分かった所で真似できるというものでもないが。
この捜索速度を維持できれば、イリアがリュウキ、もしくはトワの援護に回るだけの時間も捻出できるかもしれない。そうなれば、より確実にリオを見つけ出すことが可能となる。
『リーファ、たぶん敵』
次の情報だ。トワからの簡潔な報告はこれで五回目であり、その全てがこの‘たぶん敵’だ。
「規模はどの程度ですか、トワさん」
今までトワが会敵したのは三機編成のif部隊であり、そのどれもがトワの手によって全滅させられている。つまり、その程度の戦力比ではトワは止められないのだ。その事実が未だに不可思議であり、また恐ろしくもあった。
だがそれ以上に気掛かりなのが、トワのバイタルサインだった。トワの身に着けているフラット・スーツには医療用の装備が内蔵されており、その計測値がこちらでも確認出来るようになっている。戦闘を重ねるごとに、数値は危険域へと跳ね上がっていく。既に百以上となった脈拍数を横目に、これ以上の戦闘は危険かも知れないと考えた。いくらトワが戦えると言っても、人の身体としてこれ以上は保たないのではないか。今は、恐怖よりもその不安の方が大きかった。
『さっきと同じぐらい。いや』
沈黙が不安を煽っていく。そして、それを裏付けるようにトワの脈拍数が上昇していた。
『少し増えた。戦うしかない』
迷いも何もない。トワの言う少しがどの程度の規模かは分からなかったが、トワにとっては些細な事なのだ。
トワのバイタルサインは、口調とは裏腹に赤く染まっていく。厄介なのは、他ならぬ当人がそれを理解していない事だった。
※
羽が瞬いた。一瞬にして間合いを詰められた《カムラッド》が、構えたナイフごと両断される。圧縮粒子による斬撃は、そう簡単に防げる物ではない。トワの操る《プレア》は、一発の被弾も許さずに四機目のifを撃墜した所だった。
容赦はなかった。このif部隊がリオを確保していないと判断している為、トワにとっては捜索の邪魔をしてくる敵だという認識しかない。
残敵数もあと四機であり、戦闘開始から数分と立たずに状況はトワの有利へと傾いていた。戦闘になってしまえば、トワは《プレア》と同調し圧倒的な戦闘力を発揮する。たとえトワ自身の呼吸が乱れに乱れていようと、吹き出る汗が水分を奪い喉を締め付けていようと関係はない。肺が悲鳴を上げようが、心臓が機能不全を起こそうが関係はないのだ。
《プレア》は両腕の粒子剣を展開したまま、その圧倒的な熱波と共に残る四機のifへと猛進する。律儀に陣形を維持したままの四機は、トワと《プレア》にとっては体の良い的でしかなかった。
そもそも単純な速度が違い過ぎる。すれ違い様に一機、振り返り様にもう一機、体勢を立て直す前にもう一機、体勢を立て直し銃を構えた《カムラッド》を銃ごと両断する。駆け引きも何もない。力と力のぶつかり合いではトワと《プレア》に勝てない上で、トワと《プレア》はそれを強制する。
そうして一瞬の間に、トワは八機のifを撃墜した。息苦しさに耐えかねて、意識を《プレア》から自分へと切り替える。広大に感じられた世界が途端に狭まって、トワは自分の窮屈な身体を知覚した。
光一つない操縦席の中で、肩で息をして項垂れている。何か機能不全が起きているのか、視界が極端に狭く赤黒い。光がない中でそう見えるという事は、本当に危険な状態か、或いは気がおかしくなっているかだろう。
フラット・スーツの下はもう汗で濡れそぼっており、下着が肌に纏わり付いて不快だった。そして、その不快感すら些細な事だと思えるほど息が苦しい。呼吸が出来ていなければ、そもそも不快も何もない。更に言えば、トワにとっては呼吸の有無自体も些細な事だった。
「リオ……」
何度目かの吐息が漏れ、今までのそれと同じように無へ還っていく。物事の優劣も成否も、トワからしてみれば非常に単純な事柄でしかない。
その実直な神経が、目聡く異常を感知した。まだ目標を達成している訳でもなく、ここが安全という訳でもない。どうあろうが、気を抜くわけにはいかないのだ。
再び《プレア》へと意識を寄り添わせ、《プレア》の目を用いて視線を巡らせた。
「ちょっとしつこい」
毒々しげに呟き、トワは呼吸を整える間もなくそれと向き直った。
大型のBS《ゴドウィン》とその艦載機であるifが十六機、味方の無念を晴らすべく包囲網を形成していた。
こんなことをしている場合ではないのに。思ったようにはいかず、トワはそれらの障害を睨みつけた。
「邪魔を、しないで」
トワと《プレア》は再び戦闘を開始した。それは相も変わらず圧倒的だったが。
……少しずつ、相手も当人も気付かない程度の綻びが見え始めていた。
宇宙の黒以外何もなかった筈の空間は、今や無数の残骸が燻る死地へと変わっていた。《プレア》に目立った被弾はなかったが、それを操っているトワは既に限界が近付いている。
大型のBS、《ゴドウィン》も今や熱された鉄塊と変わりはしない。内蔵された人工大気を撒き散らしては引火を繰り返し、巨大な鉄塊は小さな太陽のように瞬いていた。
「ここにもいない。先に、進まないと」
トワにとっても、BSの中を切り開きながら人一人を捜すという行為は負担だった。その一幕がなければ、もっと早く雌雄は決していただろう。
イリアから提示された座標を、まだ全て調べたわけではなかった。となれば、ここで止まっている訳にもいかない。
座標は確認するまでもなく頭へ叩き込んであった。最早残骸に用はない。そもそも、トワはそれらに用などなかったのだが。
飛び出そうとした最中、不意に聞こえた雑音に意識が向いた。いや、雑音ではない。その正体に気付いたトワは、ほんの少しだけ意識を操縦席に戻した。
『トワさん、返事をして下さい! 聞こえないんですか!』
ヘルメットの内側から響く声はリーファの物だ。
「ごめんリーファ。今気付いた」
その声があまりにも必死だった為、少し微笑みながらトワは返していた。
『はあ、まったく。そういうとこリオさんとそっくりですね!』
「それはちょっと嬉しい」
そう言いながら、トワは意識を半々に分けて操縦を行った。足を止める理由はない。油断無く周囲を伺いながら、トワはリオの痕跡を探す。
『何が嬉しいのか、私にはよく分かりませんが』
どうやらリーファは不機嫌なようだと判断し、トワはふと疑問に思う。
「そういえば、リーファは何か用があったの?」
そもそもリーファが話し掛けてきたからこうして会話しているのであって、トワからの用事もなければ、伝えるべき要件も今はなかった。
『ああ、えっと、そうでした。トワさん、身体の方は大丈夫なんですか。その、数値が』
打って変わって控え目な口調で話し始めたリーファの声を聞き、どうも深刻な話だろうと分かった。
数値がどうかは知らないが、トワはヘルメットのバイザーを開けて汗を拭った。汗とは違う、てらてらとした液体がフラット・スーツのグローブに付着している。もう一度鼻を拭うと、グローブの表面はすっかりそれで濡れそぼってしまっていた。
「だいじょぶ。何も問題ないよ」
ヘルメットのバイザーを戻し、トワは操縦に集中する。嘘ではなかった。今こうして身体が動くのならば、それはトワにとって何の問題もない。
『でも、この数値は普通じゃないんです。本当に、何ともないんですか』
「私はその数値が何か知らないし、こうしてちゃんと話をしてるよ?」
そう応えながら、トワは少しの異常も逃さぬように周囲を見渡していく。視界に入る宇宙は変わらず黒のままであり、広大であるそれは多大な存在感を伴って迫る。
トワにとって宇宙は恐れの対象でも何でもないが、今はその所在のなさがただ疎ましい。
トワ自らが作り出した残骸の群れは、もう遙か後方に位置していた。押し黙ってしまったリーファを蚊帳の外に置き、トワは捜索を続ける。
互いに何も言わない時間が過ぎていく中、トワは小さな頭痛を覚えた。不調塗れの身体の中であっても、何処か真摯に痛みは届いていく。明確な理由など一つもなかったが、トワはそれが探していた物だと確信した。
「リオ……!」
更に速度を上げて《プレア》は飛翔する。逸る気持ちを抑えきれずに、トワはその痛みの示す方向へと突き進む。
少しばかり感覚が足りない、そう思ったトワはヘルメットを脱ぎ捨てた。その方がより多く感じ取れると判断したことであり、ほとんど無意識の内に行っていた。より鮮明に感じられるようになった痛みを追い掛けるように飛翔を続ける。
ふと、その意識に別の意思が差し込まれた気がした。その源を辿る前に、トワは《プレア》を強引に横へ動かした。遅れて飛び込んできた小口径の弾丸が空を裂く中、背に感じた違和感が脳を劈く。背後に迫っていた残骸の一つが、巨大な火球となって《プレア》に迫った。
銃撃による牽制と仕掛け爆弾によるブービートラップだ。確殺の一撃をトワは急制動と更なる急加速を用いて回避する。《プレア》の機動能力を最大限生かした戦闘機動だが、予期せぬ機動の負荷はそのままトワへと跳ね返っていた。口中に広がる鉄の味に顔をしかめながら、トワは《プレア》の目を用いて周囲を見渡す。
残骸と岩石群が少ないながらも点在し、敵の視認を難しくしている。if《カムラッド》が三機だけだったが、それぞれが散開し遮蔽物を行き来していた。
トワは唇を噛み締める。狙いが定まらず、混濁している意識では何をどうすべきかも思い付かない。
脱ぎ捨てたヘルメットを被り直し、トワは断線した頭で考える。どうしてかは分からないけれど、この先にリオはいる。なら突破しなければ。
意を決して斬り込もうとした矢先、違和感の群れが前方に迫っていた。いつの間に射出していたのか、複数のスマート機雷がゆっくりと《プレア》に這い寄る。
進行ルートを塞がれ、トワは判断に迷う。まずいと思った時には、別方向から撃たれた小口径弾を律儀に横へ避けてしまっていた。その方向は、仕掛けられたワイヤーが宇宙の黒へ溶け込んで《プレア》を待ち構えている。
そのワイヤーに触れた瞬間、敷設された機雷が一斉に炸裂した。無数の破片と火球が《プレア》に迫る前に、再度急制動と急加速を繰り返して確殺範囲から逃げていく。その逃げ道の先には、ゆっくりと迫るスマート機雷の群れが待ち構えているのに。
「く、うう」
小さな悲鳴が込み上げてくる。トワは《プレア》がスマート機雷に触れる前に、それらを粒子砲で狙い撃った。次々と連鎖炸裂していくその機雷が回避方向を限定させ、足を止める間もなく次の攻撃が開始された。
機動性を損なわない程度の障害物の存在、彼我の数、罠に掛けたという心理的な有利、この地形と状況は、ことif戦闘においては大きなアドバンテージとなる。
立場の逆転。つまるところ、ここは彼らの狩場へと変わったのだ。
※
待機と言われればそれ以外に出来ることなどなく、大人しくベッドを温めておく他ない。ないのだが、それで納得出来るようなアストラルではなかった。《アマデウス》医務室で、アストラルは押し黙ったまま考える。何せ、今回の作戦の正否はそのままリオの命に直結するのだ。
命令通りじっとしている訳にもいかず、アストラルはPDAから《アマデウス》ブリッジの通信網へアクセスしていた。それをずっと盗み聴きしていたのだが、どうも状況がよろしくない。先程までは作戦進行にさして問題は感じられなかったが、何かしらの手違いが起きている。
それも致命的な手違いだ。ベッドから立ち上がり、アストラルは考えをまとめた。それは最初から決めていた事であり、結局は決意の問題だったのだが。患者衣を脱ぎ捨て、隠しておいたフラット・スーツに手を掛ける。
そう、行動すべき時だ。




