赤の負債
リオは《オルダール》の操縦席で、深く息を吐いた。余計な事は考えない。一切合切の思考を閉め出して目の前の状況だけを取り入れる。その結果感じる違和感は、間違いなく敵の痕跡ということになる。ただ敵を見つけ殲滅する、それだけに思考を特化させるのだ。難しいことではない。
完全に切り替わった頭が違和感を探り、それに気付くと同時にTIARのトリガーを引いた。射線の先には二機の《カムラッド》が並んでおり、回避行動を取ってはいるが些か遅い。岩石群を縫うように接近する。
こうも岩石が密集していては、ろくな回避行動も取れないだろう。それはこちらも同じであり、それならば攻めた方が有利に立ち回れる。
執拗に鉄鋼弾を《カムラッド》に叩き込む。狙いは一機、手前にいる撃ちやすい相手だけを見据える。常に詰め寄り、放たれるこの銃撃は、防ぐことも避けることも出来ない。背に巨大な岩石、正面に無数の鉄鋼弾を浴び、《カムラッド》は痙攣したまま動かなくなった。
そのままの勢いで詰め寄り、TIARを残る一機に向ける。トリガーを引くが、寸前で後退した《カムラッド》を捉えることは出来なかった。吐き出された鉄鋼弾が岩石を削っていく。
逃すつもりはない。素早く再装填を済ませ、小刻みに加速しながら《カムラッド》に追い縋る。が、鉄鋼弾が的中することはなかった。掠めるだけで精一杯だ。
「これじゃあ、足の速さがまるで生かせない」
小さな破損を無視して強引に進んではいたが、《カムラッド》に追いつくのは困難だった。最高速度を維持しようにも、そこまで加速できずに次の障害物が見えてくる。本来、この《オルダール》の速度なら難なく詰め寄れるが、ことこの環境においてはifの性能差は関係ない。単純に、最初にリードした分だけ距離が離されるのだ。
先程の攻防でろくな応戦もせずに、この《カムラッド》の操縦兵は距離を取った。味方を捨て、自分が生き残る道を選んだのだろう。その潔さが、こうして目の前の攻防を凌ぎきっている現実に繋がる。
警告音が操縦席に響く。今尚逃げ続けている《カムラッド》からレーダー波を感知したのだ。種別はアクティブレーダー、自分から率先してレーダー波を垂れ流し、姿を晒す代わりに広範囲を索敵する装備だ。
だが、今これを打ったのはこちらを索敵するつもりではないだろう。恐らく周囲の部隊に告げる為だ。敵の位置と自機の悲運を、まるで喚くようにレーダー波を流している。
このまま追い掛けるのは得策ではない。これだけ執拗にレーダー波が流れていれば、部隊が集結するのは時間の問題であり、複数戦に持ち込まれてはこちらの不利が目立つ。
だから、ここでの追撃は諦めた方が良い。一回距離を取り、レーダー波から逃れて再度奇襲を狙う。それが一番確実な筈だ。
だが、そこまで分かっていて尚、追撃を止めることはできなかった。ここで身を隠すことはそう難しくない。だが、自分が保身に走った結果が予測しきれない。こちらを見失った敵機は、再び索敵に入るだろう。今度は勘違いではない、確実に敵がいると分かっている所へ踏み込むのだ。
もし《アマデウス》が見つかってしまえば、その不利はもはや覆せない。《アマデウス》は沈み、まだ眠っているだろうトワは、何も気付かないまま宇宙で焼かれる。残骸と一緒くたに冷え固まり、もう二度とその熱に触れることはできない。
その気持ち悪い未来が少しでも消せるなら、ここで追撃することによる不利は許容すべきだ。生死を分かつ選択を間違えた。そう確信しながらも、もう止まることはできなかった。
今まで逃げ続けていた《カムラッド》がこちらへ振り向き応射してくる。それが苦し紛れの一撃でないことは分かっている。地形的に見れば、ここは幾分か岩石の密集度が低い。数の利を生かすのならば、ここで決着を付けようと判断するだろう。
放たれた弾丸を、《オルダール》を大きく翻して回避する。思った通り、《カムラッド》を庇うように数機のifが集結した。いつものように回避し詰め寄っていたら、そこで袋叩きにされていただろう。
集結した敵if、その数はある種予想通りでもあった。この数が予想できていたからこそ、自分は選択を間違えたのだ。
現れた《カムラッド》は全部で五機、今追っていた物と合わせれば計六機の《カムラッド》に睨まれていることになる。それに加え、H・R・G・Eの用いる戦闘用if、《ハウンド》が二機いる。
《ハウンド》は《カムラッド》を純戦闘用に改修したifであり、今自分が使っている《オルダール》と同等の機動性能を発揮できる。洗練されたシルエットは細く、猟犬の名に恥じない狡猾さを持ってこちらの喉笛を食い千切ろうとする。簡単に言ってしまえば、熟練した操縦兵向けの、‘強くてひどく厄介なif’だ。
全八機のifが正面に展開している。予想はしていた。していたが、こう目の前に並ばれると目を背けたくなる。
本来なら戦いにすらならない。数とは、それ程までに力を持つ。
「ここは通さない」
だから、全身全霊を用いてここで追い返すか……殲滅する。
小さな損傷など、もう気にしている余裕はない。死の奔流を持って包囲を固める敵ifの群れへと、一直線に飛び込んでいく。小さな岩石群を跳ね飛ばす度に操縦席に振動が走り、視界がぶれていく。《ハウンド》二機が腰から抜いた大型の山刀、マチェットを構えて接近し、他の《カムラッド》五機は散開し包囲網を形成しようと援護射撃を飛ばしている。
絶対的な数の利を生かした包囲戦、誰もが勝てると感しているだろうこの一手が、相手の致命的な隙になる。
こうして《ハウンド》二機は近接間合いへと滑り込んできた。労せず斬れる致死の間合い。絶妙なタイミングで《ハウンド》二機の間をすり抜け、間断なく《オルダール》を旋回させる。そのまま素早くTIARを左手に持ち替え、空いた右手でE‐7ロングソードの柄を握り締めた。どちらを斬るか瞬時に判断し、抜刀と同時に右手側にいた《ハウンド》を肩口から腰にかけて両断した。もう一機の《ハウンド》も斬りたかったが、《ハウンド》の足の速さは伊達ではない。確実に獲れる獲物目掛けて、《オルダール》を突撃させた。包囲網の一端を担う《カムラッド》一機を、通り過ぎ様に腰を狙って一文字に切り裂く。回避する間すら与えない一撃だ。状況が整う前に、何とか数を減らす。
「残りは《ハウンド》が一機、《カムラッド》が五機か」
E‐7ロングソードを右肩に戻しながら、障害物を利用して火線を散らす。これで相手は接近戦を警戒し、先程のように不用意に近付いてはくれないだろう。左手でTIARを保持したまま、右手でヴォストーク散弾銃を構えた。
障害物から出るや否や、一番近付きやすい《カムラッド》に目を付け、再び強引に接近していく。背後から《ハウンド》が迫っているのは分かっていたが、向こうも警戒している以上決定打に繋がる攻防は期待出来ない。ならば、今目の前の一機を撃墜することを優先した方がいい。
複数の《カムラッド》から放たれる迎撃の火線を巧妙に避け、時には突き抜けて接近していく。意図に気付いた《ハウンド》が急加速し、こちらの《オルダール》を止めようとマチェットを振るうが、予想できていた行動と一撃に構っている余裕は無い。カウンター気味に蹴りを繰り出し、《ハウンド》を引き離す。
「追い付いた」
狙っていた《カムラッド》へ向き直り、左手のTIARと右手のヴォストークを構えた。たじろいだように後退しようとする《カムラッド》に目掛け、ありったけの弾丸を叩き込んだ。無数の鉄鋼弾と散弾を正面から浴び続けた《カムラッド》は、穴の空いたチーズと何ら変わらない。オイルを撒き散らしながら流れていくその骸を一瞥し、次の行動に入る。まだ、《カムラッド》だけでも四機は残っている。
TIARとヴォストークは共に再装填が必要だが、まだもう一押しはしておきたい。ヴォストークを右足のアタッチメントに戻し、空いた右手でTIARの弾倉交換を行う。
回避機動を取りながら左手で保持したままのTIARを、尚も追い縋る《ハウンド》に向ける。咄嗟に回避行動に移った《ハウンド》を無視し、その背後にいた《カムラッド》に発砲した。その一撃で頭部を吹き飛ばした《カムラッド》へ断続的に射撃を繰り返しながら近付いていき、速度を殺さずに体当たりを仕掛け組み付く。抵抗する間は与えない、残しておいたTIARの弾丸を操縦席に全て叩き込む。手で払うようにその残骸を《ハウンド》に投げつけて視界を遮ると、見当を付けておいた障害物へと《オルダール》を滑り込ませた。
「残りは《ハウンド》一機。《カムラッド》が、三機」
現実的な数字だ。度重なる無茶な突撃でこちらの体力もかなり削られたが、それは些細な事だった。ことこの状況において、操縦兵は体の良い燃料電池に過ぎない。息が上がっていようが、身体が軋んでいようが、動けなくなればどちらにせよ終わりだ。
初動で好き勝手に動けるのはここまでだろう。接近戦は否が応でも避けてくる。真っ当な操縦兵なら、今の攻防で相手の力量と得意距離が割り出せる。もう先程のようなワンサイドゲームは期待出来ない。
そうなれば、このTIARとヴォストークで何とかするしかない。中距離射撃戦ははっきり言って不利だが、この戦力差なら覆せる。
まずは再装填を済まさなければ、そう思う頭が違和感を覚えた。何が違うのか分からないまま、障害物から離れようと《オルダール》に機動を促す。
しかし、少しも離れられないまま違和感はやって来た。爆散する障害物に煽られ、《オルダール》が制御不能に陥る。障害物ごと高火力兵器で吹き飛ばされた。そう頭では理解していたが、残る敵機にそれだけの武装を持ったifはいないはずだ。
現状を理解できないまま体勢を立て直し、大きく迂回するようにその場から逃れる。殺到する弾丸と砲弾を間一髪の所で避けていく。
「くそ、《リンクス》か……!」
違和感の元凶を見据える。H・R・G・Eの用いる、もう一機の純戦闘用if《リンクス》は、その大柄なシルエットとは裏腹に良好な機動性を発揮できる。山猫の名が示す通り、その動きを捉える事は難しい。推進力を底上げすることによって重装甲と重武装を可能にしている、もう一機の‘強くてひどく厄介なif’だ。
その《リンクス》が、今目の前にいる。先程までは影も形もなかったというのに。
「ネズミ取りに引っかかった気分だ」
恐らく、こちらの位置を把握するまでは外で待機し、捕捉後に忍び歩きでここまで来たのだろう。知覚外からの一撃、一気に状況が厳しくなった。
《オルダール》本体にそう大きな損傷はない。だが、予備弾倉が納められていたマグスカートがずたずたに引き裂かれている。誘爆しなかっただけでも幸運と言えるが、予備弾倉全てを損失してしまった。TIAR、ヴォストーク共に再装填が済んでいない。弾が入っていなければ鉄パイプ以下だ。
損壊したマグスカートを腰から切り離し、TIARとヴォストークを投げ捨てる。飛び道具が無いことを直接知らせているようなものだが、少しでも機体重量を軽くした方がいい。少しでも軽ければ、その分だけ速く動くことができる。寸前で避けられる数が変わってくる筈だ。
右肩に固定してあるE‐7ロングソードを右手で抜き、左足に装着されたナイフラックからSB‐2ダガーナイフを左手で抜く。もうこれぐらいしか使える武装はなく、どうあがいても近接戦闘しかできない。相手から奪うという事もできるが、そんな余裕があるなら斬った方が確実だ。
鈍い《カムラッド》を狙い直進するが、思うように進路が取れない。岩石群に加え、《ハウンド》と《リンクス》が背後から迫っている。
高機動戦が主体となる《ハウンド》は、短機関銃による掃射を主軸としている。マチェットはいつでも使えるように逆手持ちしているが、こちらの力量が分かった以上不用意に近付きたくはないだろう。
障害物ごとこちらを吹き飛ばしてくれた《リンクス》は、砲弾では的中が難しいと判断したのか、散弾銃を主軸に使用している。自分が使用していたヴォストークよりも大型に見えるその散弾銃は、口径も大型と見て間違いない。
《ハウンド》、《リンクス》共に絶妙な距離から弾丸を叩き込んでくる。対して《カムラッド》は、ひたすら後退しながら突撃銃による制圧射撃を繰り返していた。通常なら一気に近付いて斬るだけだが、地形的にそれが難しい。無理をして突っ込めば、背後に陣取った二機の攻撃を避けきれない。背中を撃たれて推進力を奪われたらそれこそ何もできない。
背後の二機、《ハウンド》と《リンクス》にまず対応しなければならない。手近にあった巨岩を足蹴にし、強制的に慣性を切り替える。最大推力を持って背後の二機へと接近を試みた。
右手側にいるという理由で目標を決める。当たらない、そう分かってはいたがE‐7ロングソードを《ハウンド》へと振った。《ハウンド》は逆手に持ったままのマチェットでその一撃を防ぎ、その余力を持って一気に距離を取った。
構わずE‐7ロングソードを振り抜き、一回転して《リンクス》へ振り下ろす。ここで《リンクス》が攻撃態勢に入っていれば獲れたが、予想通り距離を取っていた。慎重な操縦兵なのだろう。
強引な機動でバランスの崩れた《オルダール》を素早く立て直し、状況の悪化を見据えた。この空間だけ不自然に開けている。ともすれば高機動戦で優位に立てる筈だが、背筋に走る悪寒はその判断が安直だと笑っていた。悪態を押さえ込み、全思考と行動を回避に注ぎ込む。球体上に切り取られたこの空間は、意図的に作られたキルゾーンなのだ。
残る《カムラッド》三機が、球体上に切り取られたこの空間の外周に位置し、中距離を維持したまま突撃銃による援護を加えてくる。
《ハウンド》、《リンクス》の二機は高機動を生かした一撃離脱戦闘を仕掛けてくる。急速接近、急速離脱を巧妙なタイミングで行う二機を捉えきることができない。
《オルダール》を中心にして、啄むように《ハウンド》と《リンクス》が近付いては遠ざかっていく。追い掛けようにも三機の《カムラッド》の火線はそれを許さない。
徐々に《オルダール》の被弾が増えていく。《ハウンド》の短機関銃を躱せば《リンクス》の散弾銃に捕まり、その二つを躱しきっても《カムラッド》の突撃銃がその隙を逃さない。既にどう回避するのかではなく、どう致命傷を避けるべきかと思考が切り替わっていた。
人の死は動揺と焦燥を生み出す。それに付け込んでここまでやってきたが、度重なる感情はどんなに重くともいずれ麻痺していく。もう敵は冷静さを取り戻している。
エラーメッセージを吐き出すサブウインドウを乱暴に消し去り、状況をゆっくりと整理していく。選択肢はそう多くはない。
必死に逃げ回れば数分は保つかも知れない。必死に斬り込めば一機は獲れるかもしれない。そのどちらかしか出来ないだろう。今出来る最善はどちらか。
あの赤い世界を作り出した自分が、享受すべき選択は。
一つしかなかった。どのような局面であれ、自分が出来ることは……自分に許されたことは、この一点しかないのだ。
「ここで、殲滅する」
手持ちの武装は、右手に持ったE‐7ロングソードと、左手に持ったSB‐2ダガーナイフ、ラックに入った物も合わせて四本のダガーナイフだけ。
一機は獲れる。手持ちも含め、四本のSB‐2ダガーナイフをそれぞれの場所へ投擲する。的中を狙った物ではなく、周囲を飛び交う《ハウンド》と《リンクス》の逃げ道を塞ぐための牽制に過ぎない。E‐7ロングソードを逆手に構え、後方でもたついている《リンクス》に内蔵された散弾を叩き込む。この距離での散弾では大した被害は与えられないが、撃たれた以上警戒はするだろう。
四本のダガーナイフと一発の散弾、それらが生み出す隙は数秒間のまやかしに過ぎない。だが、その数秒間が致命的な隙になることは、もう敵も分かっている筈だ。
一瞬だけ途切れた包囲の火線、その致命的な隙をこじ開けるために弾け飛んだ。狙うは中距離制圧を行う《カムラッド》、一直線に間合いを詰めていく。逆手に構えたままのE‐7ロングソードを、すれ違い様に振り抜いた。胴体、操縦席を狙った一文字の斬撃軌道は、労せず中身ごと断ち斬った。
次の敵を視界に捉えようとして、もう次がないことを悟る。猛進する《ハウンド》、その振り下ろされたマチェットが視界一杯に広がっていた。《オルダール》を半身捩るようにしてその致命の一撃を避けるが、返す刃で右手が断ち切られた。唯一の武装となったE‐7ロングソードが右手ごと慣性に流されていく。
変わらずマチェットを振り抜こうとする《ハウンド》を蹴り飛ばし、少しでも距離を稼ごうとする。
飛んでいった右手の行方を、正確にはその手に握られたE‐7ロングソードを探そうと周囲を見渡すが、視界に入ったのは《カムラッド》二機と《ハウンド》、《リンクス》各一機がこちらに銃を向けている姿だけだった。降伏勧告をするつもりはないらしい。殺気立った気配を感じさせるその銃口は、一斉に弾丸を吐き始めた。
回避出来ないことは分かっていた。もう《オルダール》は限界を通り越しており、自分自身ももう、何も思い浮かばなくなっていた。容赦なく叩き込まれていく弾丸は《オルダール》を砕き、その死の奔流はいずれここに到達する。自分が多くの敵にそうしてきたように、その有り余るツケがようやく回ってきたのだ。
「ここ、で」
度重なる衝撃が、意識ごと全てを刈り取っていくようだった。メインウインドウが消え、エラーを吐き出す。頭部が完全に欠損したのだろう。
もうすぐここに辿り着く。あの赤い世界が、全部の負債を抱え込んでここに。
……特にはないよ。リオと歩きたいなって思ってるだけ。そう言うと、白い少女はふわりとした笑みを浮かべた。その笑顔は何にも代え難い程に綺麗で、自分もただ歩けたらいいなって。何も考えずに、一緒に。ただ一緒に。
何も考えずに手を伸ばした。白い少女に導かれるように、或いはその手を引いていくように。
《オルダール》の損傷は限界に達し、立ち上がったサブウインドウには幾つかの項目が自動的に列挙されていく。その内の一つに、リオはゆっくりと手を重ねた。




