機械仕掛けだった世界
あらすじ
少年と少女は一つになり、蒼炎の騎士となって世界を巡った。
サーバーは破壊され、蒼炎に包まれた世界も平穏を取り戻す。
戦いが終わり、日常が始まる。
二人の勝ち取った世界で。
Ⅲ
病室の窓から見える景色は、冗談みたいに穏やかだった。白いベッドの上、枕を背もたれ代わりにしながら、イリア・レイスは平和と形容してもいいだろう世界を見渡す。
世界を傾けようとするアンダーとの戦い、そして世界そのものを白紙に戻そうとするリリーサーとの戦い……もう一ヶ月も前の出来事になる。
「絶対安静って……大げさな」
溜息を吐き、手元にある携帯端末で情報を閲覧していく。脅威が全て取り除かれたからといって、ランナーの役割が終わる訳ではない。
いや、むしろ。胸中に浮かぶその言葉を仕舞い込みながら、ランナー用のデータベースを片っ端から開く。
アンダーの残した爪痕は、それなりに大きい。今回の一件で、ランナーは全知全能ではないと世界に知らしめることになった。ならず者はいつの時代でも、そんな隙に付け込んでくる。度重なる戦いで、ランナーは今尚疲弊しているのだ。
携帯端末のモニターを消し、休んでいる場合なのかと自問自答する。
せっかくの休みだというのに、気ばかりが焦ってしょうがない。そんなことを考えていると、病室の扉をノックする音が聞こえた。返事をしながら、イリアは扉の方を見る。
スライドした扉の向こうには、友人であるクスト・ランディーがいた。
「クストちゃんがお見舞いなんてめずらし……って」
顔を輝かせていたイリアだったが、後ろにいる人物に気付いて輝度をすっと下げた。
「何してるの、アーノルド。今すぐ帰んなさい」
そう一喝するも、かつかつと革靴を鳴らしながら病室に入ってきた白スーツ男、アーノルド・フェインは全く動じていない。
伊達男、アーノルドは窓の傍に立ち景色を見遣る。
「ふむ。悪くない部屋だ。我らが英雄、《マリーゴールド》が英気を養う場所にしては、些か地味かも知れないがね」
そう言って、アーノルドは口角を上げて笑みを浮かべる。
クストも部屋に入り、ベッド傍の椅子に座っていた。
「で、何でこのストレスの塊みたいなの連れてきたの?」
不満げな顔のまま、イリアがクストに問う。
「私の所為じゃないわ。彼が無理矢理付いて来たのよ」
それはそうだろうが、とイリアは口をへの字に曲げる。
「なんか手段はあったでしょ、散弾銃を顔面にぶっ放すとか」
「あのね、アーノルドは元諜報員よ。私がショットガンを振り回した所で、どうにもならないでしょ」
ごもっともな意見に、むうとイリアは口を噤む。その様子を見て、アーノルドは偽物くさい笑い声を上げた。
「はっはっは! 酷いじゃないか、大切な同僚を穴だらけにするのが最適解とは!」
万全だった筈の体調が悪化していくのを感じながら、イリアは長い溜息を吐く。そして、溜息をしっかり吐き終えてからアーノルドの目を見た。
「随分と熱い視線だね」
そう茶化すアーノルドに舌打ちを返しつつ、イリアはベッドの上に座り直す。
「何か用があるんでしょ? あんた、むかつくし基本的に嫌いなんだけど。いつもより目の奥が暗いわ」
アーノルドは、飄々としているがランナーとしては優秀だ。一線を越えない程度の良識もある。そんな男がこんな場所に来ている。他でもない、自分に用があるということだ。
「お見通しか。さすがは《マリーゴールド》だ。君ほど有能な人間を、私は見たことがない」
目の奥の暗さを隠そうともせず、アーノルドはこちらに向き直る。
「二つほど、大切な用があってね。聞いてもいいかな?」
アーノルドの言葉に、イリアは頷いて返す。
仰々しく頭を下げてから、アーノルドは暗い目をこちらに向ける。
「あの戦場で……蒼い炎を見た。事の顛末を知りたいんだ」
リリーサーについての話は、部外者には言っていない。だが、それで納得出来ない人がいるのも事実だろう。特に、このアーノルドは。世界の傾きに、人一倍敏感な男だ。
「まあ、話してもいいけどさ。約束出来る? 私がこの件をランナーに公開しないのは、二人を守る為なんだ。あんたの言い方を真似れば、《リッパー》と《ブライド》だね。その二人が危険に晒されるようなことをすれば、あんたは私の敵になる」
沈黙は数秒、アーノルドはすぐに口角を上げた。
「ならば約束しよう。リオ・バネットとトワ・エクゼスの不利益になるようなことはしない。しかし、私は随分と信用がないな」
わざわざ二人のフルネームを言っている辺り、信用しづらいということに気付いていないのだろうか。そう思いはしたが、どうせわざとやっていることだとイリアは割り切る。
「世界の平和を守る為なら、何でもするってその白スーツに書いてあんのよ、あんたは」
肩を竦め、アーノルドはやれやれと身振りで示す。
「全く、君だけは敵に回したくものだ」
「私は一向に構わないけどね。まあ、でも味方でいてくれる方が何かと楽かな」
またもや、アーノルドは偽物くさい笑い声を上げる。
「はっはっは! そこはお世辞でも、‘それは私の台詞よ’ぐらいは言って欲しかったな。まあ、それでこそ《マリーゴールド》とも思うが」
本音を内包した軽口の応酬を終え、イリアは窓の外を見る。平和に過ぎ去っていくべき世界を。
「遺跡の連中は、単純に破壊をもたらすだけの存在じゃなかった。リリーサーの目的は、世界の維持よ。正確には、世界を構成する人類の維持、なんだけど」
リオやトワが持ち帰った答えを、全て理解している訳ではない。だが、ある程度の全容は掴んだつもりでいる。イリアはその答えを……自分の中だけで抱え込むべき冷たい答えの封を切った。
「この世界は、何度もそんなことを繰り返してきたらしいよ。世界があり、人がいる。でも、未来に辿り着くことなく滅ぼされる。リリーサーは、ただ人がいることを維持とは言わなかった。人類がいて、その知識が活かされる世界がある。それを維持と呼んだの」
アーノルドは黙ったまま、こちらの話を聞いている。作り話だ与太話だと、笑い飛ばす様子はない。
「でも、知識は破壊をもたらす。高次元の戦争や、大量殺戮兵器……それらによる攻撃で、人類は打撃を受ける。絶滅こそ免れるけれど。知識を活かし、次の未来へ進むことは難しくなる。それを、リリーサーは停滞と見なした」
焦土と化した世界で、生存する為だけに‘生きる’人類は、‘生きていない’と判断したのだろう。そんな世界を続けていても、知識は潰えるのみだと。
「だから世界を壊し、もう一度創り直す。その度に、リリーサーは人類に手を加えていった。その結果がこれ。人類は宇宙にまで進出した」
小さな戦争は幾つもあった。だが、そのどれもが知識を潰える程の戦禍にはならなかった。だからリリーサーは起動しなかったのだろう。それが起動したということは。
同じ考えに至ったのか、アーノルドは沈黙を破った。
「そのリリーサーとやらが、世界を再び創り変えようとしていた訳だ。私達がいるこの世界で、知識が潰える程の戦争がもたらされると……そういうことなのかな?」
世界を焦土と化し、生存する為だけに‘生きる’しかない未来が。この先に広がっているのだろうか。
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。一つ確かなのは、もうリリーサーは起動しないってことだけ。世界を破壊するのも、創り変えるのも。サーバーがあるから出来る芸当なんだって。今はもう、そのサーバーも。それを統括するリリーサーもいない」
リオとトワが、死力を尽くして戦った結果だ。
「……そうか。あの炎が、やけに温かかったのは。彼等がこの世界を守ったからなのか」
アーノルドの言葉は、誰に向けられたものでもない。ただ自身の内側へと、答えを仕舞い込むように。
「結論をまとめさせて貰うと。リリーサーは人類を未来へ導く為に世界を壊し、創り変えていた。その繰り返しの果てがこの世界であり、私達という訳だな」
イリアは頷き、肯定を返す。
「そして、それを君達は否定した。ここではない人類の未来を捨て、この世界を守った」
イリアは再度頷く。アーノルドに、それは間違いなんかじゃないと伝える為に。
訪れた沈黙は長い。自分と同じような頭の構造をしているアーノルドなら、この結論がもたらす意味と未来を理解した筈だ。
リリーサーはもういない。それは、この世界の導き手を失った事にも等しい。この世界は終わりを一つ飛び越えた。だが、次の終わりが迫っている。世界を焦土と化し、生存する為だけに‘生きる’しかない未来が。他でもない人類の手によってもたらされる……かも知れない。
ふっと口元を緩め、アーノルドは再び窓の外を見る。平和という言葉を形作っているかのような光景を、その目は眺めていた。
「本番はこれから、ということですね。私達ランナーのゴールは、まだ遠く険しい」
目の奥の暗い影を幾分か消し、アーノルドはそう言った。
「すんなり信じてくれるんだ。結構無茶苦茶な話なんだけど」
そうイリアが言うと、アーノルドは呆れ顔で首を横に振る。否定、というよりも。自分自身に呆れているような、そんな動作だ。
「蒼い炎が、世界を包むのを見た。壊れた世界を抱き留め、慈しむように。穴だらけの地球と宇宙が、次の瞬間にはその色を取り戻していた。忘れてしまうような光景ではない筈だが。今はもう、何もかも悪い夢だったと言わんばかりに朧気でね」
アーノルドは窓から離れ、病室の出口へと向かって歩き出す。
「正義のヒーローとして、まだまだやれることがありそうだ。私は失礼するよ」
そう言って、アーノルドは退室しようとする。
「大切な用は二つあるんじゃないの?」
その背中に、イリアは質問を投げ掛ける。何となく気になり、聞いてみたのだが。僅かに振り返り、いつもの腹が立つ笑みを浮かべているアーノルドを見て、しまったと顔を歪める。
「もう済んだよ。我らが《マリーゴールド》の元気な姿を見に来たんだ」
「さっさと帰れ白スーツ!」
アーノルドはウインクを返し、軽い足取りで病室を出て行った。
「はあ……疲れた」
イリアはベッドに倒れ込み、白い天井を見上げる。
黙ってやり取りを見ていたクストが、扉の向こうをじっと見ていた。
「結局、彼は何が聞きたかったのかしら」
そんなクストの問いに、イリアは自嘲気味に口元を緩める。
「頭が回りすぎるタイプだからね、あれ。自分のしたこと、これからすること。そういうのに答えが欲しくなっちゃったんじゃないの? 私はぶっ倒れてたから、その蒼い炎とやらは見た事ないんだけど。迷いが生じる程度には、心に残る炎だったんでしょうね」
世界を守る為に戦い、結果として未来を切り捨てた。自分やアーノルドにとっては、その事実はどうにも重い。だから考え、答えを探したがるのだ。
「リオとトワの炎ね。優しい光が、そのまま炎になったような。不思議な光景だったわ」
「そっか、クストちゃんも見てるんだ」
「貴方以外は全員見てるわ」
そう言われると除け者にされたみたいでちょっと悲しい。こちらの表情から言葉を読み取ったのか、クストはふっと笑みを浮かべる。
「そんなことで拗ねないの。あの炎は世界に広がっていったわ。見ていないだけで、貴方もそれに包まれていたんじゃないかしら」
イリアは上体を起こし、クストの方へ向き直る。どんなに悩んでも、たとえ未来が潰えたのだとしても。それでも結局、自分に出せる答えは一つしかない。
「あの二人はこの世界を選んだ。守りたいんだ、今度こそ」
それなりに考えて発した言葉だったが、クストはそれが何だと言わんばかりに溜息を吐く。
「リアクションとしては違うんじゃないそれ」
「そうでもないわ。やっぱり貴方は一人にしない方がいいわね、くだらない事でうじうじ悩んで熟考ばかりしてる」
とんでもなく酷い。優しさが足りない。
「身体の方も問題無さそうね。ランナーとして走り回る準備は出来てるって解釈でいい?」
言葉とは裏腹に、クストの表情はどこか挑戦的だった。まだうじうじしているつもりなのか、一緒に走り出すのか。この目はそう聞いている。
「……当然。ここから先は私達の仕事だからね」
機械仕掛けの神はもういない。
人が……知識が創り出す終わりを、他でもない人の手で退ける。
ランナーの戦いはアーノルドの言う通り、これから先も続くのだ。




