消せない思い
あらすじ
後悔と恐怖が少年を蝕んでいた。それでも、それら全てを振り解いて少年は戦った。少女は自らの矛を手に入れ、目の前に広がる狭い世界を守ろうと決意する。
しかしその選択こそが、狭い世界を壊してしまうのだと。今の少女には分からなかった。
Ⅲ
ゆっくりと目を開ける。異様な疲労感に襲われながら、靄の掛かった頭の中を整理した。
「医務室?」
周囲を見渡す限り、医務室のベッドに横たわっているのだろう。最近はここにお世話になってばかりだ。
身体は問題なく動いてくれるが、どうにも疲れが取れていない。よく眠っていた筈なのだから、もう少し回復するものだと思っていた。
「そういえば変な夢、見てたような気がするなあ」
一番多く見る夢はあの時の光景だが、今回のはどうも要領を得ない。あの時の光景とは別の何かが介入していたような気がする。はっきりと覚えている訳ではないので、詳しい事は分からないが。
「まあ、どうでもいいか」
一人呟き上体を起こす。寝てばかりいる訳にもいかないと、ベッドの縁に腰掛ける。
「リオ、ちょっといいか?」
カーテンの向こうから声が聞こえた。医務室の主、アリサの声だ。
「大丈夫です」
そう応えると、アリサはカーテンを開けて中に入った。何かを警戒しているように、じろじろとこちらを観察している。
「その、どうしたんですか?」
あまり気持ちの良いものではない。特に大きな外傷も無い筈だ。
「いや。具合はどうだ? いつもと違う感覚があれば言ってくれ」
「特にはないですけど。凄く疲れてるぐらいで」
電子カルテに色々と書き込んでいるアリサだが、どうも様子がおかしい。
「えっと、何か変なことでもあったんですか?」
いつもと違うのはむしろアリサの方だと思ったが、アリサは怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
「寝ぼけてるのか記憶障害か、どっちだ? あの妙な機体を乗り回してたのはリオ、お前じゃないのか?」
妙な機体という単語を聞いて、頭ががちりと切り替わった。遺跡で見つけたifのような搭乗兵器、それこそ夢か幻のような状況だった。
「すみません、寝ぼけてたみたいです。変な夢を見てて」
遺跡での一件は何に変えても重要な筈なのに、どうもあの夢が意識を支配していた。
「今は大丈夫なのか? 得体の知れない物に乗って来たんだから、気になることは何でも話してくれ。少なくとも病状は見受けられないが」
「あの、その前に」
アリサの言っていることはよく分かったが、どうしても確認しておかなければならないことがある。
「現在の状況、教えて下さい。《アマデウス》の状況と、持ち帰った機体の状況。それと、トワの状況です」
呆けている場合ではない。状況如何によっては休んでいる暇すらない筈だ。
「心配しなくてもいい。リオと、トワ嬢が倒れてから十時間程、《アマデウス》は領域を無事に離脱して航行中。追っ手もなし。あの二機はミユリが見ているから、後で聞いてみたらいいんじゃないか? トワ嬢はぐっすり眠ってるけど、バイタルに異常はないから大丈夫だろう」
電子カルテを見ながらアリサは続ける。
「前の時と一緒だよ。リオのifを勝手に動かした後も、こうやって寝込んだしな」
前回と違うのはトワだけでなく自分も倒れたことだろう。その理由は不明だが、原因はあの機体と見て間違いない筈だ。
「額の裂傷も大したことない。ちょっと表皮が傷ついたぐらいだ。応急処置したのお前だろ?」
額の傷、それは自分がトワに付けたものだ。あの時の光景が浮かび、その歪さに目を背けたくなる。
「しかしどうやったらあんな傷が出来るんだか。まあそれは今いいんだ。改めて聞くが、お前自身何か変わった所はあるか?」
傷について深く聞かれなかったことに、内心ほっとしている自分がいた。遺跡で起きた一連の出来事は、隠さない方がいいに決まっている。あの恐怖についても、トワに銃を突き付けたことも、話しておかなければならない筈だ。
「……いえ。少し疲れが取れていない感じはしますけど、特別悪いとかはないです」
「そうか。じゃあイリアからの伝言だ。行動でき次第連絡が欲しいってさ。身体の方は大丈夫そうだが無理はするなよ」
そう言ってアリサは奥に行ってしまった。結局あの事は言い出せず、言えるかどうかも分からない。不透明な思いのまま、床頭台にある携帯情報端末、PDAを手に取る。
少ないダイアルログからイリアの名前を探す。通話に触れ、PDAを床頭台に戻した。
着せられていた患者衣を脱いで、籠に入っている普段着に袖を通す。
『はいはーい、イリアだよ。リオ君気分は?』
「少し疲れてますけど大丈夫です。何か用があるんですよね?」
服を着替えながら、脱いだ患者衣を籠に戻した。
『そだよ。二人が持ち帰ったあれについて、ちゃんとお話しとかなきゃでしょ?』
あの搭乗兵器の事だろう。やっぱりというか当然というか、あれは夢でも何でもなかった。
「そう、ですね。今から話しますか?」
『うん。それがいいかなって。ミユリちゃんと一緒に調べてるんだけど、一応現時点で解析終了って感じで。そっちの話もこっちの話も聞かないとだから、格納庫に集合でいいかな?』
PDAを持って立ち上がり、ベッドから離れる。少し歩いて、ちょうど反対側のカーテンの中をそっと覗く。
「はい。今から向かいます」
患者衣に包まれた白い素肌が、医務室の白と相俟ってひどく不確かな物に見えた。静かな寝息を立てながら、トワは時間が止まっているかのように眠っていた。
額の傷はガーゼで保護してあり、その痛みを見ることはできない。
『はいはーい、じゃあまた後でね』
通話の終わったPDAをポケットにねじ込み、トワのベッドから離れる。
いずれにせよ、先送りにはできない問題だろう。これであの搭乗兵器が何か分かってくれれば、トワの事についても何か分かるかもしれない。きっとそのどちらも、分からず終いで終わるのだろう。そんなことだけは分かっているのに。
格納庫に行かなければ。医務室を後にして歩いていく。元々《アマデウス》は狭いため、そう時間は掛からないだろう。
整理の付かない頭の中でふと思い浮かんだ。トワは今、どんな夢を見ているのだろうかと。そんな何でもないようなことが気になっていた。
きっと妙な夢を見ていたせいだろう。そう片付けて歩みを進める。
心とは裏腹に歩調はいつもと同じまま、その生を刻んでいた。
格納庫では既にイリアが到着しており、ミユリと話している途中だった。問題の二対の機体、《羽持ち》と《長剣持ち》はハンガーに固定され、その傍で横たわっている。こうして見ている限りでは、ただの風変わりな実験機か式典用の装飾機にしか見えない。そうでないことは、自分が一番よく分かっているのだが。
「すみません、遅かったですか?」
イリアとミユリに近付きながら声を掛ける。それは必然的に二対の機体と近付くことになり、良い気分はしなかった。
「ううん、大丈夫だよ。私、元々ここにいたし」
そう答えたイリアは、珍しくフラット・スーツ姿だった。イリアはifの操縦を行う等、宇宙空間に出るような事がなければ私服姿で過ごしていることが多い。
「この二機の分解や解析、諸々の事を手伝って貰ってたんだ。さすがに一人じゃきついだろうし、イリアも実際に見てみたいんだとさ」
ミユリもフラット・スーツを身に着け、二対の機体に直結されたコンソールを操作している。何が起きるか分からない状況ならば、確かにフラット・スーツを着ていた方がいいのだろう。宇宙に投げ出されても数時間は保つ。
「これ、分解したんですか?」
横たわった二対の機体は細かな修繕跡が見える程度であり、とても分解したようには見えなかった。
「外せる所は外したって感じだな。こいつら、メンテのことなんか考えちゃいないんだ。ほとんど一体成形か強固なリベットみたいなもんで塞いである。溶断して丸裸にするべきかもとは思ったが、まあ壊れる確率の方が高いよ」
コンソールから目を離さずにミユリは答える。内心、壊れてしまえばもうこの事について考えなくてもいいのではと思ったが、それはただ目を背けようと必死になっているだけなのだろう。知ってか知らずか、イリアが誇らしそうにミユリの言葉を続けた。
「でも、ただ諦めた訳じゃないからね。ちっさい穴を開けて、中は一通り見たよ。人に似通った骨格系を芯にして、伸縮鋼っぽいの、緩衝材っぽいの、何に使ってるんだか分からないフィラメント基質の軟ファイバーが走ってた。正直、見たことない物ばっかだから、合ってるか分かんないけど。ミユリちゃん、あれ出して」
イリアに言われ、ミユリは操作しているコンソールのモニターを取り外した。複数のモニターの内の一つで、このまま携帯端末として情報開示出来るらしい。それを少し操作して、ミユリはこちらへ差し出した。
そのモニターには、二対の機体の内装がどのように配置されているかを表示していた。人で言うレントゲン写真のようなものだ。
だが自分で思っておきながら、その比喩はどうにも気味が悪いように感じた。その映し出された内装の状態は、不必要だと思えるほど人に酷似していた。
「細部は違うが、芯となっている骨格系は人の骨の位置に近い物がある。その周囲を筋組織のように伸縮鋼と緩衝材が包み込み、その内外を軟ファイバーが走ってる。血管のようにな」
ifは、言ってみれば人型の兵器だ。その設計には少なからず、人と同じようなパーツ配置を意図して行っている。それが一番動かす上で効率がいいからだが、それでもここまで精巧に模倣する必要はない。ifはあくまで人型の兵器で、つまるところ機械だ。
「まあ、でもこの二機はあくまで機械だよ。なんか、昔映画で見たようなアンドロイドがぽっと浮かんでくるかもだけど、これはただの搭乗兵器。人の中を真似してるって言っても、精巧にやってるのは四肢と関節部分ぐらい。そこで質問だけど、ifと比べて動きはどうだった? 多分、なめらかに感じたと思うんだけど」
イリアに問い掛けられ、これに搭乗していた時の事を思い出す。なめらかなんて物じゃない。あの感覚はもう、自分の肉体を動かすときと大差なかった。
「BFSとはまるっきり別物です。操縦桿で動かすって概念すらなくて。こうやって自分の身体を動かす時と同じ、そうなるのが当然で。どうやっているのかは分からないんですが」
二機のレントゲン写真が映し出されたモニターを返しながら答える。それを受け取りながら、イリアは少し考え込むような仕草を見せた。
「操縦系統はBFSに近いけど、より没入感が強いのかな。稼働データがちゃんと取ればいいんだけど、それも難しいんだよね。何せコンソールに該当する物がないんだから。if用の機器を強引に取り付ける訳にもいかないし」
「だが、この機体にBFSに近いシステムがあるのは確かだな。正確にはその大元になるが」
イリアの言葉から続けるように、ミユリが話し始める。
「そもそもBFSは遺跡から発掘された三十センチ四方の立方体、通称キューブをifに組み込んで運用している。このキューブは私ら整備士でも開封厳禁になっていて、加工された物が本社から送られてくるんでそれを使っている。せいぜい配線量の調整くらいしか出来ないが、それすら本来は違反行為だ」
ミユリは後方にあるifを指差した。あれは、自分が使用していた《オルダール》だ。
「あの《オルダール》もそれは同じで、キューブ自体は出来合いの物を使用している。だがこいつらは」
今度は手前にある二対の機体を指差す。
「キューブの加工前の状態で組み込んである。要は、発掘されたままの状態だな。加えて、本来は一個しか使わない筈の所を複数個使っている。操縦席付近、四肢、頭部付近、確認しただけで六個。異常な数だ」
人を模したような内部系に、複数に配置されたキューブの存在。それらがあの奇妙な操縦を可能にしているのだろうか。
「じゃあ、同じ事を《カムラッド》でやれば、《カムラッド》もこれと同じように動くんですか?」
そう問い掛けると、ミユリは難しい顔をして首を横に振った。
「とっくにやってる奴が、この世にはいるもんだよ。そういう実験の積み重ねで、BFSは確立されたんだ。同じ事を《カムラッド》でやったら、動くかもしれないが操縦者も只ではすまないね。発狂して終わり。それだけだ」
ミユリの言葉には、それ以上話したくないというニュアンスが含まれていた。実験、発狂、その言葉が持つ狂気については、理解しているつもりだった。自分自身、それに飲まれた存在なのだから。
「動力源はどうなんですか? トワの使っていた機体は、高純度の粒子砲を何発も撃っていましたけど」
「それも分からないままだ。この二機には、動力源らしい動力源が見当たらない。ifならバッテリーを積んでいるが、これはそういうスペース自体がない。やけに小型なのもそのせいかも知れないがな」
話題を変えるための質問だったが、やはり答えは分からないという一点のみだった。
「まあそんな感じで、調べてはみたけどよく分からないってのが実情かな。トワちゃんがどれだけ知っているかに賭けるしかないけど、そっちもそっちで大変そうだし」
イリアが大きく伸びをしながら、近くにあった椅子に腰掛ける。これ以上は何も分からないというサインにも見て取れた。
「ごめんね。呼び出しといて分かってることはこれだけなんだ」
「いえ、大丈夫です」
本当に申し訳なさそうにするイリアにそう返すが、そもそも全てが分かるとは思ってはいなかった。
「こっちはこっちで色々調べてはみるさ。そっちも、トワ嬢が起きたら話を聞いてみてくれ」
そう言うと、ミユリはコンソールに向き直ってしまった。イリアも大きく欠伸をして、跳ねるように立ち上がると工具を持って作業に戻っていった。
分からないことばかり膨れ上がり、今自分が何をすべきかも分からない。いっそ夢か幻とでも思えれば少しは楽になれるのに。小さく溜息をつきながら目を閉じる。
だが、この二対の機体が夢や幻であれば、同時にトワ自身も夢か幻に過ぎないのかもしれない。それは、その答えは許容出来る物ではない。
ゆっくりと目を開く。二対の機体は、先程と変わらずそこに存在していた。




