微睡みの矛
リオは《長剣持ち》を文字通り手足のように操りながら、最高速度を保って遺跡を脱出した。
すっかり無重力となった周辺状況に身体が不調を訴えるが、慣らしもせずにいきなり重力が変動すればそうもなる。辛くても今は黙ってもらうしかないだろう。
ifではない搭乗兵器、この《長剣持ち》はレーダーも何もなかったが、後方から追っ手の気配は感じられなかった。あの黒塗りの《カムラッド》二機は、もう生きてはいない。
共に脱出していたトワの《羽持ち》が、器用に反転しながらこちらの方向を見た。こちらを見ている訳ではない、恐らく自分と同じで、懐かしい気配を感じたのだろう。
トワの《羽持ち》と同じ方向を見る。そこにはやはり思っていた通り、爆炎を潜り抜けた白亜の戦艦、《アマデウス》がこちらへ向かっていた。
後は収容してもらい、この宙域を脱出するだけ。そう考えてから問題に気付いた。この《長剣持ち》には通信装備が無い。《アマデウス》側にこちらの意向を伝えることも、状況を聞くことも出来ない。
トワの《羽持ち》が、今度こそこちらを見る。その視線だけでどうするのか聞かれているような気がした。そもそも、《アマデウス》だけではなく隣にいるトワとも連絡が取れない。如何に機体の性能が高くても、これでは不便でしょうがない。
ふと、《アマデウス》後方から別の気配を感じた。そちらへ目を向ける。四体の獣、狼に似た気配だ。この位置から姿を捉えることは出来ないが、友好的には思えない。もう一つの敵分隊と考えて相違ないだろう。
連絡手段を考える前に片付けなければならない問題だ。もう一度トワの《羽持ち》を見ると、《羽持ち》はこくりと頷いて見せた。同じように気配を感じているのなら、同じような結論に辿り着く筈だ。
最高速度を意識しながら、《長剣持ち》のバーニアを駆動させる。先程までは屋内での戦闘機動だったが、今は違う。相変わらず小さくはない岩石群が目立つが、圧倒的に動ける範囲が広い。機動力を生かすにはもってこいだ。
《アマデウス》の船体を抜け、岩石群に潜む獣の臭いを追う。《アマデウス》が爆破しながら進んだ為、広い空間がトンネルのように連なっていたが、そこには弾頭を改造して作られたお手製の機雷があった。《アマデウス》が敵の進行を妨げるために撒いたものであり、その策は成功したと見える。
機雷の点在する空間を避けるように、岩石群に四の機影がちらつく。本来なら充分過ぎる速度で迫るそれは、今この状況では遅すぎた。最低でも《アマデウス》を直接狙える位置に居なければ、フォーメーションは瓦解する。加えて岩石群を進むとなれば連携すら難しい。
同じように岩石群へ飛び込んで、適当な一機に当たりを付ける。こちらの武装はなかったが、一対一ならば格闘戦で処理できる。
《長剣持ち》の背中に背負っている刀剣が、見た目通りの性能ならば使うことも選択肢に入っただろう。だが、未知の物であることに変わりはなく、使わずに済むのなら抜きたくはない代物である。
もっとも、今搭乗している《長剣持ち》自体が未知の代物なのだから説得力は全くもってないのだが。
岩石群を高速で潜り抜けながら黒塗りの機影に近付く。まだしっかりと姿を捉えたわけではないが、不思議と位置が分かる。敵の位置だけではない。トワの《羽持ち》の位置や《アマデウス》の位置、点在する岩石群一つ一つが自然と感覚の中に落ちていく。
トワの《羽持ち》が大きく進路を変えた。岩石群の中から、機雷の漂うトンネル部へ躍り出た。岩石を避けるのと同じ要領で機雷をかわしていく。
そのまま両腕に備え付けられた小盾を展開し、開かれたそれに粒子光が瞬く。両手を広げるように別々の場所へ狙いを付けると、次の瞬間には光の帯が宇宙の黒を貫いた。
右腕の小盾から放たれた一撃、圧倒的な熱量と共に飛来した粒子砲撃は、岩石群を蒸発させながら突き抜ける。その先にいる黒塗りの《カムラッド》はろくな回避行動も取れないまま融解していった。
左腕の小盾から放たれた粒子砲撃は、同じように空を焼いていたが的中ではない。間一髪という所で黒塗りの《カムラッド》は避けていた。
だが丁度良かった。その避けた一機は、今こちらが当たりを付けていた一機なのだから。
その黒塗りの《カムラッド》の正面へ飛び出す。まだまだ距離はあったが、接近できるだけの自信はあった。
黒塗りの《カムラッド》はガトリング砲を向け、こちらを迎え撃とうとしている。だが、粒子砲撃の熱波に煽られた装甲が一部変形しており、その動きはぎこちない。
狙いの甘いガトリング砲火など意に介さず、最大までバーニアを蒸かして黒塗りの《カムラッド》へと突っ込んだ。素早く回り込み、対人戦の要領で背後から自由を奪うと、脚のラックにあったダガーナイフを拝借する。奇跡的に熱で変形していなかった。
人で言う頸動脈を掻き取るように頭部を撥ね、両腕も解体して拘束を解く。こうされるとifに出来ることは何もない。ただ逃げるだけだ。
「残り二機か」
一人呟き、次の目標を探す。黒塗りの機影が視界に入った瞬間、横から薙払われた粒子砲撃によって跡形もなく消えていった。トワの《羽持ち》からの援護射撃だ。
「残り一機になった」
トワの《羽持ち》は中央のトンネル部に居座り、そこから機雷を避けながら粒子砲撃を繰り返していた。強力な援護射撃、敵からしてみたら地獄以外の何者でもない。
ふと、残る一機の動きに違和感を覚える。絶望的なこの状況下、ただ回避に徹しながらも諦念は感じ取れない。むしろ一瞬を待っているような、大胆不敵な笑みを感じる。
ぴたりとガトリング砲の照準が合わさった。狙いはこちらの《長剣持ち》でも、トワの《羽持ち》でもない。
「トワ、避けて!」
ダガーナイフを黒塗りの《カムラッド》に向け投擲するが、間に合わないのは分かっていた。ガトリング砲がごく短い射撃を行う。飛来した数十発の弾丸は、正確に機雷を撃ち抜いていた。
機雷は内蔵大気と炎、破片をまき散らし、それに応えるように周囲の機雷も一斉に炸裂する。やっと到達したダガーナイフがガトリング砲に突き刺さるが、既に遅すぎた。
「くそ、トワは」
機雷の傍に居座っていたトワの《羽持ち》は、連鎖爆発に飲まれる位置にいた。巻き込まれたのだろうか。
「いや、違う」
爆発の合間を縫うようにして、トワの《羽持ち》は黒塗りの《カムラッド》へ接近していた。あまりにも速すぎて、こちらでも動きを把握するのに時間が必要だった。
そのままトワの《羽持ち》は至近距離まで滑り込み、両腕を交叉するように構えた。展開された両腕の小盾が粒子光を帯びる。
瞬きする間すら与えなかった。次の瞬間には黒塗りの《カムラッド》は文字通り四散し、爆発と熱波によって跡形もなく消えていった。
小盾から伸びた光の帯は、消えずに周囲を焼いていた。トワの《羽持ち》は粒子剣を展開し、交叉した腕を開くようにして黒塗りの《カムラッド》をX字に切り裂いたのだ。
「全機撃破。援護も何も要らなかった、のかな」
あの小盾のような武装は、粒子砲と粒子剣を兼ねているらしい。実際にも同じコンセプトの武装は存在するが、当然の理として莫大なエネルギーを消費する。トワの《羽持ち》のような贅沢な運用は不可能だろう。
機雷の爆発が納まったのを見て、すっかり綺麗になったトンネル部へ移動した。トワと合流する為だったが、同じようにトンネル部へ戻ってきたトワの動きは素早く迷いがない。戦闘時のそれと変わらなかった。
左腕の小盾のみを展開し、ぴたりと空を狙う。その先には岩石群で遮られて見えないが、何がいるのかは分かった。自分が相対した敵機、無力化した黒塗りの《カムラッド》だ。展開された小盾が粒子光を帯びる。
「トワ、ちょっと待って!」
反射的にそう叫んでいた。声が届いたのか、帯びた粒子光がゆっくりと色褪せていく。だが左腕は黒塗りの《カムラッド》を狙ったまま、トワの《羽持ち》はこちらに視線を投げ掛けた。
言葉にされなくても分かる。どうして、と。ただただ純粋な疑問としてこちらの答えを待っているのが、手に取るように分かった。
どうして。そう聞かれて、初めて自分のしたことの異質さに気付いた。なぜ生かしておいたのか。ダガーナイフを取り上げて、そのまま操縦席に刃を滑り込ませればそれで終わりだったというのに。
殺していた筈なのに生かしている。そして今もまた生かそうとしている。どうしてかはこっちが聞きたいぐらいだ。
一つだけ確かなのは、これ以上トワに人を殺して欲しくなかった。殺す必要がないのなら、わざわざ血で汚れる必要もないはずだ。
ふと脳裏に過去の場景が浮かぶ。まだifに乗って間もない頃、イリアと共に戦場にいたときの頃を。あの時とよく似た状況だった。
イリアは手慣れたように敵ifを無力化していき、自分はただただ効率よく撃破する。同じ部隊にいながらその動きは正反対だった。イリアは頭部や腕を狙って敵を生かしていたのに対し、自分は操縦席を狙って確実に殺している。
「今は、いい。とにかく《アマデウス》に戻るよ」
明確な答えは出せないまま、《アマデウス》へと帰路を取る。納得はしていないようだったが、トワの《羽持ち》もそれに追従していた。
黒塗りの《カムラッド》が部隊単位のみである筈がない。ifを運用するのなら必ず旗艦が、あの黒塗りのBSがいる筈だ。一刻も早くこの宙域から脱出しなければならない。
そう自分に言い聞かせて矛盾をかき消そうとした。目を背けて、ただ時間が流れるままに状況を受け入れる。
その結果が、この様だというのに。乖離していく自分の意思を繋ぎ止められずに、離れた心が宇宙の黒と同化していくように思える。
《アマデウス》の白亜の船体は、いつもと変わらずにそこにいた。
《アマデウス》下部に位置する格納庫で、ifと同じような要領で《長剣持ち》と《羽持ち》を固定した。ifより一回り小さいその二機だったが、ハンガー内に入れてしまえば調整次第で何とかなる。
溜息を一つ吐くと、視界がゆっくりと切り替わっていった。《長剣持ち》そのものだった身体が、意識が自分へと戻っていく。目を開けると、光一つない操縦席で荒い呼吸を繰り返している自分がいた。血が鉛にでもなってしまったかのような倦怠感に、身を起こすのさえ億劫になる。
何もしていないにも関わらず、目の前のハッチが開いていく。差し込んでくる光に目を細めながら、身体に力を入れようとする。
そこで初めて四肢が固定されている事に気付いた。操縦席に縛り付けられたその様は、ある種の拷問器具を彷彿とさせる。それらの拘束具は、暫くすると操縦席にスライドするように格納されていった。
開ききったハッチから身を乗り出し、横付けされたタラップへ移動しようとする。
ぐにゃりと世界が歪む。気付いた時にはタラップを越え、無重力の中を慣性で漂っていた。身体はぴくりとも動かない。抗いようのない睡魔が襲い、ふらふらと動く視界に脳が攪拌されていく。
ミユリが何かを言いながら近付いてくるが、その声を聞き取ることも出来ない。
歪む視界の中、同じようにトワも中空を漂っていた。もう既に眠っているようで、慣性を受けてゆっくり回転していた。
自分も耐えられそうにない。そのまま目を閉じ、意識がゆっくりと沈んでいく。
ああ、そうか。なぜ自分があの時、黒塗りの《カムラッド》を撃破しなかったのか分かった。
モニター越しではない。自分の視界と、手足と変わらない感覚だった。あのプライア・スティエートとかいう搭乗兵器は、自分自身の身体と比べて、感覚としては大差ないのだ。
モニター越しでないと、人を殺せない。ifの腕で刃を振るえても、自分の手では振るえない。そんな勇気も覚悟もないのが自分なのだ。
もう数え切れないほどに殺している筈なのに。今更常人振ろうなんて、どこまでも情けない。
戒めたくとも、一度沈んだ身体は浮かび上がらない。混濁した意識は、ゆっくりとその形を失っていった。
殺されたんじゃない、死んだんじゃない。ただ潰された。そこいらにいる虫とどう違うのか。潰れたのはただ運が悪かったのか、助かった自分はただ運が良かったのか。違う、もっと根本的な原因がそこにはある。
誰も悪くないなんて話ある訳がない。‘これ’を落とした奴が、落ちる要因を作った奴がいるのだから。だから自分は……。
そんな物でどうにか出来ると思っているのだろうか。何度この光景を見ればいい、もう飽き飽きだった。幾度となく繰り返してみても結末が変わらないのなら、自分がこうしている意味はどこにあるのだろうか。
いや、分かってはいるのだ。自分にとっての意味などここでは関係ない。あの人の望みをこうしてただただ叶えて、叶え続けるだけ。あの人すら自由でないのだから、自分が自由であるはずはない。だから自分は……。
焼かれて残った物が、人が生きていけるだけの最低限を意味していた。少しずつ焦がれた物は、ゆっくりと確実に麻痺していく。
鈍化していく意識は今も昔も変わらない。歪んだ視野に合わせて目に見える世界も歪んでいくような気がした。それが正しいことだと思い込んでいくまで。ゆっくりと。
止まっていくように……嘘を吐いたんだ。