最果てを手折る
巨大な花を中心に、三機のifが縦横無尽に飛び回る。端から見れば、灰色の花に纏わり付く羽虫のように見えるかも知れない。
足下の残骸を蹴り、慣性の方向を切り替えてイリアの《シャーロット》が飛び上がる。派手な黄色に塗装されたif、《シャーロット》は手にしたアンカー散弾銃で狙いを付けていく。一発撃ってはレシーバーを引き、空になったショットシェルを排莢する。間を置かず三発、放たれたのは散弾が二発とスラッグ弾が一発、援護牽制の散弾と、本命のスラッグ弾……破砕力に優れた一粒弾だ。
灰色の花……《ステアブルーム》はその巨体を回転させ、空になった武装ユニットでスラッグ弾を受ける。
ただ撃たれているだけではない。回転を続ける《ステアブルーム》は自らの花弁を……武装ユニットの封を切った。中から飛び出した鉄糸が、複雑な軌道を描いてそこかしこを斬り付ける。もっとも、ifのカメラアイではそのスマートウィップを捉える事は出来ない。プログラムによって位置を予測し、操縦者の勘によって避ける。
流れる汗と確かな疲労を感じながら、イリアは大したものだと唇を噛み締めた。
灰色の花、《ステアブルーム》はifを中心に武装ユニットを複数増設した兵器だ。その操縦者はレティーシャ・ウェルズ、アンダーの持つ戦力の中でも、トップクラスに位置するだろう少女だ。そして、それが嘘や酔狂ではないと、こうして戦ってみると分かるのだ。
手を緩めた瞬間に盤上はひっくり返る。レティーシャと《ステアブルーム》にとって、得意とする射程は遠距離だ。あれの用いる二種類の鉄糸……スマートウィップとスチールウィップの射程距離は、ifの携行兵器を凌駕している。だからこちらは前進し、この近距離で勝負を決めるしかない。
そして、レティーシャもそれに乗った。近距離を嫌い、距離を取ろうとすればそこが隙となる。少なくとも、こちらは緩急を付けた攻め手が使える。だが、常に近距離ならばどうか。
延々と攻勢が続く。どちらかが倒れるその時まで、永遠に。一呼吸も置けない、というのは存外に厳しい物だ。かといって、こちらが距離を取ればその時点で勝負が決まる。僅かな隙であっても、レティーシャは見逃さないだろう。
要するに、フルマラソンを全速力で走るよう強要されているようなものだ。
背後に控えている《アマデウス・フェーダー》も動けない。機会があれば突破するという手筈だが、そんな見え透いた隙などある筈もない。
レティーシャの《ステアブルーム》は、この戦場を今尚支配しているのだ。
「根比べ、チキンレースみたいなものだよね」
今の所、誰一人として脱落はしていない。
リュウキの《カムラッド》は少し離れた位置で狙撃銃を構えている。的確に吐き出される大口径の狙撃弾は、《ステアブルーム》に何度も突き刺さっている。正確には、空になった武装ユニットに、だが。
エリルの《カムラッド》は右手に突撃銃、左手に大型拳銃を携え、《ステアブルーム》の至近を飛び回っていた。放たれるスマートウィップを先に撃ち抜き、隙あらば手榴弾を投げ入れる。爆発に煽られながらも、《ステアブルーム》は健在だ。破片でずたずたに引き裂かれた空の武装ユニットが、回転の勢いを受けて脱落している。
攻撃は全て防がれていた。だが、それでいい。こちらが致命的な損害を受ける前に、全ての武装ユニットを使わせる。残るのは、管制ユニット代わりのifと幾ばくかのフレームだけだ。
「十は切ってる、もう一息だよ!」
終わりは見えている。そうイリアが鼓舞する。
ステアブルームが、巨体にそぐわない俊敏な動きで位置を変えた。武装ユニットの一つが迫り出し、その鼻先がリュウキの《カムラッド》に向く。
それが見えていないリュウキではない。鉄糸を警戒しつつも、先んじてそれを狙い撃てる位置へと跳ね飛ぶ。リュウキの《カムラッド》、その狙撃銃が弾丸を吐き出すのと、武装ユニットの封を弾け飛んだのはほぼ同時だった。
そして、大口径の弾丸と大口径の砲弾が交差する。
『ッ!』
リュウキの息を呑む声が聞こえる。大口径の弾丸は武装ユニットに飛び込んだが、その武装ユニットが吐き出したのは鉄糸ではなかった。長方形の花弁を突き破って顔を覗かせているのは、二門の滑走砲だ。
その砲門が吐き出した馬鹿でかい砲弾は、今までの鉄糸とは違い目に見える速度でリュウキの《カムラッド》に迫る。故に、リュウキの《カムラッド》は急上昇を仕掛けそのクロスカウンターを躱そうとするも、右脚の膝から先が弾け飛んだ。
『急に手札増やしたか、相討ち狙いとか笑えねえ!』
リュウキの声に苦悶が混じり、その乗機も被弾によりバランスが崩れかけていた。
《ステアブルーム》の攻勢は止まらない。弾丸を受けた武装ユニット、滑走砲はまだ健在だ。一門は引き裂かれたものの、もう一門は上昇するリュウキの《カムラッド》を狙っていた。
「手札は隠すもんだからね!」
リュウキの言葉にそう返しながら、イリアの《シャーロット》が素早く所定の位置に回り込む。アンカー散弾銃を右手のみで保持し、空いた左手でシャープナー投擲ナイフを一振り掴む。張り巡らされたスマートウィップの隙間を狙い、シャープナーを飛び込ませる。
狙い通りに飛来した極小の刃は、砲弾を吐き出す前の滑走砲に突き刺さった。砲身に異物を叩き込まれた影響で、吐き出そうとした砲弾がその場で炸裂する。脱落していく武装ユニットと、体勢を立て直したリュウキの《カムラッド》を見て、僅かではあっても安堵を覚えた。
しかし、《ステアブルーム》の攻勢は今尚止まらない。そうこうしている内に、もう一基の武装ユニットが展開された。そこから放たれたのは鉄糸でも砲弾でもない。無数の誘導弾が、堰を切ったかのように吐き出された。四方八方に飛び回るミサイルは、近接信管を採用しているのか放たれる度に炸裂する。
全周囲へ向け闇雲に撃っているように見えたが、その実半数以上がエリルの《カムラッド》へ殺到していた。
『次は私、ですか!』
エリルの《カムラッド》は攻撃の手を止め、右手の突撃銃と左手の大型拳銃を適宜撃ち、誘導弾を叩き落としながら回避機動を取る。援護に入ろうにも、炸裂する誘導弾で視界やルートは悉く遮られていた。
だが、幾ら数があるといっても、誘導弾の斉射に当たるようなエリルではない。エリルの《カムラッド》は両手の銃器でそれらを迎撃し、すり抜けてくる誘導弾すら避ける。そうして殆どの誘導弾を躱し、最後の一発が撒き散らす破片を凌ごうと後退した瞬間だった。
『違う、後ろに!』
何かに気付いたのか、エリルの声から焦燥が漏れる。
減速しながら、エリルの《カムラッド》がその左腕を後ろに振り抜く。そこに張り巡らされていたスマートウィップが、一瞬にして赤熱し左腕を両断した。あのまま下がっていれば、蜘蛛の巣に飛び込む所だったのだ。
左腕を失いながらも、エリルの《カムラッド》はまだ健在だった。正面から破片を浴びながら、それでも牽制の銃撃を《ステアブルーム》に返す。
それらを今し方使った武装ユニットで防ぎながら、《ステアブルーム》は悠々と次の武装ユニットを展開する。
無数の鉄糸を吐き出しながら、感情の読み取れない声でレティーシャが呟く。
『よく動くものね。二機は獲るつもりだったけれど』
迫る鉄糸の群れを潜り抜け、三機はそれぞれの得物で《ステアブルーム》を狙う。それを追い払う為、新たな武装ユニットから‘見える’鉄糸が射出される。赤黒い靄を纏った、全てを両断するスチールウィップだ。
蝕腕を振り回すかのように繰り出される絶対の斬撃を、すれすれで避けながら機会を待つ。
「まだやれるよね?」
イリアはそう二人に問い掛ける。
『当然。あの箱に核弾頭が入ってたら詰みだけどな』
リュウキの《カムラッド》は、右脚を失って尚動きに遜色はない。無理な体勢からでも狙撃銃を構え、正確に弾丸を叩き込んでいる。
『問題ありません。敷設の癖は見えました』
エリルの《カムラッド》は、右手だけで突撃銃の再装填を済ましていた。腰にある弾倉に、直接突撃銃を叩き付けるようにして装填したのだ。再度距離を詰め、牽制の銃撃と手榴弾による本命を叩き込む。片腕だけで、器用にそれらをこなしていた。
《ステアブルーム》は惜しげもなく武装ユニットを展開し、鉄糸を断続的に吐き出していく。滑走砲や誘導弾も、ここぞというタイミングで放ってくる。
それらを懐に入る事ですり抜け、手持ちの武装を使えるだけ叩き込む。イリアの《シャーロット》はアンカー散弾銃のスラッグ弾で武装ユニットを立て続けに撃ち抜き、こちらを狙っていた滑走砲にシャープナー投擲ナイフを投げ付ける。
お返しとばかりに飛来した誘導弾を、アンカー散弾銃を投げ付ける事で無力化した。距離を取るべき戦局だが、ここでは前進を選ぶ。《ステアブルーム》は、ゼロ距離で使える兵装が殆どないのだ。だから、ここまで潜り込まれる事だけは避けようとする。《ステアブルーム》は回転し、迫り出した武装ユニットが直接こちらを打ち据えようと迫る。
イリアの《カムラッド》は、空いた両手にシャープナー投擲ナイフを装備した。一瞬だけバーニアを噴かして相対速度を合わせ、武装ユニットにナイフを突き立てた。迫る武装ユニットに、取り付く事で殴打を無効化したのだ。イリアの《シャーロット》は回転の勢いを活かし、両手を離す事で殺傷範囲から逃れる。
一連の攻防、近接間合いでのカウンター……その僅かな隙を、リュウキとエリルがこじ開ける。
『やり返させて貰います』
エリルの《カムラッド》が、ここぞとばかりに手榴弾をばらまく。敷設の癖が見えたという言葉に偽りはなく、その全てが《ステアブルーム》の至近に転がり込んだ。間髪入れずに炸裂し、《ステアブルーム》の巨体を傾けさせる。
『ようやくかわいい顔が見えてきた、な!』
リュウキの《カムラッド》が、その花弁を狙って狙撃銃を連射する。銃身が真っ赤に染まる程の速射であり、その発砲音を聞く者がいれば、単発の狙撃銃とは到底思えないだろう速さだ。
手榴弾の爆発、そして大口径弾の応酬により、灰色の花《ステアブルーム》は遂にその花弁を……武装ユニットの全てを失った。
イリアの《シャーロット》は、飛び上がった分だけ降下する。途中、エリルの《カムラッド》が突撃銃を投げて寄越した。イリアの《シャーロット》はそれを右手で掴み、ぴたりと《ステアブルーム》の中心部を狙う。
「これでおしまい。花は摘み取る!」
武装ユニットを失い、中央のifが見え隠れしている。残るのはユニットを懸架していたフレーム部のみ。弾丸が充分な効力を発揮する距離まで待ち、イリアの《シャーロット》は突撃銃のトリガーを引いた。
ありったけの弾丸を受け、《ステアブルーム》が小爆発を起こす。そして、その爆発から逃れるようにその機影は飛び出した。
イリアのシャーロットと、灰色の《カムラッド》が交差する。そのカメラアイが、こちらをじとりと睨め付けてきたような感覚を覚え、背筋が一気に冷えていく。
その冷たさから逃れる為に、イリアは前進を選んだ。イリアの《シャーロット》は致死から逃れる為に進もうとするが、背後で生じた爆発によって《シャーロット》は図らずも前方に押し出されてしまう。あの灰色の《カムラッド》は交差と同時に、手榴弾を投げ付けてきたのだ。
「二人とも気を付けて! そいつは!」
警告を絞り出し、背後を振り返って援護の体勢に入ろうとするも。イリアの《シャーロット》が振り返った時にはもう、殆ど決着が付いていたようなものだった。
リュウキの《カムラッド》は右腕と狙撃銃を失い、左手で単機関銃を構えていた。
エリルの《カムラッド》はカメラアイの半分と左脚を獲られている。右手で予備の大型拳銃を構えており、その照準は件の《カムラッド》へと向いていた。
《ステアブルーム》から飛び出した、灰色の《カムラッド》だ。管制ユニットとして使用されていたが、当然このように使う事も出来る。そういう事だろうか。
レティーシャの操る灰色の《カムラッド》は、右手に突撃銃、左手にダガーナイフを装備していた。その両手は、薄れつつあるとはいえ赤黒い靄が滞留している。
『こっちの負けみたいね。まあ、私にとってはここからが本番だけど』
花の時とは比べ物にならない程の重圧を感じる。イリアは《シャーロット》の損傷を確認し、まだやれると判断した。前進を選んだお陰で、背部バーニアはまだ生きている。
爆発し、残骸の一つと化していく《ステアブルーム》を横目で見ながら、イリアは再度前進を選ぶ。イリアの《シャーロット》は、レティーシャの《カムラッド》へと真っ直ぐ飛び込んでいく。
互いに右手に突撃銃を構え、それを単発で撃つ。最小の動きで互いにそれを避け、近接間合いに入ってからイリアの《シャーロット》はシャープナー投擲ナイフを投げ付けた。対し、レティーシャの《カムラッド》は左手のダガーナイフを一回だけ振り抜く。
赤黒い靄が斬撃軌道をなぞり、目前に迫ったシャープナー投擲ナイフを粉砕する。
互いに中距離を位置し、右手の突撃銃がそれぞれ相対するifを狙う。
「リュウキ、エリルちゃん、《アマデウス》と前進して。アンダーをお願い」
そう伝えるも、二人の返答からは否定の色が見える。
『そいつは構わないが……』
『先にその機体を何とかすべきです。三機掛かりなら』
二人の言いたい事は分かる。だが、こうして対峙してみると分かるのだ。イリアは有無を言わさない口調で、その言葉を形にする。
「一対一でやらせて。じゃないと、私でも勝てない」
対象を一人に絞って、ようやく同等なのだ。三機で戦うという事は、その分思考のリソースを連携に割く事になる。それでは足りないのだ。
『……了解、向こうを掃除してくる』
『歯痒いですが、分かりました』
了承を返し、リュウキとエリルの《カムラッド》が離れていく。レティーシャの操る灰色の《カムラッド》は、そちらを見ようともしていない。意識を逸らせば獲られると分かっているのだ。
《アマデウス・フェーダー》が動き始めても、それは変わらなかった。隙を一切見せず、レティーシャはこちらだけを見ている。
『優しい言い方をするのね、《マリーゴールド》は』
少女の声が響く。先程まで無関心しかそこには潜んでいなかったのだが、こうして対峙して気が変わったのだろう。
『二人を犠牲にすれば容易に片が付くって、教えてあげれば良かったのに』
選ばなかったにせよ、そういった選択肢があったのは事実だった。あのまま三機で戦っても、いずれはこちらが勝つだろう。だが、二人の命は潰える。だからこうして一対一で戦う道を選んだ。時間は掛かるし、そもそも勝てるかどうかも不明瞭だが。自分もリュウキもエリルも、そしてレティーシャも。全員を生かす為にはこれしかなかった。
「貴方が本気で動けば、ここで三機を食い止める事も出来た。でも、それをしなかった。どうして?」
そうイリアは問う。自分は確かに選択した。だが、その選択に乗ったのは他でもないレティーシャだ。それが分からない。
『《マリーゴールド》、貴方から彼と同じものを感じたから。リオ・バネットと同じだけど、遙かに死を誤魔化したような匂いが』
レティーシャの声には、微かな興味と確かな共感があった。同じ場所にいる悪魔を見付け、こんな所にもいるのかと口元を緩めるような。
「……悪魔であるかどうか、決めるのは自分自身よ」
『そうかしら。名前はいつだって他人が決めるものでしょう? ねえ、《マリーゴールド》』
全てを見透かしたような少女の声と、灰色の《カムラッド》が。イリアの胸中に拭えない影を落とした。




