白亜の疾走
どうすることもできない焦燥感を持て余しながら、リーファは付けたままのヘッドセットを握り締めた。もう何分経ったのだろうか。
沈黙したままのヘッドセットから、何事もなかったかのようにリオの声が聞こえてくれさえすれば。こんな気持ちになることもないというのに。
こうも嫌な感じがついて回るのは、いつもと雰囲気が違うせいなのかもしれない。《アマデウス》ブリッジでは、それぞれがそれぞれの職務を全うするためにじっと時を待っていた。戦場特有の緊張感、今私を苛んでいるのはそういった当たり前の事柄だろう。
いつもとは違う。いつもならもっとイリアは自信満々で、皆も軽口を叩きながら飄々と問題を片付けていくのに。
いや、違う。何を甘ったれた事を考えているのか。弱気になっている自分に渇を入れ、乱れそうになる呼吸を整える。ここは戦場であり、自分は兵士なのだから。
イリアは艦長席に腰掛けながら、多数の電子ウインドウを中空に浮かべ、それらを見据えながら不要になった情報を消しては新しいウインドウを形成していた。最小限のやり取りを隣の副艦長席に座るクストと行い、また新たなウインドウを形成する。膨大な情報の海を、その流れを掴むための一手だ。
リュウキは操舵席に深く腰掛け、リラックスした様子で目を閉じていた。と言っても操縦桿には軽く手が掛かっており、目を閉じてはいるが神経は張り巡らせている。いつ作戦開始になっても、リュウキは即座に職務をこなしてみせるのだろう。
ギニーは武装管制席に座り、各種データの移り変わりを目で追っている。気を抜きすぎても、張り詰めてもいない。自然体に近い形で、静かに待機している。
平常心を装いつつ、ただじっと指示を待つ。リオとトワが遺跡に突入してから、もう大分時間が経過したのではないのだろうか。無事なのか、そうでないのか。それすら分からない。
「よし、これでいいでしょ」
イリアが手をぱちんと鳴らし、浮遊していたウインドウを全て消去した。広域レーダーのみが表示されたいつもの光景で、それは事態が動くことを意味している。
「的中率は九八パーセント、まあ順当な数字じゃない」
クストがそう応え、広域レーダーに目を向けた。
「そう何回も負けてられないからねえ。敵BSはポイントFに潜んでるよ。if部隊も上手い具合に痕跡を消してこっちに来てる。ただ彼らが追い付くことはできないけどね。さて」
小悪魔的な笑みを浮かべるイリアは、もう既に結末が見えているのだろうか。
「作戦開始だね。リーファちゃん、格納庫に繋げて。クストちゃんは爆破担当、リュウキはトンネル潜り、ギニーはエンジンの維持に全力を掛ける。忙しくなるよ~」
指示通り格納庫、正確にはミユリまで回線を繋げる。今ミユリは、整備用のws《ラインパートナー》に搭乗して指示を待っている筈だ。
「ミユリさんに回線入ります」
正常な通信という表示を確認してから伝える。
「ミユリちゃん、準備いい?」
『当たり前だ。もう待ちくたびれたよ』
ミユリの声がブリッジに響く。今回の作戦では直接音声をブリッジに流すことになっている。
「それならオッケー。皆は?」
イリアが問いかける。
「それ、今更聞くの?」
クストが呆れたような視線を向けた。
「いつでも。何なら冥王星まで飛ばしてもいいぜ」
リュウキが操縦桿を握り直しながら応える。
「ダメって言ってもやりますよね」
ギニーの発言は弱気だったが、しっかりと笑みを浮かべていた。
「問題はないです」
皆に倣って私もそう応える。もっとも、今回私がやれることなんてたかが知れている。何せ、連絡を受け取るべき相手を今から迎えに行くのだから。
「いいね。それじゃあ、始めるよ! 爆破!」
《アマデウス》前方の岩石群がまとめて吹き飛んでいく。リオが行きに仕掛けた爆発物であり、その操作権はこちらが持っている。
同時に《アマデウス》両舷後部が展開し、不釣り合いなほど巨大なブースターが顔を覗かせた。それは見る見る内に光を纏っていき、その場から弾き出されるように《アマデウス》はその機動性を発揮した。
向かう先は先程爆破した岩石群のただ中である。大小様々な岩石が密集しているこの宙域を最大速度で航行するなど自殺行為だが、この爆破によって《アマデウス》一隻分ぐらいは空間が確保されていた。
順次仕掛けられた爆弾が炸裂していき、遺跡までお手製のトンネルを作り出す。その際どい航路を、リュウキの操舵によって最高速度で潜り抜けていく。
「そろそろだね。ミユリちゃん、機雷投下!」
開いたままの下部ハッチから、無数の機雷がばら撒かれていく。全てif用武装の弾丸を改造した物だが、触れればただでは済まない。
「一定間隔で撒いてね、びびらせれば充分だから。噂をすれば、ほら」
こちらの作ったトンネルを、後から追うように黒塗りの《カムラッド》が四機現れる。しかし機雷の存在に気付くと、トンネルではなく外周の岩石群へと吸い込まれるように散開した。妥当な判断なのだろう。
「まあ、そうだよね。突っ込んで数が減らせたらラッキーだったけど。でも陣形が崩れてるね。加えて岩石群じゃ速度も出せない。機雷を撃って除去しようとしても、破片と炎に阻まれて結局足止め食らっちゃうしね。詰まるところ今の《アマデウス》に接近するには一つだけ」
イリアはにやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「この機雷の中を、起爆させずに最高速度で突っ込んでくれば追い付けるかもよ」
広域レーダーを見ても、黒塗りの《カムラッド》との距離は充分離れていた。
「問題はあそこの、隠れてるBSだけど一向に動かないわね」
クストが広域レーダーを見ながら呟く。
「目標が高速で動いてるから狙いは定められないし、位置的に丁度仲間を誤射しちゃうからね。今頃援護射撃が通る位置まで移動しようとしてると思うけど、多分間に合わないと思うよ。あそこ、隠れるにはいいんだけど移動しづらいんだよね」
イリアが答え、クストも納得したように頷く。全てイリアの思惑通りという状況だ。
「やっぱ《アマデウス》はこうじゃなきゃな! 足が速いってのはいい!」
リュウキが興奮したように言うが、ギニーは困ったように返す。
「その分エネルギーバランスがとんでもないんだけどね! 湯水のように使っちゃうんだからさあ……」
この狭いトンネルを最高速度で飛ばすリュウキも凄いが、そのエネルギーを算出し最高速度を保てるだけのエネルギーを提供するギニーも凄い。
『おい! 機雷が半分切ったぞ!』
「オッケー。そのままのペースで撒いちゃって。丁度良い頃に着けると思うから」
遺跡まであと半分程と言った位置まで来ていた。依然黒塗りの《カムラッド》は近付けてはいない。
「うーん、リオ君に貧乏くじ引かせちゃったかなあ」
そのイリアの一言に、クストが怪訝そうな表情を浮かべる。
「どういうこと?」
「いや、今追ってきてるのが四機でしょ。で、相手があの黒塗りのBSだったら中型BSにカテゴリーされて、大体if二個小隊が基本だよね。てっきりBSへの自衛用に一部隊隠してると思ってたんだけど、この状況なら出撃させて《アマデウス》を挟撃する方がいいと思うんだ。それしないってことは、リオ君の方に一部隊行ってるかもって」
その読みが正しければ、リオにとってかなり不利な状況になっている。不安が脈打つ。
「遺跡から出てくるのが、黒塗りのifじゃなきゃいいって事ね」
イリアは頷き、人差し指を唇に当てながら広域レーダーを見据えた。
「何が起きるか、どう帰結するかはトワちゃん次第だけどね。私の勘というか憶測だけど、どんな事態になってもリオ君は必ず生きて帰ってくるよ」
「お嬢様次第、ね」
イリアとクストには、何かしら見える物があるのだろうか。私には何も分からず、音の聞こえないヘッドセットをただ握り締めることしか出来なかった。
二人揃って帰ってきてくれなければ、意味なんてない。ただ生きているだけが、本当に生きていると言えるのか。
「早く帰ってきて、安心させてください」
誰にも聞こえないよう、小さく呟く。ヘッドセットは沈黙したまま、その職務を果たそうとはしてくれなかった。




