闇を断つ閃光
薄暗い操縦席の中で、リオ・バネットは開封した手紙に目を通していた。あの後、トワが律儀に書いてきてくれたのだ。字の練習に付き合う事もあるので、一目で分かる。独特の丸っこい文字は、それだけでトワだなと思わせてくれた。
手紙の内容は、取り留めのない事から始まっている。みんなとこんな話をしたとか、こんな服が欲しくなったとか。艦内の食事は、今改めて食べるとそんなにおいしくないとか、そんな感じだ。
そこから、少しネガティブな話題が増えてくる。家は壊されていないだろうか、とか。あれもこれも置いてきてしまったとか。特に、物に関しては結構執着している。その理由も明記されており、それぞれこういう思い入れがあるとか、こういう思い出があると力説している。
ネガティブだなと、本人も書いて思ったのだろう。次の文章からは、意識して明るくしようと頑張っている。話題で明るくするのは難しいと悟ったのか、ひたすら感謝やこういう所が好きなのだと、興奮気味に走り書きされている。ここはちょっと読むだけで恥ずかしい。
そこまで読んだ所で、落ち着いた男性の声が機器越しに聞こえた。
『そろそろだろう。リオ・バネット、君はどう思う?』
手紙から目を上げ、オープンにしてある通信回線を確認する。
今、操縦兵は全員ifに搭乗していた。まあ、自分は《イクス》を使っているのでプライアに搭乗しているのだが。ともかく、全員が出撃待機中という訳だ。
強襲用小型船舶、《ブリンガー》は予定通りに戦場へ辿り着いた。
これがイリアの采配だ。十基のセクションを同時に奪還する。その為には、少数精鋭での強襲しかない。同じ艦に精鋭を固めておくなんて戦力の無駄であり、そんな余裕はない。
自分は《アマデウス・フェーダー》から出立し、フィールドランナーの部隊へと合流した。ランナーの中でも、荒事を担当する部署だ。急な編成も慣れているのか、特に問題もなくスムーズに事は進んでいた。
今回の作戦は、《アマデウス》だけでも三部隊に分かれている事になる。《アマデウス・フェーダー》にはイリアが残り、手持ちの《ブリンガー》でエリルとリュウキは別方面へ向かった。そして、自分はここだ。
ネイヴィスE……占領されたセクションの一つであり、ランナーの被害がもっとも大きかった場所でもある。ここに、ただの精鋭では対処出来ない類の悪魔がいる。自分と同じ場所にいる、あの青いウサギが。
強襲船《ブリンガー》の格納庫は、薄暗く狭い。ここに一機のプライア、《イクス》と三機のif、《カムラッド》が並んでいる。《ブリンガー》自体の操縦は、自動操縦で今回はまかなうらしい。
先程声を掛けてきたのが、この部隊を束ねる隊長だろう。部隊内では、クロックという名前で呼ばれていた。
「同意見です。相手の射程に入る前に出ましょう」
そう答えながら、手紙を最後まで読む。何度か消した跡から察するに、色々な言葉を考えては消したのだろう。
「……私の想いが、貴方を包んで離さないように」
誰にも聞こえないように……自分にだけ届くように、その文章を呟く。手紙を折り畳んで元に戻し、固定してあるPDAを見る。無骨なPDA、その画面にはトワの写真が表示されていた。幾つかスライドして、結局一番最初に撮ったあの写真に辿り着く。不機嫌そうにこちらを見ているトワと視線を交わして、今どんな表情をしているのかと思いを馳せる。
『では順次出撃する。《ブリンガー》は予定通り引き返し、待機させる』
隊長……クロックがそう指示する。《ブリンガー》の後部ハッチが開き、一機ずつ順番に外へ飛び出していく。クロック機を先頭に、まずは三機の《カムラッド》が出た。
最後に、《イクス》の体躯を操って外へ飛び出す。意識接続は弱レベル、《イクス》の目も開いてはいない。今はifと同じように、増設されたカメラアイが外の映像を捉えている。メインウインドウ……こちらも増設されており、問題なく外の映像が表示されていた。
操縦桿は相変わらず存在しない。メインウインドウの増設に伴い、幾つかの機器は操縦席内に増えていたが。基本的な操作はともかく、戦闘機動時に頼りになるのはこっちだ。操縦桿に値する球体に手を添えて、体躯の調子を確かめる。
接続が弱レベルでも、こちらは問題なく動いてくれる筈だ。手脚を動かし、何度かロールし制動を見る。問題は見受けられない。
《イクス》……ミユリの名付けた正式名称では、《イクス・ホロウブランク》は。完璧な状態に仕上がっている。もっとも、かつての状態と比較すれば完璧とは程遠い。
「目を開かなければ、何とかなりそうだな」
あの行為が一番負担になる。体躯を動かすだけならば、BFS……バイオ・フィードバック・システムの操作と大差はないのだ。元々使っていたシステム、そう違和感はない。
『作戦を確認する。このままセクションへ接近し、相手の出方次第で部隊を分ける。基本的に、一機と三機だ』
自分が一機の方だ。このまま接近出来れば、四機編成のまま制圧作戦に入る。
『セクションに取り付いた後は、スマートウィップの除去を行う。そして、後方で控えている部隊に信号を送り、強襲する』
文言だけを並べればそうなる。自分を含めた四機は、言わば先遣隊だ。全ての行程を最短で行いつつ、同時に圧力を掛ける。セクションを制圧しているif部隊の無力化、地上部隊の制圧、そして管制ユニットの確保……全てを最短かつ同時に行う。
『目標であるネイヴィスEだが、相当な手練れがいるという情報だ。ここが最も、ランナーを撃墜した地域でもあるからな』
あの、青いウサギがいる。レティーシャ・ウェルズ……アンダーの首謀者、その片割れであり、if操縦兵だ。あれの腕前は、身をもって知っている。単純な操縦練度もかなりの物だが、あれを異常たらしめている要素はそれだけではない。
BFS……バイオ・フィードバック・システムは、自身の意識するままにifを操縦出来る。だが、彼女が使う物はそれの発展型だ。
BFC……バイオ・フィードバック・コンバーターは、BFSの機能に加え、意識するままに攻勢障壁を形成する事が出来る。意のままに盾や矛を形成出来るような物だ。これは本来、そう厄介な機能でもない。BFCは、精神への負荷が大き過ぎるのだ。
一分一秒、或いはそれをも凌駕する速度で生死の決まる戦場では、その欠点はあまりにも大きい。だが、レティーシャはそれを克服した。自分の知る限り、人の身では唯一それを成し遂げたのだ。
レティーシャは冷静に動く。時計が針を進めるように、冷徹に。それでいて、自在に操る事の出来る障壁が彼女の矛となり盾となる。単純に戦うだけでも、充分に脅威なのだ。それが未知の兵装と共にあるのだから、ただの精鋭では対処出来ない。
一分一秒、或いはそれをも凌駕する速度で生死の決まる戦場だ。見えない手札が一枚あるだけで、勝負は決まってしまう。
『青いウサギのエンブレムを付けた《カムラッド》だ。見付けた場合はすぐに』
ぞくり、と肌が波打つ。
一瞬にして《イクス》の目を開き、明瞭になった視界でその方向を捉える。まだ見えない、だが、一瞬でここへ到達する。
部隊の最後尾に付いていた《イクス・ホロウブランク》で、他を弾き飛ばす勢いで先頭に飛び出す。左肩を引き、そこに懸架されたE‐9フラッシュソード……if用の打刀の鞘を固定する。右手でその柄を掴むと、いるだろう方向を凝視し続けた。
向こうも察したのだろう。稲光と共に、電磁的手段で放たれた砲弾が飛び出した。焼けたステルスクロークを投げ捨て、中から藍色の《カムラッド》が飛び出す。肩に青いウサギのエンブレム……レティーシャだ。
電磁加速を受けた砲弾はとてつもなく速い。だが、距離はあまりにも遠い。それだけならば、ここまで警戒する必要もないだろう。散開して回避するだけで済む。
だが、砲弾が赤黒い靄を纏い始めたのなら話は別だ。急加速した赤黒い砲弾へ、《イクス・ホロウブランク》はそのままの構えで突っ込んだ。即ち、左肩……鞘を引き、右手でその柄を掴んだ体勢のまま。
赤黒い靄が、次なる意思を孕むその前に。瞬時に砲弾へ接近した《イクス・ホロウブランク》は、居合いの要領でE‐9フラッシュソード……打刀を引き抜いた。
意思を込めた刀身が、抜刀と同時に赤黒い砲弾へ食らい付く。拮抗は一瞬、主から離れすぎた赤黒い砲弾は、為す術も無く両断された。
居合いの要領で振るった刃は、砲弾を中心から斬り裂いたのだ。霧散していく赤黒い靄……二つに分かれた砲弾が、明後日の方向に飛来していく。
「先に行って下さい。あの子です」
それだけ告げると、操縦に集中する。
次弾は撃たせない。抜刀したまま、《イクス・ホロウブランク》は真っ直ぐにレティーシャの《カムラッド》へと近付く。後退も射撃も無意味と分かっているのか、レティーシャの《カムラッド》はあっさりと肩に付けていた巨大な火砲を切断した。
レティーシャの《カムラッド》は右手に突撃銃、左手にナイフを構えている。いつもの構えだ。
牽制の射撃はない。どうせ近付かれるのなら、今撃つ必要はないと判断しているのか。
それもあってか、《イクス・ホロウブランク》はあっと言う間に近接間合いに這入り込んだ。その首目掛け、右手で握り込んだE‐9フラッシュソード、打刀を振り抜く。右から左への斬撃軌道を描き、その刃はフラッシュという名前通り瞬時に振るわれた。
距離を僅かに調整し、レティーシャの《カムラッド》は順手に握り直したナイフでその打刀を防ぐ。ナイフの刀身は、うっすらと赤黒い靄が渦巻いている。鍔迫り合いが始まって数秒、レティーシャの《カムラッド》は腰辺りで構えた突撃銃をこちらの胴に向けた。
放たれた弾丸を避ける為、打刀を引いて飛び退く。放たれた弾丸は三発だけ。こちらを引き剥がす為に、必要なだけ撃ったのだ。
『了解、幸運を』
三機の《カムラッド》が、迂回する形でセクションへ向かう。その返答を聞いて、溜息混じりに《イクス》の目を閉じる。確かな疲労を覚えながら、メインウインドウの先にレティーシャの《カムラッド》を見た。
藍色に塗装され、肩には青いウサギのエンブレムが施されている。レティーシャの《カムラッド》は、離れていく三機には目もくれない。意識を逸らしたら負けると、分かっているのだ。
短いノイズが響く。周波数は前回と同じだった為、通信が繋がったのだろう。聞き覚えのある、幼げだが冷たい声が聞こえ始めた。
『幸運を、だって。運で何とかなるのなら、祈るだけで済むのにね』
祈るだけではどうにもならないと。そう、知っている少女の声だ。
「レティーシャ。戦場に君が探している物はないよ」
君が探すべき物は、本当にこんな所にあるのか?
『貴方こそ、結局こうして戦場にいる。おかしいわね、戦いから離れていた筈でしょう。どうして、あの時よりも切れ味が増しているの?』
どうしてだろう、と自問自答する。答えは見つからず、結局表示したままの少女の写真と目を合わせた。どうしてかは、分からないけれど。
「こんな事はさっさと終わらせて、トワの傍に帰る。君はどうするの、レティーシャ。僕をさっさと片付けて、誰の傍に帰る?」
君がすべき事は、本当にこんな事なのか?
『救われた人は……言う事が違うわね』
レティーシャの《カムラッド》が僅かに姿勢を変えた。
罪と呪いから目を逸らさずに、少女は未だに戦い続けている。自分とは違う。それを、救いと呼ぶか逃避と呼ぶかは人それぞれだろうが。少なくとも、他でもない自分はこれを逃避と考えている。
「諦めて、逃げているだけだよ」
それが分かっていて尚、分かっているが故に強く。自分はこれでいいと思っている。形や経緯はもうどうでもいい。ただ、あの子の傍に。
「目を逸らしているだけだ。自分の、意思で」
《イクス・ホロウブランク》も、右手で握り込んだ打刀を正面に構える。
沈黙は数秒、互いの機影が動き出すのは数瞬……《イクス・ホロウブランク》は右手の打刀を、レティーシャの《カムラッド》は左手のナイフをそれぞれ振り抜く。交わした言葉と同じ数打ち合い、再度離れては言葉にならない言葉の数だけ打ち合う。
互いに激情はない。だが、激しい剣戟がそれぞれの心根を表しているかのようだった。




