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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「旋回と献身」
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約束の光


 扉の先には、気が遠くなる程の空間が広がっていた。石畳の地面と、そこに点在する石柱の群が見える。所々朽ちてはいたが、保存状態は良い方だと思える。

『リオ、あっちだよ』

 トワがメインウインドウに指を差す。他ならぬトワ自身の道案内なら、間違いはないだろう。

「分かった。そっちに行けばいいんだね」

 ハンドグリップを握り締め、ゆっくりと機動を促す。《カムラッド》を石畳に着地させ、そのまま歩いていく。

 石柱を避けながら、明かりのない方へと《カムラッド》を歩かせる。工学処理されたメインウインドウであっても、元の光源が乏しければ見辛いことに変わりない。奥に行けば行くほど暗く、そして気だるさを覚える。

 サブウインドウを展開し重力係数を調べる。ポイント・フォー、ポイント・ファイブ、奥に行けば行くほど数字は上がっていく。どういう原理かは不明だが、重力が掛かっている。そしてワン・ポイント、地球と同じ重力係数となった。無重力、つまりポイント・ゼロに慣れてしまった身体には、この負荷は重い。

 周辺気体値を計測すると、これも地球と同じだった。地球と何ら変わりない大気構成が、ここに存在している。

 トワを見つけたあの遺跡と同じだった。地球と同じ重力負荷に大気構成、否が応でも地球を思い出させる。

「ぷはあ。息苦しかった」

 トワが唐突にヘルメットを外した。そして何の迷いもなく、こちらのヘルメットを外そうと両手で鷲掴みにした。

「ちょ、ちょっと」

「これがあると分かりづらいよ」

 抵抗の余地すらなくヘルメットは奪われた。トワは奪ったヘルメットを、本来なら座るはずだった補助席へ放り込んだ。

「ぞんざいだなあ」

「リオが久し振りな感じがするね」

 ただヘルメットを外しただけなのだが、確かに新鮮味がある。だが、そもそもこのヘルメットは空気があるから外して良いという物ではない。

「外されてから言うのも何だけど、これは頭部の保護も兼ねてるんだから。なるべく着けておくのが良いんだよ」

「私は、こっちの方が好き」

 じっとこちらを見つめるトワの表情は穏やかだった。そんな目をされると何も抗議出来なくなる。

「危なくなったら着けてよ」

 もうすっかりトワのペースだが、仕方のないことだと思う。

 トワとのやり取りで心なしか軽くなった身体を自覚しつつ、操縦に意識を戻す。メインウインドウが映し出す世界は相変わらず暗いままであり、どうしても息苦しさを覚える。光学処理の数値を調整し、無理矢理メインウインドウを明るくする。実像とはかけ離れるが、今はこれでいいだろう。

「暗いのは嫌い?」

 トワが問いかける。

「嫌いではないけど、なんか狭苦しいから」

 ふうんと呟き、トワはメインウインドウに顔を近付ける。

「明るくなるといいよね」

 そうトワが呟くのと、メインウインドウが真っ白に染まったのは同時だった。何らかの攻撃ではない。その証拠にifのシステムも自分自身も、これが異常だとは感じていなかった。

 メインウインドウの光学処理を最適化する。思っていた通り、ただ遺跡内部が明るくなっていただけだった。

「トワがやったの、これ」

 その現象自体は何て事はない。しかしそれを引き起こしたのがトワというのが問題なのだ。

「明るいといいんでしょ?」

 あっけらかんと言うトワに悪びれた様子はない。ここに来てからこんなことばかりで、より一層トワが何者か分からなくなっていく。

「はあ。ここまで来たんだから、少しはトワのことが分かると良いんだけど」

「リオは私の何が知りたい?」

「トワのことは全部知りたいけど」

 明るくなった遺跡内を、《カムラッド》のメインカメラで見渡しながらぽつりと答える。

「全部って言われると、ちょっと恥ずかしいね」

 何気ない一言のつもりだったが、トワはそう受け取ってはいないようだった。困ったような表情を浮かべながら答えるトワは、妙に愛らしく見えてくる。

「そういう意味じゃないんだけど。まあいっか」

 何者かは分からないが、分からなくてもトワがトワであることは変わらない。では、何者か分かってしまったらどうなのだろうか。

「その時が来ないと、何も分からないか」

 そう呟きながら操縦を続けていると、遠方に壁が見えてきた。最奥まで来ていたということだろうか。

「行き止まりだけど、トワが行きたかったのはここ?」

 その壁に近付き、《カムラッド》を静止させる。

「ここだよ。降りないとダメだけど」

 見た目には何の変哲もない石壁だが、トワが言うのだから間違いはないだろう。いっそ間違いであっても、こちらとしては一向に構わない。ただの勘違いとして済ませるには事が大きいかもしれないが、少なくとも今目の前にいるトワが消えてしまう事はない。

「ねえねえ、動かすのはリオなんでしょ?」

 トワが不満そうな目でこちらを見ている。遺跡に入る前に言った言葉をきちんと覚えていることに驚いたが、トワの言う通り降りないことには始まらない。

 《カムラッド》に片膝を付かせ、地面との距離を縮める。ハッチを開放し、光学処理されていない光景を肉眼で捉えた。それで何が分かるという訳でもないのだが。

 トワに横へ退いてもらい、先に身を乗り出す。上下に開放されたハッチは足場も兼ねている。下に開いた所へ乗るようにして操縦席から出て、上に開いたハッチの横にあるワイヤーリフトを展開する。

 無重力ならば慣性を付けて飛べばいいが、今ここは地球と同等の重力を帯びている。わざわざ骨折をする必要はない。

 地面に向けてワイヤーが射出され、縄ばしごのように振れているのが見える。ワイヤーリフトはその名の通り、このワイヤーに簡易昇降機が付いている代物だ。後は目の前にあるグリップを握り、身体を宙に預けてスイッチを押し込めば地面まで運んでくれる。

「トワ、こっち来て」

 グリップを握り、ぶら下がるようにして姿勢を保つ。ワイヤーには等間隔で凹凸があるため、動いていない時はここに足を乗せておけばいい。

「リオが面白いことになってる」

 出てきて開口一番がこれである。トワはぶら下がっているこちらの様子を、まじまじと観察している。

「見た目ほど面白くないよ。こんな感じで、しっかりと掴まって。トワは運動神経良いから大丈夫だと思うよ」

 本来これも一人用だが、トワを一人で降ろすというのは想像するだけで危険な気がする。お互い小柄なので何とかなるだろう。現に緊急時にはこれで三人まで昇降可能らしい。

 見よう見まねでトワもワイヤーリフトに取り付く。向かい合うような形になり、目が合うとトワは嬉しそうに微笑んでいた。

「今から降りるけど、降りてるときは足を外してね。きつくなったら一回止めるけど、途中で宙ぶらりんになる方が恐いから出来るだけ一回で行きたいんだ。分かった?」

 トワは少し考えている様子だ。

「えっと、リオは一回で行けるの?」

「うん、まあ何とか」

 それを聞いてトワはこくりと頷く。

「じゃあ私は大丈夫だよ」

「それなら良いんだけど、何かその答えは釈然としないなあ」

 お互いの状態を確認し、スイッチを押し込んで地面へと降りていく。ただ降りるだけであり、無事に地面へと足を着けることができた。ある一点を除いては。

「本っ当に危なかった。もうトワとの二人乗りはしない、次やられたら絶対に落ちる。むしろ今落ちなかったのが奇跡だよ」

 地面に両手を付いて肩で息をする。何て事はない、向かい合っていた筈のトワが周囲を見渡して、勢い余ってぐるんと反対を向いたと思ったら体当たりを仕掛けてきたのだ。地上六メートル付近で。

「わざとじゃないよ、そうなっちゃったんだよ」

「そうなるでしょうね、要はバランス崩してるんだから」

 立ち上がり、深呼吸をして身体を落ち着かせる。当の本人であるトワはけろりとしていて、疲れた様子など微塵もない。

「リオ、怒らないで」

「怒ってない、疲れただけ」

 事実怒ってはいないのだが、些か口調がぶっきらぼうだった為かトワは納得していないようだった。

「じゃあ、次はリオがぶつかってきて良いから」

 そんな突拍子のない提案をされても困る。

「次はない。絶対に」

 二つの意味を持った「次はない」だが、やはりトワは納得していないようだ。しかし、この押し問答を繰り返すわけにもいかない。

「まあ、それは後で話し合うから。ここでどうするの?」

 不満顔のトワに疑問を投げかける。トワは思い出したように壁に駆け寄ると、ぽんぽんと叩いて見せた。

「こっち。この先」

 頭に響く鈍痛が、無意識の内に視界を遮る。この閉じた目を開けたとき、現れる光景を自分は知っていた。

 頭痛は一瞬だけだった。ゆっくりと目を開けると、思っていた通りの結果が目の前にあった。

 石壁にはなかった筈の扉があった。トワを見つけた時と同じだ。なかった筈の物が現れ、だというのに頭の中では初めからこうだったという意識がある。二つの思考のズレに、言いようのない不快感を覚える。

「さ、もうすぐだよ」

 一方のトワは何も気にする様子はなく、にこりと微笑むと扉の奥へ消えてしまった。ここで立ち止まっている訳にもいかない。後を追って扉を抜けていくと、またもや広大な空間が広がっている。しかし、奥の方は暗く全体を見渡すことは出来ない。

「トワ、ここは」

 棒立ちのまま宙を見上げるトワに近付くが、その横顔を見て口をつぐんだ。

 笑っている。いつも見せてくれる柔らかな笑みとは違う。もっと薄暗い何かを孕んだ笑みを、今のトワは浮かべている。ある種の美しさすら感じるその笑みに、ぞっとするような感覚を覚えた。

 頭に響く鈍痛が生じたと思えば、次の瞬間には頭を叩き潰す激痛へと変わっていた。無意識の内に頭を押さえ、その場に屈み込むようにして倒れる。

 あまりの痛みに体感覚すら曖昧に思える。永遠とも一瞬とも思える痛みのサイレンが鳴り止んだとき、心配そうなトワの声が聞こえてきた。

「リオ、どうしたの。大丈夫?」

 トワも同じように屈み、心配そうにこちらを見ている。もうトワはあの笑みを浮かべていない、いつも通りの様子だった。

「大丈夫、だと思うけど」

 痛みは何事もなかったかのように消えている。しかし、この身体に積もった疲労感はあれが現実だったと確かに伝えていた。

 立ち上がりながらトワと目を合わせる。トワは既に立ち上がっていたが、その表情はどこか寂しそうだった。トワは何かをじっと見ている。

 目線を追っていくと、自分の右手に辿り着いた。どくりと心臓が跳ね上がる。

「……なんで」

 呆然と呟く。自分の右手には、セリィア自動拳銃がすっぽりと収まっていた。安全装置は外されている。マガジンは装填され初弾も供給されている。ハンマーも倒れている。人差し指はしっかりとトリガーに絡みついている。状態を一つ一つ確認していく。後は、目標に向けるだけでいい。

 何を考えているのか。なぜか浮かんでくる不穏な未来を掻き消しながら、震える手でセリィア自動拳銃をホルスターへ戻そうとする。

 なぜ自分は拳銃を抜いているのか。自分の事の筈なのにまるで意識が追い付いていない。悲しそうな表情のまま、トワがこちらに背を向けた。

 その一瞬で、身体は流れるように動いていた。

 詰め寄り、トワの肩を左手で掴んで地面に引き倒す。抵抗もせず、仰向けのままでいるトワに馬乗りになる。そのまま左手で胸倉を掴んで地面に押し付け、右手で握ったままのセリィア自動拳銃をトワの眉間に当てがった。

「なんで……」

 銃口が震える。銃口だけではない、手が、腕が、身体が意識が。目の前の事態を受け入れられずに震えていた。

 少しでも指が動けば、トワの頭蓋に弾丸を叩き込んでしまう。セリィア自動拳銃は小口径で破壊力も小さいが、今この状況で少女一人を絶命させるには充分だった。

「リオ」

 トワの声はいつもと変わらない。死が目の前に迫っているというのに。

 震えが止まらない。一体自分は何をしているのか。この先に待つ結果をどう受け止めるつもりなのか。

 あまりに強く押し付けていたのか、ひどく震えているからか。銃口を押し付けていたトワの額から血が滲み、白い肌の上を重力に引かれるがままに伝っていく。

「いいよ」

 トワは寂しげに呟く。良い筈なんてない、こんな事は誰も望んでいないのに。だというのに。

「リオが望むなら、それでいい」

 トワは目を閉じた。額から鮮血が流れる。今引き金を引けば、これの比ではない出血と共にトワの命は潰える。

 そうなれば、なってしまえば。違う、そうならないと、そうしなければ。

 潰えるのは、自分の方だ。生き残るためにトリガーを引くという動作は、今まで何回も繰り返してきたのだから。

 そうしなければ一歩も前に進めなかった。戻ることが出来ないのなら、進むか朽ち果てるしかなかったのだ。

 震えは止まらない。止まらなくてもいい、この距離では外さない。

 トリガーがぎりぎりと沈んでいく。ゆっくりと、だが確実に死が近付いている。同時に胸倉を押さえつけている左手にも力が入り、トワがくぐもった声を出す。

 トリガーを引き絞るまで、ハンマーが落ちるまで、トワの命が潰えるまで、あと数ミリもない。

 視界の隅に何かが煌めく。その小さな輝きが、トリガーを引こうとしている指を一瞬だけ止めた。

 トワの首に掛かっていた銀色のネックレス、今まで見えなかったのはフラット・スーツの内側に入っていたからだろう。それが滑り落ちるように胸元から地面へ煌めく。それ自体はただのネックレスであり、本当に煌めいていたのはそれではない。

 ネックレスに通された、プラチナに輝くシンプルなエンゲージリング……見違える筈がない、動機や経緯が無茶苦茶であっても、それは二人の約束の証なのだから。

 これで一緒にいられる。そう言ってトワは微笑んでいた。自分だってそうだ、無茶苦茶に振り回されていただけかもしれない。でも、そうだとしても構わない。ただひたすらに困惑していたが、そんな自分でも確かに思うことがあった。だからこそ。

 右手に、身体全体に力を込める。息が出来なくなる。大きな圧迫感が全身を襲うが、それすらはね除けるように力を込めた。

 ……殺して、たまるか!

 声なき声を上げ、右手を振るうようにしてセリィア自動拳銃を投げ捨てた。胸倉を掴んでいる左手から力を抜く。トワの上から退いて、身体全体を投げ出すように座り込む。顔を伏せ、荒い呼吸を繰り返す。

 後少しでもトリガーを引いていたら、トワは死んでいた。どうかしている。確かに、自分はトワを撃ち殺そうとしていた。確固たる、自分自身の意思で。

 いや、今はその自分の意思すら疑わしい。抗ったのは自分の意思だが、撃とうとしたのも自分の意思なのだ。生か死か、混ざり合った感情や思想は頭の中を掻き混ぜては消えていく。

 いつまでそうしてうずくまっていたのか。気配を感じて顔を上げると、トワが寂しそうな表情のまま、セリィア自動拳銃をこちらに差し出している。額の傷は前髪で隠れて見えなかったが、流れていた赤はもう固まって黒に変わっていた。

 トワの手の中で黒く存在を主張しているセリィア自動拳銃を見て、また顔を伏せる。わざわざ拾ってきたのだろうが、今はそれに触れたくはなかった。

「これは、リオが持ってなきゃダメだよ」

 トワの声が聞こえる。

「いらない。今、トワに何をしようとしたか分かってないの?」

 その銃を握った瞬間に、何が起きるかすら分からないのに。何も起きないかもしれない、何か起きるかもしれない。受け取ったその瞬間に、トリガーを引かない保証はどこにもないのだ。

「でも、これはリオを守る物だから。持ってなきゃダメだよ」

 トワが何と言っても、手を伸ばす気にはなれない。押し黙ったまま、せめて呼吸ぐらいはいつも通りに戻ってくれと目を閉じる。

「リオリオ、こっち見て」

 また身体が勝手に動いてしまってはたまらない。ゆっくりと、慎重に顔を上げる。目に飛び込んできた光景は、意識を凍り付かせるのに充分だった。トワは寂しそうな表情のまま、手にしたセリィア自動拳銃を自分自身の額にあてがっていた。

 瞬間、解き放たれたかのように身体が動いた。立ち上がり、今度こそ自分自身の意思でトワの手からセリィア自動拳銃を取り上げる。

「何だかびっくりした」

 あっけらかんと言ってみせるトワだったが、その表情は心なしか満足そうだった。こちらは気が気じゃないというのに。

「冗談でも、本気でも。もう絶対にこんなことしないで」

 結局の所、セリィア自動拳銃をホルスターへ納めることになった。トワからしてみれば納得ずくでやった行為なのかもしれない。

「良かった」

 トワは嬉しそうに微笑み、ネックレスに通されたエンゲージリングを両手で握った。

「私じゃ撃てなかったから」

 その仕草は、安心したようにも祈っているようにも見える。その様子は、例えるなら殉教だ。トワは、端からこちらに任せるつもりだったのだろう。自分自身の生死すら、トワは他人任せにしているのだろうか。

 いや、違う。トワ自身は生きたくても、こちらが望めば死んでもいいと、そう思っているのだ。悲しい論理だが、それはトワにとって当然の論理なのか。

「トワ、こっちに来て」

 大人しく近付いてきたトワの前髪をかき分ける。緊急用の医療キットしかないが、額の傷をそのままにはしておけない。消毒液の染み込んだ繊維布を取り出し、凝固した血液を拭っていく。真っ赤になったそれを破棄して、もう一つ繊維布を取り出す。

「ちょっと痛いけど我慢してね」

 額の傷を拭って消毒していく。消毒液の染み込んだ繊維布で傷を拭うのは、見ているだけで痛々しい。だが、化膿させてしまっては申し訳が立たない。真っ白な額に付いてしまった小さな裂傷が、赤い命を覗かせていた。

「……ごめん」

 あの恐怖や殺意がどうであれ、この傷は自分が作った物だ。これが償いになるとは思わないが、それでも謝らずにはいられなかった。

「いいよ、だってリオは助けてくれたじゃない」

「それ、本気で言ってるの?」

 保護バンデージを切り取って傷に貼り付ける。トワは何を聞かれたのか分からない様子で、ただ不思議そうに貼られたバンデージを触っていた。

「何だか変な感じ。これどうするの?」

「どうもしない。あんま弄らないでよ」

 傷を保護してるのに触っていたら元も子もない。

「ふうん。分かった。じゃあ、そろそろ行かないとだよね」

 特に気にする素振りもなく、トワは暗闇の中へ溶け込むように歩いて行く。拭えぬ後ろ目たさを抱えたまま、その後ろを追い掛ける。少し進んだところで、トワは立ち止まった。

「ここだよ」

 その一言に応えるように、今まで暗闇に包まれていた空間が、徐々に明るく照らされていく。これもトワが行っている事なのだろうか。もう不思議に思うこともなくなったが、かといって穏やかな気分でいられる訳でもない。

 だが、目の前に現れた二対の存在感は他の物にはない独特な感情を抱かせた。

 恐怖や憧憬、それらは適切ではない。一番当てはまっているのは畏怖か。その二対の巨人は……機体は、片膝をついてじっと命令を待つ騎士のようだった。

「久しぶり、なのかな。たぶん久しぶり」

 その二対が騎士ならば、主はきっとこの少女なのだろう。トワは懐かしそうに近付いていく。

「トワ、ちょっと待って。これは一体何なの?」

 ざっと見る限り、ifよりも一回り小さく見える。ともすればifと同じような搭乗兵器にも見えなくはないが、各部に施された装飾は軍用のそれと大きく異なる。どちらかと言えば、式典用に受注生産されたモデルに近い。

「何なのって、これが私の取りに行きたい物だよ。ほら、リオだってよく乗ってるでしょ?」

 よく乗っている。それがifを示しているのなら、やはりこれは搭乗兵器なのか。

「その二機の、えっと、ifを持って帰るってこと?」

「そうだよ。あいえふ、じゃなくて。私達はプライア・スティエートって呼んでたけど」

 その言い回しに違和感を覚え、ふと考える。目の前で起こっている現実は既に違和感だらけではあったが、その中でも気になる一節があった。

「トワ、今私達って言ったよね。トワ以外にも誰か居るの?」

 トワは二対の機体、本人が言うにはプライア・スティエートと命名されているらしいそれから目を離す。そのままこちらを振り向くが、少し困ったような表情をしていた。

「その、私達はそう言ってるんだけど。自然に私達って言っちゃったから私達だと思うんだけど。でもそれが何かっていうのはよく分からなくて。何だかよく分からないけど」

 一生懸命伝えようとしているのは分かるが、結局分からないということだろう。ここに行きたいと言った時と同じで、断片的にしか分からないのだ。

「うん、分かった。それはもういいよ。それで」

 真剣に考えているトワを見るとこちらが申し訳ない気分になる。とりあえずはこれを持ち帰ることを考えなければいけない。

「この二機とも持って行くの?」

「うん。私が使えるのはこっちの方だから、そっちのはリオが使ってもいいよ」

 トワが使うと言った機体は、細身のシルエットに大剣を思わせる羽が付いているのが特徴で、すらりと尖ったフォルムは天使にも悪魔にも見て取れる。

「使ってもいいって言われても」

 対してトワがこちらに譲ろうとしているのが、今目の前にある機体だろう。幾分かifに近いシルエットをしているが、やはり細身なのは変わらない。よく言えば無駄のない、悪く言えば頼りない装甲をしていた。背中に羽は生えていないが、一振りの長剣が括り付けられている。その様相はまさしく騎士そのものであり、とても軍用機には見えない。

「じゃあ、もう行かないと」

 トワが機体に向かって歩き出すが、直接これに乗って帰るつもりなのか。

「トワ、待って。壁の向こうにある《カムラッド》で、牽引して運ぶよ」

 いきなりこんな得体の知れない物で踊り出るより、《カムラッド》を使った方がよっぽどスムーズに事が済む。それに、連絡手段が潰えるのは厳しい。イリアの読みが正しければ、一悶着起きてもおかしくはないという。

「こっちのが早いけど」

「それでも駄目。とにかく一旦《カムラッド》まで行って、この壁を発破、二機を回収して戻る。それでいいでしょ?」

 有無を言わせぬ口調だったのが功を奏したのか、トワは不承不承といった様子だったが頷いた。そうと決まれば後は行動するのみ、駆け足で戻ろうと背を向ける。時間は無限にあるわけではない。

 だが、遅すぎた。耳をつんざく轟音と、地の底から這い上がるような鈍い衝撃が身体を襲う。

 思わず耳を塞ぎたくなるような轟音は、壁越しでも背筋を凍らせる。この発射音はよく身に染みていた。if用の銃火器、恐らく突撃銃か。いや、音が軽い。短機関銃かもしれない。

 間髪入れず殺到した衝撃が壁越しでも伝わってきた。轟く爆音が意味するのは他でもない。

「外の《カムラッド》がやられた。敵ifか」

 イリアの懸念通りであり、敵が襲ってくることを想定して本来は動くべきだった。そう頭では理解していたものの、予想外の出来事があまりにも多すぎた。どう言い訳しても変わらないが、つまるところ時間切れという訳だ。あまりの間抜けさに、ぽつりと湧いてくる舌打ちを抑える。

 ここから逃げなくてはならない。だが逃亡手段はない。相手がifなら生身でどうこう出来る相手ではない。

 救援を期待する、これが一番まともな選択肢だが選ぶわけにはいかない。敵ifがここにいる以上、《アマデウス》もまた襲撃を受けている。本来なら、救援すべき相手は《アマデウス》であって自分達ではない。遺跡内部に居ては連絡手段もないに等しい為、独力でここを切り抜ける必要がある。

 対抗手段は、今壁の向こうで炎上しているのだろう。携行武器はセリィア自動拳銃のみで、当然ifを相手取ることはできない。

 降伏する。これもまともな選択肢だが、選ぶわけにはいかない。トワが連れて行かれ、自分はここで殺される。今相手にしているのはそういう枠組みだ。

 必然、もう出来ることは数えるほどしかなかった。このちっぽけなセリィア自動拳銃でトワを射殺し、自分も自害する。

 あまりに現実と、意識とかけ離れた選択肢の一つ。思わず笑みが零れる。間違いなく自虐的な笑みだが、それでも良かった。どうあってもそんな終わり方は嫌だと、自分自身が強く思っている証拠になってくれるなら。証明になってくれるなら。

 そうなれば、選択肢は後一つだけだ。

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