呪いの行く末
あらすじ
復讐と闘争を掲げたアンダーが、世界を傾ける為に動き出す。ランナーは世界の均衡を保つ為に動くも、その手は間に合いそうにない。
少年と少女は、再びこの場所に帰ってきた。
即ち、戦場へ。
身体を締め付けるフラット・スーツの感触は、最初こそ気持ち悪いと思っていたのだが。今ではもう、それが当たり前の感覚となっている。待機状態の薄暗い操縦席で、レティーシャ・ウェルズは無機質な音声を聞き流していた。
制圧チームの報告が、機械音声として処理されているのだ。何重にも施された電子的欺瞞の産物であり、傍受される危険もない。もっとも、ランナーの精鋭が解析しようと思えばすぐに露呈する事となる。一回限りの特別な通信回線という訳だが、その一回で戦況は傾く。
戦況を……平和な世界を傾ける。私達アンダーの目的は、結果だけを見ればそういう事になるのだろうか。平和に適合出来ない脱落者というのは、思いの外多いようだった。第一次if戦争、第二次if戦争がもたらした戦争という生き方は、それなりに需要があるという訳だ。
平和を維持する為に走り回る……ランナーはその辺りの認識が甘かった。平和の維持とは即ち、世界秩序や国民感情の掌握だ。潤沢な資金と人脈を駆使し、ランナーは無謀とも思える平和を築き上げた。全知全能に限りなく近い手腕だ。限りなく近いが故に完璧ではなく、こうして脱落者の集団が出来上がってしまう。
アンダーの用いた手法も、ランナーのそれと同じようなものだ。潤沢な資金と人脈を、そこそこ後ろ暗い方法で拡充しながら。アンダーはここまで膨れ上がった。
レティーシャは、フラット・スーツに包まれた自身の手を見る。十一歳相応の、小さく頼りない手だ。本当は十四歳なのだが、身体に施された処置のせいで成長が止まっている。白く染まった肌も髪も、煌々と赤い目の色さえ、自分の物ではない。
そう、何一つ。身体の内も外も、この戦闘技術も何もかも。こうなる前の自分を思い返そうと、レティーシャは記憶の内を探ってはみたが。本来の髪の色さえ、明瞭に思い出せなかった。
「……暇ね。そっちの方が楽でいいけど」
そんな事を呟きながら、レティーシャは狭い操縦席で伸びをした。どこもかしこも小さく、細い身体が反っていく。ifの操縦席は、お世辞にも居心地がいいとは言えない。それでも、戦闘機動をしている時と比べれば快適だ。
聞き流している機械音声達の報告は、概ね準備完了という感じらしい。まあ、正直興味は無い。自分が動く時は緊急事態だろうし、そうならないのが一番だからだ。
『はい。それでは行動開始です。最初で最後のお仕事……になるのかならないのかは皆さん次第ですけど。プロフェッショナルの腕前、見せて下さいね』
機械音声ではない、リシティアの肉声が耳元を流れる。アンダーをここまでの集団に育て上げた少女は、最後まで締まらない号令の掛け方をしていた。
リシティアの采配は、怖ろしいまでに的確なのだ。リシティアは自分と同じような出自を持つ少女であり、その身体は白兵戦に特化した調整をされている。不器用で、それ以外の事など出来ないと本人は言っていたし、その言葉に偽りはなかった筈なのだが。
リシティアは、他でもないランナーからそれらを学んだと言った。貪欲に、或いは切実に。復讐という目的を果たす為、不器用な少女は世界の動かし方を学んだのだ。
「私……どうすれば」
結局の所、思いはそこへと集約する。レティーシャは、嗤おうとしてうまく表情に出来ず、結局口元を歪める事しか出来ない。
どうすれば良いのか、どうすれば良かったのか。地獄はどこまでも続くと聞いた。呪いは消えないと思い知った。何をしても赦されないのだと心に刻まれた。それでも構わない、悪魔は悪魔のまま、地獄は地獄のままに。望んだ道ではないとか、自分は被害者だとか、そんな事は最早関係がないのだ。
目的や手段を問わず、その是非すら関係がない。人を殺し、その道の果てに自分がいる。だから、これは当然の報いなのだ。
呪いは消えない。私は死ぬまで苦しむだろう。
「リズ、貴方も。同じだとは思うけれど。もっと何か、選べた筈なのに」
友人であるリシティアの愛称を口に出しながら、どうすれば良いのかと同じ問いを咀嚼する。そしてもし時間が巻き戻るのであれば、どうすれば良かったのかと。
復讐を遂げた時、リシティアは彼女自身が望む世界へと行くのだろう。リシティアが誰よりも信じ、或いはきっと。愛していただろう人の下へ。
「人を守るのって、思っていたよりずっと難しいわ」
溜息を吐き、レティーシャは座席に深く腰掛ける。リシティアの望む世界、その終着点に。私が望むものは何もない。
もしくは、ここで反旗を翻すというのはどうだろう。レティーシャは、突拍子のない思い付きを少し煮詰めてみた。ここにいるアンダーは精鋭ばかりだが、勝てない相手ではない。侮っているとか、自信があるとか、そういう領域の話ではない。多分、全員殺しきれる。何より、向こうは死ぬまで戦うつもりはないだろう。
邪魔をするユニットを殲滅し、リシティアを確保する。白兵戦では勝てないが、ifに乗ってる間はこちらが強い。アンダーの各部隊に適当な指示を出して囮にして、後は逃げる。誰にも追い付かれないように逃げて、追い付かれたらそいつも撃つ。
そうして逃げて、誰も追ってこなくなった時に。ようやく、この戦いは終わる。
滅茶苦茶な事になるだろう。沢山の人に恨まれて、きっとリシティアにも恨まれて。それでも多分、他でもないリシティアだけは守る事が出来る……かも知れない。
『レティ、聞こえますか? 領域内にランナーの強襲船……あの速い奴が侵入しました』
穴だらけの計画が、それこそ他でもないリシティアの声で吹き飛ばされた。
「聞こえてる、リズ。《ブリンガー》の事?」
レティーシャはそう返しながら、小さな手で両側の操縦桿……ハンドグリップを握り込む。動作を感知し、操縦席に光が灯っていく。
『そう、それです。ここには私達がいるので、邪魔をされたくありません』
他の場所はともかく、ここは奪われる訳にはいかない。自分もいるし、リシティアもいる。
あの《ブリンガー》……タイミング的には、本当に運悪くここへ来てしまったのだろう。
「待機していて良かった、のかな」
複雑な思いを抱きながら、レティーシャは小さな声で呟く。
外界を映し出すメインウインドウには、巨大な居住区の集合体が……セクションが映し出されていた。人々が宇宙に作り出した、巨大なドーナッツとそれに突き刺さる杭だ。
トーラスダガー型とかいう、セクションの基本形態である。人々が生活する為の居住区がドーナッツ状に……トーラス型に配置され、それらの管制する為に中央に細長い管制ユニットがある。全体的な形状は、むしろ宇宙に浮かぶ馬鹿でかい独楽と言った方が分かりやすいだろう。
その全景が拝める位置に、自分のifは漂っている。つまり、ここを越えられたくはないという訳だ。
『セクションを制圧し、声明を出すまでの間は。ランナーの人達に来て欲しくないのです。対処お願いしてもいいですか、レティ』
いつもそうだと、レティーシャは悪態を吐きたくなった。リシティアはいつでも、命令するでもなくお願いをしてくる。自分が断ったらどうするつもりなのだろうか。
だからいつでも、私は自分の意思で決めなければならない。
「分かってる、リズ。位置を教えて」
転送された情報を頭に押し込み、レティーシャはハンドグリップを傾けペダルを踏み込む。
『ありがとう、レティ。これが一段落したら少し休めるから。一緒に何か食べましょう』
「メニューは私が決めるから」
軋んでいく心を悟られないように、レティーシャは素っ気なく言葉を返す。
藍色に塗装されたif……ウサギのエンブレムを肩にあしらった《カムラッド》が、宇宙の黒を呑み込む勢いで駆け抜ける。
血濡れたウサギの小さな手が、地を掃うべく死を纏った。




