平和の裏側
ショッピングカートに食材を放り込みながら、さてどうしたものかとリオ・バネットは腕を組む。近所で一番近いマーケットであるここには、もう何度も来ている。この地区で暮らして一年以上経ち、また年を越えた。2072年の文字が、意識しなくても目に入ってくる。
このマーケットはそれなりに広く、店内は清潔さが保たれており何の問題もない。あるとすれば、ここに来た理由そのものだろう。
食事なんて外食でいい。だって誰かが用意してくれる。片付けだってしてくれる。そして当然のように美味しい。それが、自分で作った途端にどうだ。
そもそも自分が用意する。片付けも勿論自分だ。そして当然の事ながら美味しくない。比較対象にすらならないだろう。せめて出来合いの物を買っていった方が建設的なのだが。
「リオ、私お料理する。気付いたの。私、家でごろごろしてばっかじゃダメだって」
そんな文言を、横にいるトワがネギを掲げながら宣言する。
シンプルなロングスカートに、落ち着いた雰囲気の上着を合わせているトワは、結構清楚な見た目に仕上がってはいるのだが。ネギを掲げればその清楚さも幾らか軽減されるだろう。すっかり慣れたのか、しっかり眼鏡を掛けている。
白い肌は、幾らか血色がいい。唇も同様で、目の下の隈もない。灰色の髪は肩口を越えて伸びており、前髪が少し目に掛かっている。ともすれば暗い印象を見る者に与えそうだが、爛々と光る赤い目とくるくると切り替わる表情が、そんな印象を一息に吹き飛ばしていた。
「その宣言、これで四回目だけど。あのねトワ。リーファちゃんに、無職はいいですね。こっちは大忙しですよ。トワさんは家でごろごろしてテレビ見てぴーちゃんと遊んでるだけでいいんですものね。って嫌味を言われたのは確かだけど」
まあ売り言葉に買い言葉という奴だろう。最初にトワが、リーファともっと遊びたいお話したいとごねたのが多分悪い。まあ悪い訳ではない。本当に、売り言葉に買い言葉なのだ。
「ふふー。リオ、リーファの真似ちょっと似てる。待って。ぴーちゃんに撮らせて。ぴーちゃん!」
地面を転がっているスフィアフォンが、声に反応して飛び上がった。トワの使っている機種は、色々すっ飛ばしてぴーちゃんと呼称されている。
トワは飛んできたスフィアフォンを片手で取って、そのままひょいと操作していた。ネギを持ったままだったので、それを取り上げてショッピングカートに入れる。
片手でスフィアフォンを操作する姿は、手慣れたハイスクールガールといった感じだ。
実際、トワ自身はハイスクールと言い張っても問題ない見た目をしている。制服を着せれば、さぞ幼く見える事だろう。
「変なとこ撮らないでよ。どうせリーファちゃんに見せるでしょ。それで僕が怒られるんだ、変な事しないで下さいって」
「今のは撮ったけど思っていたのと違う」
撮っておきながら不満げな顔をしていらっしゃる。
「撮らないでって。送らないでよ。今の流れじゃ意味分からないと思うし」
「送ってから言わないで」
さすが、行動が早い。
「じゃなくて。とにかく、人には得手不得手があって。僕もトワも料理なんか出来ないんだよ?」
不思議そうにトワは首を傾げる。
「リオは料理出来るよ? 美味しかったもの」
随分と大雑把なものだが、確かに作った事はある。だが、お世辞にも美味しいとは言えないものだった筈だ。トワは笑顔で食べていたけれど。
「だから、だからね! 私も作って、リオに食べさせるの。片付けだってちゃんとやるよ? 掃除もする。真人間になる」
「トワは変な言葉知ってるよね」
やる気を出してくれるのは有り難いのだが。片付けをトワにさせるのはまだおっかないというか。出来れば包丁とか触って欲しくない。割れる物も同様にだ。
トワは少し成長した。ように見える。一年はあっと言う間だった。普通の暮らしに慣れるまで、ぎこちなく過ごしたなんて事もない。トワがいつものように暴れ回って、火を付けて回るのでそれを消火して回るのだ。一年なんかあっと言う間だ。
くすりと笑みを零し、楽しかったからいいのだけど、と胸中に続ける。色々な物や世界に触れ、きらきらしているトワと過ごすのは楽しい。
「ねえリオ! これ、これ買って! プライム・パティのチョコがあったの!」
相も変わらず目をきらきらとさせている少女を見ながら、苦笑しながらショッピングカートを手で示す。ちなみにプライム・パティとは、トワが見ているアニメのタイトルである。想像の通り、幼児向けの可愛らしい内容となっている。それをぼけっと見ているトワの姿は、まあそれなりにかわいい。
わーいと商品を放り込むトワを見ていると、彼氏と彼女というよりも父と娘に見られるのではと思ってしまう。
まあ、自分はそんな老け込んではいないし。トワは今でこそこうだが、時折本当に危ないというか。子どものように扱う分には、こちらも必要以上に心臓を酷使しなくても済むのだ。それが良い事か悪い事なのかは、自分には分からないけれど。
左手の薬指を飾るエンゲージリングを見遣る。幾度も危機を救ってくれた輝きは、ここでも変わらずに光を反射していた。トワの薬指にも、これと対になるものがある。
まあ、何事もゆっくりでいいだろう。これがあるのだから、大抵の事はどうにかなる。どうにかしてきた。
「あ。リオ、リーファから返信きた。意味分かりませんって」
「うん。そうだと思う」
返答しながら、ショッピングカートの中身を確認する。まあ、こんなものだろう。
「ほら行くよ。お料理するんでしょ」
「うん! ぴーちゃんもするよね?」
きらきらな笑顔で、トワは手の中のスフィアフォン……ぴーちゃんに話し掛ける。
当のぴーちゃんは、分かっているのか分かっていないのか。名前通りの電子音をトワに返した。
「選択と想到」
Ⅰ
地球には悪意が棲み着いている。なんて、そこまで言うつもりはないが。少なくとも、悪党が居やすい場所ではある、とリュウキ・タジマは考えていた。この仕事を始めてまず思ったのがそんな考えであり、2073年となった今でも、セオリーはセオリーらしく変わっていない。
理由は単純な物で、‘人気のない郊外’なんて、地球ぐらいにしかないからだ。宇宙で居住するには、そこそこの数があるセクションへ入居しなければいけない。その時点である程度足が付くし、郊外がある規模のセクションなんて稀だ。
「宇宙でふわふわ漂っていたら、見付けるのなんて不可能だけどな」
だから、必然的に悪党は地球に潜みやすい。今回も例外なく、郊外の山奥で怪しげな集団を覗き見しているという訳だ。
馴染みの操縦席で、望遠カメラを起動して覗き魔と化している。隠密用の外套を羽織った《カムラッド》は、山頂付近から目標地点を見下ろしていた。縮こまるようにして、両手で保持した狙撃銃をそこへ向けている。
「見た感じ黒。真っ黒。よくいるテロ屋さん新装開店だよ。そっちの所感はどうよ?」
リュウキは馴染みの相棒に、通信越しに話し掛けた。
『黒ですね。それも、荒事になるタイプの』
頼りになる相棒、エリル・ステイツは含みのある言い方をした。
『地下に空間があります。if……かも知れないですね』
リュウキは溜息を吐き、操縦桿……ハンドグリップをぽんと叩く。
「うへえ。相手が下手くそだといいなあ。この銃、下手に当てたら大爆散なのよ。ほら、殺生はまずいらしいからさ。気が重い」
『リリーサーの再始動、その鍵になり得る。らしいですからね』
人が人を、一定期間で一定以上殺傷する、とか何とか。何を言っているんだと言いたい所だが、非現実的なものならそれこそ幾らでも見てしまった。というか友人にいる。
「その為のランナーってね。熱々な平和を貴方の食卓に」
それっぽい文言を並べながら、楽に終わってくれと願う。折角手に入れた平和を、こんな所で捨てたくはない。
コール音が鳴り、通信が入る。今頃エリルの元にも同じ音が鳴っているだろう。
『リュウキさん、エリルさん。交戦の許可が下りました。いつも通り、現場の判断で制圧です。ところで……どうですか、現場判断的には』
通信管制士であるリーファ・パレストの声が、状況を伝える。許可という言葉を使ってはいるが、ランナーの決定機関は事実上存在しない。ほぼ全てが現場の判断、故に何よりも早い。そして、その速さを以てしてようやっと。平和という物が維持出来るのだ。
「全然。普通に真っ黒」
『黒です。即時制圧を提案します』
リーファは溜息を吐き、咳払いをしてそれを誤魔化す。好戦的なこちらに呆れている、訳ではない。こっちもそうだ。溜息のオンパレードを吐きまくった後である。
「最近多いよな。あっちこっち飛んでさ。リーファちゃんも大変だろ。情報管制までやってんだから」
溜息の訳はこれだ。厄介なお友達の数が、どうにも増えてきているのだ。
『実際に戦っている人の方が大変です。私は平気……という程、平気ではないかも知れませんが。トワさんに嫌味、また言っちゃいましたし。以前にも、一年前くらいでしょうか。家でごろごろしてるだけでいいですね、みたい事を言っちゃって』
リュウキは笑い、事の顛末を思い返す。
「知ってる知ってる。私お料理する事件だろ。ランナーの出番かと思ったぜ」
『リュウキ、笑うのは意地が悪いですよ。料理は難しいんです』
エリルはちょっと的の外れた事を言っているが、それも仕方がないだろう。エリルも料理とか、そういうのが苦手なタイプなのだ。整備とかそういう事は出来るのに。
「で? 今回は何て嫌味をプレゼントしたんだ?」
興味が湧いたリュウキは、リーファにそう質問してみる。リーファは少し口籠もるが、隠す事でもないのかぼそぼそと喋り始めた。
『えっと。家で……ごろごろしてるだけでいいですよね、みたいな感じの事を』
リュウキは吹き出すように笑い、それをエリルが再び諫める。一頻り笑い、呼吸を整えながらリュウキは笑わないように言葉を選ぶ。
「家で……ごろごろしてばっかなのか。トワの嬢ちゃんは」
全く本当に。非現実的な友人は、今もごろごろとしてたり、彼氏さんに飛び付いたりしているのだろうか。
「しょうがねえ。ごろごろさせてやんなきゃだな。制圧するぞ、エリル行けるか?」
良い具合にスイッチが入った。ハンドグリップを軽く握り直し、武装の確認をする。
CP‐23狙撃銃は、いつでも撃てる状態だ。弾倉には制圧用の破砕鉄鋼弾が満載されている。殺し合いで使う形成炸裂鉄鋼弾は、貫きながら炸裂する危険な代物だが。破砕鉄鋼弾は、命中箇所を粉砕する事しかしない。殺さずに動きを止めるには最適という訳だ。
肩にはナイフ、背中には予備の狙撃銃があるが。まあ、これは今回使わないだろう。
『勿論。あの二人が手にした平和は、私達が守ります』
本心をそのまま言葉にすれば、そんな感じになるのだろう。臆面もなく言えるエリルが羨ましいというか。何より誇らしい。
勝てる気分を作り上げながら、肺に残った空気を吐き出す。
「うし。じゃあやるか。通信封鎖よろしく、リーファちゃん」
『はい。ご武運を』
通信が切断され、二人だけの世界が再び広がる。
『歩兵部隊の指揮権を貰います』
「おう、頼む」
返答しながら、リュウキは眼下のテロ屋を見据える。脇の森から、エリルの操縦する《カムラッド》が飛び出し、サーチライトで照らす。それに続くように車両が飛び出し、重装の歩兵達がそこから更に飛び出す。
サーチライトに照らされた敵は、ろくな抵抗も出来ずに拘束されていく。
まあ、ここまでは予想通りだ。下手に反撃して、被害を増やすような真似はしないだろう。
「アンダーの仕業なら。バックに神も何もない」
殉教するような兵士は、あの中にはいないという訳だ。あそこにいるのはテロ屋で間違いないが、信じるものの為に命を捨てる程の狂信者はいない。むしろ、それが不気味でいまいち理解出来ないのだが。
分かっているのは、アンダーという名前だけ。その意味も分からないし、目的も分からない。捕虜から得られる情報もたかが知れているし、そもそも末端には情報を提供しない類の組織らしい。
だから、あそこにいるのは。どちらかというと、雇われ傭兵のようなものだ。みんな無駄に死にたくはない。だから、爆弾を巻いて突撃してくる事もない。
「さて……びっくり箱の中身はなんだ?」
ここまでは問題なし。問題が生じるとすれば、ここからだ。
歩兵部隊が、テロ屋の居城を手際良く制圧していく。最奥にあるハッチに近付いた所で、折り込み済みの想定外が起きた。
ハッチが弾け飛び、中からifが二機飛び出したのだ。
「《カムラッド》が二機。エリルの読み通りだな。対処は」
『私が囮を。リュウキ、貴方は袖口に隠した手札です』
その時が来るまで不可視でいろと、エリルが提案する。
「了解。イカサマは大好物だ」
歩兵部隊は、即座に地下へと避難する。車両に近い部隊は捕虜を押し込み、手慣れた様子で安全圏へと走り出す。あっちの動きは気にしなくていい。
エリルの《カムラッド》が、二機の敵《カムラッド》に相対する。そして、右手に持っていた突撃銃を腰へと戻した。代わりに引き抜いたのは、二振りのナイフだ。両手にナイフを構え、じりじりと距離を詰める。
二機の敵《カムラッド》は、右手にナイフ、左手に短機関銃を持っていたが。エリル機の動きを見ると、それに応えるように同じようにじりじりと左右に分かれた。
挟み撃ちの体勢を作りたいのだろう。そして、可能なら銃を使わずに無力化したい。無傷に近い形でエリル機を無力化すれば、その分使える物が増えるという訳だ。
「タヌキの皮が何とやらって奴だな」
二対一という状況と、銃を使いたくないとエリル機が最初に示した事で、この状況が出来上がった。ランナーは可能な限り不殺を貫く。そんな噂も味方しての事だろう。
相手が油断してくれるのなら、後は手札をしかるべき時に切るだけ。
拮抗状態が傾く。充分に挟み撃ち出来ると考えたのか、二機の敵《カムラッド》が同時に動き出す。エリル機に向け、一直線に飛び込む。そして、右手で握ったナイフをそれぞれ上部下部を狙い振り抜く。それぞれ交差するべく放たれた斬撃は、当然のように防がれていた。エリルの《カムラッド》が瞬時に動き、両手のナイフでそれぞれのナイフを受けたのだ。
敵の動きが止まる。鍛え抜かれた意思が、意識するよりも早く照準とトリガーを手繰り寄せた。
『リュウキ!』
手札を切れと、エリルがこちらの名前を叫ぶ。その声と発砲は、ほぼ同時だった。
続け様に八発、CP‐23狙撃銃が叫び声を上げる。一発ごとに、リュウキの《カムラッド》は僅かに照準をずらす。
降り注いだ破砕鉄鋼弾は、所定の性能通りに《カムラッド》の四肢を砕いた。二機の敵《カムラッド》は、仕切り直す間もなく手足を吹き飛ばされたのだ。
当然のように自重を支えきれず、敵《カムラッド》は地面へと崩れ落ちる。
「ああ。ホットドッグになっちまった」
リュウキは呟きながら、エラーメッセージを脇に退かす。ご丁寧に説明されるまでもなく、異常は目に見えていた。過剰な連射のせいで、CP‐23狙撃銃の銃身が赤熱している。夜の闇に赤い銃身が光り、白煙が天高く昇っているのだ。むしろ風情がある。
『あの連射速度でここまで正確な射撃。大したものです。丸見えですけど。花火でもやっているんですか?』
望遠カメラ越しに、エリルの《カムラッド》がこちらを見ているのが分かる。
「風流でいいだろ。それより、褒めるぐらいならご褒美をくれ。そういうのがあると頑張れるのが俺なんだ」
リュウキは軽口を叩きながら、ショートカットスイッチを叩く。リュウキの《カムラッド》が、予備の狙撃銃を背中から取り上げる。もう敵ifはいないだろうが、念には念をという奴だ。
『ご褒美ですか。明日のランチは奢ってあげます』
「マジかよ申し訳ねえな。ランチ後のデザートは任せとけ。良さげな店を探してあるんだ」
リュウキは望遠カメラ越しに、再開された歩兵達の制圧劇を見守っていく。
『それは楽しみです。あとリュウキ、報告が入りました。アンダーの痕跡です。いつもの』
いつもの痕跡……名前だけを誇示した、解読しようのない自己主張という奴だ。
「オッケー。荒事は終わりだな。リーファちゃんに伝えるか」
通信要請を送りながら、リュウキは痕跡の意味について考える。即ち、アンダーという言葉の意味を。
「下の下、って事なら良いんだが」
どうにもきな臭い。こうして制圧が無事に終わって尚、何か見逃している気がしてならない。
「……足下を掬われないようにしないとな」
一人呟いてから、リュウキは復旧した通信回線へと再び軽口を放り込んだ。




