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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「旋回と献身」
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足りない後悔


 これで良かったのだろうか。これ以上進んでしまっても良いのだろうか。答えの出ない、そもそも答えすらない質問をリオは何度も繰り返す。

 トワの行きたいという発言、それを聞いたイリアの選択に迷いは感じられなかった。そうしてブリッジで行われたブリーフィングを思い返し、また一人溜息を吐く。

 自分はずっと迷っていた。そして迷ったまま、今こうしてフラット・スーツを着込んでいる。

 自分が使っているのはif操縦兵用のモデルで、各種アタッチメントが追加されている。宇宙活動用に洗練されたデザインはより取っ掛かりのない、動き易さを追求した形状になっている。それ故に身体のラインがくっきりと浮かんでしまい、個人的には少し恥ずかしい。

 各部チェックを行いヘルメットを被る。スーツ内の気圧調整をオートで済ませ、浮かない気持ちのまま更衣室を出る。目の前に格納庫が広がり、次いで行くべき場所、下部ハッチ前でifが待機しているのを見た。

 作戦開始前はゼロ・ポイント、つまり無重力状態に艦内は切り替わる。更衣室から慣性だけでifの下に辿り着いた。今回使うのは、前回使用した《オルダール》ではなく、予備機体として保有していた《カムラッド》だ。

 見慣れない装備が背中を占有しているが、使い慣れた機体というのはやはり安心できる。他の装備は左足にタービュランス短機関銃、右肩にE‐7ロングソードが見える。弾薬も武装自体も少なく、あくまで予備という位置付けだ。

 高性能を誇る《オルダール》ではなく、《カムラッド》を使用するのには訳がある。《オルダール》の性能を生かした作戦進行ではなく、場合によっては機体の破棄も選択肢に入れるため、代替の効く《カムラッド》を使用する。異論はなかった。

「重そうだなあ。比重も悪いようにしか見えないし」

 ぽつりと呟く。その装備が必要だというのは理解しているし、勿論異論はないのだが、どうしてもこう見ると《カムラッド》がリュックサックを背負っているように見える。

「まるでピクニックだ」

 自嘲気味に放った一言は、誰にも拾われない筈だった。

『クライミングの方が合っていると思いますが』

 ヘルメットに備え付けられたインカムが、律儀に返すリーファの声を運んでいた。

「あれ、オンにしたっけ?」

『リオさんがオフにしてること自体がなかなかありませんけど。ずっとオンにしてるじゃないですか』

 そう言われればそうかもしれない。一々切り替えるのは正直面倒なのだ。

「そうかも。まあ、聞かれて困ることもないからね」

『まあ、聞いて困ることもないですからね』

 リーファと遠距離会話をしながら、《カムラッド》の正面に回り込む。後は乗り込むだけ、となれば良いのだが。今回はそうもいかない。

「《カムラッド》の操縦席は、一人用の筈なんだけどなあ」

 ぼやいても始まらないが、ついつい言葉に出てしまう。

『しょうがないですよ。もう一機出す訳にもいきませんし』

 事情は分かっているし、理解もしている。異論もない。だからこそ、しょうがないことだとぼやいてしまうのだ。

「それにしても長いなあ。先に乗っててもいいかな?」

『いいですよ。私も暇なので、話し相手になります』

 床を蹴って身体を浮かばせる。その慣性で操縦席へ取り付き、既に開いているハッチを潜った。もう一人ここへ入るので、ハッチは開けたままにする。

 初期起動を問題なく終わらせ、リーファと他愛のない話を続ける。暫くそうしていると、ハッチに誰かが取り付いた。

『リオ』

 リーファの声とは違う音声が会話を遮る。透き通ったその声は、通信機越しでもトワのものだと分かった。

「トワ、結構時間かかったね」

 顔を上げトワと目を合わせようとするが、その過程で色々と気まずい思いをすることになった。

 今のトワは、自分と同じようにフラット・スーツを着ている。標準体形より細めだがどう見ても少女であろうその肢体が、そのボディラインがはっきりと見て取れるようになっている。よろしくない。

 直視出来ずに目を逸らす。しかしトワはお構いなしに操縦席へと入り、慣性を使ってこちらに衝突した。

『リオ、これ嫌。凄くきつい』

 互いのヘルメットが接触したままの距離で、トワはフラット・スーツへの評価を下した。普段から緩い丈の服を着ているトワが、フラット・スーツ独特の締め付けを気に入る筈もない。

「それは仕方ないんだって。それより、その」

 のし掛かられたままでは色々とまずい。トワの身体は宙に浮いたままであり、無重力を存分に謳歌している。少し目線を下げただけで、小振りだがくっきりと浮かび上がった双丘が表れるのだから本当によろしくない。

『どうしたの、リオ』

 トワが不思議そうにこちらへ詰め寄る。慣性で離れつつあった肢体がまたぴたりとこちらに合わさる。

「な、何でもない何でもないから! ほらこっち、狭いけど補助席があるから!」

 ifの操縦席は一人用だが、緊急用として両サイドに補助席が用意されている物もある。一刻も早く、トワをそちらに座らせて視界から外さねばならない。

『そこがどうしたの?』

 身振り手振りで補助席を指し示すが、トワには伝わらない。

「トワはそこに座って! 分かった?」

 むすっとした様子で、トワは身体を捻ってこちらに背中を向ける。

『えい』

 トワの足が操縦席内を蹴り、新たな慣性が生まれる。すとんとそこに納まるのが当然かのように、トワはこちらの膝の上に着地した。

『座ったよ』

 トワがこちらに倒れ込むようにして目線を合わせる。初めて出会ったときのことを思い出す。あの時もこうして膝の上にトワは居て、こうやってこちらを見ていた。

「いや、だから補助席があるから」

 でも、あの時とは違う。あの時はそもそも緊急事態だったのに加え、トワも所在の分からない少女でしかなかった。今はそうではない。

『こっちの方がいいよ』

「僕はよくないよ」

 しれっと言い放つトワにそう返す。トワに動く気配はない。目線を合わせると、トワは楽しそうに微笑んで見せた。

「ねえトワ。その格好でそこに座られるとその、困るんだけど」

『大丈夫だよ。任せて』

 何故か自信満々になっているトワの様子を見る限り、動くつもりは毛頭ないようだ。

「いや、僕が大丈夫じゃないんだけど。何を任せるのさ」

 ごつりと胸に衝撃が走る。トワが膝の上に座ったまま、後頭部で頭突きをかましたのだ。

『いいの。もうごちゃごちゃうるさい』

 ひどい言い草である。

「うるさくないよ。トワが頑固一辺倒で補助席に座らないからだよ」

『そこは嫌、ここがいい。そこは嫌』

「二回言わなくても。補助席は確かに狭いけど、そこの方が安全だから」

『リオの近くが一番安全』

 トワは一歩も引く気はない。

「何理論で考えればその結論が出るの」

『じゃあリオが上にする?』

「交代するんだったら僕は補助席に座るよ」

『じゃあ私もそこに座る』

 むっとした様子でトワは後頭部での頭突きを繰り返す。

「じゃあ今座ればいいじゃない」

『今そこにリオはいないもん』

 そんなやり取りを続けていると、咳払いが聞こえ我に返る。リーファが呆れきった様子で続けた。

『まあ、痴話喧嘩もいいですけど。是非是非やってくれてても構いませんが。リオさんの事ですから、この作戦が時間との戦いなのは分かっている筈でしょうし』

『ここがいいー』

 よくよく見れば、既に出撃準備も完了しており、その許可も出ている。トワのフラット・スーツ姿や、どこに座るかなどで言い合っている場合ではない。のだが。

「ご、ごめんリーファちゃん。今出るから。トワは」

『ここがいいー』

「うん。だと思ったけど。うう、これどうしよう。この格好は絶対よくないって」

 嘆いても仕方がない。今はとにかく作戦に集中して、この窮地を切り抜けよう。

『大丈夫ですよリオさん。私は何が起きても聞かなかったことにします。でも、出来れば何かする前にマイクは切って欲しいです』

 リーファがしれっと言い放つが、既に何かすること前提とはどういうことだろうか。

『分かった』

「何でトワが返事するのさ、何もしないって。もう、時間ないから出るよ!」

 ハンドグリップを握り、下部ハッチの前まで《カムラッド》を移動させる。

『それ、リオさんが言いますか』

 リーファからの指摘に苦笑いを返しつつ、操縦に集中する。膝に何が座っていても、格納庫内で事故を起こす訳にはいかない。

「トワ、もうちょっと端に寄って。前見えないよ」

 悲しいことに、トワは小柄ではあるが自分も大きくはない。背丈はトワの方が頭一つ小さいといった程度の違いしかない。膝に乗せていると、視界が若干遮られるのだ。

 トワはするりと体勢を変え、こちらの胸にもたれ掛かるように座り直した。確かに、視界を遮っていた頭部の位置が下がっているので邪魔にはならない。

『これでいい?』

「う、うん」

 トワがそのまま大人しくしているとは思えない。恐らく好きに行動し始めるだろう。これからの作戦行動は時間との戦いだが、加えてトワとの戦いにもなるだろう。好きに行動するのは構わないが、こうも女性的な面を見せられるのは厳しい。一応自分は男なのだが。

「……理性が保つといいけどなあ」

 ぽつりと呟きながら、眼下に広がる宇宙の黒を見つめる。聞きようによっては穏やかではない一言だったが、トワは気にする素振りを見せない。

 少しは警戒心なりを持ってもらわないと、大いに不安である。

「はあ、そろそろ行こっか」

 純粋過ぎる感性や行動は時に思わぬ結果を招きかねない。取り巻く人達の感性や行動によって、如何様にも傷は広がる。

『うん、行こうね』

このふんわりとした笑みを浮かべるトワは、遺跡まで行って何を得たいのか。願わくば、それがこの笑みを裏切るような物でなければいいと思う。そして、願わくばこの時間を亡くしてしまうような物でなければ。

「……行こう」

 ここまで来てしまった自分には過ぎた願いかもしれない。今を変えたくなければ変えようとしなくていい。そんな選択も出来るのだから。出来たのだから。

 もう遅い。後は箱の中身が何であろうと受け止めるしかない。

 宇宙の黒が、やけに深く取り返しのつかない色に見えた。







 膝の上にいるトワの事を考えると、あまり負荷のかかる操縦は控えた方が良いだろう。加えて、トワは身体を固定してもいない。急制動を掛けたらその煽りを受けて吹っ飛ぶのは目に見えている。

 目の前に広がる岩石群を潜り抜け、遺跡があるであろうポイントまで向かう。それが当面の目標であり、膝の上にトワがいること以外は平常通りだが、今回はもう一つやるべきことがある。

 レーダー上で指示された地点で静止し、対流が安定しているポイントを割り出す。岩石群によっては慣性で位置を変えている物もあり、それでは意味がないからだ。

 割り出しを終え、めぼしい岩石群に近付く。ifよりも一回り大きく、対流も安定している。

 《カムラッド》の背中を大きく占有しているバックパック、一見リュックサックを背負っているようにしか見えないそれは、この時の為に使う装備だ。

 《カムラッド》の腕が、設定された動きでバックパックから爆薬を取り出す。一口に爆薬と言っても種類は様々であり、これは炸裂前に内蔵された酸素を吹き出し、広範囲を焼き払う物だ。仕掛け爆弾のような物で、本来は待ち伏せ等に用いられる。目の前の岩石にそれを仕掛けて、次の地点に移動する。

『リオ、何してるの?』

 膝の上で暇を持て余しているトワが、不思議そうに聞いてくる。

「出撃前のブリーフィング、聞いてなかったの?」

 トワはこくりと頷いた。そうだとは思っていたが。

「まあ、ちょっとした仕掛けだよ。退屈だと思うけど少し我慢してて」

 そんなやり取りをしながら着実に爆弾を仕掛け、そして遺跡を示すポイントに近付いていく。

『あっちの方だよ』

 最後の設置を終え、後は遺跡へ向かうという所で、トワの小さな手がこちらの手と重なった。

「え?」

 その瞬間、意識とは裏腹に《カムラッド》が動き出した。迫る岩石群を華麗に避けながら、見る見る内に速度を上げていく。

 トワが動かしていると気付くのに数秒掛かった。トワがBFSに作用して、《カムラッド》の制御を奪ったのだ。

「トワ、何を」

『こっちの方から入れると思うよ』

 BFSを用いることで、ifの動きはプログラムされた機械的な動きから、人らしい柔軟な動き方へ変貌する。自分の手足のように操縦するのだから当然ではあるが、それにしてもこの挙動は常軌を逸していた。

 ほとんど最高速度を保ったまま、岩石群を紙一重に躱していく。一つ一つの回避機動や、その機動により落ちた速度を取り戻す為の細かな挙動は、神技と言っても過言ではない。自分もifを、BFSを使うからこそ分かる。

 そしてその動き自体も、やけになめらかで無駄がない。まるでこの《カムラッド》が生きているかのような、そんな錯覚さえ覚える。

「トワ、ちょっと待って!」

『ううん、もうちょっとだよ』

 その言葉の通り、遺跡であろう巨岩はもう目の前まで迫っていた。小惑星を思わせる巨岩の表面を、《カムラッド》はなぞるように飛んでいる。

「これだけ大きければ、何があっても不思議じゃないけど」

 作戦前のブリーフィングを思い出す。あまり意識する必要はないと言われたが、本来ここに巨岩はなかったらしい。なかった筈だが、今思い返すとそれがある。何とも要領を得ない、奇妙な話ではあったが、トワ絡みと考えれば不思議ではない。

 それに、自分は一度その感覚を体験している。他ならぬトワと出会ったあの遺跡、トワが眠る部屋への通路は、まさしくそのようにして現れたのだ。壁に触れたと思ったら、次の瞬間には壁などなかったという意識と共に道が開けていた。

 規模は違うが、この巨岩もそれと同じ原理だとすれば。トワと切り離して考える方が不自然だろう。

 トワに操縦を奪われたままの《カムラッド》が急制動を掛ける。速度が乗っていた分強烈な負荷が身体を襲った。凄まじい衝撃と共に倦怠感が生じるが、ifに乗っている以上慣れてはいる。トワは咄嗟にこちらへしがみついて、前方に投げ出されるのを防いだようだ。

「トワはシートに固定されてる訳じゃないんだから、危ないよ」

 こくりと頷くトワだったが、どうも反省している様子はない。

『リオ、着いたよ』

 膝の上に座り直して、トワは指を差す。その先には確かに、固く閉ざされた扉が見えた。ifでも問題なく入れる程の大きな扉だ。

『行こっか』

「ちょっと待って」

 またこちらの手の上からグリップを握ろうとするトワを制止した。トワはよく分からないといった表情を浮かべている。

「操縦は僕がやるから。いいかな?」

『いいよ?』      

 不思議そうに返すトワだが、これはまだよく分かってない時の答え方だ。

「とにかく、僕が動かすからいいの。扉を発破するよ」

 動く気配のない扉を吹き飛ばそうと近付くが、トワが不思議そうに首を傾げた。

『扉を何するの?』

「予備の爆薬で吹き飛ばすの」

 ふうんと呟き、トワはそれでもやはり不思議だと言わんばかりにこちらを見た。

『でも開くよ?』

 その言葉を裏付けるように、扉は左右に開き始めた。今まで幾つか遺跡を探索することがあったが、扉が開くというのは前代未聞である。朽ちている所から侵入するか、吹き飛ばす。開くという選択肢はそもそも存在しない。

 つまり常軌を超した光景だったが、脳裏に過ぎるのはそんなことではなかった。

 ここまで来てしまった。後悔と諦念が混ざり合った感情が、湧いては消えていく。これで良かったのだろうか。ここに来てしまって良かったのだろうか。

『リオが動かすんじゃないの?』

「う、うん。そうだね」

 どんなに思い悩んでも、今からやることは変わらない。やれることは変わってくれない。そう思っている以上変わらない。

 主を迎えるかのように開いた扉から、ゆっくりと遺跡へ侵入した。

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