人魚の魔法
主要登場人物
ランナー 実働部隊 特殊小型BS《アマデウス・フェーダー》
クスト・ランディー 同BS艦長。23歳。
ギニー・グレイス 同BS操舵士兼武装管制員。24歳。
リーファ・パレスト 同BS通信士兼情報管制員。17歳。
アリサ・フィレンス 同BS軍医。26歳。
ミユリ・アークレル 同BS整備士。26歳。
イリア・レイス 同BS‘if’操縦兵。23歳。
リュウキ・タジマ 同BS‘if’操縦兵。24歳。
エリル・ステイツ 同BS‘if’操縦兵。22歳。
ランナー 実働部隊 特殊小型BS《ヴォイドランス》
アーノルド・フェイン 同BS艦長。28歳。
テオドール・ブラックソン 同BS‘if’操縦兵。35歳。
反社会勢力‘アンダー’
リシティア 同勢力指揮官。18歳。
レティーシャ・ウェルズ 同勢力‘if’操縦兵。14歳。
セイル・ウェント 同勢力協力者。20歳。
ランナーが拘束・監視中
クライヴ・ロウフィード 通称ミスター・ガロット。49歳。
リアーナ・エリン 通称アイアンメイデン。48歳。
リード・マーレイ 一般人。戦争孤児の支援を目的とした施設の経営を行う。31歳。
リオ・バネット 一般人。少女と共にいる。20歳。
トワ・エクゼス 一般人。リリーサーではないリリーサー。ファル・エクゼスの願い。
アストラル・リーネ 第二次if戦争時、18歳で死亡。
キア・リンフォルツァン 第二次if戦争時、20歳で死亡。
ミサキ 第二次if戦争時、16歳で死亡。
リリーサー 人類の敵
ファル・エクゼス 《プレア》の主。一人でリリーサーを裏切り、戦いを繰り返した。消失。
フィル・エクゼス 《スレイド》の主。消失。
リプル・エクゼス 《メイガス》の主。消失。
シア・エクゼス リリーサー・システムの管理・運用を行っている。詳細不明。
簡易用語集
「勢力」
AGS
大企業、ロウフィード・コーポレーションの設立した戦闘部署。第二次if戦争が停戦、事実上の終結となった事から解体されている。
H・R・G・E
大企業、ルディーナの設立した戦闘部署。AGSとは敵対関係にあったが、上層では繋がりがあった。AGSと同じく、第二次if戦争が事実上の終結となった事で解体されている。
リリーサー
かつてトワを含んだ、脅威の総称。詳細不明だが、現行のifを遙かに凌駕する兵器、プライア・スティエートを保有、運用していた。人類の敵であり、今も尚その脅威は去っていない。とされている。
ランナー
人員輸送や物資運搬を行う新興企業であり、設立されて間もないが一気にそのシェアを拡大した。だが、それは表向きの業務であり、その実態は平和維持の為に武力を行使する集団である。第二次if戦争を事実上の終結へと導き、その仮初めの平和を出来うる限り長引かせようと足掻く人の集まりとも言える。
アンダー
詳細不明の反社会勢力。一切の詳細が不明であり、目的がどこにあるのかも知られていない。
「メカニック」
if
イヴァルヴ・フレーム。全長八メートルの人型搭乗兵器。現代戦の主軸を担っている。端的にアイエフ、と発音される事が多い。
本来イヴァルブのスペルはEVOLVEだが、あえてスペル違いのIVOLVEが使用されている。開発時に皮肉と期待を込めて、‘もしも’という意味を持つifを略語にしたかったからだが、開発後もそれが使用されている。
gf
グランド・フレーム。陸上車両・戦車等を示す。
ff
フライト・フレーム。航空機・戦闘機等を示す。
BS
ベースシップ。ifを含む、兵器を運用・展開可能な戦艦。
wf
ワークス・フレーム。作業用の重機などを示す。民間用、軍用と多岐に渡り存在する。
セクション
宇宙居住区。ドーナッツ型に連なった居住ブロックに、棒状の管制ブロックが組み合わさって構成されている。トーラスダガータイプと言われ、ドーナッツの中心に棒が通っているような見た目をしている。宇宙居住の礎である。
プライア・スティエート
リオとトワが遺跡から回収した人型搭乗兵器。ifよりも一回り小さい。特異な操縦系統を有している事は判明しているが、詳しい事は何一つ分かっていない。
フィアリメイジという特殊機構を有しており、損傷を即座に修復・再構成する。
「歴史」
if戦争
2067年、大企業であるアーレンス社は突如として世界に牙を剥く。同じく大企業であるアジア連合を強襲、強引に買収し、残る大企業に対しても宣戦布告とも取れる声明、行為を繰り返した。
これに対し、大企業であるロウフィード・コーポレーションとルディーナはそれぞれの戦闘部署を設立、‘反企業勢力対抗連盟’を結び、協同でアーレンス社へ対応を行った。
アーレンス社の戦闘部署であるFisに対抗し、AGSとH・R・G・Eは設立され、その力を増していく事となる。
2068年、アーレンス社、及びFisの解体により、この企業間戦争は終結した。公式な戦闘で初めてif……イヴァルヴ・フレームが使われた事から、一般的にif戦争と呼称される。
第二次if戦争
2069年、解体されたアーレンス社の利益分配を巡って、ロウフィード・コーポレーションとルディーナは決裂、世界は再び焼かれる事となった。
if戦争から間髪入れずに開戦したこの戦争は、一般的に第二次if戦争と呼称される。その名称通り、人型の兵器が命を奪う事が当たり前となった。
2070年、互いに決め手を欠き、膠着状態が続く。その最中、未知の脅威に晒された人類は一つの答えを手繰り寄せる。
2071年、大きな戦線を皮切りに、第二次if戦争は停戦状態となる。事実上の終結であり、仮初めであっても平和が訪れた。
あらすじ
2070年、世界は焼かれていた。
大企業と大企業が、互いに戦闘部署を設立し戦う。過程や名前こそ違うが、結局それは戦争という一括りでしかない。
泥沼のような戦場で、人型搭乗兵器……ifの操縦兵、リオ・バネットは見知らぬ少女と出会う。遺跡から現れた不可思議な少女はトワと名付けられ、リオと共に時間を過ごす。
そして、それこそが新たな戦いへの火種となった。
トワを巡る戦いは熾烈なものだった。普通ではないとしても、たった一人の少女を巡り数多の戦いが繰り広げられた。殺し殺され、囚われては奪い返す。リオはトワという光を失わない為に、その手を血で染めていく。元から血塗れだった手を、更に赤くして。
だが結果として、リオはトワを守りきった。
なぜトワが狙われるのか。トワはリリーサーと呼称される未知の集団……或いはプログラムの一部だという。リオの戦いは終わらない。
トワをリリーサーと知り、それを殺そうとする者もいる。他でもないリリーサーが、義務として殺そうともした。だから、リオもトワも戦い続ける事を選んだ。二人が掴んだ物を、手放したくはなかったからだ。
手放したくはない。だからリリーサーを終わらせる。リオとトワは、これからの未来の為に決意した。
リオとトワは、サーバーと呼称される船を破壊する為に戦いを仕掛ける。
斯くして騎士と騎士はぶつかり合い、当然の理として一方は消えた。だが、サーバーもまた跡形もなく消えていた。
リオとトワは、戦いに生き残った。共に時間を、過ごせるようになったのだ。
サーバーは未だ、あの暗い宇宙に佇んでいるというのに。
騎士達が己の得物を振りかざし、譲れない何かの為に死力を尽くす。人智を超えたその剣戟は、最早神話の一節としか思えなかったと。
戦争が終わったその時に、一つの時代が終わったと感じたその時に。とある兵士は、その光景をそう形容したらしい。ifではない何かが、取り憑かれたように剣を振り回す。純粋な恐怖とは違う、単純な畏怖でもない。常軌を逸した何かを見た時、人はそれを神の所為にする。
だからきっと、神話の一節だなんて言葉が出て来たのだ。そして、その表現はそれ故に正しい。
神話の一節が目撃されたのが2070年、その次の年にはもう、戦い自体が無くなっていた。2071年、第二次if戦争は事実上の終結を迎えた。正確に表現すれば、無期限の停戦となるが。表現の差違など、宇宙に住む大多数の人々には関係がない。
そう、関係ない。特に、ここみたいな掃き溜めには。神話も歴史も、平和さえも。文字通り、糞に浸った以上は糞でしかない。
小さな部屋だった。安い照明が明滅しており、家具らしい物は何もない。あるのはベッドが一つだけ。どこもかしこも汚く、埃臭かった。そして、それ以上の悪臭がそこかしこから漂ってくる。牢獄ではない。だが、似たような物だろう。どちらも自分の意思では出られない。
違いがあるとしたら。中に閉じ込められた人間の扱いぐらいだろうか。扱いというよりも、使い方と表現した方が正確かも知れないが。
獣の鳴き声を一通り聞いて、それが部屋を出て行くまで待つ。そして、満足に動かない身体を一瞥する。白衣の代わりに薄汚い布を纏った身体は、まあ惨めな物だった。
視界を仄暗い天井に向けながら、セイル・ウェントはマシな方だと自嘲する。
特殊研究施設カーディナルで、非人道的な実験を多数行ってきた。あの時が十七歳、今はもう十八歳になったのだろうか。月日が経つ程に、月日なんてどうでもよくなってくるものだから。正確な数字なんてもう覚えていない。
かつては、少年少女を兵器に変える強化手術をした。効果的な処置法を編み出す為に、少なくない数を捌いてみせた。遺跡の産物を使い、BFS……バイオ・フィードバック・システムを技術として確立したりも。それを発展させ、BFC……バイオ・フィードバック・コンバーターも成立させた。BFSもBFCも、全長八メートルの人型兵器、if……イヴァルヴ・フレームの操縦システムだ。操縦者の意思をifに反映させ、兵器運用の幅を広げる為の。簡単に言えば、少年少女を乗せるだけで、大した訓練もなしにある程度の駒が出来る。なぜか大人には起動出来ないシステムであり、まあ都合も良かった。
とにかく、そういう事をしてきたのだ。生きる為にそれをやったのか、それが出来るからそれをやったのか。ただの趣味だったのか。何か、追い求める何かがあったのか。今はもう何もない。だからそれも思い出せない。
とにかく。人権のない被検体を、好き勝手に使った。だから、世界が変わって。人権のない私を、誰かが好き勝手に使ったとしても。それも結局自分の所為でしかない。
むしろ、マシな方だと本気で思っている。
「……何人、殺したと」
呟き、自身の状況と照らし合わせる。生きたまま解体されているのか? 脳を破壊する程の薬物を打たれているのか? 無惨に切り刻まれている? 無様に繋ぎ合わされている?
答えはノーだ。乱暴され、嘲笑され、時々殴られるけど。涙も出ないぐらいにマシだ。
もう一度自身の身体を見る。少しは感覚が元に戻ってきた。右足を上げ、左足も上げる。どちらも膝から先がない。
カーディナルから逃げようと足掻き、砕かれた足だ。手を引いていた彼は……ミサキは。膝どころではなく下半身をまるごと粉砕されていたが。
ミサキは死んだ。ifの撃った馬鹿でかい銃弾がどう作用したのかは分からない。だが、自分の膝から先は消え、ミサキの下半身も消えた。それでも抵抗したミサキは、至近距離からありったけのフルメタルジャケット弾を食らって。文字通り砕かれた。
自分がそこからどうなったのか、よく覚えていない。その時の事を思い出そうとしても、笑い声しか思い出せない。セイルは、喉の奥からくつくつと笑う事でその音を表現した。ここと同じようなマシな扱いを受けて。流れ流されて、どういう訳かこの掃き溜めに辿り着いた。
不幸だとは思わない。もう何も感じないからだ。
報いだとも思わない。この程度ではないからだ。
目を閉じ、眠ってしまおうとセイルは心を落ち着かせる。気怠いのは確かだし、この日常がどう足掻いても変わらないのも確か。
悪臭を意識の外に締め出しつつ、眠気がここから連れ出してくれるのを待つ。少し待っていればすぐだ。喧噪も嬌声も……悲鳴も。すぐに聞こえなくなる。
そこまで考えて、やけに静かな事に気付いた。店仕舞いにはまだ早い。だというのに、誰の声も聞こえてこないなんて。
扉を見る。気配を辿るなんて、そんな芸当は出来ない。だが、何かが起きるとしたらそこしかない。そして、予想通りに扉は音もなく開いた。建て付けが悪い所為で、いつも蝙蝠の鳴き声を響かせる扉は……その時だけは沈黙を守った。
掃き溜めに入ってきたのは、二人の少女だ。そう、少女だ。いつも見ているような獣ではなく、ただの少女が。だが、セイルは少女達の目にそれを見た。いつも見ているような獣は、飼い慣らされた犬に過ぎないのだと。その目を見ていると分かるのだ。
狙った獲物を確実に仕留める。そういう類の獣だ。或いは。
「……悪魔の獣」
セイルは小さな声で呟く。二人の少女は、足音すら立てずにこちらへ歩み寄る。こちらの惨状を見て、一人の少女は僅かに顔をしかめた。
「ごきげんよう、セイル・ウェント博士。やっと見付けました」
そして、顔をしかめなかった方が朗らかに話し掛けてきた。身体に染み付いた死を、隠そうともしていない。
小柄な少女だ。よく手入れされた黒髪が印象的な、人形のような少女だった。綺麗な子だったが、脳裏に浮かんでくるのは動く人形が人々を殺していくホラー映画のワンシーンだ。
「私達の事、覚えていますか? 自己紹介しましょうか。私はリシティア。こちらが」
リシティアと名乗った少女は、手で隣の少女を示す。
「レティーシャ・ウェルズ。リズ、話があるなら早くして。ここ、気持ち悪い」
顔をしかめた方は、レティーシャと名乗った。
レティーシャは隣にいるリシティアよりも更に小柄で、幼過ぎると表現してもいい。白い肌に白い髪、赤い目が印象的だった。白い髪をショートに切り揃えており、こちらも人形のように愛らしい。だが、その顔は不満で染まっていた。この部屋の惨状がお気に召さないのだろう。
覚えているかどうか、リシティアは聞いてきた。顔見知り、という事だろうか。セイルは、長らく使っていなかった頭にゆっくりと電源を入れていく。
錆び付いていたと思われる脳は、思いの外早く回転を始めた。目の前の少女達を、自分は確かに知っている。
「……リシティア。強化兵のプロジェクトにそんな子がいたわ。レティーシャは、BFCの被検体ね。まるでタイムスリップしたみたい。二人とも」
あの頃と、何も変わっていない。どちらも成長期真っ盛りの少女なのに。だというのに、その姿はあの頃と瓜二つだった。
「ああ、そういう事か」
しかし、相手が答える前に。動き出した頭がその答えを弾き出す。
セイルはリシティアに目を向け、死を纏うその姿をまじまじと見た。
「答えは簡単ね。リシティア、貴方は十五歳の頃に処置を受けた。骨、筋肉、内臓、まあそこら辺の物を全部総取っ換えしてるのだから。成長が止まってもおかしくないか。そっちの」
そう言って、セイルはレティーシャを見る。
「レティーシャ・ウェルズだっけ。白い肌に白い髪、赤い目。ああ、ウサギちゃんか。貴方は当時十一歳。中身を置き換えた覚えはないけど。遺伝情報がバグってるのかしら。結構強引に書き換えたから。その遺伝情報はね、貴方の使える力を最初に使った女の子の物なのよ。そこまで定着したのは貴方だけだったけど」
リシティアもレティーシャも、当時のままだった。十五歳と十一歳の姿のままで、目の前に立っている。
こちらの答えを受け、リシティアは微笑む。氷のような、冷たい笑みだ。
「それで、悪い魔女に会ってどうするの? 時の止まった人魚姫の願いはなあに? 奪われた声を取り戻したい? 泡に変わりたくないから助けて欲しいの? ああ、新しい足が欲しいとか?」
セイルは冗談めかした調子で、意味のない問いを吐き出す。足のくだりで、膝から先のない自身のそれを掲げるのも忘れていない。
「それとも……復讐かしら」
冗談を剥ぎ取ったセイルの問いを受けても尚、リシティアは微笑んだままだった。そして、レティーシャはなぜか目を伏せていた。
「はい。復讐します。悪い魔女さん、協力してくれますか?」
そうリシティアは言った。その言葉が頭で消化しきれず、セイルは目を細める。
復讐するが、協力して貰う。その二つが繋がらない。だが、少し考えれば答えはすぐに浮かんでくる。完全に動き出した頭は、もう一切の淀みもなかった。
「……貴方が復讐したいのは、私じゃなくて」
もっと別の、とてつもない何か。そう、セイルは結論付けた。
「魔法が欲しいんです。とびっきりの。協力して欲しいです」
セイルは鼻で笑い、リシティアから目を離す。そして、また仄暗い天井を見た。
「どうして私が魔法を唱えなきゃいけないの。見返りに助けてくれるとか? 復讐でも何でも好きにしたら? 私は……」
理由なんてとうの昔に。夥しい数のフルメタルジャケット弾が砕いてしまった。
だから好きにすればいい。撃って切って、無理矢理にでも望みを叶えようとすればいい。どこだろうと同じなのだ。ここもそこも、同じ掃き溜めでしかない。
「セイル、貴方を見れば分かります。コラって脅しても、切り刻んでも意味はないでしょう。家族も友人もいない。人質になりそうな人がいない。どうしようもない。だから、そうですね」
声色に本気を感じ取り、セイルはもう一度リシティアを見据える。凍り付いた笑みを消し、リシティアは無邪気な少女のように微笑む。
「断ってもいいですよ。その場合はここから出して、幸せに暮らせるように手配します。走ってくれる車椅子に、それが走れるような家も用意しますよ。今まで大変だったでしょう? もう大丈夫」
心臓が締め付けられる。安堵などではない。得体の知れない恐怖が、心臓を内側から縛り付けているのだ。
リシティアが、無邪気な笑みを消してこちらを見据える。冷たい笑みですらない。ただただ何もない、虚無と形容するしかない表情と目が。
「平和な世界に。貴方を届けます」
この少女は。リシティアは本気で言っている。何の脅しも効かないと知った上で、唯一‘効く’言葉を吐いた。
地獄を作り上げてきた。きっと自分から、嬉々として。そうして彼は砕かれ、この足も砕かれ。こんな掃き溜めに落ちてきた。
そんな自分が、無条件に幸せに浸るなど。平和を享受するなど。
「……死んだ方がマシね」
惨たらしく殺してくれた方が。まだ私に相応しい。
「分かった。何をすればいいの」
諦念を浮かべながら、セイルはリシティアにそう問い掛ける。リシティアは氷の微笑みを浮かべ、ぴっと指を立てる。
「詳しくは後で。私達の仕事は完璧ですが、走り屋にいつ感付かれるか分かりませんし。まずは綺麗にしましょう。レティが嫌がります」
肝心のレティーシャは、さっさと外に出ようと扉の近くまで歩いていた。
「ランナー。平和を届ける使者の事?」
セイルは誰に向けるでもなく問う。
「はい。私達より、ずっと優秀な人達の集まりです」
嫌味や皮肉のようにも聞こえるが、リシティアはどうも素直にそう評価しているようだった。
「人を呼んでくる。それ、運ばなきゃでしょ。私触りたくない」
そっぽを向き、レティーシャは扉を開けて出て行った。蝙蝠の鳴き声が、今度こそきいきいと響いている。
「レティはそもそも力ないでしょ。私もあまり触りたくないけど」
リシティアがそう零すのを聞きながら、まあそうだろうと頷く。私だって逆の立場だったら絶対に触りたくない。
「それで。貴方達は何なの? ランナーに敵対する組織なんて。私の頭にはないんだけど」
質問すると、リシティアは困ったように首を傾げる。
「テロリスト、ではないですし。政治的な理由とかじゃないんです。近いのはパブリックエネミーとか。そういうのになるんでしょうか?」
聞かれても困ると、セイルは顔をしかめるしかない。
「理由がないなんて。まあ、こんな掃き溜めに来るぐらいだもんね。まともじゃないのは当然か」
セイルがそう言うと、リシティアはくすりと笑みを零した。まるで、探していた子猫を見付けた時のように。
そして、リシティアはこくこくと頷く。
「最果て。私達に相応しい名前でしょう?」
掃き溜め、最下層、底辺、そういった意味の最果て……なのだろうか。セイルはリシティアの顔をまじまじと見据え、自分の想像よりも事態が複雑なのだとようやく気付いた。
てっきり、どこかの組織が少女二人を寄越したのかと思っていたが。そんなものはないのだ。この二人の少女が、アンダーの頂点にいる。事態は複雑だが、構造としては単純だ。
「アンダー。地獄に棲まう死者か」
呟き、セイルはなるほど相応しい名前だと納得した。作り上げてきた地獄が、私を放っておく筈もない。取り込まれ、また新しい地獄が作り上げられる。ただそれだけの事なのだ。
掃き溜めは最果てへと変わった。
だが……最果てが世界に追い付くまで。或いは、走り屋が最果てに追い付くまで。ここからまだ、二年の時を要する。




