鉄輪を斬る
間もなくして到着した屋敷は、そう広くはなかった。エントランスにある階段を上がり、少し歩けばすぐにその部屋へ辿り着く。
屋敷ではあっても、豪邸という印象とは程遠い。質素な佇まいと言い換えてもいい屋敷の中で、リオはさもありなんと納得してはいた。
ミスター・ガロットにとって、財を尽くすという選択は端からない。リリーサーを打倒する為だけに、それ以外の全てを切り捨てた男だ。自らの居住など、最低限の体面だけ整っていればそれでいいのだろう。
目の前にある両扉、この先にミスター・ガロットはいる。
隣にはトワがいて、物珍しそうに周囲を見渡していた。ミスター・ガロットに会うという事は説明し、本人もそれを了承したのだが。こちらの心配をよそに、あまりトワは気にしていないようだ。仕立ての良いワンピースを身に着け、視界を確保する為に眼鏡をきちんと掛けていた。
前方にいるのはイリアで、黒のスーツを着用している。運転している時もそうだが、モデル体型と仕立ての良いスーツを組み合わせるのは中々に危険だ。どう見ても堅気じゃない。
「やっほ、ごくろーさま。変わりなし?」
イリアが軽い調子で、武装した兵士にそう話し掛ける。兵士は無言のまま頷き、扉の前から一歩引いた。
「部屋には私と、この二人が入るから」
イリアがそう告げると、兵士は肩に下げた短機関銃を僅かに持ち上げた。武装の有無を確認しているのだろう。イリアはひらひらと手を振り、自身のスーツ、脇辺りをぽんと叩く。人体の構造とは違う膨らみから察するに、ホルスターと拳銃がそこには納まっている。
兵士もそれを確認したのか、再度頷いて短機関銃を下げ直した。
「じゃ、行こっか。三者面談ってこんな感じかな」
誰が生徒で誰が両親で、誰が教師かはいまいちはっきりしない。そもそも合計で四人いる。軽口そのものといった発言を聞き流していると、イリアは構わず扉をノックした。
「入ってくれ」
ノックの数秒後……通信越しに聞いたあの声が、くぐもって聞こえた。扉の向こうに、あの男がいる。
扉を開き、まずイリアが先に入室する。さすがにホルスターに手を掛けてはいなかったが、その気になれば撃つという雰囲気は隠そうともしていない。
扉の向こうには、質素な部屋が広がっていた。部屋自体は、そこまで大きいものではない。だがやけに広く感じるその部屋の中央に、その男はいた。執務用の机を前に、椅子に腰掛けたまま。恐らく普段からそうしているだろう体勢のまま、ミスター・ガロットはこちらを迎え入れた。
トワと共に入室し、後ろ手に扉を閉める。
部屋を見渡し、なぜ大きくもないのに広く感じるのか、すぐに分かった。自分の部屋と同じだ。物が少ないから、相対的に部屋が大きく見えるのだ。
ここには必要最低限の物しかない。世界を意のままに回した部屋は、思っていた以上に何もなかった。
「《アマデウス》の艦長、イリア・レイスに氷室の主……トワ・エクゼス。そして、討滅の《スレイド》を討滅した少年。リオ・バネットか」
こちらの顔を順番に見据えながら、ミスター・ガロットはそれぞれの名前を言う。
「筋の通った人選だな。幕引きには丁度良い」
全てを理解し、諦めたようにミスター・ガロットは言う。だが、と目を細める。そう感じ取れるだけで、声に諦念は込められていない。この男はまだ、何かを考えていると。そう本能が警鐘を鳴らしていた。
「でしょ? 書類は事前に通しといたよね。貴方を拘束します」
ミスター・ガロットは肩を竦め、遺憾だと言わんばかりに机の上を指で叩く。そこには、イリアの言う書類とやらが数枚重なっていた。
「でも、まだ何かしてやろうとか思ってるでしょ? そういうの面倒だから、こっちから連れてきてあげたって訳。呪詛でも祝詞でも何でもあげて、安心してお縄について頂戴な」
イリアの言葉は、適当を装った強烈な一撃だ。ミスター・ガロットが何かを企んでいるという事実を全面に押し出し、逃げ道を塞いだ上でその策を砕く。
「何でもお見通しという訳か。この時点で私の負けだな」
負けを認めながらも、ミスター・ガロットの声にその色は感じ取れない。
だが、本人の言う通りこの時点で負けの筈だ。ミスター・ガロットの恐ろしい点は、言葉だけで人の思考を固定してしまう事である。だが、それはさせないとイリアは今、宣言した。これだけで、言葉の魔力は霧散したも同然なのだ。
ミスター・ガロットの狙いは一つ。リリーサーの全滅であり、残るリリーサーはただ一人、ここにいるトワだけだ。ここでトワを直接殺す手段はない。だから、ミスター・ガロットは言葉を用いて呪いを仕込む。心に這入り込んだ言葉が、鉄輪となって首を締め付け、その頸椎をいつかへし折るように。
「君達は、実際大したものだよ。《アマデウス》が反旗を翻し、ダスティ・ラートを破壊するだけでも予想外だった。何より、たった二機であの《スレイド》を撃破した。人類全員が君達程強ければ、私がこそこそと殺戮を繰り返す必要もなかったのだが」
イリアは鼻で笑い、右手をぱっと開く。
「人類全員が私達みたいだったら、とっくに世界が滅んでるけどね」
イリアの言葉は粗暴だが、事実でもあるだろう。ここにいる誰もが、最早普通ではない。そして、世界を構築し維持しているのは他でもない普通の人達……なのだろう。
今の自分はもう、想像する事でしかそれを知る術はないのだが。
「世界は滅ぶが、人類は消えずにそこにいるだろう」
最低限、それだけでも守る。それはそれで狂った答えだろうが、ミスター・ガロットを構成する部品の一つでもあるのだ。
「……私はやだよ。出来るだけ、沢山の人が生きている方がいいもの」
トワが、その狂った答えに反論する。両腕で自身を抱き留めるようにしながら、それでも真っ直ぐとトワは前を見ていた。
「同意見だな。だが、一人も殺さずに勝てる戦いなどない」
「違うよ。死ぬのが決まってるっていうのがいやなの。それを、貴方が決めるっていうのが。私はいやなんだ」
トワは一歩も引かずに、ミスター・ガロットと打ち合っている。下手な助け船は悪手だと判断したのか、イリアも黙って推移を見守っていた。
「それは全てを知っている者の意見だな。決められるのが嫌だと言うのなら、端から知らなければいい。何もかもを自分自身で決められる者など、この世界には存在しない」
おかしい、と違和感を覚える。ミスター・ガロットの物言いにしては、つけ込める隙が幾らでもあるのだ。イリアも同じ事を考えているのか、目を細めて相手の真意を見極めようとしている。
「だって、知らなかったらみんな。貴方の考えている通りに死んじゃうんだよ。そんなのは違う。間違ってるよ」
眉をひそめ、トワは僅かに前のめりになる。相手の言葉を理解し、自分の言葉を理解して貰う為に。
「間違ってはいない。ファル・エクゼスと同じだよ。世界を生かす為に、サーバーを破壊し同胞であるリリーサーを殺したファルと」
トワが言葉に詰まり、イリアが何かを言おうとして押し黙る。
「ファル・エクゼスはどう考えていた? 仕方がないと思っていたのか? しょうがないと思っていたのか? それとも」
ミスター・ガロットが僅かに言葉を切る。打ち込まれただけ打ち込み返す為に、剣を構え振り上げるように。
「これは必要な犠牲だったと、諦めていたのかね?」
トワの目に困惑が浮かび、両腕はより一層自分自身を抱き留める。
「……分からない。分からないけど、間違ってるよ」
トワはファルを否定出来ない。それと同じであると宣言したミスター・ガロットの事も、頭ごなしに否定出来ない。だが、何かが間違っていると気付いている。その意識の差が、トワを強く揺さ振っている。
その上、こちらは黙っているしかない。イリアも同じだ。ここで下手に発言すれば、その言葉はトワにも突き刺さる。何より、発言した時点で相手のペースに乗せられた事になるのだ。
だから、起死回生の一手を考えつく前に。ミスター・ガロットは動く。
「そうだ。何もかも間違っている。私は間違っていると知りながら、それでも人類を続けようとした。何もかも間違っているが、何もかもなかった事にされるよりはいい」
リリーサーを全て殺害し、リリーサー・システムを停止させる。それが、ミスター・ガロットの思い描く未来だ。そして、そこで手に入れた猶予を用いてサーバー破壊の為の手段と戦備を整える。
「でも、その為に死ななくちゃいけないなんておかしいよ。その人達だって、生きていたいって思ってた筈だもの。心のどこかで、端っこの方でも……どこかで」
自分の胸中に浮かんでくる思いを、トワは言葉に変換して喋る。相手に伝わるようにと、ただ必死に。
それは、寄り添うと言い換えてもいい。自分の気持ちを素直に表現し、伝える為に。相手の心に、無防備のまま近付いて。
「1stサーバーは破壊したのかね?」
そして、その無防備な腹を刺された。トワはさっと目を伏せ、何かを言おうとして空気だけが口から漏れる。
ミスター・ガロットは、溜息を一つ吐いて椅子に深く腰掛けた。
「私の戦いも、君の戦いも終わっていない。私達は自らの意思で、人の死を仕方がないと切って捨てた。責任は取るべきだろう。互いに」
責任という言葉が、トワの身体を呪いとして蝕む。立つ位置が違っていただけで、結果が違っていただけで。同じ事をしているのだと言外にミスター・ガロットは伝えている。
ミスター・ガロットは、人類の未来の為に人の命を数字に変えた。トワは、他でもない自分との未来を守る為にサーバーを見逃した。
どちらも、人の死を仕方がないと切り捨てる行為だと。この男は言っている。
それが事実かどうかは、この際重要ではないのだ。ミスター・ガロットが望む未来は、リリーサーの全滅した未来だ。外で活動している最後のリリーサー……トワに死を選ばせる為に、ミスター・ガロットは呪いを残そうとしている。
今すぐにではない。だが、これから先トワが生きていく中で。その言葉はきっと消えない。ふとした切っ掛けで、いつでもその選択肢は心の中から滲んでくる。
呪いとはそういう物で、この少女はそういう人なのだ。
怒りは、思っていたよりも感じなかった。それこそ、トワが一人で思い悩んでいる時よりも……ずっと胸中は穏やかだ。
そして、その理由も分かっている。きっと、この場で呪いを祓えるのは自分しかいない。それを理解し、それを実行出来ると確信しているからこそ、こんなにも穏やかなのだ。だが、それでも好き勝手に言われているという意識だけは消えずに燻る。
打たれただけ打ち返す。いや、自分に相応しい言い方をするなら、そう。
打たれようが構わず、斬り捨てる。
「トワは。トワはファルじゃない。この子は、まだ生まれて間もないんですよ。そんな子に向かって、いい歳した大人が恥ずかしくないんですか」
一歩前に踏み出し、トワの前に立ちながらそう言う。ミスター・ガロットは、こちらに視線を向けて迎え打つ姿勢を見せた。
「行動には責任が伴う。そこにいる氷室の主に、年齢などという概念は相応しくないだろう。それこそ、子どもの我が儘に過ぎない」
ミスター・ガロットはそう返してきた。この時点で、こちらの勝ちだ。
「トワは我が儘ですよ。僕を救うし、自分自身だって捨てない。他の人だって、困っていたら助ける。貴方に対しても、分かるように言葉で伝えようとしてた。気付いているでしょう?」
そこに付け込んだのだから、分かって当然の筈だ。
「その我が儘と善意が共存し、結果的にサーバーは健在だ。次のシステム稼働はいつかね? あれは強固なプログラムだ。絶対に、破壊しない限り完全な停止はあり得ない」
ミスター・ガロットは逃げようとしている。現実的な問題を突き付けて、責任という言葉をトワに刷り込もうとしているのだ。
「サーバーは僕が破壊する。僕とトワは、そういう戦いばっかりなんですよ。僕に出来ない事はトワが出来るし、トワが出来ない事は僕がやる。それと」
机の前まで歩いて行き、そこに手を付くようにして身を乗り出す。
ミスター・ガロットの顔を目を真正面から睨め付け、その俗称を引き剥がす為に息を吸う。
目の前にいるのは、策を駆使しこちらを苦しめ続けたミスター・ガロットではない。人類を殺してでも人類を存続させると決めた、クライヴ・ロウフィードとしてその目を見る。
「トワは我が儘だし善意もあるけど……僕は違う。なくなったら不便だし、トワも悲しむから‘ついでに’この世界も守ってやる」
剣を振るっていた時の事を思い返し、その闘志で胸を焼き尽くす。
「邪魔をするなら、人類だろうがリリーサーだろうが斬る」
沈黙が部屋に降り積もる中、乗り出していた身体を元に戻す。溜息を一つ吐き、心を落ち着かせる。
「トワは、答えのない問いでもずっと考えちゃうんです。あの子、見た目以上に繊細だから。別段賢い訳でもないので、ずっと同じ事ばっかり考えて悩んで。そういう子なんです。諦めて、もういいやって、出来ないタイプなんですよ」
そんな時が何度もあった。それら一つ一つを思い返しながら、本当に変な所で真面目なんだからと苦笑を浮かべる。
「だからこれ以上、好き勝手な言葉でトワを傷付けないで下さい」
苦笑しながらも、有無を言わせぬ声色でそう告げる。
また、沈黙が降り積もっていく。こちらの目を覗き込み、その真意を探ろうとするミスター・ガロットの目が……クライヴ・ロウフィードの目が、そんなものはないのだと答えに辿り着いた。
ブラフも何もない。こちらは、ただ真実をぶつけただけだ。どんな策も言葉遊びも、今この時だけは何の意味もない。だから、こちらの挑戦に応じた時点で彼は負けたのだ。
「……君達が、後悔しなければそれでいい。私の役目は終わった」
「後悔? 貴方を殴らなかった事についてですか?」
笑みを浮かべながらそう返し、イリアにハンドサインを送る。
口笛を吹く真似をしてから、イリアがミスター・ガロットの……クライヴ・ロウフィードの拘束準備を始めていく。部屋に二名の兵士が入り、クライヴは抵抗せずに立ち上がる。
「僕達は外に行こっか」
トワにそう声を掛け、部屋を後にしようとする。
「トワ?」
目をきらきらとさせ、こちらをじっと見ている。ちょっとばつが悪いというか、急に気恥ずかしさがやってきたように感じてしまう。
「……何さ」
目線を逸らしながらそう言うとトワは両手をぱちんと合わせてぴょんぴょんと跳ねる。
「あのね、今のリオはね、‘きっ’としてて格好良かったの! 普段はかわいいのに!」
きゃーと興奮気味のトワを見ていると、どっと力が抜けてくる。というか。
「かわいいって、何か他に言い方あるんじゃないかな……」
そんな騒動を横目に、ミスター・ガロットは連行されていく。
ミスター・ガロットは……クライヴ・ロウフィードはその様子を横目で見ていたものの、何も言うつもりはないようだった。




