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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「旋回と献身」
27/352

熱に触れて

あらすじ



 戦場とは違う場所で、二人はそれぞれの可能性を見た。誰も思いはしないだろう。そんな善性が、皮肉にも次の一手に繋がってしまったという事を。

 後戻りは、もう出来ないのだ。

 Ⅱ


 朧気な感覚の中でも、その熱は一番好きなものだと分かる。その熱に触れている間は、とても落ち着いた気分になれるから。今とても落ち着いているということは、この熱は彼のものに違いないのだ。

 意識が揺らめく。有ること無いこと。在ること亡いことがぐちゃぐちゃに混ざっていく。

 記憶とは不思議な物で、どうあっても覚えてないようなことをふと思い出したりする。過去の過去の過去からずっと、色々な事象を引っ張り回すのだ。そうやって色々な自傷を引っ掻き回して。

 だからどうあっても、逃げられないことがあるのだ。

 そう、だから。





  ※


 人の背中の上でも、自由人は自由人のままなのだろう。夕暮れの砂浜でトワは寝てしまった。本人も疲れたのだろう、起きるまでは待っていようと思っていた。

 しかしやはりというか何というか、トワはばっちり眠ってしまった。起こそうとしても、こうなったトワはなかなか起きない。加えて幸せそうに眠っている姿を見てしまえば、もう選択肢は残っていなかった。

 眠るトワを背負って歩く。所謂おんぶした状態で、トワは軽いので身体的な苦労はない。背中に押し付けられた体温のせいで気が気じゃないという問題はあったが、無事《アマデウス》まで歩いて帰ることができた。

 だが、と思うのだ。人の背中の上でも自由人は自由人のままなのだろう、と。

 時折トワは思い出したように両腕で締め付けてくる。足が不意に動いたり、寝返りを打とうと身を捩るときもあった。極めつけは耳を噛まれたことだろう。幸いなことに歯は立ててなかったが、あの妙な感覚には思わず声を上げそうになった。

 そんなことをしてる間に《アマデウス》まで辿り着き、まずはトワを部屋に寝かせようと歩いていた時だった。

 背中に動きがあった。トワが欠伸をしているのだろう、湿り気を帯びた吐息が首筋に当たっている。小さな唸り声を上げながらもぞもぞと動いていた。

「トワ、起きたの?」

 声を掛けるも返事はない。無理もないだろう、トワは寝起きがとにかく悪い。もう少しエンジンがかかるまで待ってみよう。

 そうして暫く歩いていると、トワが一際大きな欠伸をした。

「トワ、起きた?」

 これは起きたと確信し声を掛ける。

「起きた。起きて、行くとこもできた」

 トワがすとんと地面に降り立つ。素直に下りてくれたことも驚いたが、それよりも気になることをトワは言っていた。

「行くところ?」

 聞き返しながらトワに向き直る。いつものよく分からない、そんなトワの発言だと思っていた。

 思わず息を呑んでしまう。トワはこちらの目をじっと見ていた。色々なトワの表情を見てきたが、ここまで真剣で、真っ直ぐな表情は初めてだった。

「行くところ。そこに必要な物があるよ。えっと、イリアに言えばいいのかな?」

 よく分からないが、トワが自分の意志でどこかに行きたいというのは初めてのことだ。それもここまで真剣な表情で言われれば、ただの妄言とも思えない。

「そう、だね」

 よくよく考えれば、トワについては分からないことだらけなのだ。これはトワの記憶が、トワでない時の記憶を思い出したということなのだろうか。

 早くも歩きだそうとするトワを見て、慌てて手を掴む。トワはきょとんとした表情でこちらを見た。

「待って。その、まず僕にどういうことか教えて欲しいんだけど。その、何か思い出したの?」

 もしトワが記憶を思い出したのなら、トワが何者かも分かるかもしれない。でもそれは、今までのトワと違う。これまで傍にいてくれたトワが、少しずついなくなってしまうような、そんなイメージが脳裏を過ぎる。

「一つだけ。私の、私だけの約束がそこにあるの。よく分からないけど、そんな感じ」

 まったく要領の得ない話だった。トワは左手の薬指にあるエンゲージリングを見つめながら続ける。

「行っちゃダメかな? リオが嫌なら、それでもいいんだけど。でもそこに行けば、私も皆を助けてあげれると思うの」

 どう答えるべきか分からない。自分でもこの感情が何なのか説明できなかった。散々トワが何者か分からないと思っていたのに、いざその片鱗が見えると目を背けようとしている。

 矛盾した感情を抱いたまま答えていい問題ではない。でもトワは、じっとこちらの言葉を待っていた。エンゲージリングを優しく撫でながら、じっと待っている。

「トワは、どうしたいの?」

 そんなの決まっている。だというのにそう聞いてしまった。トワは真っ直ぐにこちらを見た。

「行きたい。リオを助けたいから」

 それはきっと、自分で答えを出すのが恐かったのだろう。その勇気がなかった。今のままでもいいから一緒にいたいのか、ちゃんと記憶を取り戻して本当のトワと向き合いたいのか。どちらも選べなかった。ただ逃げただけ、あの日のように。

 トワの直向きな視線が、胸に突き刺さるようだった。





 ※


 《アマデウス》の応急処置は概ね完了したと見ていいようだ。一日で全てを修理するという突貫工事だったが、思いの外疲れの色は少ない。そうだとしても、自分は買い出しということで外を満喫していたので、やはり申し訳ない気持ちになってしまうが。

 そんなことを思いながら元の制服に着替えて、ブリッジの通信席に腰掛ける。今はイリアを除くブリッジクルー全員が集まっていた。

「おかえり、リーファちゃん。ガーデンブルーどうだった?」

 リュウキが操舵席から身を乗り出すようにしてこちらを見ている。

「面白い物あった?」

 同じようにギニーが問いかける。

「良い気分転換になりました。ありがとうございます。面白い物は特にないですが、面白い事ならありました。リオさんがトワさんに婚約指輪をプレゼントしたんです」

 リオが聞いたら真っ青になりそうなカミングアウトだが、どうせすぐ分かるので言ってしまおう。

「お礼はいいって。それよか指輪って何? リオの奴ちゃっかりしてんなあ」

「ていうか大胆だよね」

 実際ちゃっかりしているのはトワであり、大胆なのもトワなのだが、それは黙っておこう。本人が弁明するのが一番いい。

「苦情が一件来てるわ。二人連れの男女、女の子の方が大の大人をぶん殴って、テーブル席にダイブさせたらしいけど。これはリーファじゃないわね?」

 クストが副艦長席に腰掛けて、データ処理をしながら聞いてくる。

「私じゃないです。それどう考えてもトワさんですよ」

「念の為、聞いておかないとね。可能性はゼロじゃない」

 少なくとも自分は大の大人を吹っ飛ばせる程の余地がない。二人連れでもない。

「限りなくゼロですけどね」

 そんな他愛のないことを話していると、最後のブリッジクルー、イリアが思案顔で表れた。

「クストちゃん。リオ君がトワちゃんにメルネスクランの指輪あげてた。超高級品かつワンオフ物だよあれ。本人達気付いてないっぽい」

 そう言いながらイリアは艦長席に腰掛ける。クストは珍しく信じられないという表情を見せた。

「さっきリーファから指輪のことは聞いたけど、まさかメルネスクランだなんて。よく買えたわね」

「リオ君、お金あんまり使わないからねえ。なんかトワちゃんがこれがいいって選んだらしいけど、値段とかそういうの恥ずかしくてよく覚えてないってさ」

 その光景が目に浮かぶようだが、その金銭感覚はどうなのだろうか。少し心配になる。

「あの指輪、そんなに高いんですか」

 問いかけると、イリアはこくりと頷いた。

「割と軽めに家が建つレベル。女性として貰ったら嬉しいけど何でそんなにお金あんのさって気になるぐらいのレベル」

 よく分からないが高いということは分かった。

「そうだ。イリア、暗号通信が入ってたわよ。本部直属の奴。まだ開けてないけど」

 思い出したようにクストが言う。本部直属という事は、かなり優先度の高い命令であることが予想される。

「えー。嫌だけど見よっか。リーファちゃんいいかな?」

「了解です」

 暗号通信が一件、確かに入っている。プロテクトを解除して本文を再生する。といっても、全部プログラムがやってくれるのだが。

 音声ログはなし。文章だけの命令がそこにあった。読み上げる前に、それをメインウインドウに表示させる。

「クラスA相当の命令です。至急AGS管轄セクション、カソードCまで帰港するように。です」

 簡単に言えば指定したセクションに帰ってこいという命令だ。

「カソードC。AGSの保有する軍事セクションの内の一個だね。外観は他のセクションと変わりないけど、本来居住に使うべきブロックを全て軍事関係の代物に取っ替えてる。その中でもカソードシリーズは前線運用を主軸に置いてるから、多数のBS、ifの運用能力を備えていて、セクション周囲には有線粒子砲が配備されてる。他の工場や整備設備を備えた軍事セクションと違って、まあ要塞みたいな感じかなあ。喧嘩したくない相手って感じ」

 イリアがそう説明する中、クストは顔をしかめていた。

「クラスA相当の命令。かなり上位の命令権ね。無視は出来ない」

「ねー。せめてB程度だったら何とかなったけど、クラスAはさすがに無理かなあ。それこそ全面的にAGSと敵対する羽目になっちゃう」

 AGSと敵対する。しれっとイリアは言ったが、それは一つの軍組織を相手取るということだ。そんなこと出来るはずもない。つまりこの命令は、絶対に違えることが出来ないのだ。

「なぜですか。こんな重大な命令、余程のことがない限りあり得ないです」

 問いかけるが、イリアは少し困ったような表情を浮かべたままだった。

「そりゃまあ、お嬢ちゃんのことだろうさ。嫌な二択になっちゃうけどな」

 リュウキがそっぽを向いて、イリアの代わりに答える。よく考えれば分かることだった。いつの間にか当たり前と思っていたトワの存在は、決して普通ではないのだと。

「まあ、三択目が用意できると良いね。幸いカソードCまでは距離があるし、考える時間だけはありそう。あ、忘れるとこだった。件のお嬢から話があったのよ」

 そう言ってイリアは艦長席から立ち上がり、電子タッチパネルで広域マップを操作し始めた。

「トワちゃんさ。何か行きたい場所がある、取りに行きたいってさっき話しに来てね。記憶が戻ったって感じじゃないんだよね。一部だけ、部分部分だけって感じ」

 広域マップに映っている光点は、そこに元からあった物ではない。イリアが今、新たに付け足した物だ。

「この宙域。オークウッド27の端、デブリ群。ここにその捜し物があるんだってさ。あ、ちなみにこれトワちゃんと一緒に宙域図と睨めっこして頑張って特定しました。大変だったよ?」

 広域マップを見た限りではAGSの領域だが、今は自軍である筈のAGSが枷となるだろう。

「空間測定はさすがに出来ないけど、まあ結構広い空間がありそうっちゃありそうなんだよね。それこそ、遺跡一つ分くらいはあるかも」

「そこだってトワさんが言ったんですか」

「そうそう。というわけで、まず行ってみようかなってのが私の考え。トワちゃんの秘密が分かるかもだし、時間稼ぎにもなるし。それに」

 広域マップが表示されたウインドウを、イリアは片手でコンコンと叩く仕草をした。電子表示されているため、少し表面が歪んでは戻る。

「ここは地の利がある。やりようがある。これで、あの黒塗りを特定できる」

 思わず身を引きかける。薄ら寒い笑みを浮かべたイリアは、どんな表情のイリアよりも残酷で美しく見えた。

「まま、そんな感じなんだけどいいかな?」

 いつものような明るい笑みを浮かべたイリアに戸惑いつつも頷いて返す。

「別にいいっすけど、その」

 リュウキが珍しく口を閉ざす。気付けば私以外はみんな戸惑ったような表情でイリアと、広域マップをじっと見ていた。

「オークウッド27、確かに地の利はあるわね。だって、私達が戦ったことのある場所だもの。だから知っている。そこにあったデブリ群に、そんな空間はなかった」

 クストが腕を組みながらそう言った。そこにいつもの冷静なクストの姿はなく、ただただ困惑しているようにしか見えなかった。

「そうなんだよ、イリアさん。そこ、俺がifでアンブッシュに使った。覚えてるだろ? 細かいデブリがあっただけで、そんな馬鹿でかい岩も何もなかった。なかった筈なんだ」

「そうだよね。でもこうやって見るとあるんだ。何なんだろうね、これ」

 リュウキとギニーも、困惑を隠そうともしない。過去の戦闘で、みんなはここに来たことがあるのだろうか。

「そう。変だと思うよ。まだ第一次if戦争時のことだから、リーファちゃんは知らないことだけど。ここで私達は戦ってて、地形は頭に入ってるんだ。だからそこにこんな空間がないことは知ってるんだけど、今思い返すとそれがあるんだよね」

 イリアがそう補足してくれるが、まったく意味が分からない。いきなり今になって、なかった物があったかもしれないなんて。

「ああくそ。頭がおかしくなりそうだ」

 リュウキが呟き、頭を振ってイリアに向き直る。

「なんだか、随分やばい状況になってる気がするな。まあ慣れっこだ。行ってはっきりさせよう。トワちゃんのことも、この場所も」

 ギニーが頷く。

「危ない橋は、あまり渡りたくないですけど。やられっぱなしは嫌ですしね」

 クストが溜息を吐いて、両手を広げる。

「結局みんな負けず嫌いなのよね。まあ、イリアの判断に任せることにする。貴女がこの状況をちゃんと見ているなら文句はないわ」

 こくりとイリアは頷く。

「大丈夫だいじょぶ、ちゃんと考えてますって。それじゃあ決まりね」

 ここからオークウッド27までは、あと四時間といった所だろうか。

「さて、そうと決まれば色々準備しないとね」

 イリアがぱちんと両手を合わせる。その決定に異論はない。

 脳裏にエンゲージリングを見つめながら笑みを浮かべる、幸せそうな二人の姿が浮かんだ。

 そんな光景が続いてくれればいいのに。その保証は誰も、きっとイリアですら出来ないのだろうと思いながら。

 だからそう、ただ願った。そうでなくては……報えないから。

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