二人の願いを
身体を駆け巡る血液達が、ぴたりと止まってしまったような。そう錯覚してしまう程、身体は重く動きは覚束ない。世界が静止してしまったかのような暗闇の中、トワ・エクゼスは目を開いた。
白い少女は、より一層白くなった肌から分かるように、体力の限界を迎えている。故に、戦いの推移を見守る、という事はしていなかった。リオが来た、そう認識したのが最後で、次に見た光景はこれだ。
「……私寝てた」
その結論を手繰り寄せ、ぼやけた頭を動かしていく。フィル・エクゼスの操る赤い《スレイド》と戦い、それに競り勝った。だが、黒く染まった《スレイド》には負けた。
「《プレア》……力を」
乗機である《プレア》に声を掛けながら、トワは再度身体を動かそうとする。相も変わらず、両の腕は重いままだった。
黒の《スレイド》が振るった長剣によって、《プレア》は両腕と片脚を獲られている。今更出来ることなどない。《プレア》と接続を繋ぎ直した所で、起き上がる事すら出来ないだろう。
それでも、目の前の光景を見なければ安心出来ない。リオはまだ戦っているのだろうか。それとも、もう決着が付いているのか。もし、目の前に広がる宇宙に彼がいなかったら。
不調や眠気を越えた不安が、トワの腕を強引にでも動かす。その手が操縦桿代わりの球体に触れ、次いでしっかりと掴む。
数回のまばたきを経て、トワは《プレア》の目を開いた。
暗い宇宙が視界を埋め尽くす。トワと《プレア》はまだ、灰色の甲板に倒れていた。
1stサーバー……灰色に染まった、巨大な船だ。船の形を模していても、あそこにクルーは一人もいない。ただ、延々に永遠に動き続ける機械達が、所定の性能を発揮ししているだけだ。今も昔も。ここで破壊出来なければ、きっとこれからも。
「……リオ」
そして、トワはその戦いを見た。暗い宇宙で、二騎のプライア・スティエートが剣を振るうのを見た。
灰の騎士は、全身に無数の傷を負いながらも剣を振るい続ける。
黒の騎士は、全身から翡翠の線を吹き出しながらも剣を構える。
目で捉える事は出来ても、何をやっているのかはまるで分からない。
「私も……戦わないと」
言葉とは裏腹に、意識はまだ沈みたがっている。《プレア》の両腕はない。あっても、この状態では上体を起こす事すら出来ないだろう。何も出来る事などない。戦いの結果を、見届ける事しか出来ないのだ。
「動……いて」
それが自分に向けた言葉なのか、《プレア》に向けた言葉なのかも分からない。
ただ、何も出来ないと認めるのが嫌で。少女は手を伸ばそうと意識を繋ぎ続けていた。
※
剣だけを競う戦いは終わった。剣で届かなければ拳も振るうし、隙間があるのなら脚だってねじ込む。
全身の痛みを無視しながら、リオは目の前の敵だけを意識する。頭の中を全て、この斬るべき敵だけで埋め尽くす。
相手もそうしているのだろう。この戦いは最早、その次元にまで達している。互いの技は全て見切った。互いの業ですら同等の域に達した。あと一手なのだ。互いにあと一手、そこを詰めた者が勝つ。そしてその為に、使える物は何でも使うべきだ。自分の頭の中など、真っ先に使って当然だろう。
灰の騎士……《イクス・フルブレイド》は、その名前を撤回する必要がありそうだった。全身、あらゆる所に刀剣を括り付けていたが、その殆どを使い切ってしまった。
胴体には最早剣はない。薄い追加装甲が、申し訳程度に正面を守っているだけだ。だが、まだ両腕にはSB‐2ダガーナイフが左右に四本、計八本残っている。それに加え、腕に仕込まれた粒子壁も健在だ。右脚上部にはまだ大型ナイフが三本あるし、右脚上部には搦め手、フラグダガーが二つある。
そして右手にはショートソードを、左手にはロングソードを握っていた。これが、《イクス・フルブレイド》の使える手札という訳だ。
これまでの剣戟を越えた結果、《イクス・フルブレイド》の全身には少なくない傷がある。その痛みが、感覚が自分の事のように感じ取れる。バイザーごと砕かれた右目も、悲鳴に似た痛みを伝えてはいた。
「動けなくなるよりマシだ」
痛みに狼狽えないよう、そんな強がりを吐いておく。今は、一つでも多くの‘感覚’が必要なのだ。自分の事のように感じ取れるのは、何も痛みだけではない。長剣の切っ先が肌を掠める感覚、鎧を削る感覚、音を伴う動きを見る事なく見て、圧の伴う動きを捉える事なく捉える。
全ての要素を用いる、目の前の敵を斬る為に。
黒の騎士……《スレイド》の動きはここに極まっている。長剣だけを見切れば良かった先程までとは違い、どこからどう‘手’が出てくるのか分からない。左手の掌底だけではない。至近での膝、中距離を埋める蹴り、長剣を手放し、空いた右手による殴打など。攻め手が明らかに増えている。
その中枢にいるフィル・エクゼスは、最早何も語らない。ただ黙したまま、《スレイド》に力を与え続ける。
《スレイド》の全身から、絶えず翡翠の線と黒の燐光が漏れ出していた。乗機の損傷を修復する、リリーサー特有の能力だ。フィル・エクゼスは、その無尽蔵の力を引き出す依り代に徹している。それが、あの少女にとって最善の手なのだ。
こちらにはそんな力などない。だが勝てる。結局の所、あれはどこまで突き詰めても修復であって無敵ではない。斬りづらいだけで、斬れる相手なのだ。
「やるぞ、《イクス》」
出会ってから今まで、飽きもせずに力を貸し続けている相棒へと声を掛けた。こんな状況でも、変わらず苦言や皮肉で答えてくる相棒に、自然と笑みが浮かんでくる。
だが、いつまでもそうしていられる訳もない。緩んだ意識を、瞬時に研ぎ澄ませた。
互いの距離がゼロに近付く。また剣戟が始まる。《イクス・フルブレイド》は、右手のショートソードを引いたまま左手のロングソードを幾度も振るう。
ロングソードによる連撃を、《スレイド》は長剣で確実に弾いていく。彼は両手で柄を保持し、その力を最大限活かせるようにしている。こちらが力任せに叩き付けるロングソードを、《スレイド》は同じく力によって弾く。
何度か打ち込んだ末に、《イクス・フルブレイド》は右手を思い切り突き出す。その手に握られたショートソードによる、神速の突きだ。狙いは胴体、攻防の隙を貫く。
当然のように《スレイド》は反応する。隙など感じさせぬ体捌きで突きを避けた。更に、左腕でこちらの右腕を抱えるようにして押さえ込んでくる。完全に固められた。
剣を振るうには近過ぎる距離だ。《イクス・フルブレイド》は、右腕の粒子壁を展開しながら、左手を強引に振り抜く。ロングソードの柄で、《スレイド》の頭部を狙う。
《スレイド》もまた、右手を振り抜いていた。長剣の柄を、アッパーの要領でこちらに叩き込もうとしている。
互いの打撃は、ほぼ同時に直撃した。《イクス・フルブレイド》の左手、ロングソードの柄は《スレイド》の頭部を砕く。そして《スレイド》の右手、長剣の柄は《イクス・フルブレイド》の胴を砕いた。
打撃と同時に、《スレイド》はこちらの右腕を離している。殴打の衝撃で、互いの距離が僅かに離れた。
仕切り直しは選ばない。それは《スレイド》も同様だった。直撃を受け、拉げた頭部が修復されていく中、《スレイド》は右手のみで長剣を振り下ろす。右手のみであっても、身体の捻りを加えた強力な斬撃だ。
《イクス・フルブレイド》は、その斬撃を前進する事で避ける。その動作と同時に、体勢を瞬時に変えた。長剣の切っ先が、背中を掠めていくのが分かる。動作の途中で、砕かれた追加装甲が脱落していく。
体勢変更は一瞬だ。《イクス・フルブレイド》は、《スレイド》に背を見せるようにして長剣を避けた。そして、その動作のまま左脚で後ろ回し蹴りをかます。
攻防は一瞬……故に、回避と同時に繰り出されるその蹴りは、《スレイド》の首を造作もなく刎ねる筈だ。
しかし、刀の切れ味と同等の回し蹴りは、《スレイド》の左手によって防がれた。《スレイド》が、右手だけで長剣を振った理由がこれだ。
《スレイド》の左手が、こちらを掴むより速く脚を引く。そして、脚を引いた勢いを活かして身体を捻った。そのまま体勢を変更し、《イクス・フルブレイド》は右手を握り締める。
攻勢はまだ終わっていない。《イクス・フルブレイド》は振り返りながら、右手とそこに握られたショートソードを裏拳気味に叩き付ける。ただ斬るだけではない。右腕の粒子壁は、既に展開を済ませている。故に、こちらの斬撃は圧倒的な熱量を内包して《スレイド》を捉えた。
ショートソードによる炎の斬撃は、裏拳気味に繰り出され横一文字に正面を焼き払う。即ち、左から右へと斬り払われる。
その炎の壁に対し、《スレイド》は僅かに後退しながら両手で長剣を保持する。そして、炎の斬撃を迎え打つ横一文字を繰り出した。即ち、左から右へと切っ先は動く。
《イクス・フルブレイド》がショートソードを振り抜き、《スレイド》もまた長剣を振り抜く。炎の斬撃と黒の斬撃……横一文字の軌道が合わさり、空間その物を震わせる。
「く……」
声が漏れる。《イクス・フルブレイド》は、右腕を確かに振り抜いた。だがショートソードは砕け、右腕の粒子壁は過負荷に耐えられず稲光を吐き出している。
《スレイド》の長剣は、夥しい量の黒い靄を伴っていた。黒の極光が、炎の斬撃を凌駕したのだ。
攻勢を凌ぎきった《スレイド》が先に動く。黒を伴いながら、長剣の切っ先が跳ね上がる。下段から上段へとかち上げられる、致死の一撃だ。
《イクス・フルブレイド》は瞬時に後退しながら猶予を作り出し、左手にあるロングソードを《スレイド》に投げ付けた。槍投げの要領で左腕を振り、切っ先を相手に向けている。
《スレイド》は構わず長剣を振り上げた。ロングソードはいとも簡単に両断されたが、これは元々時間稼ぎの為に投げたのだ。これでいい。
《イクス・フルブレイド》は確かに稼いだその時間を使って、右脚上部にある三本の大型ナイフ、その中の二本を右手で取り上げる。ひょいと投げ、左手でその内の一本を掴んだ。
両手に大型ナイフを構え、再度踏み込んで来た《スレイド》を迎え打つ。
《スレイド》は詰め寄りながら、長剣を袈裟に振るう。速度を優先した、受けさせる為の斬撃だ。
両手の大型ナイフで、《イクス・フルブレイド》はその袈裟斬りを防ぐ。挨拶代わりの一撃だと言うのに、あっさりと大型ナイフは歪む。
《スレイド》の攻勢は続く。守りに入ったこちらを仕留めるべく、横一文字の斬撃が迫る。
受けたら最後、強引に斬られるだろう。《イクス・フルブレイド》は、横一文字の斬撃軌道、その死角である下方へと滑り込む。
それを読んでいたのか、《スレイド》の右膝が知覚出来ない速度で叩き込まれた。何となく見えていた光景を前に、左手の大型ナイフで防ぎに掛かる。
歪んでいたナイフは拉げ、《スレイド》の右膝が《イクス・フルブレイド》の頭部に直撃した。視界が歪み、意識が飛び掛ける。だが、見えていた光景はまさにこれだ。
膝が命中する前に、歪んでいる右手の大型ナイフは既に破棄していた。そして、空いた手が右脚上部の大型ナイフ、最後の一本を掴む。
抜剣と同時に一閃、《スレイド》の腰に大型ナイフを突き立てる。更に、左腕にあるSB‐2ダガーナイフを射出、左手でそれを掴む。
視界には頼れない。感覚だけを頼りに、左手のSB‐2ダガーナイフで斬り付ける。その斬撃軌道は、確実に《スレイド》の右脚を捉えていた。《スレイド》の右脚、膝から先が宙を舞う。
目を開き、その様を見る。だが、既に見えていた光景だ。
《スレイド》の右脚を斬った。だが、それは決定打にはなり得ない。《スレイド》の右膝から先が、翡翠の線で象られていく。《スレイド》は後退しながら、左手で腰に刺さった大型ナイフを抜き取ろうとしていた。
攻勢が切り替わった瞬間だ。《イクス・フルブレイド》は、下がる《スレイド》を逃がすまいと前進する。右腕のSB‐2ダガーナイフも射出し、右手でそれを掴む。
両手にSB‐2ダガーナイフを持ち、《イクス・フルブレイド》は矢継ぎ早に連撃を叩き込む。素早い連打を前に、《スレイド》は守りに入るしかない。右手の長剣で攻撃を防ぎながら、左手でこちらのダガーナイフを叩き落とそうとしている。大型ナイフはまだ、腰に刺さったままだ。右脚は、既に修復が完了している。
「……あと一手」
そこを詰めれば勝てる。だが、その先が見えてこない。ここまでは見えた。ここまでは読めた。あと一手、それだけが分からない。
右手からSB‐2ダガーナイフが弾け飛ぶ。《スレイド》の左手が、横合いから殴り付けたのだ。すかさず右腕から同じダガーナイフを射出し、それを掴み振るう。
「《イクス》。僕は」
左手のダガーナイフが、長剣に弾かれた衝撃で砕けた。左腕からダガーナイフを再度射出し、左手で掴む。矢継ぎ早に攻め、立て直す間を与えない為に。
「勝たないと。その為には」
あと一手が足りない。その一手を強引に手繰り寄せるとしたら、それは。
こちらの声色からそれを悟ったのだろうか。《イクス》は苦言も皮肉も口にしなかった。ただ問い掛けてくる。静かに、こちらの真意を推し量るように。ただ一言だけを問う。
「なぜ……そうしたいのか。それはね、《イクス》」
頭の中全てを使い、こうして戦っている。でも、それでも埋まらない領域だってあるのだ。大切に仕舞い込んだ奥の奥に。どうして今、こんなにも苦しいのに戦い続けているのか。そのはじまりの想いだけはずっとそこに。
「ファルの願いを叶えて……トワの願いを探しに行くんだ。あの子と一緒に」
それ以外は要らない。どうしようもなく壊れた自分が、どうしても譲れないと仕舞い込んだ想いだから。
それ以外は要らない。その為に必要だから世界だって守る。世界を崩そうとする相手とも戦うし、全てやり直そうと足掻いている少女だって斬る。
壊れた結論かも知れないけれど。どんな理由よりも強く、自分を動かしてくれるから。
《イクス・フルブレイド》は、弾かれるままに後退する。両手にあるSB‐2ダガーナイフは、もう折れ掛けていた。
《イクス》が、やはり一言だけ答えた。苦言でも皮肉でもない。ただ一言だけ、こちらの背中を押すように。
「……分かった。そう言ってくれるのなら、僕は」
両手のダガーナイフを投げ捨て、両腕のダガーナイフをまた射出する。それぞれ両手でそれを掴み、見えないままの未来を見据えていく。
両腕に仕込んだSB‐2ダガーナイフは、残り左右一本ずつ。それに加え、左脚上部にフラグダガーが二つある。手札は随分と少なくなった。
それでも《イクス》の選んだ答えが、未来がそれならば。
「このまま、迷わずに戦える!」
後退した分の距離を詰め直しながら、《イクス・フルブレイド》は全身に増設されたハードポイントを破棄する。今まで武装を括り付けていたコネクタや装甲が、次々に剥がれていく。
体勢を立て直そうとしている《スレイド》に向かって、左手のSB‐2ダガーナイフを投擲する。《スレイド》は、当然のように長剣で弾く。
《イクス・フルブレイド》は……全ての追加装甲を捨て去った《イクス》は、空いた左手で脱落しようとしていたフラグダガーを掴む。残る二本のフラグダガーは、追加装甲と一緒くたに脱落しようとしていた。それを、追加装甲ごと掴んだのだ。
《イクス》は、接近と同時に右手のSB‐2ダガーナイフを振る。《スレイド》は長剣でそれを凌ぎ、また反撃を仕掛けてきた。
《イクス》は左手を引き、右手のみでその剣戟を受ける。
《スレイド》の長剣と《イクス》のSB‐2ダガーナイフが、引き寄せられるようにぶつかり合う。
しかし、二つの刃がぶつかり合う快音は長く続く事はない。一撃受ける度に、《イクス》のダガーナイフは歪んでいく。
五度目のぶつかり合いで、遂に《イクス》のダガーナイフは砕けた。その隙を埋める為、引いていた左腕を動かす。追加装甲ごと掴んだフラグダガーを、《スレイド》に叩き付けてやるのだ。
左腕は、最短の軌道を用いて《スレイド》へと伸びる。
しかし、その一撃が届く前に《スレイド》の長剣が翻った。
「……ッ!」
体勢を変え、剣を振るう隙間をこじ開けてからの斬撃だった。《スレイド》の長剣が、フラグダガーごと《イクス》の左腕を粉砕していく。
二つあったフラグダガーが、所定の性能通りに炸裂する。しかし、その爆発に焼かれているのは、千切れた《イクス》の左腕だけだ。
爆発に煽られ、《スレイド》との距離が離れる。
だが、まだ脚は届く。身体を捻り、《イクス》の右脚で蹴りをかます。
《スレイド》からしてみれば、爆煙から急に脚が伸びたように見えるだろう。狙いは腰、未だ突き刺さったままの大型ナイフだ。
《イクス》の右脚が、《スレイド》の腰に直撃する。正確には、そこに刺さった大型ナイフの柄を蹴り付けた。ナイフの刃が、《スレイド》の腰に深く突き刺さる。翡翠の線と黒い靄が吹き出るが、致命傷ではない事は分かっていた。
致命傷ではない。だが、動きは幾つか制限出来る。ここから飛び退いて逃げる、なんて選択肢は既に潰えた。
《スレイド》は後退を諦め、長剣を両手で構える。
《イクス》は空の右手を背後に振り、空を漂うそれを掴む。そこにある事は分かっていた、その長剣の柄を。
残った右手で、《イクス》は長剣ナインスレイを振り下ろす。最初の攻防で弾かれた、剣槍だった得物だ。柄を切断し、今は元の長剣のように使える。
《イクス》が背負っていた長剣でもあった。だからこそ、弾かれて尚こうして傍にあるのはある意味必然かも知れない。
《スレイド》も長剣を振り下ろす。上段から下段へと至る斬撃軌道、《イクス》の振るうそれと同じ軌道だ。
二振りの長剣が重なり合い、黒と灰の燐光がそれぞれの剣身から滲み出る。
《イクス》の長剣ナインスレイと、《スレイド》の長剣がぴたりと合わさった。拮抗は一瞬、より強い剣だけがその場に残される。
黒の燐光が辺りを埋め尽くす。粉々になった長剣ナインスレイが、黒の燐光へと変換されたのだ。煽りを受け、徒手空拳となった《イクス》は体勢を大きく崩す。
長剣を振り抜いた《スレイド》が再び剣を構え直す。右腕を僅かに引き、左手はその剣身に添えられている。最短最速の剣技、刺突が来る。
「《スレイ》、か」
その名前を呟く。そして、その名前が意味する事を考える。《イクス》の背負っていた長剣、ナインスレイはそう簡単には折れない。この世のどんな刀剣を用いても、傷一つ付かないだろう。ただ一点を除いて。
ナインスレイは、元の持ち主には効かない。九番目に刻まれた銘は、この剣を打ち破れる唯一の存在なのだ。
《スレイド》が踏み込む。早過ぎるが故に知覚は出来ない。ただ、造作もなく貫かれる事だけは分かっている。
その刺突を避ける為、僅かでも動こうと足掻く。《イクス》は身を屈めるようにして、せめて致命傷を避けようとする。
「……ごめん」
《スレイド》の長剣が命を刈り取るその前に、謝罪の言葉が自然と出た。
《イクス》の胴を、《スレイド》の長剣が貫く。右腕を伸ばすようにして、《スレイド》は至近で突きを放った。《イクス》の胴に、長剣が深々と突き立てられる。背中から突き抜けた長剣の切っ先が、灰色の燐光を散らしていく。
「それとありがとう、《イクス》」
《イクス》の右手が、《スレイド》の右手を横合いから殴り付けた。
《スレイド》の長剣は、確かに胴を貫いている。自分がいる操縦席の直ぐ上、《イクス》を司る中枢がある場所を、長剣は貫いていた。最短の突きを、僅かに屈む事によってその位置に誘導したのだ。
左腕をブラフに用い、長剣ナインスレイで陽動を掛け、《イクス》その物を犠牲にして。ようやく、この一手に手が届く。
だから、謝罪と感謝を言葉にした。何をやってでも勝てと言ってくれた相棒に、それだけは伝えたかったのだ。
「あと一手」
《イクス》の殴打によって、《スレイド》の右手から長剣が離れる。そもそも、長剣は今尚《イクス》に刺さったままだ。唯一の得物を奪い、《イクス》は飛び上がった。
《スレイド》を飛び越えると見せかけて反転、最後の攻勢に出る。
《イクス》は《スレイド》に対し、肩車に近い形で組み付いた。肩車の上が《イクス》で、下が《スレイド》だ。《イクス》は健在な両脚で、《スレイド》の両腕を無理矢理封じていた。力自体は拮抗している。全力で締め上げれば、一手ぐらいは封じていられる筈だ。
「終わりだ、《スレイ》!」
両脚で《スレイド》を締め上げながら、《イクス》は右腕を掲げる。最後の一振り、SB‐2ダガーナイフがそこから射出された。右手でそれを掴み、手の中で回転させて逆手に持つ。
眼下には、藻掻く《スレイド》とその胴体が見えている。
迷いはしない。《イクス》は全身の力をその切っ先に込め、倒れ込むようにSB‐2ダガーナイフを振り下ろす。
何の変哲もない、だが研ぎ澄まされたその刃が。《スレイド》の胴を容易く貫いた。




