動く意味
イリアは半ば追い出されるような形で休憩に入った。渋々一時間の昼休憩を受けたが、軽食を胃に放り込んでもまだまだ時間はある。しかし仮眠を取ろうにも寝付けない。まだ皆は働いているし、《アマデウス》の修理状況もそこまで余裕があるわけではない。
だがきっちり一時間休んでいないとクストは手伝わせてくれないだろう。休息が大事というのは重々承知しているが、どうにも落ち着かない。
そこで結局、イリアは仮眠は諦めて医務室を訪れた。
「わあ、イリアさん。お見舞いですか?」
アストラルがにこりと笑みを浮かべる。ベッド横に腰掛けているアストラルは、足をぶらぶらと動かしていた。
「そだよー。リハビリ?」
同じようにベッドへ腰掛けながら尋ねる。
「そですよ。どうも新品の人工血液は馴染みが悪くて。身体が重いの何のって」
太股の辺りをマッサージしながらアストラルは応えた。
「身体は大分良くなってきたみたいだね。でも」
じっとアストラルの目を覗き込む。
「ちょっとした拒否反応かな。頭痛と吐き気は大丈夫?」
アストラルは困ったような笑みを浮かべる。
「今は大丈夫な方です。本当に何でもお見通しなんだから、いやはや困りますな」
「もう大分古い人工臓器使ってるんだもん、無理も押してるでしょ。まだ替えないの?」
イリアの問いに、アストラルはしんみりと頷く。
「まだ替えません。あの人が私に残したのはこれと戦闘技術だけですから。もう少し抱えておきたいなあって」
現行の人工血液を扱うには、アストラルの人工臓器は型が古い。人が宇宙にいる時代だけあって、医療機器も日々進化している。当時最新の医療として彼女を救った人工臓器だが、今はもう時代遅れとなって彼女を苦しめている。
しかしその苦しみも、アストラルにとっては大切な一欠片なのだろう。第三者が介入できることではない。
「そっか。でも医者や私がもう無理だってとこまで来たらちゃんと替えてよ。今はまだ平気だけどさ」
臓器再生という道もある。こちらはまだ改良の余地ありだが、将来的には失った臓器の代替品ではなく、そのものを提供できる時代がくるかもしれない。
「分かってますよう。イリアさんこそ大丈夫ですか? 働きっぱなしじゃありません?」
「ちゃんと休んでますよーだ」
笑いながら返す。アストラルは何やら感じるところがあるようだったが、突っ込まないでいてくれている。
「ところで気になったんですけど。リオくんいるじゃないですか」
アストラルから話題を切り替えた。こくりと頷いて返す。
「いるねえ、リオくん」
「いますよねえ。で、戦い方見て思ったんですけどイリアさんと動き似てません? いや、イリアさんと違って全然容赦ない感じではありますけど」
さすがアストラルと言ったところである。よく観察している。その目の良さは彼女の才能の一つだろう。
「似てるのはしょうがないかもね。リオくんには結構ばっちり戦い方教えたから」
リオがifに乗ると言い出してから、自分が課した条件がそれだった。ひたすらに戦術や操縦テクニックを叩き込んでいったのだ。今リオは、それらを感覚的に扱えるようになった。
「そうでもしないと、それこそ早死にするだけだからね。それを本人が望んでいても望んでいなくてもさ」
当時のリオは何を思ってその道選んだのか、そして今はどうなのか。
「なるほど、それじゃあ似るわけですね。でもそれにしても、その」
アストラルの言わんとしていることは分かる。どんなに教えたとしても、そして学んだとしても。形にならないということは幾らでもある。だがリオは、それを完璧な形で再現して見せた。本人の意思とは裏腹に。
「リオくんは嫌だって思うかもしれないけど、残念ながら才能があるんだろうね」
それは他ならぬ自分自身にも言えることかもしれない。そう自虐的に捉えることもできる。
「本人は残念かもしれないけど、生きてて欲しいなあ。トワちゃんもいるし」
アストラルが溜息混じりに言う。まさにその通りだった。
「リーファちゃんの事もあるし、ちゃっちゃと幸せになってくれればいいのになあ」
アストラルが首を傾げる。リーファの名前が出たことに対してだろう。
「あっと、ちょいと事情があってね」
「なになになんですか、三角関係ですか?」
目を輝かせるアストラルだが、その三角関係の光景はちょっとありえなくて面白い。
「違うよー。リーファちゃんの好みはもっとこう、逞しいというか、ぐいぐい引っ張ってくれる殿方の方が良いんだって。リオくんはおよそタイプじゃない」
「えー、じゃあ何でリーファちゃんは出てきたんですか?」
アストラルの疑問はもっともだろう。当然これには理由がある。
「リーファちゃんはリオくんを気にかけてんのよ。直接的に見れば、リオくんはBFSの被害者ってことになるからさ。ほっとけないのよ」
そもそもリーファ自体もBFSの被害者と言えるが。リーファの中では加害者側なのだろう。極論を言えば、リーファのせいでリオはこうなっている、と。
「ああ、まあ。経緯は一応把握してますけど」
アストラルは気まずそうに言う。
「だからリーファちゃんは、リオくんとトワちゃんを是が非でもくっつけて、さっさと軍から追い出したいのよ。私はどっちも追い出したいけどー」
背伸びしながら答える。リオとリーファ、どちらもここにいるべきではない。だが、それは本人達が決めるべきことであり、それぞれがそれぞれの決着を迎えなければならないのだろう。
そういった意味では、リオとトワが仲良く降りてくれれば、リーファにとっての決着は訪れるのかもしれない。それは同時に、リオにとっての決着も意味する。なるほど確かに、それは皆が皆ハッピーエンドだ。
「デート、うまくいってるといいね」
問題山積だが、そういう道もある。そんなことを思いながらぽつりと呟く。アストラルは笑いながらベッドに寝転がった。
「見たいなあデート風景。もう絶対おもしろ可愛いことになってるもん。見たいなあ」
それはもう、きっとおもしろ可愛いことになっているだろう。土産話が楽しみである。
それから先はいつもと変わらない。他愛の無い話をしながら、イリアは休憩時間を有意義に過ごした。
※
いつもの調子に戻ったリーファとレストラン前で別れ、教えてもらった場所へと移動する。屋台、露店が所狭しと並んでおり、様々な飲食物が目に入る。このリゾートセクション、ガーデンブルーの中でも色々と格式のような目安があり、自分とトワはかなり高級な所へ行っていたようだ。確かに、ここの方が落ち着くし、トワの喜びそうな物もある。
相も変わらず上機嫌なトワだったが、周囲を見渡して不思議そうな表情を浮かべた。
「リオ。何だか色んな匂いがするけど、これはどんどん食べていけばいいの?」
「いや、何も義務的なことはないんだけど。食べたい物があったら食べてけばいいと思うよ」
こくりと頷き、トワは目を瞑った。黙祷でも捧げているのかと思ったが、不意にぱちりと目を開いて指を差した。
「あっち。あっちにある」
「匂い嗅いでたんだ。というか嗅ぎ分けたの?」
トワはこちらを引っ張るように、人波をずかずかとかき分けていく。申し訳ないですと謝りながら着いた先は、やはりというか案の定というか、アイスクリームの屋台だった。
「これ。これがいいと思う」
「うん、いいけど。いいけど良く匂い辿れたね」
警察犬もびっくりな嗅覚を発揮したトワにどうしてそんな芸当ができるのか聞いてみたかったが、既にトワの意識はアイスクリーム一辺倒だ、揺るがない。
トワ希望のチョコレート、自分も食べるようにバニラを選び、ソフトクリームを頼んだ。
てきぱきと手慣れた様子で二つのソフトクリームが出来上がり、チョコレートソフトをトワに手渡す。
そのまま歩きながら食べようとするが、トワは何の前触れもなくこちらのバニラソフトを、小さな口でかぷりと頬張った。バニラソフトの頂点が、小さく切り取られてしまった。
「いや、食べられるんじゃないかとは思ってたけど、まさか初動で来るとは思わなかった」
トワはぽかんとしている。そして何事も無かったかのように自分のチョコレートソフトを一口頬張り、それをこちらに差し出した。トワは頬張ったままにこりと笑みを浮かべている。一口くれるということでいいのだろう。
「嬉しいけど、それはかじってからくれるんだね……」
トワはこくりと頷く。有り難く頂戴しておくとしよう。トワと同じように一口かじると、トワは満足そうにチョコレートソフトを食べ始めた。
こちらも食べ始めようとするが、そこでいや待てと気付く。今何気なくやっていたが、これはどう見ても間接キスではないか。
隣のトワは気にする素振りも見せない。何だか自分だけ邪な思いを抱いているのではと思い、平静を装いながらトワが頂点を食べたバニラソフトを食べ始めた。
他にも色々な食べ物があったが、トワが引き当てる物はどうにもやはりというか案の定というか、甘い物がほとんどだった。隣の屋台から漂ってくる香ばしい香りが恋しくなるぐらいの頻度で甘い物を食べていく訳だが、トワは満足そうなので良しとしよう。
そうして何個目かの甘い物、ホットケーキを食べているトワを真正面に見て、ちょっと一息ついていた。ずっと歩きながら、もしくは立ちながら食べていたので、こうして座りながらゆっくりできるのは助かる。
トワはおいしそうにホットケーキを食べているが、あの細い身体にどうやってその量を押し込めているのだろう。甘い物は別腹とはよく言ったものだが、トワの場合は異次元空間にでも繋がっているのかもしれない。
「トワ、お腹一杯にならないの?」
「なる時はなるよ?」
ならない時は果たしてどんな時なのかが気になったが、至極当然のように言ったトワの姿はある意味清々しい。
「えっと、今は?」
ホットケーキを頬張りながらトワは考える。
「甘いのならもうちょっと食べれそう」
「そっか。今甘い物しか食べてないけどね」
こくりと頷き、トワはおやつを再開する。トワのもうちょっとは果たしてどれぐらいを示すのだろう。
そんなことを考えていると、ちょっとした空気の変質を感じた。危険度は少ない。トワの後ろに一人、自分の後ろに二人。男性が計三人といったところか。
「へえ、二人でデート? お揃いの指輪だね」
トワの後ろにいる一人が、にやにやとしながら話しかける。指輪については、できれば突っ込んで欲しくないのだが。
「彼女可愛いね、幾つぐらいかなあ」
今度はこちらの後ろにいる男が話しかける。目的が金品なのか、ただ単にからかいに来ただけなのかは分からない。
「あの、何か用ですか?」
何れにせよ危険度は低い。手っ取り早く終わらせるために目的を聞く。
「いや、別に大したことはないんだけどねえ」
背中越しに見ると、こちらの後ろにいる男は下卑た笑みを浮かべながらトワを見ていた。金品なら渡して済む話だが、これはよくない。当の本人は意に介さずホットケーキを食べてはいたが。
「綺麗な髪してるね、君」
トワの後ろにいる男がトワの頭に手を伸ばそうとする。拳銃を持ってきてないことを少し後悔しつつ、制止しようと腰を上げようとするが、それよりも早く事態が変わった。
まるで見えないワイヤーで引っ張られたかのように男が吹っ飛ぶ。トワの髪に触れようとした男は、その柔らかさを知る前に後方のテーブルへと飛び込んだ。トワが空いていた左手で、振り向くようにしてぶん殴ったのだ。
テーブルから響く快音と悪態を聞き流しながら、席を立ちトワの方へと歩み寄る。位置的有利は取った。後ろにいる男二人は、トワの拳を貰って吹き飛んだ男を唖然とした表情で見ていた。
がたんと物音を立て、トワは席を立つ。むすっとした表情は中々に機嫌が悪そうだ。
「邪魔しないで」
トワはそう言いながら男二人にぴっと指を差す。
「邪魔したら、叩くよ!」
「もう叩いてるけど……」
ちらと周囲を伺う。騒ぎが大きくなる前に退散した方がいいだろう。今なら単なるいざこざで処理してもらえるだろう。
「よし、行こうか」
トワの手を取り人混みに紛れる。ホットケーキ代が先払いで良かったと、見当違いな感想を抱きながらその店を後にする。
そのまま手を引いて走り出す。長居して問題が増えるのはよくないだろう。
幸い、次に行く場所は考えてあった。
夕暮れに染まった砂浜で、握りっぱなしだった手を離す。プラネットライブ、これだけ大きな規模の人工海岸はなかなか他のセクションでは再現できないだろう。
太陽が昇っている内に連れてきた方が良かったかもしれないが、そこは行き当たりばったりなのでしょうがない。
トワは目の前の光景をじっと見つめている。地球の物と比べてしまえばくだらないだろうが、ずっと《アマデウス》にいたトワにとって、これほど目を奪われる光景はないだろう。宇宙にあるにしては広大な海が、パノラマのように世界を広げていく。
「リオは凄いね」
トワが感心したように言う。その横顔は夕暮れに照らされ、仄かに輝いて見えた。
「私に色んなことを教えてくれる」
トワは俯き、こちらに視線を向ける。
「綺麗だね。全部動いてる。だから綺麗に見えるんだよ」
トワが腰を下ろし、お構いなしに砂浜に座り込む。トワの言葉の意味は分からなかったが、同じように腰を下ろした。
「全部動いてるって、どういうこと?」
海を眺めながら問いかけてみる。
「動いてるよ。リオもそうでしょ」
それはつまり、生きているということを言いたいのだろうか。そうであるなら、賛成はできない。生きていること全てを良しと考えられる程、純粋に物を見ることができない。
例えば犯罪者、彼らが生きることで世界が綺麗に見えることがあるのだろうか。何も犯罪者に限った話でもない。そういった負の部分は大なり小なりあるというのに。
当然自分にも。だからこそ、自分はifの操縦兵として今もここにいるのだから。
不意に体温が上がる。トワがもたれ掛かるようにこちらへ傾いたのだ。こちらの肩に小さな頭がちょこんと預けられている。
「私も動いてる。全部勝手に動いてるけど」
トワの体温を身体に受けて、こちらの体温もゆっくりと熱を帯びていく。
「止まってるよりはあったかいよ」
トワはそれ以上何も言わなかった。その言葉が何を思って紡がれたのかは分からない。その言葉の真意も、自分には理解することができない。
静かな寝息が聞こえる。考えてみれば、トワがこれほど長く起きているというのは珍しいことだ。相も変わらず無防備に眠るその姿は、見ていて穏やかな気分になる。
こうなると暫くは起きない。時間はある、まだゆっくりしていてもいいだろう。
肩にもたれ掛かる熱はトワが言っていたとおり、確かに温かかった。




