業の深度
あらすじ
灰と黒が斬り合う度に、互いの技と業は研ぎ澄まされる。互いが想う少女の為に、互いの剣は鋭さを増していくのだ。
二騎のプライア・スティエートの死闘は、最終局面を迎える。
最強の一角である黒騎士との、最後の剣戟が始まった。
灰と黒の乱舞は続く。刃と刃がぶつかり合う度に、それらが削れて宇宙の黒を束の間だけ照らす。極大の黒は、そんな僅かな瞬きでは拭えないものだが。この二騎の剣戟においては、その限りではないようだった。
灰の騎士……リオの《イクス・フルブレイド》は、荒々しく攻勢を続ける。多数の刀剣を括り付けて馳せ参じ、それらを湯水のように《イクス》は使った。胴体にあったチェストリグのような装備は、既に破棄してある。そこにあった得物を使い切った以上、重りにしかならないからだ。
今は両手にそれぞれ四本の投擲用ナイフを持ち、さながらかぎ爪のように振り回している。指と指の間で挟み込むように保持し、獣にも等しい大振りを何度も叩き込む。
黒の騎士……フィルの《スレイド》は、相も変わらず長剣一本でその攻勢を凌ぐ。先程と違う点があるとすれば、その長剣や体躯から、時折翡翠の線や黒い燐光が漏れ出しているぐらいだろう。
その僅かな差違を、リオは‘効いている’と判断した。どれも致命傷とは程遠い。だが、細かな傷は確かに刻んでいる。ありったけの刀剣を使い、動きを見極めて、一撃は叩き込んだ。《スレイド》の頬に刻まれた裂傷は、既に修復されていたが。あの一撃から流れが変わった。
自分が上がったのか、相手を引き摺り下ろしたのか。どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。何にせよ、同じ場所に立ちつつあると確信している。今はまだ、少し見上げる必要があるけれど。
《イクス・フルブレイド》が、右手を振りかぶって打ち下ろす。四本の投擲用ナイフを指の間で保持し、かぎ爪のように振るった。先程から繰り返している、力任せな一撃だ。
力任せではあっても、闇雲に暴れている訳ではない。回避出来ない、その選択をさせない。そういった機会を見極めての一撃だ。
黒の《スレイド》は、長剣の刃でそれを受け止める。そして、防ぐと同時に逆にこちらを押し返してきた。
その勢いに怯まず、《イクス・フルブレイド》は左手をも叩き付ける。その手に握られた四本の投擲ナイフ、右手と同様のかぎ爪で殴り付けたのだ。
狙いは長剣、どこを狙っても防がれるのなら、初めから殴ってやった方がいい。
長剣とかぎ爪がぶつかり合い、またもや不毛な力比べが始まる。拮抗は一瞬、この行為は互いにとって有利でも不利でもない。互いに力を抜き、弾かれるままに距離を取る。
そして、当然のように両者は動く。
《イクス・フルブレイド》は、右手を引いて再度距離を詰める。弾かれ、飛び退き、それらの間隙を縫う再接近だ。
《スレイド》の動きも似たようなものだった。長剣を握った右手を引き、やはり距離を詰める。弾かれ、飛び退き、間髪入れずに前進を選ぶ。
それこそ磁気の反発のように離れ、やはり磁気の作用と同様に近付いて。
《イクス・フルブレイド》は、接近と同時に右手を振り抜く。ボクシングで言う所のストレート、かぎ爪を有した凶悪な一撃だ。
《スレイド》は、接近と同時に右腕を伸ばす。その手に握られた長剣を用いた、神速の刺突だ。
どちらの攻撃も重く、またそれ以上に速い。しかし、真正面からかち合うような愚は犯さない。正攻法は散々試した。《スレイド》の剣は何よりも強固なのだ。正攻法では勝てない。ならば。
「……卑怯者の戦いをする」
技と技を競うような戦いではない。技を業で押し潰す戦い。
《イクス・フルブレイド》は、突き出した右手のかぎ爪を素早く翻す。四本の刃で、《スレイド》の長剣を絡め取る。
「だから言ったろ」
《スレイド》の突き、その軌道を強引に逸らす。そして、《イクス・フルブレイド》はそのまま一歩踏み込む。踏み込みと攻撃は同時だ。防ぐ手段のない《スレイド》の胴を、左手のかぎ爪で突き貫く。
通常なら、防ぐ手段はない。だが、《スレイド》は空いている左手でこちらの左手を殴打した。強引に軌道がずらされ、左手のかぎ爪は空を裂くしかない。
《スレイド》の突き、その勢いを活かして《イクス・フルブレイド》は僅かに後退、そのまま姿勢を変え、サマーソルトの要領で《スレイド》を蹴り付けた。
胴を狙った蹴りは、それよりも速く動いた左手が受ける。《スレイド》に脚を掴まれる前に引き、再び黒の騎士と正対した。
「……つまらなくしてやる」
蹴りを受けた《スレイド》の左手から、少しだけ翡翠の線が漏れ出す。攻撃は通る、という事だ。
再び二騎は同時に動く。選ぶ行動は互いに前進のみ。
《イクス・フルブレイド》は両手のかぎ爪を、《スレイド》は一振りの長剣を。それぞれ構え、互いの得物が通る距離まで滑り込む。
接近は一瞬、だが《スレイド》の方が数瞬速く動く。長剣とかぎ爪では、届く距離が違う。
《スレイド》は上段に構えた長剣を、片手で無造作に振り抜く。つまり、左手は守りの為に空けてあるという事だ。
意識を研ぎ澄ます。《スレイド》の動作を、それこそパーツ単位で見極めるように。今この瞬間、この世界には自分とあの黒騎士しかいない。それ以外の情報を全て掃き捨て、その動きを捉える。
《スレイド》が振り下ろした長剣の切っ先を、《イクス・フルブレイド》は僅かに体勢を変えて避ける。
反撃を挟み込むだけの猶予はない。《スレイド》は特に驚いた様子もなく、ただ長剣を翻し再度斬り付けてくる。
その鋭い斬撃軌道を、《イクス・フルブレイド》は極小の動きで回避した。そして、左のかぎ爪をお返しとばかりに叩き込む。
《スレイド》もまた、極小の動きでそれを避ける。回避と攻撃は同時、翻り首を断ちにきた長剣を、《イクス・フルブレイド》は屈み込むようにして避ける。
「……なるほど」
そっくりそのままやり返す、という奴だ。こちらが《スレイド》の動きを見極めているように、《スレイド》もまたこちらの動きを見極めている。
攻防が再開される。《イクス・フルブレイド》は、動き回りながら左右のかぎ爪を乱雑に振り回す。《スレイド》もまた、長剣を無造作に振り抜く。
しかし、互いの得物がぶつかる事はない。それぞれの攻撃を避け、反撃し、それすらも避けやはり反撃する。故に、刃同士がぶつかる快音が響く事もない。
かぎ爪をかいくぐった《スレイド》が、長剣を横一文字に振るう。それを飛び越えた《イクス・フルブレイド》が、両手のかぎ爪を振り下ろす。そのかぎ爪を横にずれながら避けた《スレイド》が、長剣を振り上げて迎撃を仕掛ける。その迎撃をすり抜けるようにして近付いた《イクス・フルブレイド》が、両手を閉じるようにしてかぎ爪を振るう。
そんな攻防を何合も繰り返し、先に引いたのは《イクス・フルブレイド》だった。距離を取り、息一つ上がっていない《スレイド》を視界に捉える。
「随分とよく見ているな。まるで」
鏡と殴り合っているようなものだ。騎士の戦いとは程遠い戦術を使ったが、すぐに《スレイド》は適応した。
休憩は終わりだと言わんばかりに、《スレイド》は前進を始める。行動は決まっているようなものだろう。ただ斬る。それだけだ。
《イクス・フルブレイド》は、両手のかぎ爪をボクサーよろしく構える。だが、同じ手を使うつもりはなかった。攻防の焼き増しなんて何の意味も無いからだ。
こちらは後退しない。故に、《スレイド》は難なく近接の間合いへと入る。両手で保持した長剣を、横一文字に振るってきた。
斬撃軌道は見えている。避けられる一撃を、《イクス・フルブレイド》は敢えて受けに行く。少しだけ後退しながら、両手のかぎ爪で防御する。ただ防ぐだけではない。剣身を右のかぎ爪……四本の投擲用ナイフで強引に絡め取る。
先程もやった行動だ。故に、相手も対処が速い。《スレイド》は長剣の斬撃軌道を変更し、縦一文字に振り下ろす。強引に絡め取ろうとしたこちらの一手を、強引に振り払おうという魂胆だろう。
力の込められた長剣の振り下ろしに、拮抗出来る道理はない。剣身を絡め取る事は出来ず、《イクス・フルブレイド》は為す術なく弾かれる。
互いの距離は、斬るには幾ばくか足りない間合いだ。こちらのかぎ爪も、相手の長剣も。
「まあでも」
《イクス・フルブレイド》は、弾かれながら両手を思い切り引く。かぎ爪を広げ、今まさに飛び込もうという動きに見えなくもないだろう。現に、先程まではそうしていた。
「これは投げる物だから」
だから前進はしない。長剣は届かず、回避するにはあまりにも近い。それに加え、《スレイド》は長剣を振り抜いた直後だ。
思い切り引いた両手を振り抜きながら、五本の指を開く。そこに保持していたかぎ爪……四本と四本の投擲用ナイフが、視認すら困難な速度で《スレイド》に殺到する。
意図に気付いた《スレイド》は、右手で長剣を盾のように構えて胴を守った。更に、左の膝を上げて機体下部を、左腕は頭部や上部を保護すべく動く。
《スレイド》が防御態勢を取った数瞬後、計八本の投擲用ナイフはほぼ同時に直撃した。
《スレイド》の体勢変更、及び防御態勢によって三本は脇をすり抜けた。二本は左腕に刺さり、一本は左脚に刺さっている。本命の二本は、胴を守る長剣の剣身に弾かれていた。
「……本命は」
そして、ナイフ着弾の数瞬後には次の攻防が始まっている。投擲と同時に距離を詰め直していた《イクス・フルブレイド》が、両手で新たな得物を掴む。
右手は右脚上部に伸ばす。そこにあるナイフラックから、大型ナイフを引き抜く。四本ある内の一本だ。
左手は左脚上部に伸ばす。そこには剣身が炸裂する変わり種、フラグダガーを三つ残してある。その一つをここで使う。
「こっちだ!」
前進と同時に《イクス・フルブレイド》が繰り出したのは、左手の方だ。その手にあるフラグダガーで、見せかけの突きをかます。
見せかけであっても、当たれば致死である。《スレイド》は防御態勢を解き、投擲用ナイフが刺さったままの姿で長剣を振るう。
迎撃の一撃、フラグダガーによる刺突を、横合いから叩いて潰す一手だ。
その一撃に合わせ、《イクス・フルブレイド》はフラグダガーで逆に迎撃を仕掛ける。横合いから叩こうとする長剣を、逆に叩く。二つの刃が合わさった瞬間、フラグダガーは所定の性能を発揮した。剣戟の快音ではなく、腹を震わせる爆音が耳元で響く。
炸裂したフラグダガーを手放し、《イクス・フルブレイド》は《スレイド》の右脇をすり抜ける。爆圧で長剣が振るえないその隙を狙った挙動だ。当然、ただ移動するだけではない。右手で握った大型ナイフで、すれ違い様に胴を斬る。空いた左手をナイフの柄に添えて、目にも止まらぬ速度で斬撃を繰り出す。
大型ナイフの切っ先が、《スレイド》の胴に触れる。しかし、その刃が装甲と中身を引き裂くその前に、《スレイド》は身を捩ってその一撃をいなした。装甲の表面を幾らか削ったものの、中身には届いていない。舌打ちが出そうになるも、そんな余裕すらこちらにはない。
《スレイド》は不安定な体勢から左手を伸ばし、こちらの右手を掴む。《イクス・フルブレイド》の右手が軋む程の力でだ。逃がすつもりはない、という事だろう。
「逃げるけど」
《スレイド》の目を見ながらそう答え、《イクス・フルブレイド》の右腕にある粒子壁を展開する。灼熱の粒子壁がその身を焼く前に、《スレイド》は手を離し距離を取る。
「逃がすつもりはない!」
ナイフが届く距離ではない。だが、《イクス・フルブレイド》は右手で握ったままの大型ナイフを振り抜いた。左下から右上へとかち上げる斬撃軌道だ。
斬撃の一拍前に、右腕の粒子壁が最大出力で吼える。その圧倒的な熱量を、右手の大型ナイフへと集約させて。
空間を一息に焼き払いながら、灼熱の斬撃軌道が《スレイド》へと迫る。
回避する間もなく、《スレイド》は熱波へと呑まれた。
「……遠すぎるか」
熱波に呑まれながらも、《スレイド》はその形状を保っている。全身から迸る翡翠の線と黒の燐光が、致命傷を防いでいるのだ。
《イクス・フルブレイド》は、弾け飛ぶように距離を詰める。ならば、近付いてそれ以上の熱を叩き込む。
右手の中でぐずぐずに溶けている大型ナイフを、払うようにして捨てる。更に、左手で腰にあるトライデントを取り上げた。有線式の粒子砲兼粒子剣だ。今回は、最短を選ぶが故に粒子砲のまま使う。
熱波に追い付くようにして間合いを詰め、左手のトライデント粒子砲を《スレイド》に向ける。
熱波に煽られている《スレイド》と目が合う。状況とは裏腹に、落ち着いた目をしている。思考は読めない。
トライデント粒子砲のトリガーを引く。上下に分割されたバレルに青白い光が灯り、間髪入れずにそれを吐き出す。
至近距離での粒子砲撃だ。ナイフの投擲と同じく、その一撃は不可避に相違ない。
光の速さで目標を粉砕する青白い粒子砲撃が、動かないままの《スレイド》を捉えた。
「……ッ!」
今度こそ舌打ちを交えながら、《イクス・フルブレイド》は全力で後退する。
粒子砲撃を造作もなく斬り払った《スレイド》が、一直線に突っ込んでくるからだ。
全身から翡翠の線と黒の燐光を撒き散らしながら、《スレイド》は長剣を上段に構える。
隙を突かれた。即座に武器を抜く、という行動すらこちらは出来ない。唯一使える武器は、左手に持ったままのトライデント粒子砲のみ。素早く変形させ、これをトライデント粒子剣として使う。
《スレイド》が放つ上段からの振り下ろしに対抗し、こちらは下からかち上げる。
青白い粒子の刃と、長剣の剣身がぶつかり合う。互いに両手で得物を保持し、強引に断ち斬ろうと力を込める。
鍔迫り合いは、そう長くは続かない。どちらともなく剣を振り抜き、またどちらともなく距離を取る。
斬撃を凌ぐ為に、出力を上げすぎた。基部が焼け爛れたトライデント粒子剣を放り捨てながら、《スレイド》の様子を見ていく。ナイフを刺し、胴を傷付け、全身を焼いた。だが、そのどれもが既に過去となっている。
「ブラフも使うのか」
熱波に煽られ、防御で手一杯という演技を《スレイド》はした。だめ押しに近付いたこちらを、斬り捨てる為のブラフだ。そういう危険もあるだろうと、頭の片隅にはあった。だからこそ、寸前で防御が間に合ったが。
「騎士らしくはないな」
そう名乗ったつもりはないと、《スレイド》は一蹴する。
《スレイド》の剣は、技というに相応しい。だが、こういった戦い方もやれるのだ。技と業……《スレイド》もまた、それを身に宿している。
「だからこそ、同じ場所には立った」
技と技の競い合いを終え、技と業の殺し合いを果たした。
「もう手は届く。後は斬るだけだ」
《イクス・フルブレイド》は、左脚下部にあるロングソードと、右脚下部にあるショートソードをそれぞれの手で掴み取る。
《スレイド》は長剣の剣身を寝かせ、右脇に添えるようにして構えた。
後に残るのは業と業のみ。戦場での殺し合いだけを糧とした、生者を殺す為の剣だ。
どちらともなく二騎は動き、前へ進む。
同じ業を携えて。




