今を照らす呼び声
子どもの戯れ言、だとは思わなかった。《アマデウス》艦長席に腰掛けながら、イリアは目の前で起きた事実と、少年が語った事柄を照らし合わせて考える。
破壊すべき砲台、ダスティ・ラートは前方にあった。躊躇う理由などない。すぐさま粒子砲撃を放つも、その全てが‘切断’された。
それをやったのが、あの異形のifだ。皿のような頭、肥大化した袖、骸骨じみた脚部、少年の言葉が真実ならば、《レストリク》という名前らしい。あのifには、粒子砲撃をも‘切断’する武装、スマートウィップが搭載されている。
少年は、勝ち目などないと言った。虚偽や虚構だとは思えない。
「でも、目的は変わらない」
イリアはそう呟き、思考するだけの時間を終えた。あの砲台を破壊する。
「あの糸、スマートウィップは粒子をも切断する。でも、これはどうかな?」
にやと笑みを浮かべ、イリアは艦長席の肘掛けを握り締める。
「機関全速、目標正面!」
「了解! って、あれに突っ込むんですか! 蜘蛛の巣みたいなもんですよ!」
イリアの指示に、武装管制兼操舵士のギニーがもっともな答えを返す。
破壊すべき砲台、ダスティ・ラートは巨大だ。そして、それをカバーするように蜘蛛の糸、スマートウィップは張り巡らされている。
防御に絶対の自信があるのだろう。異形のif、《レストリク》は未だに動いていない。糸は敷設済み、後は獲物が掛かるのを待つだけという訳だ。
「あれが本当に、実体と粒子の両側面を持つのだとしたら。私達も同じ物を使えばいい」
イリアはギニーにそう返し、目の前に広がる未知の技術を頭の中に押し込めた。スマートウィップは、人類が作り出した兵器だ。ならば、単純な質量の差で勝てばいい。
「ウィンドフォール、再展開! 粒子壁を展開したままあそこに突っ込むよ!」
イリアは再度指示を出しながら、副艦長であるクストと視線を合わせる。クストは無言のまま頷き、肯定を示した。
「イリアさん、あのifは」
通信管制席に座るリーファが、そう問い掛けてくる。異形のif、《レストリク》の事だ。
「今は無視。これ、我慢比べのチキンレースだからね」
そう答え、イリアはリーファにウインクをする。
「機関全速、ウィンドフォール安定値をキープ、敵防衛網と接触します!」
ギニーが矢継ぎ早に報告する。この接触の可否で、突破出来るかどうかが決まるだろう。
《アマデウス》は最高速度を維持したまま、張り巡らされた蜘蛛の巣へと侵入した。
断続的な振動がブリッジを揺さ振り、リーファが小さな悲鳴を上げる。だが、それでも。
「通ってる、行けるわ」
自身の目でも状況を確認し、クストの声でそれを確信に変える。艦長席にへばりつきながら、イリアは賭けに勝ったと口角を上げた。
スマートウィップは、粒子壁をも貫通し船体に直接傷を付けていく。無数の糸に絡み付かれ、《アマデウス》は刻一刻と裂傷が増えていた。
だが、それでも通れる。スマートウィップは、BS大の質量を即座に解体するだけの性能はないのだ。
『馬鹿が、心中するつもりかよ!』
こちらの意図をやっと理解したのか、異形のif、《レストリク》がようやく動き始めた。だが、もう遅い。スマートウィップを幾ら束ねようと、《アマデウス》は止められない。それに。
「三分の一心中だし。左舷ユニット最大増速、切り離して!」
《アマデウス》ごとぶつけるつもりはない。《アマデウス》は中央の管制ユニットだけでも航行出来る。両舷はただの武装ユニットでしかないからだ。
その内一つを、あれにくれてやる。
「了解、今……くそ、艦長!」
ギニーが焦燥を隠そうともせずに怒鳴る。
「接続エラー、左舷切り離せません! 右舷側も同様のエラー。コネクターに異常、爆裂ボルトも機能しない!」
飛び込んでくる情報の全てが、泥と化して頭の中に滞留していく。何が起きているのか、イリアは考えるまでもなく分かっていた。要するに、ガタが来ているのだ。度重なる負荷により、コネクター周りのシステムがいかれてしまった。原因も修理方法も分かる。だが、今この時に使える手段は何一つない。
「イリア、仕切り直しを」
クストが小声でそう進言する。分かっている、それしかない。だが、それでは間に合わない。一度離脱したとしても、次に使える手札はもうないのだ。
そう、手札はもうない。ならば、少年の言った通りに心中するのか? 論外だ。
手札はない。その言葉を頭の中で唱える。手札はない。ここにはない。
ならば、持っている奴から出して貰う。
頭の片隅で入れておいた要素を引っ張り出し、これしかないとイリアは唇を噛む。
「リーファちゃん。通信回線、全域で私に回して」
リーファは頷き、即座にサブウインドウを形成する。イリアは目の前に表示されたそれを、半ば睨み付けながら息を吸う。
「《フェザーランス》、キア! ここにいるんでしょ! 左舷のコネクターを撃って!」
黒塗りのBS、《フェザーランス》の名前をイリアは呼んだ。
この宙域に必ずいる。幾つかの要素から、イリアは《フェザーランス》の存在を確信していた。
リオと交戦に入った機影が、黒塗りの《カムラッド》だった事もその一つだ。それに何より、あれの艦長がキア・リンフォルツァンならそう動く。
「私の命が欲しいならあげる。何だってする。だから、あれを……ダスティ・ラートを止めて! あの砲門の先には、みんながいるんだよ!」
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状況を整理し、行動を決める。そのどちらも、不充分だった矢先の事だった。
『だからお願い、コネクターを撃って!』
《フェザーランス》ブリッジに、その声は届いていた。
そしてようやっと、その声を頼りに。リードは目の前で何が起こっているのか理解した。
しかし、それは隣にいるキアも同じだろう。《アマデウス》を尾行し、この光景に辿り着いた。馬鹿でかい砲台に、見た事もないifに兵器、かと思えば《アマデウス》はいきなり突撃し始める。どれもこれもあっと言う間の出来事だった。何が何だか分からないと、呆けてしまっても仕方がないと言える状況だった。
だが、とリードは意識を切り替える。今は、艦長補佐としての仕事を全うしなければ。
「艦長、あの砲台……ダスティ・ラートは大型の粒子砲だと推測されます。照準は我々の後方、あの戦闘地域でしょう。ミスター・ガロットは、あれで」
リードの声に、キアもいつもの目の色を取り戻す。呆けている場合ではないと気付いたのだ。
「氷室の中身を撃つ。多いに結構だ、冗談じゃないぐらいに死人が出る」
吐き捨てるようにキアは言い、僅かに首を傾ける。少しだけ、こちらに顔を近付けたのだ。
「……テオドールとレティーシャは? 脱出してると思うか?」
その姿勢のまま、キアは小声で問い掛けてきた。
テオドール・ブラックソン……《フェザーランス》if部隊の隊長だ。今は、勝手な行動を起こしたレティーシャの下へ向かっている。単機でも戦える、もっとも信用の置ける操縦兵を選んだ。
「……仮に合流しているとしても。テオドールなら、脱出せずにこちらへ帰投する事を優先するでしょう。つまり」
あの砲台の、殺傷範囲に彼等はいる。
「……だよな」
呆れたように、或いは諦めたようにキアは口元を緩める。
そしてモニターに映るダスティ・ラートへ、冷ややかな視線を送った。
「《フェザーランス》前へ。望み通りにしてやる」




