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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「鏡鑑と光芒」
239/352

在りし日の呼び声

あらすじ



 同じ場所にいる悪魔……少年と少女の戦いは苛烈を極め、少年と騎士がその想いを通した。

 だが、意思と意思の激突はそこだけではない。

 白亜の船と黒塗りの船、そしてそれらが集結する砲台の地で、一つの決断が下されようとしていた。


「暇潰しにもならない、そういう類のつまらない話だが」

 気負った様子もなく……少なくとも、気負わないように取り繕いながら、キアはその話を切り出した。目をこちらに向けようとはせず、手に持ったミネラルウォーターのボトルを眺めている。

 ブリッジへ続く扉の前で、キアは立ち止まりそう言ったのだ。《フェザーランス》が本格的に動く前の、最後の小休止というタイミングで。

 狭い通用路に二人だけ。リードはいつもの癖で、表情とその裏に潜む感情を探ろうとしたが、この時に限っては必要なかった。

 キアは、無表情のまま呆れている。そこに表も裏もない。誰かを、ではない。自分自身に呆れているのだ。

「イリアとは、士官学校時代からの知り合いでな。企業で士官学校ってのもおかしな話だが、まあ色々と学ばせて貰った」

 リードは黙ったまま続きを促す。キアの心に根付く‘私怨’、その中身を彼は紐解こうとしている。

 気にならない、と言えば嘘になる。なぜそこまで固執するのか、と疑問に思った事だってある。

「仲はまあ、悪くはなかった。変わった奴だったが、善人だしな。それに」

 キアの表情が僅かに変わる。冷え固まった、殺意にも似た怒りは一瞬だけ。後は、ただひたすらに悲痛な感情を滲ませていた。

「……あいつもいた。コルミナって名前なんだが、本人の希望もあってコールって呼んでた。コールなのか呼び出し(コール)なのか、ややこしいとは言ったが。本人は全く気にしてなかったな。そういう、細かい事は気にしない女だった」

 リードは頭の中でその名前を探してみるも、該当する人物はいなかった。つまり、自分とそのコールという人物は会っていない。

「さっき、イリアが善人だと言ったが。あれは、イリア自身がそうあろうとしていたからだ。つまり、善人になろうと努力して、結果善人になってる。そういう意味では、あいつは……コールは根っこから善人だった」

 コールという名前を口に出す度、キアの表情が陰る。ああ、そうかとリードは小さく頷く。隠そうともしないその変化から、その名前の女性がどうなったのか分かった。

 その女性は……コールは、もう。

「子どもみたいな奴だったよ。子どもみたいに無邪気で、よく騒いで……よく気が付いた。人の気持ちに、すっと這入り込んでくる。嫌われるような奴じゃなかったからな。誰とでも仲が良いのに、なぜか俺の所に来るんだ」

 そう言って、キアはふっと口元を緩めた。かつて見ていた光景が、彼にそんな表情をさせているのだ。

「どうしてかって聞くと、あいつはにこにこしながら言うんだ。‘キアが私を、一番必要としてるっぽいから’だと。滅茶苦茶な事ばっかり言うんだ」

 でも、とキアは小さく呟く。

「その通り、だったのかも知れない。多分、大事だった。大事になった。一度も、結局、一度も言った事はなかったけれど」

 頭を振り、キアはまた無表情の仮面を被る。それはいつもと違い、うまくいっているようには見えなかった。

「最初からそうだった訳じゃない。いつの間にか、気付いたらそうなってた。詐欺にでもあったみたいに」

 揺れ動く感情が、揺れる度に大きくなっていく。意図して揺らさずにいた場所を、キアは自らの意思で揺らしている。

「それでも、三人でいる事の方が多かった。俺とコール、そしてイリア。コールは勝手についてくるとして、イリアと俺は、まあ似た者同士だからな。傍にいた方が、何かと安心するんだ。策略家タイプは、同じ場所にいた方がいい。まあ、そんな事をしている内に自然とそうなったんだ。自然に、三人で」

 キアとコール、そしてイリアはかつて学友だった。そこに、‘私怨’と繋がるような色は何もない。まだ、今は。

「……その日は、いつ士官学校を出るかって話をしてた。コールは、ここに慣れてきたから遠出したくないとか言ってた。イリアは、いつ出るべきか悩んでいた。俺は……俺は答えられなかった」

 キアの表情が陰る。唇を僅かに噛み、かつて見た光景と向き合っていた。少なくとも、リードにはそう見えた。

「ifが数機、セクションの狭い空を飛んでいた。俺が迷っている内に、戦争って奴の手は随分と長くなっていたらしい。学校は戦場となった。コールは俺の手を引いて、逃げようとしていた。イリアは」

 核心に近付いている。キアの目の奥に、拭いきれない死がちらついていた。

「……イリアは、制止を振り切って走っていった。俺とコールは、連れ戻す為に追い掛けた。でも、イリアには追い付けなかった」

 そこで、キアは初めてこちらの方を向いた。リードは、真っ直ぐとその視線を受け止める。きちんと聞いている事を、黙したまま伝える為に。

「ifが一機、友軍に加わったのが見えた。動きを見れば、それがイリアだってすぐに分かった。訓練用に塗装された《カムラッド》が、敵機を次々と無力化していく。見事な手際だったよ。両腕を失った敵の《カムラッド》が、錯乱して地面を転がる程度には」

 キアの語る言葉が、イメージとしてその光景を作り出す。セクション内で起きた戦闘、自機の両腕を失い、死の恐怖から正常な判断が出来なくなった操縦兵……それが、形振り構わず動いた結果を。

「手を、強く引かれた事を覚えてる。身体は硬直していたけれど、なぜかその手には逆らえなくて。引かれるまま、後ろに倒れたんだ。目の前にifが見えて、すぐに消えた。そのifは、すぐに空へ飛び直していたんだ。でも、周りは酷い有様だった。巨大な鉄の塊が、そこらを転がったんだ。ひどくない筈がない。あいつは」

 キアの目にちらつく死が、確かな色を帯びている。

 最初から結末は分かっていたと、リードは少しだけ目を逸らした。

 その女性は……コールは、もう。

「あいつも……コールも同じだ。それがコールだったと気付くまで、少し時間が掛かったのを覚えてる」

 キアの言った、私怨という単語をリードは思い出していた。でも、それはあまりにも。

 こちらの考えを読み取ったのか、キアはふっと笑みを浮かべた。

「動けなかったんだ、一歩も。誰かを何かを恨んで、ようやっと心臓が動いてくれた。でも、抽象的な物ではあまりにも足りなくて。だから、ただ一人を恨んだ。ひどい話だろ」

 キアがイリア・レイスを憎む理由は、たったそれだけの事だった。イリアが戦い、その相手をしていたifは無力化された。両腕を破壊されれば、ifは戦えなくなる。だから、操縦兵を殺す必要はない。イリアはそれを貫き、結果として誰のせいでもない惨劇が起きた。

 両腕を失った《カムラッド》が、殺されない為に地面を転がる。そして、また上空へ逃げていく。その動作の過程で、偶然そこに居合わせた人達が、文字通り巻き込まれた。

「イリア・レイスが戦っていなければ。もしくは、相手を殺傷していれば。コールはまだ生きていたと、そう貴方は考えている?」

 ひどい話だと言うキアに、リードはそう問い掛けてみる。言葉を選ぶ必要も、気遣うような事もないだろう。そんな段階は、もうとっくに過ぎている。

「そう信じる事しか出来なかった。そうやって信じて、誰かのせいにして。そうでもしなければ受け入れられなかった。なのに」

 キアが視線を外し、天井を見上げる。一定の輝度を保つ照明がそこには並んでいるが、キアが見ているのはきっとそんなものではないのだろう。

「慣れて、しまったのかな。本当に悲しくて、許せなくて。どうにかなりそうだったのに」

 その横顔に、かつてのキアが見せた冷たさは感じ取れなかった。ただ、悲しげに佇んでいる青年が見えるだけだ。

「……強い感情が、ギプスのような役割を果たしたのでしょう。まだ、イリア・レイスへの復讐を?」

 リードはそう問い掛ける。艦長ではなく、一人の男へ向けての問いだ。

 キアは目を瞑り、ゆっくりと開く。考えてこなかった答えを、心の奥底から拾い上げてくるように。

「分からない。いざ目の前にした時に、俺はどうするのか。どうしたいのか。まあ、そう思っている時点で、イリアには勝てないな。甘い考えのまま、倒せるような相手じゃない」

 そう答えながら、キアはまたこちらを向いた。偽りの感情という仮面を捨てた、初めて見る素顔のままで。

「でも、決着は付ける。この戦いの……真実を見極めて」

 コールの死が、キアをここまで追い立てた。そして、彼自身の感情とそれを取り巻く環境が……あの少女達、リシティアやレティーシャが、その傷を少しずつ癒したのだとしたら。

 自分に出来る事は何だろうかと、リードは考える。思い浮かんだ答えは、当然と言えば当然で。

「……何も変わりません」

 そもそも、答えは決まっているようなものだ。

「異論もありません。貴方の見極めた真実ならば、私も。皆も納得するでしょう」

 艦長補佐として、この青年をサポートする。自分にはそれしか出来ないだろうし、またそれ以上の事もない。

「……物好きが揃ってるよな」

 キアはそう呟き、呆れ顔のまま口元を緩める。

「同じ船に乗る、とはそういう事です」

 リードは、にこりともせずにそう返した。

 それが、一番の信頼の証だと知っているからだ。

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