策略の穴
あらすじ
《フェザーランス》も決戦の地へ向かう。これにより、全ての意思がそこに集約される事となった。
ミスター・ガロットは、大きな犠牲を払いながらも人類の猶予を稼ぐ為にその戦場を睥睨する。《フェザーランス》は、真相を見極める為にそこへ赴く。
他でもない《アマデウス》は、何を胸に戦地へと向かうのか。
最後のブリーフィングが、今行われようとしていた。
広域レーダーに映し出された光点、その数が事態の深刻さを物語っている。現在《アマデウス》のブリッジには、殆どのクルーが集合していた。いつものブリーフィングをいつものようにやる。そして、いつも通りに勝つ。
勝つ必要はあるが、全てを相手取る必要はない。リオは光点を数えるのを早々に諦め、隣に立っているトワの様子を窺った。
ブラウスにマキシスカートといった、着慣らした服装をしている。眼鏡越しに見える赤い目が、同じように広域レーダーへ向けられていた。だが、それが意味する事がいまいちよく分かっていないのだろう。‘深刻そうだけど、何がどうなって深刻なのかは分からない。けど、深刻な事に間違いはないのでそういう感じにしよう’という表情をしている。
「まあ、大体分かると思うけど」
全員の顔を見渡しながら、艦長席に腰掛けたイリアがそう切り出す。
「艦隊決戦規模の戦力が、ここに集結してる。ここまで大規模な睨み合いは中々ないよ。多分、AGSとH・R・G・Eが戦争状態に移行してから、初めての事じゃないかな」
つまり、第二次if戦争が始まって以来の事態という事だ。
現在行われている戦争行為は、通称第二次if戦争と呼称されている。ifが用いられた、二度目の戦争という訳だ。
第二次と表現される以上、第一次が存在する。大筋はそう変わらない。大企業同士の小競り合いが、戦争という形を帯びて燃え広がった。その時は、AGSとH・R・G・Eは同盟を組んでいた。手を取り合い、共通の敵を打ち倒し、その利益を巡って対立化する。そして、現在に至るという訳だ。
だが、今にして思えば。それも全て、ミスター・ガロットやアイアンメイデンの策謀だったのかも知れない。
「何かのきっかけで、一気に戦端が開かれるような。そういう緊張状態だよ。私達が現場入りする頃には、随分騒がしくなってると思う」
断言するイリアに、ふと疑問を覚える。騒がしくなるのではなく、騒がしくなっている。《アマデウス》が到着する前に戦いが始まると、イリアは言っているのだ。
「俺達がきっかけではなく?」
同じ事を考えていたのか、操舵士兼操縦兵であるリュウキが質問をした。リュウキは操舵席に腰掛けながら、頭の上で腕を組んでいる。
「うん。ミスター・ガロットから見て、私達は目標じゃない。本気で潰しに掛かれば、小型BSの一隻程度どうにでもなるからね。そこで問題です、ミスター・ガロットの目標は何?」
その問題の答えは、既に分かりきっている。だからこそ、リュウキは合点がいったように何度も頷いた。
その様子を見ていたトワが、イリアの方に視線を向けて口を開く。
「きっと変わってない。フィルと《スレイド》を、あの人達は倒したがってる」
そうだ。トワの答えは正しい。ミスター・ガロットの目標は、最初から《スレイド》の打倒だ。それは今も変わらず、あそこで行われる事はそれに則した事だろう。
正確にはトワの打倒も含まれているのだろうが、そちらはイリアの言う通りどうとでもなるとミスター・ガロットは考えている。この世界の軍事力全てが、敵に回っているようなものだ。イリアがどんなに策を考えても、《アマデウス》がどこに逃げようとも。自分がどれだけ敵を斬ろうともその軍事力は衰えないだろう。
今それをしないのは、単純に優先順位の話なのだ。《アマデウス》の打倒に力を傾ければ《スレイド》を取り逃がす。その上、《アマデウス》は相当にしぶとい。
「そゆこと。私達も討伐対象になってるだろうけど、一番は《スレイド》。《アマデウス》に関しては、後でゆっくり対処するつもりでしょうね。相手にすればそこそこ厄介、かといって無視すれば邪魔されて厄介。今の私達は、向こうから見ればそんなとこでしょ」
《アマデウス》を、イリアを敵に回すという事は即ちこういう事だ。そればかりは、ミスター・ガロットの読みから外れていた事象かも知れない。この艦長は、相当に厄介なタイプなのだ。
「慢心、という訳ではないのですね」
操舵席のコンソールに背を預けながら、操縦兵であるエリルがぽつりと言う。
「そういう相手だったら、楽が出来ていいんだけどねえ。この場合、向こうも仕方がなく私達を放置している感じだね。連鎖核を凌いだ時点で、私達の戦力評価は一変してると思う。ミスター・ガロットから見て、無視出来ない要素にはなってるよ」
油断や慢心、小事を小事として切り捨てるような男であれば、確かに楽な戦いになる。問題は、ミスター・ガロットはそうではない、という点だ。
「無視は出来ないけど、対処も出来ない。《アマデウス》は今、そういう策略の穴に位置してるって事かな?」
武装管制席に腰掛けたギニーが、イリアの言葉を拾い上げて分かりやすく表現した。
策略の穴……ギニーの用いたその表現は、驚く程しっくりと来る。
「うん。全てがかちりと噛み合った歯車の中で、私達だけが自由に動ける。私達だけが、ミスター・ガロットの思惑の外で動ける」
イリアは、私達だけという言葉を使った。ミスター・ガロットの策を暴き、それを阻止出来るのは《アマデウス》だけ。
「そろそろ本題に入ってもいいかしら」
艦長席の隣、副艦長席に腰掛けたクストが、議論を進める為に口を開いた。
「ミスター・ガロットは、セクション一つを丸ごと連鎖核で消滅させるような男よ。どんな策を考えているにしろ、同じような手段である事が予想されるわ」
クストに言われる迄もない。ミスター・ガロットは、《スレイド》を通常の手段では倒せないと仮定している。だから、セクションに閉じ込めて連鎖核で吹き飛ばすという作戦を実行したのだ。個人の火力では倒せないのだから、面制圧を仕掛ける。面制圧では倒しきれないのなら、空間ごと無に還す。ミスター・ガロットの策は、単純な発想を大胆に実現したに過ぎないのだ。
そして、腹の立つ事にそれ以上の策はない。《スレイド》をどう倒すか。その代案を出さなければいけない立場に自分達はいるのだが、未だにそれは思いつけないままだ。
「大量破壊兵器とか、そういう物で。また、沢山の人を巻き込むような。そういう手段ですか」
通信管制席から顔を覗かせたリーファが、不満を顔一杯に浮かべながらそう問い掛ける。
「正確には空間破壊兵器。まあ、まず使用されるでしょうね。そうだと仮定して、この戦力分布を見るとどう? 何か見えてこない?」
クストはそう言って、広域レーダーを手で指し示す。連鎖核のような、空間破壊兵器が使われると仮定する。AGSとH・R・G・Eが多数の部隊を展開し、睨み合いを続けている。
「トワちゃん。サーバーはどこ?」
イリアが、トワに向かってそんな質問をした。トワは黙ったまま、白く細い指をぴっと立てる。そして、そのまま戦力分布の中心を指差した。
「あそこ。あの場所で、私はフィルと会うの」
偶然か必然か。両軍が睨み合いを続けているその中心地に、こちらの破壊目標であるサーバーは存在しているらしい。そして、そこでフィルと《スレイド》は待っている。
偶然か必然か。考える迄もなかった。ミスター・ガロットの手が加えられた戦場において、偶然は存在しない。あの男は、分かった上で部隊を動かした。
「天然の牢獄だ。フィルと《スレイド》を逃がさない為に、艦隊その物を壁のように配置してる」
楕円形に分布された戦力図を眺めながら、その結論を口に出す。戦端が開かれれば、更に円は縮小するだろう。その中心には、常にフィルと《スレイド》がいる。後は、何らかの手段でその空間を破壊すればいい。
イリアとクストは頷き、他のクルーも同じ結論に達したのか不快感を顕わにしている。
「ここまでは私達が考えた事。問題はね、ここから先なんだ。ミスター・ガロットが、どんな手段でこの牢獄を吹き飛ばすのかが分からない」
イリアがはっきりと、分からないと結論付けた。その事で、驚きにも似た不安が浸透していく。
「またぞろ連鎖核とか?」
分からないという意見を払拭したいのか、リュウキがそう質問する。
「連鎖核は大型で、ミサイルに積んでどかんが出来るような物じゃない。でも、BSに搭載して近付けば或いは、って感じかな」
何度も繰り広げていた議論なのだろう。イリアは淀みなく、すらすらと答えた。
「様々な手段が予想されるわ。どれも一長一短で、これだと確信出来るような答えは見つからなかった。この戦力分布内に、内通者がいるのかいないのかすらはっきりしない」
クストはそう言うと、全員の顔を見渡した。驚愕も不安も分かる。だが、それは議題ではないとその目が言っている。
「だから、分からないと私達は結論した。その上で、イリア。貴方の考えたイカれた案を話してあげて」
クストの目が、‘面白い事になるぞ’と煌めいている。
「イカれたって、概要を考えたのはクストちゃんでしょ! もう、人を変人みたいに言わないでよね」
同じような光を目に宿しながら、イリアはそう返した。そして、わざとらしく咳払いをする。
「相手が何を仕掛けてくるのか。何となく分かるけど、具体的なあれこれが分からない。だから、《アマデウス》はあそこに行きます。現地調査です!」
広域レーダーに映し出された戦力分布、楕円形のそれに弧を描いた線が書き足される。
「AGSとH・R・G・Eが戦っているど真ん中に飛び込む! どちらかの部隊の後ろから失礼するのは現実的じゃないから、侵入口はここだね。円の端っこ、最前線って言い換えた方が分かりやすいかな」
楕円形の端と端に、AGSとH・R・G・Eは部隊を展開させている。《スレイド》がいるだろう中心は避けながら、隅にいる部隊は徐々に近付いていた。先端が開かれるとしたら、ここがまず最前線となる。端と端に位置している各艦隊は、その後にゆっくりと侵攻を始めるのだろう。
《アマデウス》が突入するのは、楕円形の中央、そこの隅……最前線だ。
「侵入した後は走り抜けながら無差別に情報を掻き集める。大規模なクラッキングは無理でも、通信回線を少し掠め取るぐらいなら出来るから。それに、どの部隊がどこにいるのか、何をしているのか。そういう、目で見て分かる情報も全部頭に入れる。その上で」
ぱちん、とイリアは指を鳴らす。
「ミスター・ガロットの思考を読む。何をしようとしているのか暴く」
「そしてそれを妨害する。どうせろくな事じゃないわ」
イリアとクストが、作戦とも言えないような作戦を声高に宣言した。要するに、分からないから現地に行って、分かったらそれを阻止する、と言っているのだ。
「そいつはまた」
リュウキは苦笑を浮かべ、隣にいるエリルは真顔のままイリアとクストを見詰めていた。
「随分と忙しそうだな。俺は何をすればいい?」
無茶苦茶な事を、イリアとクストは言っている。だが、無茶の一つや二つは涼しい顔で押し通してきた二人の言葉だ。ましてや、小型BS一隻で世界に喧嘩を売った連中の集まりでもある。反論するような思考の持ち主は、ここには誰もいなかった。
「リュウキとエリルちゃんは随伴護衛。《アマデウス》を守って。それすら臨機応変になっちゃうけど」
そこで、イリアがこちらを見た。正確には、自分と隣にいるトワだ。
「リオ君とトワちゃんは先導。強引にでも道を切り拓いて。そして、ある程度進んだら別行動ね」
別行動、その言葉が意味する事が分からず、トワと二人顔を見合わせる。
「分業制で行くよ。ミスター・ガロットの悪巧みは《アマデウス》が砕く。貴方達二人は、《スレイド》とサーバーを叩く」
イリアが、にやと挑戦的な笑みを浮かべている。これは単純な選択なのだ。ミスター・ガロットの策に対抗する、だけどサーバーも破壊する。二つの目的を達成する為には、戦力を二分するしかない。
「……イリアの方は大丈夫? 私とリオがいなくても平気?」
こちらの僅かな迷いを感じ取ったのか、トワがイリアにそう問い掛けた。その質問を受け、イリアは胸を張るようにしてふふんと笑う。
「こっちの心配をしてくれるって事は、そっちは大丈夫って事だよね。なら何にも問題なし。知ってるかも知れないけど。私、頭が良い人の邪魔をするの得意だから」
身も蓋もない話だが、イリアの得意分野を言語化すると確かにそういう事になる。
「私も。負けないの得意だから」
トワはふふんと笑い返しながら、イリアに向けてそう言った。そして、こちらにもちらと視線を寄越した。眼鏡越しの赤い目が、負けず嫌いの色を浮かべている。
「まあ、作戦に関してはこんな感じ! アリサもミユリも、それでいいよね?」
ここにいないクルー、医務室の主と格納庫の主に向けてイリアは問い掛ける。通信回線は繋がっており、ここにいないだけでブリーフィングには参加しているのだ。
『長期戦になるって事だな。医療的なサポートは任せておけ。ただ、ここに厄介になるような真似はするなよ。特にイリア』
アリサが、当たり前の事を聞くなと言いたげな口調で返してきた。
『絶賛決戦準備中だ。手の空いた‘使える’人員は手伝いに来るように。お前の事だぞ、イリア』
ifやプライアを整備しているのだろう、機械動作音混じりにミユリはそう答えた。
「私にだけ当たりが強い……」
「後半のは応援要請みたいなものでしょ」
眉根をひそめているイリアに、クストが呆れ顔を向けている。
「まあよし! お医者の厄介にもならないし、ミユリちゃんの手伝いは後で必ず行く! さて、じゃあ質問のある人は?」
イリアがそう結論付け、話を進める為に挙手を促す。
「じゃあ、はい」
誰も手を挙げない中、トワだけは物怖じせずに手を挙げた。
「はいトワちゃん。何かな?」
急に授業じみてきたやり取りを見ながら、はてと首を傾げる。トワが質問をするなんて、何か分からない事があったのだろうか。
「最初の方に言ってた、策略の穴? っていうの、よく分からなかった」
思っていたよりもずっと授業らしい質問に、少し肩を落とす。だが、当の本人は真剣そうだった。トワは真面目な顔をして、イリアの返答を待っている。
「ああー。そうだなー。うーん」
イリアの顔には、説明してもいいけど面倒だし時間が掛かりそう、とはっきり書いてある。大体、策略の穴という単語自体に意味がある訳ではない。その前後の内容が理解出来ていないと、しっくり来る筈がないのだ。
「うん。あれだよ。ドーナッツってあるでしょ。丸い、穴のある方」
イリアが両手で丸を作り出し、トワの方に向ける。
「おいしい奴だよね。丸い、穴の空いてる」
トワは右手で小さな丸を作り、イリアの方に向けた。トワから見れば、イリアの両手で作られた丸に、自身の手で作った丸を重ねているように見えるのだろうか。
「ざっくり言うとあれ。ドーナッツの穴です」
真剣な表情をしたまま、イリアが真っ直ぐに嘘を吐いた。
「ドーナッツホール……なるほど」
こくりと頷き、トワはそれで納得してしまった。神妙そうな顔をしているので、彼女の中では決着が付いたのだろう。
「そう、ドーナッツホール。オペレーション・ドーナッツホール、開始!」
唖然とする周囲を置いてけぼりにしたまま、イリアは冗談のような作戦名を宣言する。
トワだけが、神妙そうな表情のままこくこくと頷いた。




