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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「鏡鑑と光芒」
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束の間の日々


 《アマデウス》後部、通称展望室は数少ない共有スペースだ。慣れ親しんだ宇宙の黒を見据えながら、リオは空いた時間をどう過ごすべきか考えていた。

 《アマデウス》は航行を停止し、身を潜めている状態にある。目的地は決まっているが、真っ直ぐに飛び込む訳にもいかない。或いは、最適解が‘真っ直ぐ飛び込む’という可能性もあるが。とにかくその時の為に、情報収集をしておこうという段階にいる。

 ただ、そこで問題が起きた。情報を集めようにも、正確なそれが入ってこないのだ。どうにもおかしな報告が多く、信憑性に欠けるらしい。

 だから、一旦身を潜めて情報の選別に入った。ただ、その作業を自分は手伝えない。艦長でもあり、《アマデウス》の司令塔でもあるイリアと、それを補佐するクストが主導となって作業中だ。今ブリッジに行っても、何もやれる事はない。

 《アマデウス》の目指す場所や、どう勝利するかの道筋は分かっている。

 相手にするのは、かつて所属していたAGSでも、かつて敵対していたH・R・G・Eでもない。戦いにはなるのだろうが、本命ではない。

 対処すべきは、リリーサーのみ。突如として出現し、攻勢を仕掛けてきた者達の名前だ。何度も戦いを繰り広げ、一人は獲った。現存するリリーサーは、トワを除けば後一人だけ。

 フィル・エクゼス……決戦の地で待ち構えているリリーサーだ。トワの元となっているファル・エクゼスの妹であり、間違いなく最強のリリーサーと言える。

 フィル自体は、そこまでの手練れではない。だが、問題はその乗機だ。

 リリーサーの用いる搭乗兵器は、プライア・スティエートと呼称される人型兵器であり、現行のif戦備を遙かに凌駕している。それだけでも厄介だが、それ以上に頭を悩ませてくれるのはその能力だ。

 リリーサーの使うプライアは、損傷を修復する能力を発現出来る。武器を弾いた所で、次の瞬間には武器を握っている。腕を斬った所で、次の瞬間にはもう復元されている。一撃で操縦者の意識を奪わない限りは、永遠に戦い続ける事になるだろう。意識を奪う、というのは誤魔化した言い方だ。実際は、そううまくいく筈もない。一撃で操縦者を殺傷する。それが出来なければ、勝てない相手という訳だ。

 そして、それらの問題を些細な事だと思わせてくれる要素がある。

 フィル・エクゼスには勝てる。プライアの修復機能も、厄介だが突き詰めればそれだけだ。問題は、その乗機自身だ。

 フィルの用いるプライアの名は《スレイド》……それこそが、最強のリリーサーと言われる所以だ。

 どういう理屈かは知らないが、《スレイド》はフィルの操縦がなくても動ける。《スレイド》自身の戦い方になるという訳だが、それが恐ろしく強い。

 未だに、どう勝つべきなのか分からない。だが、あれに勝たなければ目的を達成出来ない。

 サーバーを破壊する。リリーサーを統括しているその大元を叩く。それが出来なければ、リリーサーによる攻勢は終わらない。そして、攻勢が終わらなければ。

「世界が終わる、か」

 直接的で、幼稚な言葉だと思う。だが、それを訴えている時のトワは真剣だった。それしか形容する言葉を知らないと言わんばかりに、それだけはダメなのだと話すのだ。

 トワだけではない。AGSのトップであるミスター・ガロットも、そして恐らくH・R・G・Eのトップでもあるアイアンメイデンも。その終わりを見据えて、それをはね除ける為に戦っている。

 その為に、ミスター・ガロットは自分達とは違う解決方法を提示した。

 現存するリリーサーの殲滅だ。サーバーの破壊は、現段階では不可能と判断した。だが、世界の終わりを防ぐ方法はもう一つあるという。リリーサーを殲滅すれば、世界は終わらない。そう、ミスター・ガロットは言っていた。

 残るリリーサーは二人、一人はフィル・エクゼス、自分達も戦う事になるだろう、最強のリリーサーだ。

 そして、もう一人はトワだ。トワ・エクゼスと名乗る事にしたあの少女も、ミスター・ガロットは殺そうとしている。

 だから、事態はより複雑だ。リリーサーを相手にしながら、ミスター・ガロットが張り巡らしているだろう策も、くぐり抜ける必要がある。

 相変わらず、問題だけは腐る程にあるという訳だ。溜息を吐き、改めて見る物など何もない宇宙を眺める。手摺りに寄り掛かりながら、トワはどう思っているのかと考えを巡らせた。

 出会った頃と比べて、トワは凄く成長したと思う。まだまだ子どもっぽい所は沢山あるけれど、多くを学んで自分の物としてきた。誰よりも理解が足りないから、誰よりも考える。けれど、深く考えるという事は危険な行為でもある。

 あの少女は、どこか内罰的な面があるからだ。気を付けて見ていないと、誰も本人でさえ望んでいない結末を手繰り寄せてしまう。

 そんな事を考えていると、遠くの方から足音が聞こえてきた。スリッパと床が奏でる、気の抜けた音の持ち主なんて。艦内では一人しかいない。

「リオ、今の私ほかほかしてるよ」

 ぴっと手を挙げて、トワが開口一番によく分からない情報を教えてくれた。髪の濡れ具合から察するに、シャワーを浴びた後なのだろう。ぺたんぺたんと音を響かせながら、こちらの隣まで歩いてきた。こちらの右隣に、トワが同じように立っている。

 白いブラウスに、灰色のマキシスカートを身に付けている。ブラウスの方には控え目な装飾が施されており、どこか気品のあるデザインをしていた。足首辺りまであるマキシスカートは、腰の辺りにリボンのような造形が見て取れる。ちらと見える足首や踵は、黒いタイツに包まれていた。そこに黄色のスリッパを突っ掛けて歩くのがトワ流だ。

 お湯を通し、僅かに火照った顔に眼鏡は掛かっていない。視力は悪く、目に見える光景の殆どはぼやけているというのに。歩き慣れた場所は、こうして裸眼で動き回っている。

「トワ、ちゃんと髪乾かした?」

 隣に立っているから、その灰色の髪が湿っている事ぐらい分かる。

「ちゃんとではない。でもね、良しとした」

 ちょっと神妙な表情を浮かべ、トワはそう返してきた。

「面倒だっただけでしょ。本当に、トワはちょこちょこ手を抜くんだから」

 根っこがお嬢様かつ面倒臭がりなのだ。そういう所は、子どもっぽいままだ。

「違うんだよ。リーファがね、乾かしてくれなかったから。ふいってそっぽ向いてね。‘今、手一杯なんです。自分でやって下さい’って言うの!」

 つんと澄ましたリーファの表情と声色を真似しながら、トワはその時の状況を伝えてくれた。物真似の精度はともかく。もしかしなくても、リーファは何も悪くないと思う。

「リーファちゃん、髪長いし。自分の髪の手入れが忙しかったんじゃないの?」

「いつもやってくれるもの。寂しい!」

 寂しい。要するに、スキンシップが足りなかったという事だろうか。

「誰かに髪の毛やって貰うのはね、気持ちいいんだよ」

 やって貰い慣れているトワが言うのだから、間違いないのだろう。本人も自信ありげにしている。

「トワがリーファちゃんの髪をやってあげれば良かったんじゃないの?」

 考えなしにそう言ってしまったが、むうと膨れたトワの顔を見ればハズレだったと分かる。

「絶対にやだって言われた。あんまり触ると怒られる」

 その光景は、随分と容易に想像出来る。苦虫を噛み潰したようなトワの表情を見る限り、そこそこ試みているのだろう。

「リーファはね、時々怒るの。リオは何をやっても怒らないのに」

 トワはやれやれ、と呆れたようなジェスチャーをしている。多分リーファの方が正しいし、そこで引き合いに出されても困るのだが。

 まるで、母親か姉に叱られて拗ねているような。

「本当に、子どもみたいなんだから」

 その様子に微笑ましいものを感じ、思わずくすりと笑ってしまう。トワを真っ向から怒ってくれるのは、それこそリーファぐらいなものだ。

「リオ」

 そう呟きながら、トワはこちらの手を握ってもう一歩距離を縮めた。仄かに温かく、いつも通り柔らかい手が、ぴたりとそこに収まる。

「私が子どもだったら、リオだって子どもだよ?」

 そう言って、トワは嬉しそうな笑顔を見せてくれる。どちらかが大人だったら、もしかしたらご機嫌斜めになっていたのかも知れないが。どちらも子どもで、お揃いならそれで良し、という事だろう。そういう顔をしている。

「僕は、トワみたいに甘えたりとかはしないけど」

 そもそも、トワは結構甘え上手だ。

「でもでも、リオだってリーファによく怒られてるでしょ」

「それは、うん。結構怒られる」

 大体の場合、自分がしっかりしていないのが原因だ。そう考えると、二人揃って年下の女の子に叱られがちという事になるのだが。

「情けないような、そうでもないような」

「そうでもないよ。あ、リーファだ」

 さくっと答えを決めたかと思うと、トワはぴょこんと手を挙げる。しかも、なぜか繋いでいる方の手を挙げた。釣られて、或いは吊られるようにしてこちらの腕も挙がってしまう。

 二人して手を挙げている姿を見て、リーファは怪訝そうな顔をしている。まるで不審者を見るような目付きをしながらも、こちらに向かって歩いてきた。

 リーファの髪はきちんと手入れがされており、しっかりと乾いている。それでいて艶めいている黒髪を、いつも通り後ろに束ねてあった。

「何してるんですか、二人とも。仲良しアピールですか」

 トワは手を下ろし、ふふんと胸を張る。

「仲良しでしょ。これはね、リーファが来る挨拶だよ」

 リーファが、どういう意味ですかと視線で問い掛けてくる。

「ごめん、分からない。けど、リーファちゃんに来て欲しかったんじゃない?」

 当たらずとも遠からず、ぐらいの線はいってるだろう。よく分からないというような目をしながら、リーファは調製豆乳のパックを取り出した。

「リーファ、隣空いてるよ」

 そう言って、トワはぽんと隣の手摺りを叩く。自分とトワは、二人して手摺りに寄り掛かっているのだが。それに加わってくれというトワからのお誘いだ。

「どこもかしこも空いてるじゃないですか」

 調整豆乳のパックにストローを突き刺しながら、リーファは展望室を見渡す。リーファの言う通り、ここには三人しかいない。どこもかしこも空いている。

「どこも空いてるから、ここだって空いてるもの。私、一緒がいい」

 真正面から要望を叩き付け、トワはじっとリーファの目を見ている。ストローを咥えたまま、リーファはその視線をしばらく受け続けていた。そしてストローを口から離し、溜息を吐くと同時に肩を落とす。

「断りづらい雰囲気を出さないで下さい。断る理由もないですけど」

 トワの指定する場所へ、リーファも渋々身体を預けた。これで、三人で手摺りに寄り掛かっている謎の光景が出来上がった訳だ。リーファ、トワ、そして自分といった具合に並んでいる。

「リーファちゃんもシャワーだったの?」

 澄まし顔でストローを咥えているリーファに、そう問い掛けてみる。

「そうですけど。見てたんですか」

 じとりとした目で、リーファがそんな事を言ってきた。

「見てません。トワがリーファちゃんの話をしてたから」

 覗き魔認定を受けそうになっている。苦笑しながらそう返すと、トワが握っている手をくいと引く。

「リオが見てたら私、気付く自信ある!」

 任せて、と言いたげな目をしている。自信があるのは良い事だけど、そもそも覗かないという事にして欲しい。

「なんだ。狼狽えたりとかしないんですね。つまんない」

 そう言って、リーファは再び調整豆乳を飲み始めた。

「つまんないって、いきなり滅茶苦茶な」

 ストローから口を離し、リーファはこちらをちらと見る。

「それで、私の話ってなんですか」

 しっかり話は聞いていたようだ。トワがどんな風に言っていたのか、気になるのだろうか。

「リーファちゃんに怒られたって、トワが拗ねてた」

 こくこくと、トワは頷いて肯定を示している。リーファはもう一度溜息を吐き、今度はトワの方を見た。

「まーた拗ねてたんですか。私、髪を洗うの時間掛かるんですから。タイミングが合わない時は仕方ないじゃないですか。大体、トワさんが待ってればいいだけの事じゃないですか」

 むう、とトワは唸る。不服そうだ。

「待ったもの。ちょっとだけ」

「ちょっとだけじゃないですか」

 お互い一歩も譲らないといった様相だが、どう見てもトワが悪い。トワの言うちょっとだけは、かなり判定としては怪しい。

「リーファにやって貰いたかった。綺麗になるし、丁寧で大切にされてる感じになるの。それがね、嬉しいんだ」

 その時の事を思い出しているのか、トワがはにかんだような笑みを浮かべる。とんでもなく我が儘だが、当の本人には邪気がない。故に、こういう時のトワは最強なのだ。

「はあ。今度は大人しく待ってて下さい。幾らでもやってあげますから、しつこくしないで下さい。シャワーブースを勝手に開けるのもダメです」

 本当にダメな事をぽんぽんとやっているようだ。勝手にシャワーブースを開けられたら、誰だって怒るだろう。

「はーい。お利口になります」

 その言い方が、既にお利口ではないと思う。

「……何してるんですか」

 リーファの声に、何事かとそちらの方を見てみる。こちらの手と同じように、トワはリーファの手を握っていた。小さなトワの手が、それより少し小さいリーファの手と交わっている。

「お手々繋ぎ。ふふ、リーファの手かわいい」

 トワの手が、リーファの手を好き勝手にしている。その度に、リーファの頬が赤くなっていく。

「リーファちゃん、大丈夫?」

 どこか落ち着きのない様子をしているリーファに、そう問い掛けてみる。リーファはちらとトワを見て……嬉しそうな笑顔をしているトワを見て、ばつが悪そうにこちらに視線を寄越す。

「……誰かと手を繋ぐなんて、久し振りで。何だか恥ずかしい感じです」

 確かに、と内心で同意する。もう慣れてしまったというか、これがいつも通りというか。そんな思いでいるから平然としていられるが、冷静に考えると確かに気恥ずかしい。

「そう? 私はね、これ結構好き」

 でしょうね、と内心で同意する。トワにとって手を繋ぐという行為は、シンプルに信頼の証なのだ。口で言っても足りないし、黙っていても全部は伝わらない。だから、この少女は手を繋ぐ。

「まあ、トワが満足するまでは付き合ってあげて。っと、電話かな」

 ポケットに入れておいたPDA……個人携帯端末が着信を示す電子音を鳴らし始めた。《アマデウス》限定の、閉鎖的な端末だ。発信相手の候補は、そう多くはない。

 トワに取られていない方の手でポケットをまさぐり、PDAを取り出す。イリアからの着信だ。

「リオです、何かありました?」

 通話を許可し、相手の返答を待つ。イリアの声は、いつでも明るく深刻さを感じさせない音をしている。その筈だが、今はどこか緊張しているようにも捉えられた。

「……分かりました。向かいます」

 短い報告を受け、通話を切る。互いに多くは話さなかった。

「何か、あったんですか」

 その様子を見ていたリーファが、そう問い掛けてきた。

 トワも、心配そうにこちらを見ている。

「あった、かも知れない。詳しくは見てみないと分からないけど」

 そう答え、トワと視線を合わせる。

「……始まったのかも知れない」

 いつかどこかで、ファル・エクゼスが見続けてきた光景が。

 ただ一人きりで、フィル・エクゼスが見届けてきた光景が。

 世界の終わりとやらが、始まったのかも知れない。

 トワは何も答えずに。答えられずに。ただ、こちらの手を震える手で握り返した。

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