黒い空
「鏡鑑と光芒」
Ⅰ
地球の内外に点在する遺跡には、大きく分けて二種類ある。一つは、人類の足跡を示す歴史的に価値のあるものだ。そして、もう一つはそれに類似した、けれど足跡ではない何かだった。この二つを明確に定義する者は少ない。遺跡を、足跡を解き明かそうとしている者か、それの正体を知る者ぐらいだろうか。
要するに、末端の人間からすればそんな定義などどこにもない。違いも分からないまま、価値があるかどうかで定義される。
ここで言う価値とは、金になるのかどうかという一点しかない。遺跡に眠っている‘商品’は加工され、戦場へと羽ばたいていく。その加工品こそがBFSなのだが、それも末端の人間からすればどうでもいい事だった。言われた分の商品を掘り出し、発送する。それを狙う奴を追い払う。そして、それが給料となって返ってくる。それだけの話だった。
少なくとも、ここにいる人間はみんなそう考えている。
AGS所属のif操縦兵、ギリアム・ミラーもその一人だ。
地球……アフリカの辺境で発見された遺跡は、そういう意味では価値のある場所だ。‘価値’が確認されて直ぐに陣取り合戦が始まり、現状はAGSが保有している事になっている。
現状は、と表現するには訳がある。少し離れた所に、H・R・G・Eの部隊が駐留しているのだ。隙あらば奪う、敵国なら当たり前の行動でもあった。
「ハッ! 我が身かわいい傭兵集団が、国を背負ってる訳もねえのに」
特徴のある濁声が響く。狭い操縦席で、ギリアムが自嘲気味に呟いたのだ。国ではなく企業に雇われている。愛国心も何もない。そんな中で、前線で撃ち合いをしなくてもいいこのポジションは何かとお得ではあった。だが、どうしても薄ら寒い思いが浮かんでくる。今、自分達はなぜ戦っているのか。まるで分からない。
外は砂漠、足を伸ばせば採掘現場、そんな中で哨戒任務を遂行していた。if《カムラッド》で、決められたルートを歩き回る。正面のメインウインドウには、代わり映えのしない砂漠が映っている。サブウインドウにはグリッド表示された周辺図が投影されており、予定通りに鉄の兵士が歩いている事を教えてくれる。
『え、何ですか? 何か言ってました?』
哨戒のパートナー、ライムが通信越しにそう問い掛けてきた。隣を歩いている《カムラッド》の操縦席には、困惑気味の優男が眉をひそめてでもいるのだろう。
「熱くてしょうがないって喚いてたんだよ。俺のオンボロには、クーラーの一つも付けてくれないんだもんなあ」
そう嘯きながら、ギリアムは溜息を一つ吐く。実際に、この《カムラッド》の整備状況はひどいものだった。温度調節がうまくいっていないのか、装甲越しに蒸し暑い空気が漂ってくるようだった。ここは前線でもないし、撃ち合いなんて殆ど起きはしない。だから、物資は滞るし整備も順番待ち、必要最低限の修理や整備はやってくれているが、こういう所までは手が届かないらしい。
『こっちも、あちこちがたついてますよ。この状態で襲われたくはないですねー』
ライムの言葉尻には、そんな事はないでしょうけど、と続いているに違いない。そして、それはギリアムも同様だった。
「向こうのスナイパー、ローティスって言ったっけな。あいつ、こんな砂塗れの田舎は似合わない程の腕前でな。狙われたら厄介だぜ。これがまたぼんぼんと酒を呑む」
休暇の際には、中立地帯になっている街に繰り出すのだ。そこでは、色々と普段会わないような奴に会う。ローティスもその一人だ。
『H・R・G・Eの兵士に会ったんですか? 一応、軍規的にはグレーゾーンですけど』
根は真面目なライムが、そんな苦言を呈す。
「良いんだよ。軍もクソもあるか。大体、たまたま席が近かっただけだ」
『ああ。それで話が聞こえた、みたいな?』
合点がいったような声を出すライムに、合点は合点でも早合点だと鼻で笑う。
「違う。俺が酔ってAGSの操縦兵だって現地の女に話をしてたら、向こうから俺はH・R・G・Eの雇われなんだって隣に座ってきたんだよ。女は逃げた」
『グレーゾーン通り越してるんですが……』
ライムの言葉を流しながら、ギリアムはその時の事を思い出す。
お互い酒が入っていたという事もあるが、それ以上に俺達は似ていたのだ。国家が形骸化し、それでも生活を守る為に企業に雇われた。愛国心はない、仲間意識も言う程はない。ましてや敵が憎いわけでも、誰かを撃ちたい訳でもない。
ただ、やれる事がこういう仕事だっただけ。
「まあ意気投合してな。色々話してきちまった訳だ。ほら、この前に基地であった‘ケビンのifがデュラハン事件’あるだろ。あれ、ローティスの試し撃ちだ。おっかねえよなあ」
デュラハンとは、いわゆる首なし騎士という奴だ。要するに、待機中だったケビンの《カムラッド》が、そういう状態になったという。
『おっかない所の話じゃないですよ……ケビンが聞いたら怒りますよ』
「それで、俺は撃たないでくれよって言ったんだよ。そしたらローティスの奴、にやりと笑ってこう言ったんだ。‘オッケー、ギリー。俺は腕がいいからな。もしやり合うにしても、ガンマンよろしくイチモツだけ吹っ飛ばしてやるよ’ってな」
つまりこれを吹っ飛ばすという事だと、ギリアムの《カムラッド》は手に持った突撃銃をひょいと掲げてみせた。
『ただのキザ野郎じゃないですか』
溜息を隠そうともせずに、ライムがそんな言葉を漏らす。
「まあな。キザな言い方をする、見た目にもキザな野郎だった。だが不思議と様になってたし、嫌な感じはしなかったなあ」
それがローティスという男の良い所なのだろうと、ギリアムは考えていた。今度の休暇も、何だかんだ言ってひょっこり会うような気がしている。
要するに、自分達の戦争とはその程度の物なのだ。互いに生活の為に戦っているが、それ故に死ぬつもりは毛頭ない。相手を殺すつもりだってないのだから、こういう場所では適当に折り合いを付けて戦っている。誰が取り決めた訳でもない。似たもの同士から生まれ出た、暗黙の了解という奴だ。
『はあ。どうなんですかねえそれ。っと、通信ですね』
ライムの言葉通り、ギリアムにも通信が入っていた。こちらから取る必要はなく、勝手に通信回線を形成していく。周波数は基地から、何かしらの命令でも受け取ったのだろうか。
『HQより哨戒中のifへ。緊急です』
耳馴染みのある女性の声、基地本部勤めのオペレーター、その一人だ。
HQ……ヘッドクオーター、つまりは基地本部から。哨戒中のifとは自分とライムの《カムラッド》を示している。そこまでは、よく聞く常套句に過ぎない。だが、緊急という言葉は久しく聞いていない。
『指定ポイント……採掘現場からの通信が途絶えました。襲撃を示す通信が発信されましたが、詳細は不明』
オペレーターは、冷静に情報を伝える為に存在する。この女性もその一人であり、至極冷静にその緊急速報を伝えてくれた。
「遺跡が一瞬で獲られたって事か? ハッ! 冗談きついぜ」
『あそこにはifだって駐留してた。大部隊でも動かさない事には、そんなオチは付かないんじゃないかって思いますけど』
ギリアムの嘲笑に、ライムの理知的な意見が付け足される。両者とも、思う事は同じという訳だ。防衛部隊も駐留している、こうやって哨戒もしている。どんな襲撃を受けても、正確な情報を発信する猶予ぐらいはある筈だ。
『……詳細は不明です。私だって、これがおかしいって事ぐらいは分かります。ですが、本当に。これだけしか分かっていないんです』
オペレーターの声に、微かな動揺が滲んでいるよう思えた。緊急と言った理由が、ギリアムにも段々と分かってきた。異常事態、と言い換えてもいい。
「分かった。何をすればいい? 偵察か?」
そう返しながら、ギリアムはサブウインドウに指を重ねた。グリッド表示された周辺図を動かしていき、件の採掘場までのルートを再確認する。
『お願いします。今は、情報も錯綜していて混乱状態にあります。直接確認して、報告して下さい』
情報が錯綜している。その言葉が、ギリアムの中で引っ掛かった。
「どういう事だ? 混乱だなんて」
『周辺から被害情報が立て続けに入ったり、とにかく滅茶苦茶な事になっているんです。どれが正確なのかも、こちらでは判断が付きません』
「……大量破壊兵器か? 分からんな」
浮かんできた答えを呟きながら、ギリアムは《カムラッド》を動かし始める。中腰の姿勢を維持したまま、見当を付けたルートを素早く歩かせていく。ライムの《カムラッド》は、それに追従する形で動いている。突撃銃をいつでも撃てるように保持したまま、遮る物が何もない砂漠を進む。
何の妨害も、一発の銃弾も飛び交う事がないまま、当たりを付けていたポイントに辿り着けた。離れた位置から採掘場を視認する事の出来る、ちょっとした砂丘だ。
「さて、こいつがH・R・G・Eの仕業なら。頭を出した瞬間、ローティスに撃たれんのかねえ」
『洒落になってませんよ……』
ライムの言葉を流しながら、さっと砂丘の向こうを覗き見る。ギリアムの《カムラッド》は、狙撃を警戒してすぐに頭を引っ込める……という動きをしなかった。
「……なんだ、あれ」
それは、異常な光景だった。それ故に、動きを止める事しか出来なかったのだ。
『黒い、羽の生えた……』
ライムの呟きも、その光景が異常だと証明している。採掘場……遺跡の周辺は破壊し尽くされていた。しこたま爆撃を食らった後のように、地面は捲れ不揃いなクレーターが形成されている。
採掘用の機材も、駐留していたifも一緒くたに砕かれていた。それだけなら、まだ良かった。
問題は、遺跡を中心にして‘何か’が飛び交っている事だった。大きさはおよそ一メートル程度だろう。細長い楕円形のボディにから突き出すようにして、黒い薄羽が生えている。ボディ自体は光を反射する銀色に見えるが、そこから生えている薄羽は墨を垂らしたように黒い。
その不気味な‘何か’が、数え切れない程に飛び交っている。聖書にあるような、イナゴの群れを思い出させるような光景だった。
『あの建物の傍! 車両が一台動いてます! 生存者かも知れない、コンタクトを』
ライムの報告を受け、止まっていた思考が動き始める。崩れかけた建物から、残骸をはね除ける勢いでジープが飛び出していた。地面を捲り上げるクレーターに苦戦しながらも、あそこから逃げようとしている。駐留部隊か、作業員の生き残りだろうか。
「そうだな、直接話を……」
それが一番、正確な情報に繋がってくれる。そう思い、ギリアムは《カムラッド》で飛び出そうとした。
それをせずに済んだのは、それ以上に事態が早く片付いたからだ。
イナゴの群れが……銀色の身体に黒い羽を携えた‘何か’が、一斉に車両に食らい付いた。食らい付く、というのは比喩だ。高度を下げ、逃げようとするジープを追い掛けるように地面に激突していく。そして、激突した端から炸裂していくのだ。
誘導装置の狂ったミサイルが、出鱈目に降り注いでいるようなものだった。出鱈目でも、数があまりに多すぎる。倍数以上のクレーターを量産しながら、降り注ぐ‘何か’は遂に車両を粉砕した。
「……嘘だろ」
『なんだよ……なんなんだ、あれ』
ギリアムとライムは、その光景をうまく言葉に変換する事が出来なかった。理解の範疇にない‘何か’が、そこかしこを飛び交っている。
遺跡の周囲に建造されていた採掘場は、あれによって破壊された。あれだけ降り注いだのにも関わらず、数は減る所か増えている。
「ダメだ、考えろ」
そう呟き、ギリアムは思考停止した頭を無理矢理動かす。サブウインドウを新たに立ち上げ、今この目で見た光景を直接基地本部へ転送する。
「HQ、動画を確認してくれ。採掘場は全滅。敵は……正体不明。危険な……危険だ。とにかく、確認を」
『やばい、あいつらが!』
ライムの上げる、悲鳴のような声が響く。通信を切り、ギリアムはメインウインドウを見据えた。
飛び交う‘何か’が、こちらを見つけたようだ。何匹かが、先程と同じように高度を下げている。
「くそ、後退して迎撃するぞ!」
隠れていた砂丘から飛び出し、ギリアムとライムの《カムラッド》は来た道を跳ねながら戻っていく。形振り構わず走るか飛んでいきたい所だったが、前者は砂に足を取られるし後者は狙い撃ちにされる。
『ああ、何で、何だよこれ……!』
「俺が聞きたいぐらいだ! とにかく撃て! 近付かせるな!」
泣き言を吐き始めたライムに指示を飛ばしながら、ギリアムは照準システムを立ち上げる。
ギリアムの《カムラッド》が、高度を下げつつある‘何か’に向けて突撃銃を撃つ。その弾丸は何匹かの‘何か’を撃ち抜き、その場で炸裂させた。だが、それ以上の数が後方に控えている。あれが、全部ここに降り注ぐというのか。
『いやだ、畜生、いやだ!』
ライムの《カムラッド》が、半狂乱になりながらも突撃銃を撃ち続ける。‘何か’の数はその度に減り、減る度に増えていく。
「くそ、HQ! あれは何だ! どうすれば!」
ギリアムの《カムラッド》が、突撃銃の弾倉を交換してすぐに射撃を再開する。藁をも縋る思いで、通信を何度も入れる。
「応答しろHQ! あれはまずいなんてもんじゃ……!」
必死に怒鳴り、そして気付いた。返答がない。
その瞬間、後方から突き上げるような衝撃がギリアムを襲った。
『ああ、いやだ……!』
ライムの声が、同じ末路を辿った事を雄弁に伝えていた。
《カムラッド》の背中に、‘何か’が直撃したのだ。遺跡の方向は充分に警戒し、そちらを注視しながら後退をしていたのに。
警戒していなかった背中を吹き飛ばされた。つまり、考えられる答えは一つだけ。
「……空が」
体勢を崩したギリアムの《カムラッド》は、砂漠に寝転がるようにして倒れ込んだ。
そう、空は。いつの間にか‘何か’で埋め尽くされていた。基地本部も、休暇の度に繰り出していた街も。キザなスナイパー、ローティスがいるだろうH・R・G・Eの拠点も。みんなこの黒い空の下にある。
‘何か’自体は、銀色に染まっているというのに。黒く染まった羽の色彩を、鏡のように反射しているのか。こうして見ると、黒い空にしか見えないのだ。
『あ、あは。あはは』
地獄の底から響くような、感情の失せた笑い声が響く。ライムの発している声だと気付くまでに、少しだけ時間が掛かった。
そして、その僅かな時間が過ぎ去った後に。黒い空は一斉に降り注ぎ始めた。




