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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「困惑と黎明」
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後悔の報酬

あらすじ



 黒塗りの影をも、《アマデウス》は振り払った。しかし、その為に支払った犠牲は少なくはない。痛々しい傷跡に、新たな謎が染み込んでいく。

 その傷と謎は、二人にどんな影響を与えるのだろうか。


 浮上していく。

 医務室の白い天井が視界に入り、自身が目覚めたことに気付いた。身体に異常はない。手術は問題なく成功したようだ。上半身を起こし、状況を把握していく。

 患者衣が着せられており、右手にホワイトバンドが付けられていた。このホワイトバンドは一見するとただのゴム製リストバンドだが、常時検温やバイタルチェック行っており、異常数値が出た場合直ぐさま医者に伝わるようになっている。加えて、指定した時刻に指定量の薬物投与が可能になっており、看護負担を大きく減らしてくれるらしい。

 カーテンで仕切られた周囲を見渡していると、アリサがそれを開けて入ってきた。

「リオ、目覚めたのか。バイタルに変化があったから来てみれば」

 右手に付けられたホワイトバンドを見て、改めて便利な道具だと感じる。覚醒時の微妙な身体状況の変化を感じ取って確認しにきたアリサも凄いのだが。肝心のアリサは挨拶もそこそこにこちらの状態を確認していく。

「あの、アストさんは?」

 一通り確認し終えたのか、電子カルテに記入を始めたアリサに問いかける。

「無事だ。大分弱ってはいるが、きちんと休んでおけば問題ない。今日中には目が覚めるんじゃないかと思うが」

 電子カルテに目を落としたままアリサは答える。

「あの、どれぐらい経ってますか。それと状況は」

 記憶を整理していくが、前後も何も分からない。自分が医務室に運び込まれたことは、朧気ながら覚えているのだが。

「二日しか経ってない。敵との接触もないし、順調と言えば順調だな。ただ、航路は変更してあるらしい。目的地までもう少しかかるかもとイリアは言ってたな」

 それでは、あの黒塗りのBSの追撃はなかったということになる。妙な話だったが、今はその状況に感謝するしかない。

「そうですか。なんか変ですね」

「そうだな。叩けるもんはさっさと叩くのが定石なんだが。変と言えばお前も変だぞ、リオ。自分の怪我の具合は気にならないのか?」

 そう言うとアリサは、怪訝そうにこちらをじろりと見た。

「人の心配も結構だが、自分の面倒は自分で見るしかないんだぞ。いつまでも私の世話になりたいんなら止めはしないが」

「そういえば、怪我してましたね。何だか大丈夫そうですけど」

 アリサは溜息をつくと、人差し指と親指で五センチぐらいの長さを示してみせた。

「このぐらいの破片が脇腹に刺さってた。割といい刺さり方してたからすぐにくっつくよ。あと五時間ほど待って患部帯を取って、問題なければそれでよし。それまではあまり激しい運動はするなよ。ジェットコースターもダメだし、ifなんて以ての外だ」

「この艦内でどうやってジェットコースターに乗るんですか」

 左の脇腹辺りをさすってみるが、患部帯で固定されている以外変わった様子はない。

「あまり触るなよ。痛まないようにしてるが、開いたら痛いぞ」

 慌てて手を離す様子を見て、満足そうにアリサは頷く。

「その方がいいだろうな。少し外すぞ。カーテンは開けといていいな」

 そう言うと、アリサは出て行ってしまった。世界を覆っていたカーテンがスライドされ、医務室全体を見渡すことが出来る。隣のベッドにはカーテンが覆ったままになっている。恐らくあそこにアストラルがいるのだろう。

 暫くそのままにしていたが、一人になるとどうしても色々なことが頭を過ぎる。

 アストラルは無事なようだ。それを聞いて一安心だが、それはただ運が良かったからではないのか。当たり所が悪ければ、弾丸は直接アストラルを貫いていたかも知れない。

 何より、自分が初動で対応出来ていたのならこんな事態にはならなかった。あろう事か戦闘行動中に足を止めてしまうなんて。

 そもそも、あの恐怖心は一体何なのだろうか。あれさえなければ、問題なく動けていた筈だ。あれはやはり、トワが原因なのだろうか。

 トワは、どうして出てきてしまったのだろう。何もかも分からないが、それはトワなりの善意だろうと思う。そうでなくては、その行動の説明がつかない。

 トワは今どうしているのだろう。いつも気付けば一緒にいたが、自分がいない間はどうしていたのだろう。

 扉の開閉する動作音が思考を止める。スライドした扉の向こうに目を向け、来訪者の姿を捉える。

 透き通った白い肌に良く映える、真っ赤な虹彩をした眼がこちらをじとりと見据える。こちらに駆け寄る時に、肩口まで伸びた灰色の髪が柔らかく跳ねていた。

 白い少女、トワはどこか不機嫌そうな様子で、こちらのベッドに無遠慮に腰掛ける。

「トワ?」

 背中を向け無言のままでいるトワに話しかけるが、俯いたまま何も応えない。

「怪我して寝てるって」

 沈黙の後、トワは小さく声をこぼす。

「うん。もう大丈夫そうだけど」

 トワが振り返りながら、ベッド上に膝をついて乗り上がった。

「やっと起きた」

 その表情は不満なのか、不安なのか。どちらとも取れるが、それを解消できるのは自分だけだろうと思えた。

「心配かけたね」

 トワの頭を、ゆっくりと撫でてみる。表情が和らぎ、心なしか満足そうに見えた。こうして見ると、やはりただの女の子にしか見えない。

「噛んでも起きなかったのに。起きて良かった」

「うん、そうだね。噛んだの?」

 ベッドに乗り上げたトワはそのまま寝転がる。こちらの使っていた枕を問答無用で奪うと、それを抱いてごろごろとくつろぎ始めた。知らぬ間に端に追いやられていたが、満足そうなトワを見ているとまあいいかという気分になってくる。

 あの恐怖心など微塵も感じなかった。あれは、あの恐怖心は紛れもない事実としてそこにあった筈なのに。

「リオ」

 思考を中断し、トワの呼びかけに応える。トワは枕を抱いたまま、もの悲しそうな表情を浮かべていた。

「アストはまだ起きないの?」

 負傷したアストラルの姿が脳裏にちらつき、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

「まだ起きない。傷は大丈夫だって、アリサさん言ってたけど」

「私のせいだよね」

 目を伏せ、トワは呟く。あの戦闘のことは口に出したくなかったが、トワ自身が言ってしまった。やはり勘違いでも何でもなく、あの恐怖心はトワから生じたものなのだろう。

「誰のせいとかは、よく分からない。それを決められるのは、アストさんだけだよ」

 他ならぬ自分が、僕のせいだと考えているのに。説得力などありはしないが、そう答えるしかない。

「……そう」

 目を伏せたまま、トワは小さく応えた。若干の気まずさが残り、互いに何も喋らないまま時を過ごしていた。

「リオ。話が、なんだお前ら」

 アリサが再び来たが、押し黙ったままのこちらを見て怪訝そうな表情を向ける。

「まあいい。バイタルも安定してるし、部屋に戻ってもいいぞ。患部帯とホワイトバンドは外すなよ。また五時間後に呼び出すから、それまで自由にしてろ。服は横にある、患者衣で歩き回らないように」

 ベッド脇にカゴが置かれ、そこに着替えが用意されていた。アリサが取ってきてくれたのだろうか。

「了解です。ありがとうございます」

 寝転がったままのトワをちらと見て、アリサは続ける。

「トワ、何をしてもいいが左側は傷が開くからやめとけ。右側から好きにするといい」

 こくりとトワは頷く。何をしていいわけでも、好きにしていいわけでもないのだが。

 それだけ言うとアリサは背を向け、アストラルの方へ近付いていく。話は以上のようだ。

 アストラルを囲うカーテンが開かれ、深々と眠っている姿をさらけ出した。顔色は白く、あの快活な面影はない。手慣れた様子で状態をチェックしていくアリサがこちらをじろと見る。

「大丈夫だって言ったろうが。あんまり心配するな。どうにもならん」

 心中を見透かされたような言葉にどきりとさせられるが、アリサの言う通りなのだろう。今自分が出来ることはない。

 服に着替えるため患者衣を脱ぐ。左脇腹に患部帯が括り付けられており、それは思ったよりも大きかった。こうして改めて見てみると、自分も死んでいたかも知れないと言う考えが頭を過ぎる。その事に対して肯定も否定も出来なかったが、服で覆ってしまえば見えなくなる。見えなければ、考える事もない。

 服を着替え、ゆっくりと立ち上がる。思っていた以上に体が重く、久しぶりの直立姿勢は少し辛い。筋力もかなり落ちている気がする。傷が治り次第、アリサの鬼のような訓練メニューが待っているのだろう。

 アリサの忠告通り右側にトワを連れながら歩く。扉まで来たところで、後ろを振り返った。

 昏々と眠り続けているアストラルは、何を思っているのだろうか。その怪我は誰のせいか、アストラル自身はどう思っているのか。そしてトワに対しても、何を考えているのか。

「もうすぐ起きるかもしれないって」

 同じようにアストラルを見ていたトワがぽつりと呟き、ベッドに駆け寄った。

「だから、もうちょっといる」

 アストラルの傍に座り、その寝顔をじっと見つめ始めた。憂いに満ちた表情は、どこからどう見ても友人を心配する女の子の顔だった。

 だが、そうではないのだ。ただの変わっている女の子なら、こんなに気に病む必要などない。トワは一体何なのか、疑問は大きくなる一方だった。

 トワを残し、医務室を後にする。それでも。それでも信じていたい。トワが何者であれ、その本質は善意だと。

 そう信じる他なかった。





 ※


 それから数時間経った後に、アストラルはゆっくりとその目を開けた。

 今どうなっているのか。前後の記憶を探り状況の把握に努めたが、傍らに確かな温もりを感じてそれを中断する。

 アストラルの傍には、突っ伏した形でトワが眠っていた。無防備に寝顔を晒しているその姿に、アストラルは口元を緩めた。

 上体を起こし、アストラルがトワの頭にそっと触れる。灰色掛かった柔らかな髪をゆっくりと撫でるが、起きる気配はない。

 されるがままのその姿が面白くて、アストラルはせっせとトワの髪を三つ編みにしていった。

 小さくすらっとした三つ編みが、左耳の前を髪飾りのように装飾する。出来映えは上々、我ながら上手だとアストラルは満足げに寝顔を眺めていた。

 されるがままだったトワがゆっくりと目を開け、身体を起こす。その寝ぼけ眼のまま、ニコニコしたアストラルの顔をじっと見ている。

「おはよ、トワちゃん。ちょっと顔色悪いね、大丈夫?」

 アストラルがトワの頬をふにふにと触りながら言う。暫くそのままふにふにされていたが、ふと気付いたようにトワはアストラルの手を握った。

「アスト。この怪我は、私のせいだよね」

 手を握ったままトワは目を伏せる。その痛々しい様子を見て、アストラルは苦笑するしかなかった。

「うーん、どうかなあ。私は誰のせいとも思ってないけどね。まだばっちり生きてるし」

 そう言ってアストラルは、握られた手でトワの頬を優しく撫でる。顔を上げたトワに、幸せそうに微笑んで見せた。

「そう、なのかな」

 それでも尚寂しそうな表情を浮かべるトワに、アストラルは顔を近付けた。

「トワちゃんってさ」

 アストラルが、耳元で囁くように話しかける。

「助けたかっただけなんでしょ?」

 トワはこくりと頷くことで応えた。それを受け、アストラルは今日一番の笑顔を見せた。

「ならいいんじゃないかな。動機も何もそれだけあれば充分だよね。可愛い奴め」

 そう言ってアストラルはトワの頭を撫でる。そこで初めて、トワは自分の髪が少し違うことに気付いた。

 左耳の前で揺れる小さな三つ編みを、トワは不思議そうに触れてみる。

「ああ、ごめんごめん。勝手に結んじゃった」

 アストラルの謝罪を気にも止めず、三つ編みをいじるトワは年相応の女の子にしか見えなかった。そこが何とも可愛らしく、アストラルは満足げに微笑む。

「元に戻そっか? そのままでも可愛いけど」

 アストラルの言葉にトワは少し考えた後、首を横に振った。

「可愛いならいい。リオに見せる」

「そっか。それなら、早く見せてくるといいよ。あ、私が起きたってことも伝えておいてね」

 こくりと頷くと、トワは立ち上がって駆け出していく。それを満足げに見送ったアストラルは、空に向かって話し始めた。

「やっぱり、恋する乙女って感じだと思うけどなあ。どうなんだろ」

「恋愛感情そのものがまだ希薄なのかもしれないぞ。あの様子だと、時間の問題かもしれないが」

 その問いに答えたのは、電子カルテを持ったアリサだった。そのままアストラルの状態を確認していく。

「アリサさん、待っててくれたんですね。ありがとうございます」

 トワと話している間、アリサはずっと待っていてくれたのだろう。そのことに対して、アストラルは感謝したかった。

「別に、大したことじゃない。そういう気配りが出来てこその医者だろうが」

 素っ気なくアリサは返す。アリサにとっては普通のことをしただけなのだろう。

「トワちゃん元気になってくれたかなあ」

 空を見つめ、アストラルは呟く。

「自責の念は、他人が答えを出せないものだから。自分で納得のいく答えを見繕うしかない。その手助けしか私達は出来ないが、今はあれが限度だろう。充分救われてるよ」

 電子カルテに記入しながらアリサは答えた。素っ気ないままの返答だが、アリサなりの思いの形なのだろう。

 そうアストラルは考え、まだ所々痛む身体をそっと休めることにした。

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