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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「困惑と黎明」
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恐怖の代償


 断続的な振動が襲う《アマデウス》艦内。その中央に位置する医務室もまた、不規則な振動に苛まれていた。無重力と化した艦内では、振動の度に身体が浮かぶ。

 医務室の住人であるアリサは、緊張した面持ちで端末を操作していた。外部の状況を知るための行動だったが、その成果は表れていない様子だった。

 今日の医務室は珍しく客人がいる。その少女は机という概念をすっかりと端に追いやり、スケッチブックを広げ、宙を漂いながら絵を描いていた。

 その少女、トワにとっては時折襲ってくる振動など意にも介さない。アリサはその一心不乱な様子に苦笑していたが、またもや襲う振動に怪訝そうな表情を浮かべる。

「あまり良い状況じゃなさそうだ。どうしたものか」

 アリサとしては一刻も早く状況を知りたかったが、かといってブリッジに直接聞くのも気が引けるのだ。おそらく、向こうは向こうで大忙しだろう、と。

 しかしこのまま黙っているのも、とアリサが思案顔を空に向けていると、不意にトワの様子が変わった。

 周囲をちらちらと伺い、じっと空を見つめ始めた。視線の先には無機質な壁しかないが、その実、その視線を延ばしていけば他でもない、この振動を起こしている元凶が捉えられる。同室しているアリサにそれが分かる道理はなく、ただ異質な雰囲気を放っていたトワに困惑した表情を向けるしかなかった。

 どうしたのか。アリサが問いかけるのと同時に、トワは医務室から飛び出していた。

「トワ、待て!」

 アリサも同じように医務室から出て、後ろから声をかけるが止まる様子はない。トワが向かったのは格納庫の方向だった。

「トワが格納庫に向かってる! ミユリに伝えてくれ、私も追っかける!」

 PDAに向けて怒鳴り、返事も聞かずに格納庫を目指す。体力がない訳ではなかったが、今から追い付き、トワを止めることが出来るかどうかはアリサ自身、難しいだろうと考えていた。

 アリサが追いかけ、格納庫ではミユリが止める。ブリッジからはハッチの動作制限を掛け、とにかくトワをifに乗せないようにする。本来なら充分すぎる対処だが、トワに効くかどうかは、正直分からないとしか言いようがなかった。





 ※


 黒塗りの《カムラッド》、その操縦者は油断なくトリガーを引く。圧倒的に有利な状況だからこそ、相手の出方は分からなくなる。気を抜いたその瞬間、貫かれるのは自分自身かもしれない。この状況からの勝利は揺るぎないが、ここから勝利の質は大きく変わってくる。

 命令は依然‘いぶり出し’のまま、弾薬もバッテリーも無限にあるわけではない。そろそろ沈めるか否かを決めて欲しい所だった。

 警告音が響き、レーダーをちらと確認する。《アマデウス》からifが一機出撃したのを、律儀に報告してくれた音だった。

 この状況で増援は、珍しいことではない。少しでもBSを守るため、上げられる戦力があるなら幾らでも上げる。だが、そのifの意図はまったく分からなかった。

 《アマデウス》から出撃したのはif‐01《カムラッド》だ。自分達も使用しているベストセラー機だが、その装備は見たところ何もなかった。火器もなく、盾もない。徒手空拳のifなど、機雷以下の存在だ。

 だからといって見逃すつもりもない。ガトリング砲を向け、これまでと同じようにトリガーを引こうとした。それと同時に、その《カムラッド》が頭部を、こちらにじろと向けた。

 トリガーに掛けた指が止まる。無機質なカメラアイではない。その奥に潜む‘何か’を感じ、否応のない恐怖が身体に浸透していく。病的に跳ね上がり、早鐘のようになった心音が焦燥を呼び起こす。その心音が、更に心音を高めていく。

 あれは、危険だ。ただそうとしか考えられない頭は、とにかく逃げることしか考えられなかった。本能に導かれるまま距離を取り、荒い息を繰り返す。

 興味を無くしてくれたのか、《カムラッド》はこちらを見るのをやめてくれた。そこでやっと、少しは物を考えられるようになった。

 見られただけで、言いようのない恐怖に蝕まれた。あの《カムラッド》は危険だ。何がどう恐いのかはまったく分からないが、とにかく近付いてはならない。

 ならば、この距離からなら撃てるのだろうか。今は、砲身を向けるのすら躊躇っている。もしまたこちらを見られたら、今度こそ終わりかも知れない。

 どうしてという疑問が抜けたまま、抗えぬ恐怖は戦場に染み渡っていった。





 ※


 不意に黒塗りの《カムラッド》が動きを変えた。今までどんな場面でも冷静に、そして着実に行動していた四機全てが、三々五々に分かれていった。まったくまとまりのない、無駄な動きを晒している。ただ距離を取るだけであり、こちらへの掃射もぴたりと収まった。

『あれは、《カムラッド》。イリアさんじゃないの……?』

 アストラルの呟きがその理由を物語っていた。この状況下で出撃しようとするのは、イリアでなければ一人しかいない。

「トワ!」

 その名前を呼び、《カムラッド》がいるであろう方向へ急ぐ。《アマデウス》下部ハッチ近くに機影が見えた。あれは、自分の使っていた《カムラッド》だろう。

 無防備に漂う《カムラッド》には、戦闘の意志などまるで感じられない。

 腹部についた傷とは違う何かが痛む。戦場にいてはいけない存在なのだ。トワには、もうここに来て欲しくなかった。戦って欲しくないといった、単純な理由ではない。もうこれ以上、あんな事をして欲しくないのだ。ただの、少し変わった女の子だと。そう思いたいのに。そう思えないと分かっていても、それでも、これ以上は。

「トワ!」

 傍に寄り、短距離通信を繋げながら声を上げる。聞こえていないのか、周波数があっていないのか。返答はない。

 ひどく緩慢な動作で、その《カムラッド》がこちらに顔を向けた。機械とは思えぬ生々しい動き。そのカメラアイがこちらを捉えた瞬間、あの感覚が全身を支配した。

 圧倒的な恐怖が染み込んでいく。跳ね上がる心音に、締め付けられるような閉塞感を覚え、それに応じるかのように息が荒くなっていく。

 純然な恐怖は、思考さえも凍り付かせるのか。何も考えられなくなっていく頭に、身体も硬直したまま動かない。静止した世界の中でただ、心臓の音が時を早巻きに刻んでいった。

『危ない!』

 アストラルの怒号。コマ送りのように再生される世界。

 黒塗りの《カムラッド》、その一機が突撃しながらガトリング砲を掃射、いや乱射し始めた。狙いも何もない乱雑な射撃だ。しかし硬直した身体は動いてはくれず、黒塗りの《カムラッド》の体当たりをまともに受けてしまった。

 凄まじい衝撃に操縦席が掻き回される。脇腹に突き刺さった破片がぐいと押し込まれ、傷口が無理矢理広がっていく。あまりの激痛に声すら出ない。吹き出る血の量は少なくなかった。

 気が狂いそうな痛みに震えながら機体を制御し、突っ込んできた黒塗りの《カムラッド》を探す。それはガトリング砲を、トワの乗っている《カムラッド》に向けていた。

 トワの《カムラッド》に大口径の弾丸が殺到する。脳裏にじりじりとした感覚が浮かぶ。トワの《カムラッド》は棒立ちのままだ。いや、ゆっくりと手を掲げている。じりじりとした感覚が疼く。理屈でも何でもなく、トワは攻撃を防ぐつもりだと、そう無意識に感じた。

「あ」

 世界がいつものように回り出す。その射線に躍り出たのはアストラルの《ティフェリア》で、その流線的なフォルムを持った装甲に次々と弾丸が突き刺さっていく。

 小爆発を起こす《ティフェリア》の機影が色濃い死を連想させる。トワの《カムラッド》を庇ったのだと理解できるまで、随分と時間が掛かった。

『……リオ君!』

 アストラルの悲痛な声が操縦席に響く。その声に突き動かされるようにハンドグリップを握り、《オルダール》を操縦する。一気に距離を詰め、尚も掃射を続けようとする黒塗りの《カムラッド》をE‐7ロングソードで横なぎに斬り払う。操縦席を狙った胴体部への斬撃は、寸分の狂いなく命中した。真っ二つに分かれ、爆発もせずに宇宙を漂っている。

『さすが。頑張った甲斐、あったよ』

 途切れ途切れに聞こえるアストラルの声に、半壊した《ティフェリア》が重なる。

「アスト、さん。状態は、その」

 未だ出血したままの腹部を押さえながら、アストラルに問いかける。

『私、身体頑丈だから。言ったでしょ、もう中身は、普通の人間じゃないって』

 アストラルの声は今にも消えてしまいそうだった。《ティフェリア》の損壊具合を見れば、それが強がりだとすぐに分かる。

『そんな、ことより……敵は? こっちは計器が使えない』

 いつの間にか粒子砲撃は止んでおり、残る黒塗りの《カムラッド》も撤退を始めていた。今ここで退く意味は分からないが、これ以上の戦闘はこちらも耐えられそうになかった。

 出血が止まらない。意識の混濁を必死に食い止めようとするが、次第に痛みすら遠のいていく。

『……アスト』

 透明な声だ。今のはトワの発したものだろうか。呆然としているのが、声だけで分かった。

 朦朧とした意識の中、疑問だけが残っていく。何故トワは出撃してしまったのか、あの恐怖感は何なのか、そして……。

 トワという存在は、一体何なのだろうか、と。






 浮上していく。重さは変わらないというのに。

 身体は動かない。泥に浸かっているように、ただただ重い。

 小刻みに揺れる感覚だけが意識を掻き回していた。ひどく眠いのに、そのせいで眠れやしない。

 くぐもった喋り声が聞こえる。一方が怒鳴り、もう一方も怒鳴り返しているのか。何をそんなに慌てているのかは分からないが。

 小刻みに揺れる感覚が落ち着いた辺りで、怒鳴り声もなくなった。そこまで来てやっとここはどこか、自分は何をしているのかという疑問が浮かんできた。

 損傷した《ティフェリア》の姿が脳裏にちらつく。無数の弾痕が残り、痛々しく機体を装飾していた。

 目を開ける。徐々に意識が晴れていく中、自分の記憶を立ち上げていく。

 黒塗りのBSに、黒塗りのif。奴等と戦闘を行っていて、自分とアストラルは負傷した。靄のかかった視界を動かし、ここが医務室だと理解する。

「動くなよ、リオ」

 アリサの声が、先程とは打って変わって明瞭に聞こえる。そして、靄の外れていく視界にアリサの緊迫した表情が映った。

「裂傷が広がると危険だからな。今施術する」

 アリサが機器を準備する中、周囲を見渡していく。白い天井から白い壁に移り、用途も知らない医療器具を見た所で、隣のベッドにいるアストラルに気付いた。

 身体の各所に、大小様々な裂傷が見える。どれ一つとして浅くはない。人工血液で真っ青に染まったアストラルを見て背筋が凍った。

「アリサさん、アストさんが」

 呂律の回らない口で、一言一言を絞り出す。

「僕は、いいですから。アストさんを先に」

 どう見ても自分の傷の方が軽いというのに。

「お前が先だ。動くなと言ったろう」

「でも」

「でもじゃない。医者の判断だ、従え」

 静かだが、有無を言わせぬ口調。押し黙るしかない。

「アストラルは人工臓器や人工血液を使用している。出血量も少ない。むしろお前の方が、血は足りてないんだぞ」

 私、身体は頑丈だから。そう言ったアストラルの姿が、真横にいるアストラルの姿と重なる。青に染まったその身体は、他の誰よりも脆く壊れそうに見えた。

「麻酔を使う。続きは起きてからにしろ」

 傷の程度だけではない。自分が対応できていれば、する必要のない負傷なのに。

 再び意識が混ざり合っていく。目を開けていられず、そのまま吸い込まれるように意識は消えていった。

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