それを蹴り上げる
この光景にも慣れてきたと、リオはブリッジを見渡しながら考えていた。《アマデウス》はフロース・インダストリを充分離れてから、一旦その航行を停止した。それは、これからの進路を決める為に他ならない。
ブリッジには主要メンバーが集まっていた。整備士であるミユリと、軍医であるアリサ以外の全クルーだ。その二人も、通信回線によってこの場に参加している。
艦長席にはイリア、副艦長席にはクスト、通信管制席にはリーファが座っていた。操舵席にはリュウキ、武装管制席にはギニー、その間にはエリルが立っている。
そして、自分の隣にはトワがいる。薄手のパーカーを羽織っており、所在なさげに裾をいじっていた。
「それじゃ、本題に入る前に現状から話すね」
全員が注視している事を確認し、イリアが話し始める。
「《アマデウス》のメンテナンスと、if等々の整備は完了したよ。ついでに、ほら注目。エリルちゃんの腕も完治です!」
ばっと手を広げ、イリアはエリルを指し示す。
「迷惑をお掛けしました。シミュレーター上では問題なく動けましたが。後は、実戦で証明するのみです」
エリルらしい、実直な返答が返ってきた。右手首を左手でさすりながら、自信ありげな目が真っ直ぐと前を見据えている。
「ちなみに、四、五回程負けて俺は凹んでる」
エリルの隣にいるリュウキが、そんな補足情報を出した。シミュレーターの相手をしていたようだ。
「六回です」
エリル本人から訂正が入った。
「で、話を戻すとね。補給状況から見ても、戦えるのは後二回が限度だよ。それ以上は、どこかから工面しないとどうにもならない。そんでもって、工面出来る当てはもうないと」
つまり、実質二回の戦いで雌雄を決する必要がある。
「私達のやらなきゃいけない事は二つ。フィル・エクゼス……《スレイド》の打倒に、サーバーの破壊。さて、そこでサーバーについてなんだけど。トワちゃん、説明いい?」
サーバーを破壊するといっても、詳細な話を詰めるのはこれが初めてかも知れない。トワの様子をちらと窺うと、向こうもこちらに視線を向けていた。トワは頷き、広域レーダーの前まで歩いていく。
「ふわふわした話しになっちゃうけど。サーバーは、はっきりした場所にある訳じゃないの。えっとね。裏側みたいな、ここじゃない所から、無理矢理こう、こっちに引っ張り出すみたいな」
要領の得ない話ではあるが、黙って続きを促す。
「それでね、どこでも引っ張れる訳じゃないの。一番引っ張りやすいとこじゃないといけない。だから、ここ」
そう言って、トワは広域レーダーを指差す。その場所を、分かりやすいようにイリアがポイントする。
「ここに行って、サーバーを引っ張るの。出てきたら、それを壊す。私が見えたのは、それだけで」
それ以上は、やってみなければ分からない。尻すぼみに消えていったトワの言葉、その続きを胸中で続ける。
「注目して欲しいのはこの場所。地球を至近にした、絶対防衛圏内だよ。ここで騒げば、間違いなくAGSとH・R・G・Eどちらも来るね。それも、私達がポイントに到達する前に来る。忍び歩きにも限界があるし、ここは特に場所が悪いから」
つまり、どうしたって戦いは避けられない。二回の内、一回はここという訳だ。
「で、これ実は本題じゃないんだ。とりあえず、知っておかないといけない情報って感じでね。本題はこれ、《スレイド》についてだけど」
そう言って、イリアは広域レーダーを拡大する。《スレイド》の予測位置だろうか。ポイントされた光点が、妖しく煌めいている。
「結論から言うと、放っておけば倒せる。ミスター・ガロットが、手持ちの戦力で《スレイド》を倒す。それは、ほぼ間違いないと思っていいよ」
その言葉に、何人かが疑問を抱いたようだ。直接対峙したエリルや自分、トワもそうだろう。
「それも、その作戦の決行は近い。ここで、一番勝率の高い選択肢を提示しておくね」
イリアは言葉を区切り、全員の顔を順番に見据えていく。そして、最後に広域レーダーの前に立っているトワを見た。
「ミスター・ガロットの作戦決行と同時に、サーバーを破壊する。かなり大規模で繊細な作戦だから、付け入る隙は幾らでもある。手薄になった絶対防衛圏内を突破して、これを終わらせる」
その戦術は、確かに理想的に思える。だが、一番勝率の高い選択肢とイリアは言った。ならば、選択の余地がある筈だ。
「どうやって、フィルと《スレイド》を倒すの?」
そう、トワがイリアに問い掛けた。深く頷いたイリアを見て、その目に秘められた決意を見て。それこそが本題だと、ようやっと気付かされた。
「簡単な謎掛けなんだ、これって。直接戦っても勝てないのなら、直接戦わなければいい」
そう答え、イリアは広域レーダーを更に拡大する。
そこには、一つの軍事セクションが映し出されていた。《スレイド》との距離は、離れているが行けない程遠い訳ではない。
「AGS所有の軍事セクション、カソードF。前に、カソード・シリーズとは一戦やらかしたよね? あの、気持ち悪い有線砲が張り巡らされてる奴」
カソード・シリーズ、AGSの使用する制宙要塞とも言うべきセクションだ。多数のif運用能力に加え、張り巡らされた有線砲が壁のない宇宙に粒子の壁を築く。
「フィルと《スレイド》の行動論理は単純で、出会ったが最後殲滅のみ。それは、一個小隊でもセクションでも変わりはない。そうだよね、トワちゃん?」
イリアの問いに、トワは頷いて返す。
「なら、ここまで誘導してしまえば。これを潰さずにはいられないって事だね。それでチェックメイト、全部片が付くよ」
そこまで説明されても、いまいち状況が掴めてこない。無数のifを用いて、ご自慢の有線砲を起動させても。《スレイド》に対しては無力だろう。
「軍事セクションを潰すには、中に侵入しなくちゃいけない。そこまで誘導したら、もうそれで決着なんだ。後は、適度に足止めしながらスイッチを押せばいい」
イリアの手が、ぽんと電子キーボードを撫でる。
その瞬間、広域レーダーに表示された軍事セクション、カソードFから赤い球体が広がり始めた。それは瞬く間に広がり、周辺の宙域が赤に捉えられていく。
その不気味な光景を、固唾を飲んで見ている事しか出来ない。
「核分裂を、そのまま核兵器でやってのける。連鎖核爆弾、これで一帯ごと《スレイド》を焼き払う」
淡々とした口調で、イリアはそのトリックを明かした。
連鎖核爆弾、聞いた事もない兵器だ。
「そんな物騒な物、本当にあるのか?」
そう質問したのはリュウキだ。
「理論は昔から。実用化は、意味がないからされてない。と思いたい。思ってた。だって、これ絶対味方も巻き込むし。エネルギーとして活用するには、あまりにも強力過ぎるし」
つまり、やれない事はないという事だ。妄想ではなく、現実に。
「これ……ここの人達は知ってるんですか。自分達ごと、その」
リーファが、声を震わせながらそう問い掛ける。それだけ、あの赤い範囲はおぞましかった。
「知らないよ。一部の部隊は知ってるだろうけど、他は殆ど知らないと思う。それに、多分ここで投入される戦力はそんな事を考えている余裕はないと思う。だって」
答えながら、イリアはサブウインドウを立ち上げた。そこに映し出されているifは、見間違える筈もない。
「こういう手を使うと思うから。勝てないだろうけど、すぐにはやられないし、とてもしつこい。足止めにはぴったりだって、思ってるんじゃないかな」
そこには、自分が戦ったあのifが映し出されていた。弾丸を弾き、ただの突撃銃を一級品のハンマーに変えて見せたあのifだ。あの時の少年の声は、今も耳朶に残っている。
BFSとは似て非なる、未知のシステムを搭載したifだ。そして、それには恐らく子どもが搭乗している。BFSの前提がそうなのだ。その発展だろうあれも、子どもの命をくべて動いている。
「……それは、そんな」
リーファが顔を真っ青にして、両手を強く握り締める。
「その自爆攻撃を仕掛けたとして。勝率はどのぐらいになるんですか? 本当に、それで《スレイド》を倒せるのかな」
誰もが口を噤む中、ギニーがそんな質問をした。
「倒せるよ。これは、トワちゃんの行動を見ていれば分かる。トワちゃんは一回だけ、《スレイド》に組み付いて自爆しようとしたから。これは、その広範囲版だよ」
その光景は、この目で見たから覚えている。トワは《プレア》で《スレイド》に肉薄し、自爆という手段でそれを打ち倒そうとした。つまり。
「回避出来ない規模の爆発なら、《スレイド》を倒せる」
そう結論付ける事が出来る。こちらの出した答えにイリアは頷くと、肩を落として補足を始めた。
「フィルは多分、誘導には気付かない。《スレイド》は気付くかも知れないけど、これは《スレイド》にとっても初めての手だからね。エリルちゃんの仕掛け爆弾が、初めは通用したように」
この規模の爆発なら、気付いた時点で遅い。だからこそ、セクションの中に誘導された時点でチェックメイトなのだ。
「これが、ミスター・ガロットの考えた対《スレイド》用戦術だよ。大げさで回りくどいけど、確実に《スレイド》は倒せる。個々の練度だって必要ない」
気付いていてしまえば、確かに単純な手だ。一対一、一対複数で勝てない時点で、手はそれしか残されていない。個人を制すのではなく、空間を制してその中に個人を含める。
「だから、選択肢は二つ。傍観し、これを活用するか。或いは、ミスター・ガロットの邪魔をするか」
ミスター・ガロットの邪魔をする。埒外にあった選択肢だ。何人かも同じ思いだったのか、疑問を込めた目をイリアに向けていた。
「今、ここで。その作戦を妨害する事が出来るのは私達しかいない。数え切れないぐらい死ぬ。これまでもずっと、人は死んでいるのに。今更こんな事を気にするのも、おかしな話かも知れないけど」
首を横に振り、イリアは広域レーダーを睨みつけながら息を吸う。
「こんなのは間違ってるって、間違いなんだって私は言いたい! だから、これは選択しないといけないんだ」
もう一度クルーの顔を見渡し、イリアは最後の言葉を突き付ける。
「傍観か、妨害か。利用するか、全部蹴っ飛ばして私達だけで何とかするか。みんなはどう? どう考えた?」
全部蹴っ飛ばす。対《スレイド》用戦術を否定し、それを妨害すれば。当然、フィルと《スレイド》は生き残る事になる。そして、決着はこちらで付ける事になるだろう。
現実的ではない。元々少ない勝率を、更に下げるようなものだ。
それに、これは二回の内の一回だ。ここで戦えば、まともに戦えるのは一回のみ。その一回で、《スレイド》の打倒とサーバーの破壊を成し遂げなければならない。
現実的ではない。でも、だけど。
「……そんなの嫌だ。私は嫌」
トワの声が、組み上げられた理論に波紋を刻んでいく。
「だってそうでしょ。これは私の戦いだもの。私が、私の我が儘で戦ってるのに」
ミスター・ガロットに言われるまでもないと、トワは言外に告げていた。そう、そうだった。この子は逃げない。
イリアを真っ直ぐに見据え、トワは自身の胸に手を置いた。
「知らない振りなんて、出来る訳ないでしょ! こんなの、全部私が蹴っ飛ばしてやるんだから!」
相変わらず、根拠も何もない。だけど、それが正しいのだと思わせるような言葉が、冷たい理論を打ち砕いていく。
そして、イリアも同じように感じていたのだろう。
「‘くるみ割り人形’のように?」
トワの言葉を、視線を真っ向から受け止めながら、イリアはそう返した。
「そう。‘くるみ割り人形’のように!」
滅茶苦茶な標語の応酬は、何よりも雄弁に答えを語っていた。
「ま、そうなるよなあ。実はそうなんじゃないかって思ってた」
そう、リュウキがあっけらかんとした様子で言う。
「大体分かってくるよね」
ギニーも同じように返し、隣にいるエリルをちらと見る。
「《スレイド》の足止めでも、エースの相手でも。何でもこなしますよ。顔も知らないとはいえ、同僚が吹き飛ぶ所は見たくありませんし」
気負った様子はなく、自然体のままエリルはそう答える。
「私に出来る事、少ないとは思いますけど。こんなの、私だって認めたくないです。だって、そこにいるのはいつかの私だから」
リーファの答えは、悲痛な色を帯びていた。人体実験の末に開発されたBFSを、更に発展させた未知のシステムだ。それに搭乗する子ども達は、かつてのリーファと同じ立場にあるのだろう。
『死なせないように戦うのは結構だけど。根を詰めて死なないように。軍医の私が言えるのは、結局それだけだ』
通信回線越しに、アリサがそう苦言を呈す。死んだら助けてはやれないという、軍医の懇願でもある。
『ifやプライアは完璧だ。少数精鋭、一騎当千……は言い過ぎか。まあ、手段については心配するな。やれる事はばっちりやってる』
同じく通信回線越しから、ミユリがそう返す。いつも通りの、背中を叩いて押し出してくれる整備士の矜持だ。
僕はどうすべきか。どう考えたのか。決まっている。
「トワの‘くるみ割り’に付き合います」
トワがトワの我が儘で戦うのなら、これは僕の我が儘だ。その思いは、一切変わっていない。
「ふふ、それ語感がいいわね」
こちらの言葉に対して、珍しくクストが笑顔を見せた。
それに対し、イリアもにやと笑みを浮かべる。
「語感は確かにいいね。じゃあ、こうしよっか」
そう言うと、イリアは電子キーボートを軽快に叩く。立ち上がったサブウインドウには、件のカソードFの他に名前が刻まれていた。
「おぺ……オペレーション・なっつ、くらっく?」
トワが、その名前をたどたどしく読み上げる。あれだけの啖呵を切ったのに、もういつものふわふわさを発揮していた。
「オペレーション・ナッツクラック。納得も理解もするけど、ふざけるなって足を振り上げる作戦だからね」
イリアがその名を読み上げ、トワに向かってウインクを寄越す。
「クラッカーじゃなくクラック?」
クストがイリアにそう問い掛ける。
「うん。語感がいいから」
にこりと笑ってイリアはそう返す。細かい事は気にしないという意味だろう。
「さて、それじゃあ始めよっか。全部蹴り上げる為の作戦会議って奴を」
選択肢は決まった。後は、その果てにある結果を最善の物にするだけだ。
新たに立ち上がったサブウインドウの中で、それらを見据えるトワを眺める。
本当に、この子は強くなった。




