大人げない笑顔
工業セクション、フロース・インダストリの様相を一言で表せば、ただの住宅地と言えるだろう。工場地帯に行けば評価は変わるかも知れないが、自分もトワも工業に興味がある訳ではない。
だから、向かうとしたらこっちで合っている。そんな事を考えながら、リオはトワを連れて歩いていた。
平和というのはそれなりに商標価値が高いのだろう。住宅地は穏やかで、親子が連れだって歩いていた。ショッピングモールのある地域は活気があり、それすらも生活の延長だと人々の顔には書いてある。これが私達の当たり前だと、人間らしい生活だと主張するように。
住宅地をうろつくのもおかしいだろうと判断し、ショッピングモールの中を二人で歩いていた。この区画の物流を任されているだけあって、相応に広く品揃えもいい。
まあ、あまり品揃えは関係がないのかも知れない。隣でクレープを頬張っているトワを見ていると、そんな風に思えてくる。今は、ショッピングモール内のベンチに二人で腰掛けていた。食べ歩きという選択肢はない。トワには危険過ぎる。絶対に転ぶ。
「ん? なあに?」
クレープを頬袋に詰めながら、トワはこちらの視線に気付くとそう言った。黄色のフレームで装飾された眼鏡の奥で、赤い目が興味ありげに輝いている。
白いブラウスに灰色のマキシスカート、その上から深い赤、ワインレッドのケープを羽織っている。小さな足を包むタイツやベージュのブーティも、大人びた印象を与えてくれるアイテムの一つだ。そんなお洒落な服装をしているのに、当の本人は頬袋まで活用してクレープを食べている。
「トワの食べてるとこ、見てると落ち着くなあって」
嘘ではない。一口ずつとか、そんな上品な食べ方などトワはしない。目一杯頬張って、クレープを口から離さずに空きスペースが出来るまで待っている。小さな口でそれをやるものだから、唇やら頬にクリームがくっついていた。
「落ち着くんだ。ふしぎー」
大して不思議に思っていない時の言い方だ。にこにことご機嫌な様子で、またクレープを頬袋に貯め始める。
子どもよりも子どもっぽい食べ方で、トワはクレープを一つ平らげた。
「んー」
指や唇、頬にクリームを付けての完食だ。トワはとりあえず、指に付いたクリームを小さな舌で舐め取っていた。
どこかで見た事のある動きだ。例えば、そう。猫が前足を毛繕いしているような。そんな、小動物的な動きだ。あまり行儀は良くない。
まあ、こうなる事は予測済みだ。お店からあらかじめ貰っておいたペーパータオルを取り出し、それを拭おうとする。
「あ! ちょっと待って」
その動きを察したトワが、こちらの動きを制止する。トワは自身の指でクリームの付いた唇を撫で、それをまた口に運んでいた。拭われる前に、食べようという事だろうか。
もったいないと思うなら、もう少し綺麗に食べればいいのに。そんな事を思いながら、トワが頬に付いたクリームを探り当てるのを待つ。
「お姉ちゃん、赤ちゃんみたい! かっこわるい!」
そんな中、あどけない声がトワの動きを止めた。
そこには、まん丸の目を輝かせた少年がこちらを見ていた。
「お母さん言ってたよ! べたべたに汚れちゃうのはかっこわるいって! 赤ちゃんの食べ方なんだよ!」
少年は興奮したようにそう続ける。間違っているから、教えてあげなくちゃいけない。そんな意気込みを感じさせる勢いだ。
トワは少年と視線を合わせ、何やら考えている。
まあ、第三者の意見としては真っ当だ。トワの食べ方は子どもっぽいし、この有り様は赤ん坊のようでもある。格好良くはない。
トワがどう答えるのか気にしながらも、頬に残っていたクリームを指で拭う。指で拭ってから、ペーパータオルで拭こうと思っていたのだ。しかし、トワはその指をあむと口に含んだ。適度な温度に保たれた口内で、小さな舌がゆっくりとクリームを舐め取る。
あまりに一瞬の事で、こちらは呆然とするしかない。
「……赤ちゃんみたい、でしょ?」
こちらの指を咥えたまま、トワは目を細めて魅惑的な笑みを浮かべる。小悪魔そのものといった笑みと仕草で、少年にその言葉を突き返した。
少年は何も言わず、顔を真っ赤にして走り去っていく。それを見届けると、トワはこちらの指から口を離した。
「ふふん、私の勝ちー」
本当に大人げない。ペーパータオルで自身の指を拭ってから、もう一枚をトワの手に握らせる。
「いいから、それで手を拭いてね。本当に赤ちゃんになっちゃうよ」
残っている一枚で、トワの唇や頬を拭う。その間に、トワは手や指を綺麗にしている。
「赤ちゃんって見た事ないなー。いるかな?」
興味ありげにトワは周囲を見渡す。
「いる事にはいるだろうけど」
さっきのような少年がいるぐらいだ。探せばいるだろう。
しかし、あの少年には悪い事をした。色々と悪影響を与えていないといいのだが。
「あんまり変な事しないように。というか、何であんな事を」
いきなり挑発的に微笑み掛けるなんて、どういう対処法だろうか。
「悪い笑顔の事?」
トワの中でも、悪いという言葉が付いてくる微笑みのようだ。トワは目を細め、魅惑的に微笑んで見せる。
「そう、それ」
表情の使い分けも自由自在となったのか。本当に末恐ろしい。
「これはねー。怪しい人対策だって。何か話しかけてきたら、こうやって笑って、適当に何かを質問すればいいんだって。そうすると、大体逃げるか動けなくなるんだって!」
凄いよね、と言わんばかりにトワは目を輝かせる。大した護身術だ。絶対にイリアとリーファが教えたに違いない。
「それ、逃げないで向かってきたらどうするの?」
こくりとトワは頷き、右足をひょいと伸ばす。
「詰め寄って、股の間を思い切り蹴り上げろ! って言ってた。ええと、‘くるみ割り人形’のように!」
意味の分かっていないだろうトワの言葉は、それ故に怖ろしい。対処方法がどちらも過激なのだが、そうなると物理的な被害がない方がいいのだろうか。
「どっちもあんまりやらないように。そんなに危ない人もいないよ、多分」
観光用のリゾート・セクションと違い、ここは生活の延長だ。隣近所の顔ぐらいは知っている仲ならば、怪しい人間などとうに割れている。
「あれはね、だって仕方がないもの。激しい言葉の応酬?」
いたいけな少年相手に応酬した事が問題なのだが、その辺りトワにとっては平等らしい。
「まあ、いいけど。まだ何か食べる?」
そう問い掛けると、トワは少し考え、道の向こう側を指さす。
「あっちからね、ポテトの良い匂いがするの。たまには良いでしょ?」
甘い物ばかりではなく、塩辛い物もたまにはいい。そういう意味だろう。
「それには賛成。じゃあ行こっか」
使用済みのペーパータオルを丸め、手の平の中で小さく一つにする。
「うん! いこいこ!」
ぴょんとベンチから立ち上がり、トワはきらきらとした笑顔をこちらに向ける。
「そっちの方がかわいい。小さな子相手には、その笑顔の方が効くと思うよ」
ベンチから腰を上げながら、きらきらしたトワに向かってそう言う。
トワはぽかんとした後に、照れ臭そうにそっぽを向いた。
「そ、そう? ふうん。リオがそう言うなら、それでもいいけど」
ちょっと頬を赤らめて、トワはそう返してきた。黙っていればぞくりとする程綺麗で大人びていて、喋れば子どもっぽくてかわいい。その癖、要所要所ではこうして年相応にも見える表情を見せてくれる。
本当に、出会った頃とは違う。全てが違う訳ではない。あの頃のまま、そっと包み込んでくれるような気配は今も変わっていない。だけど、ずっと明るくなった。きらきらとトワらしく、輝いているようになった。
「……よかった、本当に」
こうしていられるように、ここまで歩いてこれた。足を止め、時に戻りながらも、何とかここには辿り着けた。
後は、どこまで歩いていけるかだ。出来る限り一緒に、その輝きを絶やさぬように。
少女の手を取り、また一歩踏み出した。




