金の卵
《アマデウス》 ブリッジには、幾つかのサブウインドウが形成されていた。溢れ出る情報の波を塞き止めている物でもあるし、その発生源でもある。
相変わらず常人離れしていると、リュウキは肩を竦めた。操舵席に腰掛けたまま、中空に浮かんだサブウインドウの一つを眺める。やはり、詳しい事は何一つ分からない。
これらは全て、艦長席で難しい顔をしているイリアが作り出した物だ。あっちにメモしてはこっちにメモをして、向こうの数式は勝手に数が変わっていく。イリアがやっている以上、何らかの意味はあるのだろうが。端から見ていると、全くその意図は読めない。
「何が何だか分かりませんね」
操舵席の隣、武装管制席のコンソールに身体を預けながら、エリルがそう呟いた。時折、吊ったままの右腕が気になるのか身動ぎしている。
本来そこの席、武装管制席に座っていたギニーは、早々に退出していた。入れ替わるようにエリルがやってきて、いつものポジションについたという訳だ。
「だよなー。ま、時々あるんだわ。俺は情報磁気嵐って呼んでる」
リュウキはそう答えながら、エリルの様子をそれとなく窺う。前回の戦いの折、色々あって怒られた訳だが。この通り、彼女に変わった様子はない。あの日以来、変わった事は何もなかった。いつものように会話するし、冗句も言い合う。
「いや、一方的に言ってるだけか」
少なくとも、エリルが冗談や冗句を言っている場面には遭遇していない。彼女がそういう事を口にす時は、色々と追い込まれている時だ。そう考えると、まあ良い状態なのかも知れない。
「はい? 一方的なのは知ってますけど」
疑問符を浮かべたエリルに、リュウキは曖昧な笑みを返す。今ブリッジにいるのは三人だけだ。自分とエリル、そして絶賛仕事中なイリアという内訳になっている。
「それで、考え事は一体なんだい? 三人寄れば何とやらって、イリアさん知らない?」
難しい顔をしたままのイリアに、リュウキは気さくに問い掛ける。もっとも、ある程度は分かっていた。まず間違いなくミスター・ガロットの言葉、その真意を推し量っている。
《アマデウス》は作戦を成功させた。AGSの通信設備、その中継ポイントを強襲しクラッキングを仕掛ける。その結果、ミスター・ガロットへの直通回線を得る事に成功した。
そこからもたらされた情報の数々は、こちらを混乱させるには充分な物だった。
「三人寄ったらどうすんのよ。こっちは総合的に考えてるの。あの男を喋らせたのは失敗だった。ううん、私が。ミスター・ガロットに押し負けた」
イリアにしては珍しく、後悔と怒りが同居している。そうリュウキは解釈し、無理もないと頷く。
様々な答えを想定し、イリアはこの交渉に挑んだ。やり手と知られる、ミスター・ガロットとの一騎打ちだ。恐らく、通常の交渉であればイリアが勝っていただろう。この中で一体誰が、あんな内容を想定していただろうか。
「三人寄れば文殊の知恵って、俺の国の言葉。一人より三人の方が良いアイディアが出るぜって感じの事。多分。俺もうろ覚えだけど。ほら、ちょうどここに三人いるじゃんか」
そう返しながら、リュウキはミスター・ガロットの話した内容について思い返す。
ミスター・ガロットはリリーサーを知っていた。その記憶を、どうにも普通ではない手段で引き継いでいるらしい。そしてどうやら、対リリーサーを主眼に置いて動いているというのも、何となく伝わった。
ともすれば、目的は同じという事になるのだが。どうも、描いている終着点に違いがあるらしい。
「リュウキ、あまり艦長の邪魔をしない方がいいのでは?」
エリルが容赦なく正論で突き刺してきた。リュウキは苦笑し、邪魔にだけはなりたくないもんだと胸中で呟く。
「いや、だってさ。いきなり昔話なんて聞かされても、何考えていいか分からないだろ。ミスター・ガロットの話は、あまりに情報量が多すぎる。だがまあ一番の問題は」
「実体がない。確かめようがない。でしょ」
弁明しようとしたリュウキの言葉を拾い上げ、イリアがそう続ける。
「そこがまあ、泣き所だよね。嘘だとしたら大した物だけど。これに関しては一つ方針を立てたんだ。正直、嘘か本当かはどうでもいい。現実問題、ミスター・ガロットは何をしでかすつもりでいるのか。そこだけを見る」
そう言って、イリアは一つのサブウインドウを拡大した。その数字の羅列を睨みながら、リュウキは意味を解こうとする。数、規模、兵力図だろうか。
「そうですね。彼はリリーサーの全滅を目標に据えています。個人的に気になるのはその方法です。ミスター・ガロットは、《スレイド》を倒すつもりでいます。私達の助力など、端から求めていませんでした」
エリルの言葉に、イリアは強く頷いた。そこが主の問題であり、一番の誤算でもあった箇所だ。ミスター・ガロットがどんな結末を描いていたとしても、フィルと《スレイド》の打倒は必須だと踏んでいた。そして、その場合に《アマデウス》の存在が生きてくる。リリーサーと同等までとはいかないが、現行のifを凌駕する性能を有した兵器を二機抱えているのだ。
《スレイド》を倒す為には、どうあれ協力するしかない。その前提は、どんな条件でも崩れない必殺のカードになる筈だった。それを、ミスター・ガロットは不要と斬り捨てたのだ。
「で、この数列って事ねえ。AGSの全兵力か?」
最早数える気も起きない。リュウキは問い掛けながら、内容を説明してくれとイリアに問う目を向ける。
「人類の全兵力だよ。要するに、AGSとH・R・G・Eの戦力予想図って奴。リリーサーの全滅を目的に動いているのなら、H・R・G・Eとも手を組んでると思うし」
しれっととんでもない事を言っている。リュウキはどういう事かと思案を始めるが、その答えを待たずにイリアが説明を始めた。
「何となく、そっちの方がしっくり来るなあって。国と国で戦ってる訳じゃないんだよ? 企業と企業が、国家の真似事をして戦っている。企業には、国家の持つしがらみやプライドなんてない。端的に言えば、儲けるか損をするかの話でしょ」
恐らく、イリアの中ではもう決着のついた事柄なのだろう。或いは、ずっと前から心に抱いていた疑問が、ここに来て答えを得たのか。
「そもそも、この戦争の発端はどこにあるのか。if戦争、初めて戦闘にifが用いられたから便宜上そう呼ばれてるその戦争も、結局は企業が引き起こした戦争だった」
歴史の授業を振り返る必要もないとリュウキは手を握り締める。なぜならそれは、この身で学んできた事だからだ。
四つある大企業の内、一つが平和に傷を付けた。確か、アーレンス社とかいう大企業だ。歴史的な奇襲作戦、その世界記録を更新する勢いで攻め立て、同じ大企業を実質的に支配した。
残された二つの大企業、ロウフィード・コーポレーションとルディーナは同盟を組んだ。それぞれの戦闘部署を輩出し、アーレンス社と戦った。それが、第一次if戦争と呼ばれる大戦の一つだ。
第一次if戦争は、ロウフィード・コーポレーションとルディーナの勝利で終結した。だが、傷の付いた平和は実に腐りやすい。解体されたアーレンス社の所有する利益、その分配で両社は決裂、武力行使に出た。
それが第二次if戦争……今、自分達が戦っている、いや戦っていた戦争の名前だ。
「相手より多くお金が欲しいから戦争しよう、なんておかしな話でしょう。戦争は、それ以上にお金が掛かるのに。企業から見て、利益と損害の帳尻が合ってない。だから、これは共謀してる。何か目的があるのかも、とは思ってたけど。まさか、企業のトップが見た事のない相手と戦争しようなんてね」
そう言って、今度はイリアが苦笑した。
「しかも、その相手が実在している。実在してしまった。だから、私は今こう考えてる」
言葉を区切り、イリアがリュウキを真っ直ぐ見据える。その目が、あの戦争を超えてきた者には酷だけど、と言っているような気がした。
「この戦争は仕組まれた。ロウフィード・コーポレーションとルディーナ。ミスター・ガロットと向こうのトップは、一つの目的を達成する為に全人類を巻き込んだ」
それが本当だとしたら、どう反応すべきなのだろうか。怒りもある、悲しみもある。だが、結局リュウキは苦笑するしかなかった。
「人死にもわんさか起きてるのに、ただのごっこ遊びだったって訳か? 嫌だねえ」
肩を竦め、リュウキはイリアにそう返す。こちらを気遣っているイリアに、お互い様だろうと目で返す。大なり小なり、俺達は失ってきたのだ。
「する必要のない戦争って奴だね。でも、ミスター・ガロットはそう思ってはいない。向こうのトップもね。全てはこの為に、リリーサーに対抗する為にやった事だよ。そう考えるしかない」
理解は出来るが納得は出来ない、そんな内容に聞こえる。だが、切って捨てる事は不可能だ。リュウキはそう考え、だってそうだろうと胸中で続けた。自分を含め、《アマデウス》はトワを拾い、リリーサーと実際に戦っている。その脅威を存在を、誰よりも知っているのは俺達だ。
「そうだとしても。リリーサーに勝てるとは思えませんが。この兵力をまともにぶつけても、どうにもならないのがリリーサーの厄介な所です」
中空に映し出されたサブウインドウをつぶさに観察しながら、エリルはそう言った。それは、AGSとH・R・G・Eの戦力予想図だ。リュウキもそれを眺め、予想とはいえ、大層な数だと鼻で笑う。
リリーサーの乗機、プライア・スティエートはどんな損傷も立ち所に修復してしまう。それに加え、どうも操縦者の疲労等も巻き戻せるらしい。それはつまり、何度ifをぶつけても、相手は消耗をしないという事だ。
故に、倒すには一撃で操縦席を穿つしかない。修復する間も与えず、中のリリーサーを直接消滅させる。
「俺はやり合ってないから何ともだが。フィルと《スレイド》ってのは、俺達が撃破した《メイガス》よりも厄介なんだろ? 本当に勝てるのかねえ」
リプル・エクゼスと《メイガス》ですら、辛勝と言う他ない終わり方だった。正直、あれ以上の相手と言われても想像出来ない。
「無理だって、そう思ってたんだけどね。こうやって改めて見ても、やっぱりよく分からないなあ。これでどうやって勝てるのよ……」
イリアが頭を抱えて考え込むなど、とても珍しい状況だ。だが、それも納得出来る程に説明が付かない。
「リオの言っていた、新手のシステムはどうです? 弾丸や槍を防ぐとか、攻撃にも転用してきたとか」
エリルの言っているシステムとは、前回の戦いの折にリオが遭遇した物だ。ifのレコーダーを解析し、映像も全員で確認済だった。
「あれかー。ほい、リュウキ。答えをどーぞ」
苦笑いを浮かべ、イリアはそう振ってきた。
「リオに勝てないシステムが、リリーサーに通用するのかねえ。実際に《スレイド》とやり合った、エリルの嬢ちゃんの見解はどうよ?」
強力なシステムなのかも知れないが、結果を見ればその程度だ。あの距離、あの状況でのリオはべらぼうに強いが、リリーサーはそれ以上に厄介だろう。
そう考え、今度はエリルは振ってみたのだ。エリルはじっと考え、首を横に振った。
「あの子との戦いは、少し感じが違うというか。今になって思い至る、という程度のものですが」
情報なら何でも歓迎といった様子で、イリアがこくこくと頷いて続きを促す。エリルも頷き、ゆっくりと話し始めた。
「前回の戦い、リプル・エクゼスと《メイガス》の戦いですが。あの時は、リプルと戦っている、という印象でした」
当たり前の事だ。だが、エリルが言いたいのはそこではないだろう。
「フィル・エクゼスと《スレイド》との戦いは、少し違います。フィルと戦っているという印象でしたが、常にもう一人からプレッシャーを与えられていました。てっきり、それが普通なのかと思っていましたが」
フィルではないもう一人、それは。
「リオも同じような事を言っていました。フィルはともかく、《スレイド》には勝てないと。フィルは確かに戦いますが、傍でずっと《スレイド》が見守っています。そして、何らかの危険があれば彼がフィルを守るのでしょう。あのリオが、一太刀浴びせるのがやっとの相手ですよ」
その報告は、リオからもトワからも受けていた。《スレイド》には勝てない。二人して、口を揃えてそう言うのだ。
「搦め手も難しいかな? 遠方から狙撃とか」
イリアの質問に、リュウキは声を出して笑う。それは前回俺が失敗した奴なんだが。
「フィルには通用するでしょう。あの子は、そういうの苦手そうです。ですが、その分《スレイド》が周囲を見ている。致命的な物は、恐らく回避されるでしょう」
ここまで話してみても、結局勝てないのではという答えしか出てこない。
リュウキは背もたれに深く腰掛け、両手を頭の上で組んだ。お手上げのポーズだ。
「仮に、ミスター・ガロットが何らかに新兵器を持っていたとしたらさ。俺達精鋭の操縦兵を、それこそリオとかな。そういうのを一纏めにしても、一撃で吹っ飛ばせるような物じゃないとどうにもならないだろ」
まともに戦ってもダメ、搦め手もダメ、物量で押しても全然ダメ、八方塞がりだ。
一体、ミスター・ガロットはどう勝つというのか。
「……吹き飛ばす。一撃で」
だが、そんなぼやきもたまには役に立つようだ。イリアは何やら思い付いたのか、物凄い勢いで電子キーボードをタイプし始めた。
「おお? 金の卵かー?」
「うるさいリュウキ、ちょっと黙ってて!」
ぴしゃりと言われ、こちらは笑って手を振るしかない。
「金の卵?」
代わりに、エリルがどういう意味かと問い掛けてきた。
「良い情報だったかいって聞いたのさ。怒られたけど」
何がヒントになったのかは分からないが、これでいいとリュウキは頷く。イリアに金の卵が渡ったならば、後は良い感じに孵してくれるだろう。
不要なサブウインドウが一斉に消え去り、倍数以上のサブウインドウが展開された。
「ほら、情報磁気嵐」
「それ、あんまりしっくり来ませんね」
イリアの解析を邪魔しないように、二人でその明滅を眺めていた。




