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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「想望と憧憬」
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誰かに貴方に


 嫌な空気だと、ただそう感じた。《アマデウス》艦内に滞留する空気は嫌に重く、払いのける事すら困難だ。もっとも、実際にそんな空気になっている訳でもない。全部、自分の頭がそう判断してしまっているだけだ。

 リオは《カムラッド》の操縦席から降り、ヘルメットを外しながら言葉の魔力だと歯噛みする。

 ミスター・ガロットの話した数々の事柄が、重圧となって身を蝕んでいる。恐らく、艦内にいる全員が同じ思いでいる筈だ。

 ミスター・ガロットが一方的に回線を切断した後、誰も何も言わなかった。言えなかった。考えなければ言葉を紡げず、考えてしまえば何を話せなくなる。

 結局、まともに言葉を発したのは敵の増援を感知してからだ。幸い距離はあったので、《アマデウス》に帰投し撤退した。

 ミスター・ガロットの話した言葉が、どこまで正しいのかは分からない。だが、あの男は目的を達成している。

 トワを無遠慮に傷付け、責任があるのだとほのめかして。その命を捨てれば、全てうまく行くのだと逃げ道を用意した。

「言い返して、やれなかった。くそ」

 最後の最後に、相手の術中にはまった。言葉の意味を考え、理解しようとしてしまったのだ。その僅かな隙を狙い、ミスター・ガロットは目標を達成した。

「相手のホームグラウンドって奴だからな。名前通りの胸糞野郎だった。負けると分かってるギャンブルに、チップを流し込んじまった気分だよ」

 こちらの独り言に、ミユリはそう返した。肩を竦め、こちらにタオルを投げ渡してきた。

 それを受け止め、乾きつつある汗を拭う。戦闘機動の最中では、相応に汗で濡れていたが。話を聞いている内に、随分と乾いてしまった。

「銃弾をレインコートよろしく受け止めて、槍一本を残して装備は全損。元気そうで何よりだ」

 満足そうにミユリは腰に手を当て、ぼろぼろになった《カムラッド》を見据えている。

「申し訳ないです」

 本心は全くそう思っていないが、一応そう言っておく。

「いや、上等だよ。バイタルパートは全部避けてる。プロの仕事って奴だな」

 そう言って、ミユリはニコニコとしている。まあ、格納庫の主がそう言うのだからそうなのだろう。

「ミユリさんは、あんまり気にしてないんですね。あの男の言った事」

 あまりにあっけらかんとしている為、そう聞いてしまった。対して、ミユリはこちらをまじまじと見つめている。何事か分からず、目線だけで何かと問いかける。

「リオ、お前が特定の個人に苛立つなんて珍しいな。まあ、無理もないか。私はほら、見ての通り自由人って奴だ。責任を持つのは、私が手を加えた兵器のみって具合でな」

 ミユリは話しながら《カムラッド》に歩み寄り、その脚を軽くノックする。

「ミスター・ガロットが弁論をホームグラウンドとしているように、私はこいつがホームグラウンドなんでね。充分以上の状態で、お前が帰ってきた。今、他に重要な事があるか?」

 そう言ってにやりとミユリは笑みを浮かべる。その様子を見ていると、この人はこういう人だとこちらも笑ってしまう。

「細かい事を考えるのはイリアとクストの仕事だしな。ただまあ、トワ嬢を何とかするのはお前の仕事かもしれん」

 トワの名前が出て、気持ちが幾分か引き締まる。

「そうですね。トワは、深く考えて自分で答えを決めちゃうから」

 そうやって、トワは様々な事を学んできた。分からなくとも、考える。投げ出さずに受け止める。でも、それが全てを良くしてくれる訳でもない。

「だな。考える馬鹿って厄介だよな。勝てないギャンブルに、こうすれば勝てると踏んでチップを流し込み始めるんだわ」

 身も蓋もない言い方だが、真実だろう。トワはトワなりに考えて、誰も望んでいないような結末を自身に刻み始める。

 タオルをミユリに返し、ヘルメットを脇に放り込む。フラット・スーツの胸元を少し開け、首に掛けたネックレスを引っ張り出す。そこに繋がれたエンゲージリングを見遣り、その煌めきが示す答えを確認する。

「ちょっとチップを奪ってきます」

 負けが確定したギャンブルに、トワが賭けるその前に。そのチップを根刮ぎ奪う。

 まずはトワを探す。そう考え歩き始める。ちらとミユリを見ると、にやと笑いながら親指をぐいと立てていた。

 その目が、それがお前のホームグラウンドだと言っているような……そんな気がした。







 着替える時間も惜しい。そう判断し、フラット・スーツ姿のままリオは艦内を歩いていた。

 だが、大体予想は付いている。ブリッジにそのまま居続けるような事はしていないだろう。トワがじっくりと、考え事をしたい時にどこへ行くのか。

 展望室で宇宙を眺めながら、シャワーを浴びながら、或いは。

 扉がスライドし、照明の点いていない部屋に明かりが差し込む。照らされた部屋の様子は、いつも通り散らかっていた。片付けるという概念がそもそもないのか、この子の部屋はいつもこうだ。

「リオ、着替えてないの? シャワー浴びたりとか」

 こちらのフラット・スーツ姿を見て、トワがそう言った。

 トワ自体は、いつも通りかわいく着飾っていた。ブラウスに、膝丈程のプリーツスカートを身に付けている。その上から、薄手のパーカーを羽織っていた。あれは、自分があげた物だろう。パーカーだけが、ワンサイズ大きく見える。

 部屋の奥で、何かを見ていたようだ。暗闇の中、それをちらと確認する。見た覚えのあるスケッチブックが、そこには置かれていた。アストラルが絵を描いていたスケッチブックだと、何となく分かる。

 部屋に入ると、扉が勝手に閉まっていく。再び部屋が暗闇に支配されるが、完全な暗闇ではない。それこそ、トワがスケッチブックの中身を眺めていられる程度には明るい。

「トワの答え、聞いてからじゃないと。あの男の話を聞いて、トワも色々と考えたんでしょ」

 他の事はどうでもいいと。言外にそう伝えた。部屋の隅にいるトワに、あまり近付かないようにして答えを待つ。

「うん、考えたけど。難しい事だから、まだよく分かってないんだ。えへへ」

 トワは困ったように笑う。嘘を吐いていると、すぐに分かった。よく分かっていないというのは、本当かも知れないが。答えはもう、決めているのではないだろうか。

 直接聞いても、トワは話したりしないだろう。笑って誤魔化されるのがオチだ。ならば。

「ちゃんと、決めておこうと思って。トワだって考えたでしょ。最後の最後に、どうしようもなくなったらって。トワは自分を犠牲に出来るの? みんなや、僕の為に」

 強い口調を、敢えて選択して叩き付けた。トワはこちらをじっと見据え、次に自身の左手を見た。薬指に通されたエンゲージリングに触れながら、トワは小さく頷いた。

「それは、犠牲になるって事?」

 トワは小さく頷く。

「ちゃんと、トワの言葉で話してよ」

 黙ったままでいるトワに、その言い放つ。逃げ道は用意しない。ここで迎え撃つし、迎え撃って貰う。

「……仕方のない、事だって思うの。そうならないように頑張るけど、でも。全部がうまくいく事ばかりじゃないし。アストもそうだったし」

 ぽつぽつとトワは話し始めた。その指が、スケッチブックの表紙をなぞっている。

「だから、それだけ。これはそれだけの話なのかなって。そういう選び方もあるんだよって、ただそれだけの」

 そしてそれこそが、ミスター・ガロットの思惑だ。頑張ると言った以上、トワは本当に頑張る。これまでだってそうだ。だが、それはとてつもなく困難で苦しい。その苦しみの中、全てを救える選択肢が用意されてしまった。

 死を内包した前進が、どれほどの虚無を抱えるのか……何も知らない癖に。

「……そう。なら、やっぱり奪わないと」

 負けの確定したギャンブルに、トワはチップをくべようとしている。いや、お前がチップを差し出せば、このゲームは終わりにしようと言われたのだ。他の者は皆、無事に家に帰れるだろうと。

 当の本人が、それを‘仕方がない’と言っている。ならば、誰がどうすればそのチップを守れるのか。

 頭の奥が、じりと痛むような気がした。なるほど、多分ミユリの言っている事は正しい。

 僕は怒っている。壊れた心の内側から、ふつふつとそれが沸き上がるのが確かに感じ取れた。

 トワに歩み寄り、壁の端に追い詰める。元々トワは部屋の隅にいた。詰め寄り、細い肩を軽く押さえるだけで簡単に包囲出来る。

「ふえ、うえ?」

 こちらの顔を見据え、トワが素っ頓狂な声を上げる。思わず後退しようとしても、その背中にあるのは壁だけだ。

「あの、リオ? あのあの、ちか、近くて」

 トワは分かりやすく狼狽えだした。何が近いというのか。普段はトワの方が遠慮なく近付いてくるのに。

「いいから、真剣な話。ちゃんと聞いて。ほら逃げない!」

 顔を背けようとするトワの頬を両手で押さえ、ぐいとこちらに向ける。か細い声が、閉じられた口の中を僅かに振動させていた。

「トワがどうするのか、僕が決める。仕方ないとか、そんな言葉で諦めさせない」

 野放しにしていたら、この少女はどこかへ行ってしまう。誰も自分でさえも望んでいないのに、それが最善だと思い込んで行ってしまう。

「世界ごと君を救うと言った。約束を形にして、ここに繋ぎ止めるとも言った。なのに、肝心のトワが仕方がないだなんて」

 全部本気だ。それしか頭にないってぐらい、それだけを考えて。全部言葉にしたのだ。

「他の事は、好きにしたらいい。でも、これだけは譲らない。トワの生死は僕が決める。絶対に、死を選ばせたりなんかしない。分かった? 聞いてる?」

 目に見えて狼狽えているトワに、念を押すようにそう問い掛ける。

「わか、分かった! 分かったから、ちか、リオ、お、お願い!」

 何を願うというのか。真っ直ぐ目を見据えながら、じっと言葉を待つ。

「おち、おちつこ……? あ、だめ、私だめ」

 狼狽える、というよりこれは。傍にあるスケッチブックの近くに、照明操作用のリモコンが転がっていた。もしやと思い、照明を点けてみる。

「……うー」

 視界が明るくなり、世界に色が付く。目の前には、顔を耳まで真っ赤に染めたトワが、涙目でこちらを睨んでいた。頬を押さえられたまま、浅い呼吸を繰り返している。まあ、押さえているのは僕なのだが。

「トワ、話聞いてた?」

 とんでもなく真剣な話をしていたのだが。話を聞いていた反応にしては、ちょっと赤すぎるのではないか。

「きけ、聞けるわけないでしょ! ばかあ! うあ……」

 目を見開き、トワが珍しく怒鳴った。そして、怒鳴った事がいけなかったのか。

「心臓痛い……吐きそう」

 突然体調を崩し始めたトワに、今度はこちらが狼狽える番だった。

「え。ごめ、ごめん……?」

 謝りつつ、手と身体を離す。いやそもそも、これは僕が悪いのだろうか。

 自由になったトワは、ばたりとベットに倒れ込んだ。プリーツスカートがふわりと広がった後に、ぱさりとタイツに包まれたお尻を覆い隠す。

「えーと、トワ?」

 恐る恐る問い掛けてみる。うつ伏せのまま、トワは肩で息をしている。僅かに顔をこちらに向けると、恨めしそうな目を向けてきた。

「私はここまでしません。加減というものが、あります」

 丁寧口調で、何やら苦言を呈されている。

「心臓がだめになったら、どうしてくれるんですか。ううん、もうだめになってるかも」

 だらりと寝返りを打ち、トワはこちらに向き直る。横向きに寝転がり、こちらを見据えていた。随分と目が据わっていらっしゃる。

「それはまあ、ごめん。でも、真剣な話だったんだけど。真剣に聞いてくれないと困る奴だったんだけど」

 こちらも苦言を呈すと、むうとトワは膨れ面を返した。

「私も真剣だったもの。いきなりリオが、その」

 顔を再び赤に染め始めたトワを見て、はあと溜息を吐く。これは多分、殆ど伝わっていないのではないのか。

「いきなり抱き、うう。それに、それにね」

 何やら興奮しているトワが、ばたばたと手でベットを叩く。

「表情が‘きっ’としててね、かっこいいの! 普段はかわいいのに! うー!」

 ばしばしと手はベットを叩いている。この子は何をそんなに盛り上がっているのだろうか。

「それはいいんだけど。真剣な話……」

 言い掛け、この状態でどうやって真面目な話をすればいいのかと自問自答する。

 すると、トワがのそりと身を起こす。そして、こちらの手を取ると指を絡ませた。大きめのパーカーを羽織っている為、袖口から指が少しだけ見えている。その少しだけの指が、こちらの手を奪ったのだ。

「いいよいいよ、どうでもよくなっちゃったもの。私の事はリオに任せればいいんでしょ? リオが私を、ちゃんと私にしてくれるんでしょ?」

 ふわふわと、分かっているような分かっていないような答えを返してきた。

「私、思ったの。自分で考えるのってとっても難しい。だから、誰かに言って欲しい。だめだよ、いいんだよって」

 手をぎゅっと握りながら、トワはそんな事を言った。考えた末に、考えるという事の苦難に気付いた。それは、それでも考えなければいけないという、この子なりの悲鳴に聞こえた。

 だめだよ、いいんだよと言って欲しい。その単語の前には、多分この言葉がついて回っている。

 死んではだめだよ、生きてもいいんだよと。誰かに言って欲しいと。

「だめだからね。絶対に許さないから」

 トワはこくりと頷く。

「いいんだからね。そう約束したでしょ」

 もう一度、トワはこくりと頷く。分かってはいるけれど、確認したかったのだと。その伏し目がちな赤い目が語っている。

 子どもが無邪気に……それでも一抹の不安を抱えながら、母親に自分の事が好きか問うように。トワは生死を考え、それを問い掛けている。それを自分で考え続ける事は、確かに難しい。

「私の事、心配だから。一番に来てくれたんだね。ありがとう、リオ」

 そう言って、トワはふわりと微笑んだ。大好きな笑顔が目の前にある。もう一度抱きついたらどうなるのだろうと、興味が頭を過ぎったが。もう、それを実行出来るだけの原動力がここにない。端的に言えば勇気がない。

「シャワーとお着替えしなきゃでしょ? 今度は私が反撃したいから、一緒についていってあげる」

 心の隙を目敏く発見したトワが、挑戦的な笑みを浮かべてブラウスのボタンをぱちりと外した。

「やめ、何考えてるのさ!」

 慌ててその手を止めるも、トワは口を尖らせてこちらをじろと睨む。

「私の心臓、その仇を討つの。リオが先にルール違反をしたから、私も‘きんじて’を使う時がきた!」

 ルールなんて知らないし、禁じ手とは一体なんなのか。

「気付いたの、私負けず嫌いだって」

 気付いた所悪いのだが、負けず嫌いはとっくに知っている。謎の闘志を燃やすトワを相手に、これからどうすればいいのか。

「まあ、いいか」

 トワが元気に笑っているのなら、まあ何でもいい。

「うー、どうしよう」

 と思いきや、何やら困っている。どうしたのか目で問いかけると、トワは口をへの字にして訴えてきた。

「‘きんじて’使うと、私も一緒にシャワーを浴びなきゃなの。恥ずかしい……あんまり綺麗じゃないかもだし、あばらの、ううん何でもない。何でもないけど……」

 そう言って、頬を染め始めた。足をぱたぱたと動かし、とても落ち着きがない。

「……とりあえず禁じ手を封印してみたら?」

 綺麗じゃない筈ないだろうとは思ったが、そんな諸刃の剣ならば振り回さなくてもいいだろう。

「……うー」

 唸りながらトワは考えている。ろくでもない悩み事なら、幾らでも頭を抱えて貰おう。

 大事な事は一緒に悩むし、決め倦ねるのなら答えよう。それぐらいの事は、自分にも出来る筈だ。

「り、リオは。一緒に、その。入り……たい?」

 顔を僅かに赤く染め、そっぽを向きながらトワはそう問い掛けてきた。

 一緒に悩むし、決め倦ねるのなら答えよう。そう思った矢先の質問だが。

 この場合、どう答えるのが正解なのだろうか。下手に断ったら、邪推されて機嫌が悪くなるのは目に見えている。かといって、快諾する訳にもいかない。色々と困る。とても困る。とてもじゃないが、まあいいかでは流せない。

 機嫌を保ちつつ、断る方向で考えてみよう。ろくでもない悩み事に対して、早速頭を抱える時が来たのだ。

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